衝動任せの夢追い人・1
きっと、彼女は覚えてはいないだろう。
幼い頃にたった一度、会ったきりの男のことなんて。まして、そのガキが衝動任せに口走った約束なぞ。身の程を知らない子供が語る、幼さゆえの壮大に過ぎる勇者伝説。
泡沫の時間。奇跡というほかない、迎えの大人が来るまでのほんの短い時間の邂逅。夢を語り合った。
彼女が話した理想に比べれば、オレが語る夢のなんと陳腐なことだったろう。見栄混じりの大言壮語だったのに。
見栄だ。本気じゃなかった。でも。
──だけれども、オレは。
未だにソレを捨てられてはいない。
───
実をいうと、生活には特に困ってなかったし、ワザワザ探索者だなんて無謀な道を選ばなくても、将来の不安なんてものとは無縁の人生だった。
それでも、王国の片隅にポツンとある故郷の寒村を飛び出して迷宮都市にまで来たのは、夢があるからだった。
一体それがどんな夢なのかといえば……有名になることだ。
ダンジョンに潜って魔物を討伐し、踏破して。いや、ダンジョンでなくてもいい。そうある話じゃないのは知ってるが、伝説級と呼ばれるモンスター。凶悪なやつを成敗してしまうとか。賊討伐だってよかった。とにかく何かすごいことをして、有名になりたい。
……それがオレの夢だった。
もちろん、簡単じゃないさ。それくらいはわかる。
……わかっちゃいたが──。
現実は想像よりもずっと厳しかった。
これでも努力はしてきたつもりだったんだ。野良仕事の合間に棒切れを振り回してみたり、走り込みをしてみたり。怠ったつもりはなかった。
コボルトってモンスターがいる。
ザコの代名詞だ。でかいネズミみたいなやつで、人間でいえば七歳とか八歳くらいの子供みたいな体格をしてる。要するに、力比べをすればどうあっても人間の方が強い。そういう手合いだ。……そのはずだった。
……二つ、思い違いをしていた。
まず、殺し合いをするってのは気に食わないやつを殴りつけて喧嘩をするのとはまるで違うってことだ。
殴れば痛い。当たり前のことだ。なら、刃物で切り付けられりゃもっと痛い。当然だ。……少なくとも人間は痛いと思えば足が止まる。頭の中身が痛いで埋まる。オレはそうだ。けど、やつらは違う。文字通り死に物狂いで襲ってくる。逃げ出してくれるにせよ、一筋縄ではいかない。生き汚いというのか……執念が違うんだ。
それから二つ目。
追い回し、逃げ回り。気付いたんだが、どうやら戦いというのは、力が強けりゃそれで勝つというものではないということだ。
コボルトのごとき、知性の欠片もないモンスターにさえ、殺しに関する理合いというやつが存在している。
そこで思ったのは、やつらのやり方に付き合っていたら、生命がいくつあっても足りないということだった。
やつらとまともにやり合ったとして、倒したとして。ここは迷宮だ。次がいくらでも湧いてくる。どう考えたって体力が持たない。
なら、こちらだってやり方を選ばなきゃ命が続かない。……はたして、まっとうでないやり方で勝利することに意味があるのか、って気持ちがあるのは否定しないけどな。有名になって、それで胸を張れるのかってさ。
……悩んだが、まずは成果だ。それがなきゃ話にならない。
そういうわけで、オレの冒険バッグには一つアイテムが常備されることになったんだ。……投げて使う毒ってやつが。
───
事件を起こしてしまったのは、探索者になってひと月あまりもした頃のことだった。
この頃には“歌姫”が迷宮都市に来るっていうんで、都市全体が浮き足立ってた。……オレも、冷静ではなかった。彼女が、来るってんだから。
……。
仕事帰りだったんだ。コボルトからはぎ取った換金部位を持って、『英名の剣』で受付に並んでた。……最近は受付のたびにギルド員の人から毒殺されると素材が汚染されるからって、言われてしまう。一人でキツいんなら徒党組めって。……考えたことはある。
あるんだが、後回しにしている。何故って、単純に人付き合いが不得手だからだ。他人との距離を測るのが苦手だ。……そもそもオレ風情の協調性じゃ、パーティを組んだとして、うまく協調できずに足を引っ張るだろうし。訓練だって受けてない。
……今日も小言を言われるだろうなって、そんな風に考えてたんだ。……そこに聞こえた。
「──“歌姫”は“二つ名持ち”でも飛び抜けて“ご高貴”な方だって言うぜ。なんたってコボルトの一匹さえぶっ殺せねえってんだからよ。……テメェの腕っぷしも示せねえでどんな“実績”を残せたってのか、ぜひご教授願いたいもんだねぇ」
