高2・1月:新年の賀正と、偽りの光の萌芽
第1部:恋人たちの初詣
二度目の冬休み。十二月の甘いクリスマスの夜を経て、俺と千明の関係は穏やかで確かなぬくもりの中にあった。
年が明けて一月二日。俺たちは恋人として初めての「初詣」に出かけていた。
「うわー! すごい人!」
明治神宮の広大な参道は、新しい年を祝うたくさんの人々で埋め尽くされていた。晴れ着姿の女性や家族連れの楽しげな声が、冬の澄み切った空気に響き渡る。
俺はその人の波に少しだけ気圧されていたが、隣で俺のコートの袖をぎゅっと握る千明の温かい感触が、俺を現実に繋ぎ止めていた。
「はぐれないように気をつけろよ」
「うん!」
彼女は満面の笑みで頷いた。その笑顔だけでこの雑踏さえもが、特別な風景に見えるのだから不思議なものだ。
長い行列に並び、俺たちはようやく本殿の前へとたどり着いた。
賽銭箱にそっと小銭を投げ入れ、二人並んで手を合わせる。
目を閉じると様々な人々の祈りの気配が、この神聖な空間に満ちているのが分かった。
千明は一体何を祈っているのだろうか。
彼女の幸せそうな横顔を盗み見ながら、俺もまた心の中で非合理的な祈りを捧げていた。
この時間が一日でも長く続きますように、と。そしてこの隣にある温かい存在を、俺が守り通せますように、と。
祈りを終え俺たちは「おみくじ」を引くことにした。
「せーの!」
千明の掛け声と共に同時に筒を振る。出てきた棒に書かれた番号を巫女さんに告げ、俺たちはそれぞれ一枚の紙を受け取った。
「やったー! 大吉!」
千明が子供のように歓声を上げる。そのおみくじには『恋愛:誠意をもって尽くせば、必ず想いは成就する』と書かれていた。
「見て見て心一くん! 私、誠意をもって尽くすね!」
「……ああ。期待している」
俺は自分のおみくじに目を落とした。
『吉』
可もなく不可もない結果。そしてそこに書かれていた一文に、俺は思わず眉をひそめた。
『学問:驕ることなく未知を探求せよ。真実は常に光と影の中にある』
光と影。まるで俺たちの運命を見透かしたかのような、その神託。
俺はその紙を固く結び、境内の木に括り付けた。
その後俺たちは新しいお守りを買った。千明は縁結びの可愛らしいお守り、俺は学業成就のそっけないお守り。互いにそれを交換し合い笑い合った。
恋人同士がやるお決まりの行動。その一つ一つが気恥ずかしく、そしてどうしようもなく幸福だった。
参拝を終え俺たちは参道に立ち並ぶ屋台を冷やかして回った。
熱々の甘酒を二人で分け合って飲む。その優しい甘さが冷えた体に染み渡った。
すべてが完璧な一日。この穏やかな幸福がこれからもずっと続いていく。
俺はそう信じていた。
だが俺たちの物語は決して俺たち二人だけのものではなかった。この世界の光と影が、俺たちを放ってはおかなかったのだ。
第2部:偽りの光の萌芽
初詣の帰り道。
俺たちは賑やかな表参道を避け、一本裏に入った静かな公園を通り抜けていた。
日はすでに傾き、冬の冷たい影が長く伸びている。
その時だった。
「……あ」
千明が突然足を止めた。その表情はこの幸福な一日の終わりには、あまりにも不釣り合いなほど険しいものだった。
「どうした」
「……光……。見える……」
彼女の視線は公園の出口付近、ベンチに座る一人の青年の姿に注がれていた。
歳は俺たちより少し上、高校三年生だろうか。彼は参考書を片手に何かに思い悩むように俯いていた。
受験生だ。
「……すごく綺麗な光だよ」
千明がうっとりとした声で言った。
「金色に輝いててキラキラしてる。まるで『夢が叶った!』って叫んでるみたいな、最高の幸福の光……」
幸福の光? だが彼のその苦悩に満ちた表情とは明らかに一致しない。
俺がそう思った瞬間、青年が立ち上がり歩き出した。
そしてその足元から何かがぽとりと落ちた。彼はそれに気づかずに去ってしまう。
落ちていたのは一つのお守りだった。学問の神様で有名な神社の「合格祈願」のお守りだ。
「あの金色の光、あのお守りから出てる。合格した喜びの光かな」
千明が言った。
「よかったね! 合格したんだ!」
彼女は嬉しそうにそう言うと、俺たちはお守りを拾い上げ青年の後を追った。
「あの、すみません!」
俺が声をかけると彼は驚いたように振り返った。
俺たちがお守りを差し出すと彼は顔を輝かせた。
「うわっ! ありがとうございます! これがないと落ち着かなくて……!」
彼は何度も頭を下げお守りを受け取ると、足早に去っていった。
一件落着。ささやかで心温まる新年の出来事。そう終わるはずだった。
だが彼の後ろ姿を見送りながら、千明はその場に立ち尽くしていた。その顔は真っ青だった。
「……千明?」
「……心一くん……。……おかしい……」
