【幕間】とある転生者が二度目に死んだ日
「ごめんね」
イヤだよ、お母さん──。
伸ばした掌の先の先。数メートルはあろうかという巨大アリの顎が母を砕くのを見た。
───
宇宙からはこわい、こわい侵略者がやってくる。
彼らはすごい力を持っていて、地球は、人類は。
滅びの瀬戸際に立たされているんだってのは、テレビでも新聞でも報道されてることだった。
でも、実感なんてなかった。
だってあまりに平和だったし。
……滅びがどうのこうのって割に、朝のニュースでやってるのはヒーローや魔法少女の活躍に関することばっかりだったから。実感なんかあるわけない。
安全神話っていうのかな。
あたし達の思う平和なんて所詮バイアスが掛かったもんなんだって思い知らされたのは、十四才の誕生日の時だった。
夕飯時で。談笑なんかしながら、お母さん十八番の「あなたが生まれた日のこと」エピソードを聞いてた時──不意にすごい轟音がして、ものすごい地震が起きたの。
その時はね、かなり怖かったけどパニックにはならなかった。お母さんと一緒だったし、揺れはすぐに治まったからね。
テレビを点けながら状況を把握しようとするお母さんを横目に、あたしなんとなく窓から外を見たの。
──すぐに後悔した。
来月あたりに出来上がるっていう集合住宅にね、変な円柱が突き刺さってて、そこから無数のアリが這い出てるのが見えたから。
意味わかんなかったけど、本当にわけがわかんなかったけれど。
それでも悲鳴を上げそうになる口を、本能的に手で塞いだんだ。だってあんなやつらに見つかったらどんな仕打ちを受けるかなんて、考えなくたってわかるもの。
とにかく状況を共有しなきゃって思って、「おかしいわね。地震速報がやってないわ」なんて言ってるお母さんに急いで近付いたの。それで、腕を引っ張った。出来るだけ小声で「こっち来て、声出さないで」って言いながら。
お母さんは最初、あたしが地震を怖がって甘えてきてるんだって思ったみたいだったけど、尋常じゃない様子に気が付いてか従ってくれた。
それで窓まで近付いてって、覗き込んで……。
すごい音が上がった。それがサイレンでもなく、アラートでもなく、お母さんの悲鳴なんだって気が付くまでには時間が掛かった。
これ、ヤバいって思った時には、多分もう手遅れだったと思う。でも、あたしも全然冷静じゃなくって。逃げなきゃ、お母さんと一緒にどこか遠いところに行かなきゃって、それしか考えられなくなってたんだと思う。
あのアリに見つからない内に、ってね。
半狂乱のお母さんを引っ張ってね、玄関まで走ったの。
早く早く、遠くへ遠くへ、早く遠くへ。
それで玄関の扉を開けたら──。
そこにね、アリの顔があったの。人間なんか一噛みに潰しちゃえる顎をカチカチさせてた。
シンプルに死んだなって思ったよね。なんなら、青黒く艶を放つ外殻に、意外と綺麗だねって思う余裕まであったかも。
食い殺そうって迫ってくるアリの動きがさ、妙にゆっくりに見えて。せめて痛くない死に方が良かったな、なんて他人事みたいに思ってた。
──そしたら。
すごい力で首根っこ引っ張られて、投げ飛ばされたの。その時、過ぎ去るような風景の中に、「ごめんね」って囁くような音が混じって……。
それが、お母さんのモノなんだって気が付いた時には──アリの大顎がお母さんの頭を噛み砕いてた。
あっ、と思う暇は──無かったよね。
何でって、あたしも死んだから。
投げ飛ばされた先、リビングにつながる廊下だったんだけど……。リビングにね、もう一匹入ってきてたの。
そいつったらさ、出入り口の狭い隙間から前足を伸ばしてあたしを捕まえてさ、そんでガジーッ! だよ。嫌な最期だよねぇ。
───
目を覚ました時、最初にやったのは悪い夢でも見たのかな? って現実を疑うことだった。
なにせアリに噛まれてグチャグチャになったはずの頭はちゃんと付いてたし、身体に痛いところも無かった。
でも。
すごく奇妙なことにあたし、手足動かせなくなってたんだよね。その上目も見えないし、鼻も効かない。音もよく分からない。
でも、その代わりっていうのかな?