……彼女を皮肉る、侮蔑の笑い声が。
男だ。見るからに筋骨隆々で、ベテラン探索者といった風貌。二つほど前の列に並んでいる。
一瞬、何のことを言っているのかわからなかった。
最初、盗み聞きをするつもりはなかったからだ。それでも男のがなり声は俺の耳に入ってきて……それが頭の中でつながった時、どうやら彼女に対して下衆の勘繰りをしているのだと、思い至ったんだ。
一度気が付いてしまえば、もう聞き逃せない。……ありていにいって、頭に血がのぼった。
頭に血がのぼったから夢中になって絡みに行った。
……正直な話をすれば、やめさせようとか、謝らせようとか、そんなことを考えてのことじゃなかった。もっと個人的な感情の発露で、ぶっちゃけてしまえば八つ当たりそのものといってよかった。「俺が気に食わない言葉聞いて気に食わないと思ったから絡むぞ」ってことだ。
そんな奴、殴り倒されて撃退されるのが関の山だが、マッチョ男はあろうことか、なだめてきた。その上、苦笑交じりとはいえ謝りまで。……さらに頭に血がのぼった。
掴みかかってみたが、びくともしやしない。
力の差は歴然で、どうしようもなかった。……そして明らかに攻撃的な意思を持って接しているのに、やつには余裕があった。戦いどころか喧嘩にすらなってない。泣き喚く幼児を生温かく見守るような対応に、ひどくプライドが傷付いた。……そう、プライド。
毒なんか使ってるくせに。まっとうな戦いから逃げたくせに。それでも傷つくプライドがオレにもあった。
しっちゃかめっちゃかな気分になっていた。
彼女を侮辱する言葉は気に食わなかったし、プライドも傷ついていた。そしてそれが、事件の引き金になった。
毒を投げつけたんだ、マッチョに向かって。衝動的な行動だった。……普通に考えてあり得ない行いだ。口喧嘩の末に毒をぶつけにかかったんだから。でも幸い、怒りで手元が狂ってマッチョには当たらなかった。
──マッチョには、だ。
人には当たった。帰路につこうとしていた“暴君”ハナイ・ムラクモだ。
空気が凍るってああいうことを言うんだろうな。マッチョも、場も。空気が重くなった。
もちろん俺だって。ぶつけてから我に返って、とんでもないことをしたって半ばパニックになった。
……なったが。
“暴君”は平然としたままで、毒が効いた様子が一切ない。……そんな馬鹿な。
きょとん顔をした後、「食べ物を粗末にしちゃだめだよ」とかズレたことだけ言って帰ろうとすらしている。
……こう言っちゃなんだが、その時の俺、“暴君”のことはよく知らなかったんだ。“二つ名持ち”の中でも飛び抜けて強いってウワサになってるのは知ってたけど、興味がそんなになかったから、どういう人かまでは知らなかった。
そして見知った今、思うのは。
──この人、もしかしてとんでもない馬……無頓着なのでは?
とはいえ、やってしまったことはなくならない。たとえ本人が気にしていなくても。
それからのことはいっぱいいっぱいでよく覚えてないが、次に冷静になった時、俺は『英名の剣』から謹慎処分を言い渡されていたんだ。
───
謹慎してから、一週間以上が経ったはずだ。
……何をやってるんだ、オレは。
彼女の悪口を聞いたからって熱くなって。……あまつさえ。
もちろん……彼女を言い訳に使うつもりはない。あくまでも、オレが、オレの感情で馬鹿なことをやったのだ。
記憶と日付が正しければ、今日この日、“歌姫”が迷宮都市に来訪するはずだ。
……だが。
部屋に閉じこもっていると、思考が同じ場所を何度も往復する。何度も何度も同じ場所をグルグル回り続けて終わりが来ない。
……無性に外に出たくなった。だが、謹慎中だ。
悶々と過ごしていると、来客があった。どうやら例のマッチョ男らしい。
扉には鍵をかけていないから勝手に入れと言うと、遠慮の欠片もなくズカズカと大股に入ってきて、開口一番に名乗った。ゲーハ・ガナールというらしい。……がなるハゲ。いやいやまさか。
……さすがに。
一体何の用だと聞くと、「まずは名乗り返すのが礼儀だろ」と。なるほど確かに。確かにそうだ。そうだが……何か釈然としない気分になる。
……。
「テットだ。テット・バドー」
「ほー。いい名前じゃねえの。なんともさわやかで颯爽とした響きでよ。てめえでもそう思うだろうが。ん?」
「皮肉はやめてくれ。……そういう気分じゃない」
「卑屈だねえ。そんなじゃ女にモテねえぞ」
……余計なお世話だ。
本当にこいつ、何の用があって来たんだ。そんなことを言いに来たのか?
