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光る落とし物は、鈍感な君の心を照らさない。  作者: あかはる


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高2・2月:バレンタインの変奏曲と、仕掛けられた平穏

第1部:二度目のバレンタイン問題


二月。立春とは名ばかりの厳しい寒さが続く中、学校はどこかそわそわとした甘い空気に包まれ始めていた。

バレンタインデー。その年に一度の恋の祭典が間近に迫っていたからだ。

教室のあちこちで女子たちが「本命チョコどうする?」「去年より凝ったの作らないと!」などとひそひそ囁き合っている。

その甘ったるい空気に、俺、落田心一は少しだけ居心地の悪さを感じていた。


そしてその居心地の悪さの最大の原因は、言うまでもなく、俺の隣の席でもじもじと落ち着かない様子で指を絡ませているこの恋人本人だった。

千明はここ数日、明らかに様子がおかしかった。時々何かを言いかけてはやめてみたり、かと思えば俺の好きな食べ物についてやたらと探りを入れてきたり。その分かりやすい行動の理由は火を見るよりも明らかだった。


「……ねえ、玲奈……」

昼休み、彼女はついに堪えきれなくなったのか、救いを求めるように玲奈に泣きついた。俺は聞こえないふりをして、専門書のページをめくる。

「バレンタイン、どうしよう……! 去年は手作りのトリュフだったけど、今年はもっと、こう、心一くんが驚くような……!」

「あんたねえ……」

玲奈はやれやれと首を振りながらも、真剣に相談に乗ってやっていた。

「心一みたいな朴念仁には、分かりやすいのが一番よ。あんたが一生懸命作ったってことが伝わればそれで十分。去年だって、あの回りくどい感想、結局は最高に嬉しかったって意味だったんでしょ」