第六感みたいなのがすごくパワーアップしてて、見えない聞こえない嗅げないでも、周囲のことはなんとなくで理解できたの。
──この時のあたしには全く知る由なんかないんだけど、異世界転生しちゃってたんだよね。……それも虫として。
新天地での生活は最悪のひと言だったよね。
ゴブリンやコボルト……オークまでいる。そいつら皆あたしのこと狙ってくるんだもん。
それでもみっともなく這いずり回って、生き延びて、生き延びて、生き延び続けたの。
生き続けて……虫としての生活が、もしかすると人間として生きた時間よりも長くなってきたかな? ってくらいになった時。
あたしね、一つ野望を抱いたの。切望って言い換えてもいいかも。
──地上に出たい。
外に出て、太陽の下で生きたいって事なんだよね。やっぱ、元人間の転生虫に、地下ダンジョンは日当たりが悪すぎるもの。
もちろん、地上の人間と共存なんかできっこないのはわかってた。だって今のあたし、元の世界で侵略行為を繰り返してた奴らとおんなじような存在になり果てちゃってるし。
だから、力尽くで奪い取ってやろうって思った。
兵隊がたくさん必要になるだろうからって、ダンジョンの一角を巣に改造したり、たくさん卵を産み付けたり。努力は怠んなかったよ。
たまにダンジョンへやってくる馬鹿な探索者はボーナスみたいなもの。殺した死骸に子供を寄生させて、上位種に仕立て上げたりもして。
戦力は着実に整ってきてた。
あたしの地上侵攻計画は、まもなく最終段階に入ろうとしてた。
そう。あと少し。
あと少しだったのに。
──あいつがやってきたんだ。
鉄みたく鈍い輝きを放つ銀髪に、無感情な金と緑のオッドアイ。
銀を基調としたメルヘンな魔法少女服に、モスグリーンの着物を羽織みたいに着ているあべこべな格好。
魔法少女だ。魔法少女に決まっている。
だから一瞬ね、元の世界からあたしのことを助けに来てくれた救世主なのかと思ったよ。
──そんなわけないのにね。
魔法少女だろうと、あたしの子供たちには勝てないに決まってる。
だからね、いつもの馬鹿な探索者みたいに殺してから、素材にしてやるつもりだったの。
確実を期して、上位種を差し向けて。不意打ちでサクッと殺す……必勝戦法だ。だってのにあいつときたら、死ぬどころか反撃までしてきた。
どうも上位種一匹じゃあ旗色が悪いらしい。
だからね、下位種を援護に差し向けたけれど……ゴミを払うみたいに殺していく理不尽。
──なんだよ、これは。
長年を費やして用意した地上侵攻の戦力が、あっという間に台無しにされてく。
もうどうしようもないからって、なし崩しに計画を前倒しにしてしまったけれど、悪手だった。
子供達の視界越しに見た──聞いてしまった声が、脳みそにこびり付いて離れてくれない。
「わたし、華亥ムラクモ♡ あなたを──あなた達を滅ぼす魔法少女だよ。覚えて逝ってね♡」
媚びるような口調で発される、砂糖菓子みたく甘い声。けれど、その瞳はどこまでも冷たくて、無機質な殺意に彩られている。
魔法少女は、あたし達を救うべきなのに。なのに、なのに殺しに来る。甘ったるい声が、冷たい瞳が頭の中で何度も、何度もリフレインする。
……結局。
下位種は一匹残らず殺し尽くされて──その上。奴は宣誓通り、あたし達を一匹残らず滅ぼし尽くすために動き出したの。
……。
孵卵室を焼き尽くされ、女王室に踏み込まれ、そして、今まさに上位種までもが虐殺されている。
胎の中に控えるとっておきの者達。数こそ下位種に及ばないけれど、強さは比較にならない。
けれど奴は、相も変わらずまったく物ともしない。
殴り砕かれ、蹴り潰され、千切り殺されていく。
命を摘み取る手つきに淀みはなく、恐ろしいほどの精密さだった。雑に見える攻撃すべてが急所を確実に射抜いていく姿。──いや。もはや当たった場所が急所であるかどうかさえ関係ないのだろう。だってアレに殴られた者は砕け散って死ぬばかりなのだから。
見た目ばかりは可憐な少女だが、中身はあたし達なんかよりも、ずっとずっと怪物的だ。
──関わるべきじゃなかったんだ。
ふとあたしの中に、あの日。母を目の前で砕かれた時の記憶が蘇り、強い後悔が胸を満たした。
逃げたい。命乞いをしたい。……きっと無駄になるだろうけれど。
半ばヤケになった心境で、恐怖を追い出す。
こんなあたしにだってダンジョンという過酷な環境で今日まで生き抜いてきた矜持があるだろ、と自己暗示するみたいに鼓舞して。
強毒の霧を吐き出す。
正直に、使いたい手ではなかった。あたし以外は生き残れない攻撃だからだ。
実際、触れた上位種達は跡形もなく溶けていく。毒に耐性がある彼らでもこうなるのだから、あくまても人間風情に過ぎない魔法少女では一溜まりもない──そのはずだった。
──原型を保っている。
それどころか軽く頭を一振りすると、魔法だろうか。毒霧を一纏めに圧縮して、握り潰してしまった。……力業にも程があるだろお前。
もう本当に意味がわからなすぎて、思考が追いつかない。唖然としてしまう。
そして、それが致命的だった。
脚に激痛が走った。見れば、あたしの脚が、べきべきと音を立てて折り畳まれていっている。
奴はきっと、あたしを圧殺するつもりなんだ。
本能的な直感だった。
そして、どうやらそれは正解らしい。あたしと、あたしの周囲にある巣を構成していた肉種は見えない力に押し潰されて、グチャグチャにされていく。
まただ。
また理不尽。理不尽にまた、あたしは殺される。
宇宙から来たっていうアリの怪物と、ハナイ・ムラクモが重なって見える。
あたしを無機質に見やるオッドアイは、相変わらず昏い光を放っている。
憎悪だろうか? それとも、狂気? その正体は掴めそうになかった。だってあたし達は今日会ったばかり。
恨みを向けられるにしても、あなたにそんな目付きで見られる謂れはないでしょう。
死が近付くにつれて、抑えつけていた恐怖が滲み出してきて、感情をひどくかき乱すのを自覚した。
謂れはない、のに。
なのに、なのになんで! そんな冷たい目であたしを見るの!?
魔法少女は人を救うんでしょっ?! なら、あたしも、あたしのことも救ってよっ!
……。
──いやだ。いやだよ、お母さん。あたし、こんな暗いところでなんか死にたくないよ……。
少女へと伸ばそうとした脚は、けれども押し潰されて動かず。
どこか暗いところから、誘うように手のひらが伸びてくる。きっとこれに身を委ねたら、“此処”へは、二度と戻ってこれないような場所に引きずり込まれてしまうのだろう。
嗚呼。
明るいところへ……。誰か、明るいところへあたしを──。
ベキッ!!