……目的が一向に見えてこない。
ガナールにとっての俺は厄介者以外の何物でもないのだろうし、そんな奴のところへワザワザ訪ねにくるなんて、どういう了見なのか。よほどの切羽詰まった用事があるのか、それとも『ケジメ』とやらを付けるのか。
……よくよく考えてみれば、俺は謹慎の通達を受けはしたが、それは“暴君”に対してのモノだ。彼個人の感情への清算はしていない。
何を言われるのかと身構えていると、「シケた顔してんなよ」とやつは驚くほど引きつった笑みを浮かべた。……いや、マジで下手な笑顔だ。口元しか笑ってないっていうか、歪んでるっていうか……。……え? 何? 何か企んでるのか? 回りくどいタイプの報復者?
そうやって警戒してみるが、どうにも違うようだった。
オレの内心など知らん顔で、ガナールは冒険バッグをガサゴソとやって……机上へと中身をひっくり返した。散らばるのは菓子や酒、つまみ。やたらと種類が多い。
「ま。とりあえず飲もうや。……ホレ、てめえも好きなもん取っていいからよ。……あ、代金は出世払いでいいぜ?」
「そういう気分じゃないって言って……うわやめろ! 飲まないって言ってるだろ! ゴボッ!」
「いい飲みっぷりだな、兄弟! 気に入ったぜ!」
……いや、お前が無理に飲ませて来てるんだろ、と言いたいが、押し付けられる酒瓶のせいで口がきけなかった。
───
色々な話をした。
自分のことなんか、こんな大して関わりもないおっさんに話すつもりはなかったが、どういうわけか舌の滑りが滑らかだった。酒のせいかもしれない。
「最近どうだ。探索者には慣れたか」から「普段の過ごし方」まで、お前はどういう立場なんだってことを聞いてくる。そしてやつ自身も、やれ「酒が入るとどうしても気が大きくなっちまうよな」だの、「つまみは魚介に限る」だの聞いてもいないことをケラケラ話す。「剣の振り方を教えてやろうか?」とまで。
これは、願ってもない話といってよかった。
オレは未だに我流だし。百姓上がりが片手間に身に着けた戦法でこの先やっていくには限界があるだろうから。……ただ、こいつに頭を下げて物を教わるのはなんとなく気が咎めた。……つまらないプライドだ。
どうにか折り合いを付けてみようと算段を付けていると、
「お前さん、“歌姫”には格別の思い入れがありそうだな?」
「……ズケズケと。どうでもいいだろ。アンタには関係ない」
「悪ぃとは思ってるんだぜ? 九割お前が悪いしお前の責任だが、発端は俺だからな。酔ってたとはいえ、ちと度が過ぎることを言っちまったってよ」
……まるで何もかも見透かしているぞと言わんばかりに言ってきた。ニヤニヤとつり上がった口元がいやらしい。
いけないとは思ったが、ついムキになって「だから話せって? 冗談じゃない」とやや荒く返してしまうが、ガナールは気にした様子を見せなかった。「おっと、足場を踏み間違えちまったか。見逃してくれよな。おっさんになると、ちぃーっとばっかしデリカシーってやつが気になんなくなるんだわ」とさえ。
……年とか関係なく、アンタが無神経なだけだろ、と言いたい気持ちになったが、やめておく。……自分に返ってくる言葉だからだ。
……それに。
さすがに気付きもするよ。いくらなんでも、愚鈍で未熟なオレでも。気を遣われてるんだってことくらいは。
……ただ。
わからない。理由がないはずだった。彼に気を遣われる理由が。ワケが見当たらないから戸惑う気持ちになる。
戸惑って、視線をさまよわせていると、おもむろにガナールが立ち上がった。
帰るのだろうか? そう思って見上げると、彼は「ちっとばかし付き合えや」と言った。
……?