「う、うん。そうだけど……。でも、今年はもっと……!」


俺はそんな女子たちの密談を聞きながら、俺自身の思考に耽っていた。

バレンタインデー。それは女性から男性へ想いを告げる日。そしてその一ヶ月後にはホワイトデーというアンサーデイが存在する。

去年、俺はホワイトデーのお返しとして、俺たちの始まりの夜空を再現した星図盤を贈った。

そして千明の誕生日には、一年間の観測記録をまとめた手作りのアルバムを。

俺たちの贈り物は単なる「物」の交換ではない。互いの想いと共有した時間の象徴だ。

ならば、今年のバレンタインデー。俺は彼女からただ受け取るだけでいいのだろうか。


いや、違う。

恋人関係における感情の相互作用は、常にダイナミックな平衡状態を目指すべきだ。

彼女が俺を喜ばせようと心を砕いている今、俺もまた彼女のために何かをすべきではないのか。

それは論理的な帰結だった。

俺はそっとノートの切れ端にペンを走らせた。


『オペレーション:バレンタイン・カウンターメジャー』

目的:見附千明による贈答行為の感情的価値を最大化させると同時に、当方からも等価あるいはそれ以上の感情的リターンを提供すること。

つまり、彼女がどんなチョコレートを持ってきても、それが世界で一番特別な贈り物になるような完璧な「舞台」を俺が用意するのだ。

俺は誰にも気づかれないように、口の端を吊り上げた。

不器用な魔女の健気な想い。それを最高の形で受け止めるのが、懐疑論者たる俺の恋人としての責務なのだから。


第2部:懐疑論者のささやかな企み


俺の極秘作戦は数日間に渡って周到に準備された。

まず俺は千明の行動パターンを徹底的に分析した。

彼女が作りそうなチョコレートの種類、それを渡すであろうタイミングと場所。

あらゆる可能性をシミュレーションし、俺は当日の最適な行動計画を導き出した。


俺が選んだ決戦の地は学校の屋上でも公園でもない。

都心から少し離れた郊外にある「国立天文台」だった。

そこには日本最大級の天体望遠鏡があり、週末には一般向けの観望会が開かれている。

星。それは俺たちの始まりの象徴。そして何よりも俺が彼女に見せたかった、本物の宇宙の輝き。

これ以上の舞台はない。


俺は事前に観望会の予約を取り、当日の天気予報、交通機関の運行状況、すべてを完璧にインプットした。

あとは当日、いかに自然に彼女をそこへエスコートするか。

それが最大の課題だった。


そして運命の二月十四日がやってきた。

その日俺の下駄箱や机の中は、クラスの女子たちからのいくつかの義理チョコで溢れていた。だが俺の意識はただ一点に集中していた。

千明は朝からずっとそわそわして落ち着きがない。俺と目が合うたびに、はにかんで俯いてしまう。

そのあまりにも分かりやすい恋する乙女の姿。

俺は愛おしさと同時に、これから始まるオペレーションへの静かな興奮を感じていた。


放課後。

千明がもじもじと俺の机の前にやってきた。

その手には可愛らしいラッピングが施された小さな紙袋が握られている。

クラスメイトたちが「ひゅーひゅー!」と囃し立てる。

「……あの、心一くん」

「……ああ」

「……これ、……よかったら……」

俺はそれを受け取った。ずしりとした重み。

「……ありがとう。……だが受け取るだけでは不公平だ。俺からも礼がある」

「え?」


俺はそう言うと彼女の手を取り、教室を飛び出した。

「ちょ、ちょっと心一くん!?」

「いいから来い」

俺たちは夕暮れの街を、電車に乗り継ぎ西へと向かった。

窓の外の景色が次第に見慣れない緑豊かな風景へと変わっていく。

千明は何が何だか分からないといった顔で、俺の横顔を見つめていた。

その不安と期待が入り混じった表情。すべては俺の計算通りだった。


第3部:星空の下の等価交換


俺たちが国立天文台に到着した頃には、空はすっかり夜の帳に包まれていた。

敷地内は静まり返り、都市の喧騒とは無縁の澄み切った空気が満ちている。

空を見上げるとそこには、東京の中心部では決して見ることのできない無数の星々がダイヤモンドのように瞬いていた。

「……すごい……」

千明が息を呑む。


俺たちは予約していた観望会へと参加した。

巨大なドームの中に設置された天体望遠鏡。専門家の解説を聞きながら俺たちは順番にレンズを覗き込んだ。

そこには教科書でしか見たことのない月のクレーターや、木星の縞模様、そして土星の美しい輪が確かに存在していた。

それは俺の知的好奇心を激しく揺さぶる光景であると同時に、隣で「わー!」と歓声を上げる千明のその純粋な感動が俺の心をを満たした。


観望会が終わり、俺たちは二人静かな芝生の丘の上に腰を下ろしていた。

頭上には満天の星空。

「……ありがとう心一くん」

千明が言った。「最高のサプライズだよ」

「……礼には及ばない」


俺はそこで意を決して言った。

「……それで? 俺への贈り物は?」

「あ、うん!」

彼女は慌てて持ってきた紙袋を開けた。中から出てきたのは手作りのガトーショコラだった。

丁寧にカットされ粉砂糖で雪化粧が施されている。去年よりも格段にレベルが上がっていた。


「……どうぞ」

彼女が差し出す一切れを俺は口に運んだ。

濃厚なチョコレートの風味としっとりとした食感。文句のつけようがないほど美味かった。

そして何よりもその味の中に込められた彼女の想いが伝わってきた。

俺を喜ばせたいという、ひたむきな愛情。


その時だった。千明には見えていた。

俺の胸の奥で灯る光が。それは探究心の青でも純粋な愛情の金でもない。

ただ目の前の彼女の贈り物を受け取った純粋な「幸福」を示す、温かいオレンジ色の光だった。

その光の輝きが彼女のすべての不安を吹き飛ばした。

「……よかった」

彼女は心の底から安堵したように微笑んだ。


「……千明」

俺は彼女の名前を呼んだ。そしてコートのポケットから小さな箱を取り出した。

「え? でも今日はバレンタインで……」

「等価交換だ」

俺は言った。「お前のその贈り物に対する、俺からの回答だ」


彼女がその箱を開ける。中に入っていたのは一本のシンプルな銀のチェーンと、小さな月のチャームだった。

「……これ……」

「お前は俺にとっての太陽だ。だが時には月のように、静かに俺の闇を照らしてくれる存在でもある。……その礼だ」


俺の不器用な言葉。

千明の瞳から一筋涙がこぼれ落ちた。

俺は彼女の後ろに回り、そのネックレスを彼女の細い首につけてやった。

月のチャームが星空の下で、きらりと輝く。

俺たちは言葉もなく見つめ合った。そして自然と唇を重ねた。

星々の瞬きが俺たち二人だけの世界を優しく祝福していた。


第4部:仕掛けられた平穏の光


その数日後。バレンタインの興奮も少しずつ落ち着きを取り戻したある日の放課後。

玲奈は一人でショッピングに出かけていた。

自分へのご褒美。受験勉強のストレスを発散するために、彼女は時々こうして一人で好きなものを見て回る時間を作っていた。


彼女が立ち寄ったのは、最近雑誌で話題になっていた新しいスピリチュアル系の雑貨屋だった。

店内にはパワーストーンやアロマオイル、天使の置物などが並べられている。

玲奈は本来こういう非科学的なものは信じない。だがその美しいデザインには興味があった。


彼女は店の中を見て回っていた。そして一つのブレスレットに目を奪われた。

淡いピンク色のローズクォーツと透明な水晶が組み合わさった繊細なデザイン。それはまるで春の陽だまりのような温かい雰囲気を醸し出していた。


(……綺麗……)


彼女は無意識のうちにそのブレスレットを手に取っていた。

その瞬間、彼女の心の中に不思議なほどの安らぎと幸福感が広がっていくのを感じた。

日々の勉強の疲れや将来への不安が、すーっと溶けていくような感覚。

なんだろう、これ。

彼女は戸惑いながらも、その心地よい感覚に抗うことができなかった。

「……これ、ください」

彼女は気づけばそう口にしていた。


店員はにこやかに言った。

「お客様お目が高い。それは今話題のライトワーカー、『アストル』先生が特別にエネルギーを込めてくださった一点物なんですよ。きっとお客様を幸せに導いてくれますわ」

アストル。

その名前を聞いても玲奈は特に何も感じなかった。ただこのブレスレットがもたらしてくれる不思議な幸福感に満たされていた。


彼女はその日からそのブレスレットを肌身離さず身につけるようになった。

勉強の合間にそれを見つめるだけで心が穏やかになる。成績もなぜか少しだけ上がったような気がした。

彼女はまだ知らない。そのブレスレットから放たれている偽りの幸福の光の正体を。

そしてその穏やかな光がやがて自分たちの日常を静かに蝕んでいくことになる未来を。

冬の終わり。新しい物語の影は最も意外な人物のすぐそばで、その息を潜めていた。

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