閑話6:年末年始の家族報告会と、それぞれの温度差について
【見附千明の章:『彼氏』に関する、家族会議および緊急尋問】
1. 大晦日の甘い予感
十二月三十一日、大晦日。
私の家、見附家は朝から戦場のような賑やかさに包まれていた。
「千明! その伊達巻、切り方が雑だよ!」
「お父さんこそ! 黒豆焦がさないでよね!」
「こらこら二人とも。喧嘩しないの」
母の呆れた声がキッチンに響く。
うちは昔からおせち料理は家族総出で手作りするのが習わしだった。エプロン姿の父と母、そして私も三人で台所に立ち、ああでもないこうでもないと言い合いながら新年を迎える準備をする。
その毎年変わらない喧騒が私は大好きだった。
テレビからは年末特番の賑やかな音楽が流れ、窓の外はしんしんと冷えている。
温かい部屋の中、美味しい匂い、そして愛する家族の笑顔。
これ以上ないほどの幸せな大晦日。でも今年の私はそれだけじゃなかった。
ポケットの中のスマートフォンがぶるりと震える。
『課題は進んでいるか』
心一くんからの短いメッセージ。そのたった一文だけで私の胸は温かい光でいっぱいになる。
私は父と母の目を盗みこっそりと返信を打った。
『全然進んでません! 助けて先生!』
すぐに既読がつき返信が来る。
『……自業自得だ。だが希望するなら年明けに特別講義を開いてやらんでもない』
『やったー!』
その素っ気ない言葉の裏にある優しさ。私にはもう分かる。
彼と出会ってからもうすぐ一年半。恋人同士になって初めて迎える年末年始。
ただそれだけでこの見慣れた日常が、何倍も何十倍もキラキラして見えるのだから不思議だ。
夕食に年越しそばを食べ、紅白歌合戦を見ながら家族で談笑する。
そして除夜の鐘が鳴り響く深夜、私は自分の部屋で再び心一くんにメッセージを送った。
『あけましておめでとう!』
一分も経たないうちに返信が来た。
『ああ。あけましておめでとう』
その短いやり取りだけで私たちは、新しい年を一緒に迎えた気持ちになった。
来年もその次の年も、ずっとこうして彼の隣で「おめでとう」って言い合えたらいいな。
私はそんな願いを胸に眠りについた。
2. 家族会議、勃発
元旦の朝。私たちは晴れ着に身を包み、近所の神社へ初詣に向かった。
冷たく澄み切った空気。白い息を吐きながら手を合わせ、家族の健康と、そして心一くんとの未来をそっと祈る。
その帰り道、事件は起こった。
「そういえば千明」
母が何気なく言った。
「あんた最近すごく綺麗になったわね。……もしかして好きな人でもできたんじゃないの?」
そのあまりにも鋭い母親の勘。私はぎくりとして心臓が跳ね上がった。
「え、ええ!? そ、そんなことないよ!」
「あらそう? でもなんだか雰囲気変わったもの。ねえお父さん」
「……そうか?」
父はあまり興味がなさそうだ。
だが一度火がついた母の好奇心は止められない。
「どんな子なの? 同じクラス? 格好いいの?」
「だ、だからいないってば!」
私が必死で否定すればするほど母の目は確信に満ちていく。
そしてついに私は、致命的な失言をしてしまった。
「……もう、心一くんじゃあるまいし、そんな根掘り葉掘り聞かないでよ!」
「……あら」
母の目がきらりと光った。しまった。
私は自分の口を両手で塞いだがもう遅かった。
母は彼の名前を知っている。六月のあの日、私の過去の記憶を探るために、心一くんは家に来てくれたのだ。
「……やっぱり、落田くんだったのね」
母はすべてを見通したような、優しい笑顔で言った。
「あの時、家に来てくれたでしょう。すごく真面目そうで、それに千明のことを本当に心配してくれてる、優しい目をした子だもの。お母さん、あの子なら大歓迎よ」
そのあまりにも温かい言葉に、私の顔はかえって熱くなった。
だが本当の嵐はここからだった。
それまで黙って新聞を読んでいた父が、静かに立ち上がったのだ。
その顔は能面のようだったが、その奥にある動揺は隠しきれていない。
「……千明」
父は低い声で言った。
「……その、落田くんとかいう男は、どこの馬の骨だ」
出たー!
