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高2・12月:聖夜のコンチェルトと、二人だけの星座

第1部:聖夜の朝、デートという名の実験


十二月二十四日、クリスマスイブ。

その朝、俺、落田心一は珍しく鏡の前で自分の服装を入念にチェックしていた。

ネイビーのチェスターコート。中はシンプルな白のニット。……よし、問題ない。

俺は一つ深呼吸をした。心臓が非合理的なリズムで高鳴っている。

今日は千明との、恋人として迎える初めてのクリスマスデートだ。


去年のクリスマスイブ。俺たちはあの展望台で互いの気持ちを確かめ合った。

あれから一年。俺たちの関係はいくつもの季節と事件を乗り越え、より深くそして揺るぎないものになった。

今日のこの日のために俺は先週から綿密な計画を練り上げてきた。

もちろんあの水族館デートの失敗は、俺の記憶に深く刻み込まれている。『オペレーション・パーフェクトデート』の悪夢。計画でガチガチに固めることの愚かさを俺は学んだ。


だから今回の計画のテーマは『柔軟性と最適化の両立』だ。

大まかな目的地と時間配分は決めてある。だがその道中において発生するであろう、千明という予測不能な変数――彼女の「あれが見たい!」「あれが食べたい!」という突発的な要求に臨機応変に対応するための、複数のサブプランも用意してある。

完璧だ。今日の俺に死角はない。


俺はコートのポケットに忍ばせた小さなプレゼントの箱の感触を確かめ、玄関のドアを開けた。

冬の澄み切った青空が俺を迎えた。


待ち合わせ場所の駅前。人混みの中で、すぐに彼女の姿を見つけ出すことができた。

ベージュの上品なロングコートに身を包み、チェック柄のマフラーを巻いた千明。去年よりも少しだけ大人びて見えるその姿が、この灰色の冬の街を照らし出す光のように見えた。

「心一くん!」

俺の姿を見つけ、彼女はぱっと顔を輝かせ駆け寄ってくる。

その笑顔だけで俺の緻密な計画など、どうでもよくなってしまいそうになる。危ない。


「……おはよう千明。待たせたか」

「ううん、私も今来たとこ! わー、心一くんそのコートすごく似合ってる!」

「……そうか」

俺は照れくささを隠すようにそっぽを向いた。「行くぞ」

「うん!」


俺は彼女の手を自然に取った。その小さな手を握ることも今ではすっかり当たり前の日常になった。

だがその温もりはいつだって俺の心を確かに満たしてくれる。


俺たちが最初に向かったのは日比谷公園で開催されているクリスマスマーケットだった。

木の温もりを感じるヒュッテ(山小屋)風の屋台がずらりと並び、スパイスの効いたホットワインやソーセージの香ばしい匂いが立ち上っている。

中央には巨大なクリスマスピラミッドが飾られ、陽気な音楽が流れていた。


「すごい! まるで外国に来たみたい!」

千明は子供のように目を輝かせ俺の手を引いた。

「ねえ、あれ食べたい!」

彼女が指差す先にはドイツの伝統的なソーセージ、カリーヴルストの屋台。

俺たちは熱々のソーセージとノンアルコールのグリューワインを手に入れ、近くのベンチに腰を下ろした。


「んー、おいしー!」

幸せそうにソーセージを頬張る千明。その口元についたケチャップを俺が指で拭ってやると、彼女は顔を真っ赤にした。

その一つ一つの仕草がどうしようもなく愛おしい。

千明には見えていた。このクリスマスマーケット全体が人々の「楽しい」という気持ちが作り出す、温かい金色の光で満ち溢れているのを。そしてその中でもひときわ強く優しい光が、目の前の俺の胸から放たれているのを。