「何がだ」
「……今の光……。やっぱり変だよ……」
彼女は震える声で言った。
「彼がお守りを手にした時、確かにあの幸福の金色の光は強くなった。でもね、その一瞬だけ見えたんだ。金色の光の奥に隠れてた、彼自身の本当の心の光が」
「……心の光?」
「うん。……それはね、真っ黒に近い濃紺の光だった。ストレスと絶望で押しつぶされそうになってる、今にも消えそうなか細い光……。二つの光が全く違うの。まるでお守りの金色の光が、彼の本当の心の光を無理やり覆い隠してるみたいだった。……あれは、偽物の幸福だよ」
偽物の幸福。その言葉に俺は戦慄した。
これは今までの「落とし物」とは明らかに質が違う。持ち主の純粋な執着ではない。何者かの手によって作られた、人工的で空っぽな光。
誰が、何のためにそんなことを?
俺たちは言葉を失い、ただ立ち尽くしていた。
俺たちの二年目の物語はもう始まってしまっていたのだ。
穏やかな日常の水面下で、静かに、そして確実にその不気味な萌芽を見せていた。
第3部:魔女の城への訪問
『偽物の光』
その悍ましい可能性は、年明けの俺たちの心を重く支配した。
あれは一体何だったのか。偶然生まれた特殊な光なのか、それとも誰かが意図的に作り出したものなのか。
もし後者だとしたらその目的は何だ? 誰が何のためにそんなことを?
謎は深まるばかりだった。
俺は観測ノートに新しい項目を立ち上げた。
『『偽物の光』現象に関する考察』
そこに俺たちが知っているわずかな情報を書き込んでいく。
① 光が単一的で極端にポジティブ。
② 持ち主の本来の心の光と乖離している。
③ 持ち主の精神状態に強い影響を与える可能性がある。
データが少なすぎる。これだけでは何も分からない。
俺たちはこの新しい脅威に対して、あまりにも無力だった。
そんな重苦しい空気を吹き飛ばすように、数日後、俺は人生で最も緊張するイベントに臨むことになった。
――千明の実家への、ご挨拶だ。
「……というわけで、うちのお父さんがどうしても会いたい、と」
電話の向こうで千明が申し訳なさそうに言う。
元旦のあの日、彼女の父親が叫んだ「面接してやる!」というあの言葉。どうやら本気だったらしい。
『論理的な手続きだ。異論はない』
俺はそう返信してしまった手前、今更断るわけにもいかなかった。
そして約束の日曜日、俺はなけなしの小遣いで買った菓子折りを手に、見附家の玄関の前に立っていた。
心臓が口から飛び出しそうだ。どんな難解な数式もこれほどのプレッシャーを俺に与えたことはない。
「……いらっしゃい、心一くん」
出迎えてくれたのは千明と彼女のお母さんだった。
お母さんは「まあまあ、よく来てくれたわねえ」と温かく俺を迎え入れてくれた。六月に一度会っているが、その時よりもずっと親密な笑顔だった。
問題はその後ろ、リビングのソファに腕を組んで鎮座する父親の存在だ。
その眼光は獲物を狙う鷹のように鋭い。
「……初めまして。落田心一です」
俺の声は自分でも驚くほど上ずっていた。
そこから地獄の「面接」が始まった。
「君は娘のどこが好きなのかね」
「……彼女の論理では予測不可能な行動と、その根底にある揺るぎない優しさです」
「……ほう。成績はどうなんだね」
「……学年で常に五番以内をキープしています」
「……将来の夢は」
「……認知科学の研究者になるのが目標です」
俺はすべての質問に誠実に、そして論理的に答えていった。
父と息子の奇妙な禅問答。その緊張した空気を破ったのは千明の母親の明るい声だった。
「まあお父さん、そのくらいにして。心一くんが困ってるわよ。……さ、お茶にしましょう」
こうして俺の最初の関門はどうにか突破されたらしかった。
その後俺たちは千明の部屋で過ごした。彼女の部屋は彼女の性格をそのまま映したかのように明るく、少しだけ散らかっていて、そしてたくさんの温かいもので溢れていた。
俺たちは自然と、あの「偽物の光」についての話になっていた。
「……どうすればいいんだろうね」
千明が不安そうに言う。
「あの受験生の先輩も心配だよ。あのままじゃ心が壊れちゃうかもしれない」
「ああ。だが手がかりがなさすぎる」
俺たちは観測ノートを広げ、分かっている情報を整理した。
「光を放つアイテムは、多くの人の想いが集まりやすい場所で発見されている。何か関連性はないだろうか」
「……想いが集まりやすい場所……?」
俺たちは地図を広げた。お守りを見つけた明治神宮とその周辺の地理的特徴を洗い出していく。
その時、俺は一つの奇妙な共通点に気づいた。
「……この場所の近くに、パワーストーンとかお守りとかを扱う少し怪しげな店がある」
「え?」
それは偶然かもしれない。だがもしこれが偶然でなければ?