父のその時代劇のようなセリフに、私は天を仰いだ。
そこから父による怒涛の尋問が始まった。
「名前は!?」「クラスは!?」「成績はどうなんだ!」「部活は!」「将来の夢はあるのか!」「娘を泣かせたらどうするつもりだ!」
そのあまりの剣幕に私は、しどろもどろになるしかなかった。
「……だから心一くんはいい人だってば!」
「会ってみるまでは分からん!」
「ええ!?」
「今度連れてこい! 父さんが直接面接してやる!」
「絶対に嫌だー!」
こうして私の恋人の報告会は、父の一方的な面接宣言によって幕を閉じた。
その夜、私は自分の部屋で心一くんに事の一部始終をメッセージで送った。
『……というわけで、うちのお父さんが会いたいそうです』
すぐに返信が来た。
『……論理的な手続きだ。異論はない。いつでも行こう』
そのあまりにも真面目な返事に、私は笑っていいのか泣いていいのか分からなかった。
【落田心一の章:『彼女』という名のステータス変更に関する、家族への報告】
1. 新年の静寂
元旦。俺の家、落田家は千明の家とは対照的に静寂に包まれていた。
父は大学教授、母は翻訳家。二人とも書斎にこもり新年早々仕事に没頭している。
俺たちの正月はいつもこうだった。特別なご馳走があるわけでもなく賑やかな会話があるわけでもない。ただそれぞれがそれぞれの知的な探求に時間を費やす静かな数日間。
俺はそんな静かで干渉されない環境を好ましく思っていた。少なくとも今までは。
だが今年の俺は違った。
ポケットの中のスマートフォンが時折、千明からの賑やかなメッセージの着信を告げる。
『お父さんが暴走中!』
『お雑煮のお餅食べ過ぎた!』
そのたわいない報告が、俺のこの静寂に満ちた世界に温かい彩りを与えてくれる。
俺は自分の口元が緩んでいることに気づき、慌てて表情を引き締めた。
昼食の時、俺たち家族三人は久しぶりに食卓を囲んだ。
母が作った簡素なおせち料理。会話は少ない。
父は最近読んだ哲学書の話を始め、母はそれに的確な批評を加える。
俺は黙ってそれを聞きながら栗きんとんを口に運んだ。
その時俺は決意した。このタイミングしかない、と。
俺は一度咳払いをした。父と母の視線が俺に集まる。
「……父さん、母さん」
俺は背筋を伸ばし言った。
「……僕の私生活におけるステータス変更について、報告があります」
2. 論理的プレゼンテーション、およびその結果
俺のそのあまりにも硬い切り出し方。
父と母は一瞬きょとんとしていたが、すぐに興味深そうな表情になった。
「……ほう」
父が促す。
俺はプレゼンテーションを開始した。
「……結論から述べます。僕に交際相手ができました」
その一言に父の眉がぴくりと動いた。母は表情を変えない。
俺は続けた。
「対象は二年二組、見附千明。一年次よりクラスメイト。現在までの観測期間は約一年半。その間数々の共同作業を通して相互の信頼関係を構築。昨年末、双方の合意に基づき排他的なパートナーシップを締結するに至りました」
俺のまるで研究報告のような説明に、父は腕を組み真剣な顔で頷いている。
「……なるほど。その……関係性のステータス変更を促したきっかけは? いや……その、どういう方なんだね?」
父が少し戸惑いながら、しかし父親らしい問いを投げかけてきた。
「……複合的な要因が考えられますが、最大の要因は共通の目的意識の発見と、それに伴う感情的共鳴の深化であると分析しています。……とても、太陽のような人です」
俺の口からこぼれた最後の比喩表現に、父は少し驚いたように目を見開き、そして優しく微笑んだ。
俺が千明の能力のことは伏せつつ、彼女の直感的な問題解決能力と俺の論理的な分析能力の相補性について熱弁していると、それまで黙って聞いていた母が静かに口を開いた。
「……あら、あなた。ようやく話してくれたのね」
そのあまりにも穏やかな一言。俺は言葉に詰まった。「……え?」
母は優しく微笑んだ。
「嬉しいわ、心一。最近あなたの顔つきがとても優しくなったもの。きっと素敵な方に巡り会えたのねって、実はお父さんと話していたのよ」
すべてお見通しだった。
俺が必死で理論武装していたこの報告会は、両親にとってはただの息子の可愛らしい成長報告に過ぎなかったのだ。
「……良い方を見つけたのね」
「……ああ」
俺は顔から火が出そうになるのを必死で堪えながら頷いた。
「……その観測ノートとやら、今度読ませてくれたまえよ」
父が少しだけ楽しそうに言った。
こうして俺の人生を賭けたプレゼンテーションは、驚くほどあっけなく、そして温かく幕を閉じた。
その夜、俺の元に千明から彼女の家の惨状を伝えるメッセージが届いた。
俺はその文面を読みながら声を出して笑った。
俺たちの世界はこんなにも違う。そしてだからこそどうしようもなく惹かれ合うのだ。
俺は机の上に置かれた星図盤とコンパスを眺めた。
その二つの道標が示す未来はきっと、賑やかで温かい光に満ちているに違いない。
俺はそんな確信を胸に、新しい年の静かな夜を迎えた。