付き合うとは? 知らないはずがないだろうが、謹慎中の身だ、オレは。
「許可は取ってるよ。安心していい」
「……い、意味が分からない。そんな特別扱い、認められるわけが……」
「どういうわけか通ったぞ。簡単ってほどじゃなかったがよ。……まあ、“暴君”殿の無頓着さと頑丈さのおかげってところだろうかね。……感謝しとけよ」
……おかしい。それはおかしいことだ。筋が違う。オレにもわかる。
自業自得の謹慎だ。今は認めている。なのに、ひっくり返すのか? それを。
そもそも、“暴君”が気にするかどうかでなく、筋の問題だと言ったのはガナールだ。なのに。
そう言うと、ガナールは乱雑に後頭部を掻いた。
「……あーそりゃアレだ。しのびねえだろ。色々と」
正直に言えば、外に行きたいのは山々だった。行っていいというのなら、一も二もなく外出したい。
きっと彼女はオレを覚えてはいないだろう。でも、それでもよかった。遠くからでも、認識されなくても。一目だけでも見たかった。
……でも。
どうにも決心がつかずにいると、ガナールがじれったそうに貧乏揺すりをした。
「ホレ! さっさと行くぞガチ勢! さっさと行かねえとパレード見逃すぞ!」
「は? ……が、ガチ勢? 何だよそれ」
「てめえのことだよ。あんな往来で『“歌姫”ちゃんをバカにすんなー!』っつって大立ち回りしたら、そりゃこんなあだ名も付くってもんだろ。めでてぇじゃねえの。ファン冥利に尽きるってやつか? ……うじうじしやがってホラ。ガチ勢、せっかくの二つ名が泣いてるぞ!」
何たる言い草だ。
……というか俺、そんなあだ名付けられてんの? 謹慎明けのギルド、ちょっと行きづらくなってんだが……。
……。
「待っててくれ。……支度してくる」
───
それとなくっていうには、露骨だったかもしれないが。あの子を探して歩き回ってみたものの、どうやら間に合わなかったみたいだ。“歌姫”は見られなかった。
……その代わり。
なんだかしょんぼりしている“暴君”に会った。
出会って、出店を奢ることになったんだ。ガナールのやつが「これもケジメだぞ」っていうものだから。
もちろん、文句があるってわけじゃない。あるわけじゃないが……。
結構遠慮なく頼むんだよなぁ、この子。この遠慮のなさ、二つ名通りってわけか……。
休憩席を見つけて、戦利品を貪っている“暴君”をなんとなく眺めていると……。おもむろにガナールが彼女へ頭を下げた。……謹慎中の俺を外に出したことについてらしい。筋を違えたから、と。
……オレも当事者だ。いや、オレが当事者だ。頭を下げるべきはオレなんだろう。それはわかってたんだが、一つ問題があった。
それが何かって、“暴君”の顔が良いことだった。
鋼のように鈍い輝きを放つ銀髪と、神秘的なオッドアイ。
正直前に会った時には気にする余裕がなかったが、改めてよく見ると恐ろしいほど造形が整っている。我ながら軽いと思うが、その愛らしさに気を取られてしまったんだ。……あ、あまつさえ。「かわいい」だなんて口から漏れてしまって。
……聞こえてないだろうか?
し、刺激が強い容姿だ。
ドギマギしていると、食べるものを食べた“暴君”は、驚くべきことを言った。
いわく、奢りの礼に頼っていいと。
……正気か?
“暴君”と呼ばれるほどの人物が、たかだか出店の礼に動くだなどと。……いや、それ以前の話だ。筋が違う。礼とは違うし、償いになるものでもないが、こちらの事情でやったことなんだ、これは。
けどこっちの抗議もなんのその。気にしてないから貸しだなんて。めちゃくちゃな理屈を言うだけ言って、さっさと帰ってしまった。……これにはオレはもちろん、あのガナールさえ呆気にとられたよ。
なんて言ったらいいのか……。
なんというか、容姿の愛らしさ以上に、刺激的な人格をしてるんだな、“暴君”って。
“暴君”を見送った後、帰ろうと思ったんだ。
“歌姫”はいないし、騒がしい場所も好きじゃない。だけど、せっかく来たんだからってガナールのやつに付き合わされて、解放されるころにはすっかり日が落ちていた。その上さらに、二次会だとか言って酒場に連れていかれそうにもなったんだが、そっちは断らせてもらった。何が何でも、是が非でも。
それで、路地を歩いてたんだ。
時間も時間だからか、人通りがなくなった路地。どこか寒々しい気分になって、一刻も早く帰ろうって、速足で歩いてた。
そんな時に、ぶつかったんだ、人と。
ちょうど曲がり角の向こうからやって来た人だ。尻もちをつかせてしまった。
さすがに申し訳なくなって、頭を下げつつ手を差し出して──気が付いた。
目深にかぶったフードの向こう側。
甘やかな桜色の髪と、宝石のような青い瞳が見えた。
──彼女だ。
“歌姫”が。あの約束の彼女が、俺を見上げていたんだ。