もし誰かが意図的にそういった店を通して「偽物の光」を持つアイテムを流通させているとしたら?
俺たちの捜査線上に、初めて具体的な容疑者が浮かび上がった。
第4部:新しい物語の座標
その日から俺たちの捜査は新たな段階へと入った。
ターゲットは都内に点在するオカルトグッズやスピリチュアルアイテムを扱う店。
俺と千明、そして玲奈の三人は手分けしてそれらの店を一軒一軒訪ね歩いた。
もちろんただ訪ねるだけではない。千明のその特殊な目で、店内に「偽物の光」を放つ商品がないかどうかを確認するためだ。
捜査は難航した。ほとんどの店はただの健全な雑貨屋か、あるいは胡散臭いだけの店だった。
だが数日後、ついに千明のアンテナが反応した。
それは裏路地にある小さなパワーストーンの店だった。
「……ある。この店の中。あのお守りと同じ種類の偽物の光がいくつか……!」
千明の報告に俺たちの緊張が高まる。
俺たちは客のふりをして店内に入った。店の中には様々な鉱石やアクセサリーが並べられている。
千明が言うには、そのうちのいくつかが確かにあの空っぽの幸福の光を放っているらしい。
俺は店主に話しかけた。人の良さそうな中年女性だった。
俺は単刀直入に尋ねた。
「すみません。この商品には何か特別な力が込められているんですか?」
俺の問いに店主はにこやかに答えた。
「ええ、もちろんですよ。これらはすべて有名な霊能力者の先生が、一つ一つエネルギーを注入してくださった特別なアイテムなんです」
霊能力者。その胡散臭い単語。
俺はさらに食い下がった。
「その先生というのはどなたです?」
「あら、ご存じない? 今雑誌やテレビで話題のライトワーカー、『アストル』先生ですよ」
アストル。その名前。俺は聞いたことがなかった。
だがこれで黒幕の尻尾を掴んだ。このアストルという人物こそが、「偽物の光」の製造者である可能性が極めて高い。
俺たちはその店を後にした。そしてすぐにその「アストル」という名前について調査を開始した。
彼は最近急速に人気を集めている新進のスピリチュ-アルカウンセラーらしかった。
彼の謳い文句は『あなたの心の光を増幅させ、願いを叶える』。
光。その言葉が俺たちの胸に突き刺さる。
俺たちの二年目の物語。その中心にいるべきラスボスが、ようやくその姿を現したのだ。
ライトワーカー、アストル。
彼(あるいは彼女)は一体何者なのか。そしてその目的は何なのか。
俺たちの本当の戦いはまだ始まったばかりだった。
新年最初の登校日。
俺は千明と並んで校門をくぐった。
冬の澄んだ空気が心地よい。
俺たちの目の前には巨大な謎が横たわっている。だが俺たちの心には不思議と恐怖はなかった。
むしろ武者震いに似た高揚感さえあった。
俺は隣で微笑む千明の手を強く握った。
「……行くぞ、千明」
「うん!」
俺たちの新しい一年が、そして新しい謎への挑戦が、今始まろうとしていた。