俺たちはただそこにいるだけで幸せだった。


第2部:理解という名の贈り物


クリスマスマーケットを満喫した後、俺たちは公園の少し外れにある静かなベンチへと移動した。

いよいよこの日のメインイベントの一つ、プレゼント交換だ。

俺の計画ではここで互いの贈り物を交換し、感情的満足度を一度ピークへと導く手筈になっている。


「じゃあ私からね!」

千明が少し緊張した面持ちで、ラッピングされた紙袋を俺に差し出した。

「……開けてもいいか」

「うん」


俺が包装を解くと中から出てきたのは、一冊の上質な革の手帳と、そしてずしりと重みのある万年筆だった。

「……これは」

「心一くんの観測ノート用にって思って」

彼女ははにかみながら言った。

「いつも普通の大学ノートに書いてるから。……心一くんがこれから見つけ出すたくさんのすごい発見は、もっと特別な場所に記されるべきだって思ったの」


その言葉。俺は胸を突かれた。

彼女は理解してくれているのだ。俺にとってあのノートがどれだけ重要なものであるかを。俺の探究心そのものを肯定し、応援してくれている。

それはどんな高価な贈り物よりも俺の心を揺さぶった。

千明には見えていた。俺の胸に宿る青みがかった金色の知性の光が、彼女からの贈り物を受け取った瞬間、爆発的な喜びの光となって輝きを増すその瞬間が。


「……ありがとう千明。……最高のプレゼントだ」

俺の心からの言葉に彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「……次は俺からだ」

俺はコートのポケットから小さな平たい箱を取り出した。

「え……?」

俺がホワイトデーに星図盤を贈って以来、千明は俺からの「物」のプレゼントはもうないと思っていたらしい。彼女は驚いたように目を見開いた。


「……開けてみてくれ」

彼女がおそるおそる箱を開ける。中に入っていたのはアクセサリーではなかった。

一枚の円盤状のプラスチックのスライドだった。

「……これなあに?」


「家庭用のプラネタリウムの投影スライドだ」

俺はそう言って、もう一つポケットから小さな懐中電灯型の簡易プロジェクターを取り出した。そしてそのスライドをセットしスイッチを入れる。

俺がかざした手のひらの上に小さな星空が映し出された。そこには一つの見慣れない星座が輝いていた。


「……お前が持っているプラネタリウムは一般的な星座しか映し出せないだろう。だから作った」

「……作った?」

「ああ。この星座は俺がデザインした。……『羅針盤座』と名付けた」

俺はその星座の中でひときわ明るく輝く一等星を指さした。

「……そしてこの星が、お前だ」


その言葉の意味。彼女がそれを理解した瞬間、彼女の大きな瞳からぽろりと涙がこぼれ落ちた。

俺は去年のホワイトデーに彼女に始まりの「座標」を贈った。

そして今年のクリスマス、俺は彼女に彼女自身の「星」を贈ったのだ。

俺の宇宙の中心で輝く、ただ一つの星を。


「……心一くんのばか……」

彼女は涙声でそう呟いた。「……嬉しすぎるよ……」

俺はそんな彼女の頭を優しく撫でた。

俺たちの心は言葉以上に深く、そして確かに繋がっていた。


第3部:光のコンチェルト


プレゼント交換という前半のクライマックスを終え、俺たちの心は幸福な余韻に満たされていた。

日はすでに傾き、街にはイルミネーションの光が灯り始めている。

俺たちはこの日の最後の目的地へと向かった。

丸の内に広がるシャンパンゴールドのイルミネーション。無数の光の粒が街路樹を飾り付け、まるで光のトンネルのようだった。


「わあ……!」

そのあまりの美しさに千明は感嘆の声を上げた。

俺たちはその光の川の中をゆっくりと歩いた。

周りにはたくさんの恋人たちや家族連れ。誰もが幸せそうな笑顔を浮かべている。


そして千明には見えていた。

電気の光だけではない。この場所に集う人々の心から放たれる、たくさんの温かい光が。

恋人たちの愛情を示すピンク色の光、家族の絆を示すオレンジ色の光、友人たちの友情を示す黄色の光。その無数の心の光がイルミネーションの光と混じり合い、この場所全体が一つの巨大な光の協奏曲コンチェルトを奏でているようだった。


そしてその光のオーケストラの中で、何よりも強く美しく輝いている光。

それは隣で自分の手を強く握りしめてくれている、心一の胸から放たれる純粋な金色の愛情の光だった。

その光に包まれているだけで彼女は、世界のすべてから祝福されているような気持ちになった。


俺たちはしばらく言葉もなくその光の中を歩いた。

やがて俺は一つのショーウィンドウの前で足を止めた。

「……千明」

「うん?」

「……去年の今日のこと、覚えてるか」

「……うん。忘れるわけないよ」

去年のクリスマスイブ。あの高台の展望台で俺は初めて彼女に自分の気持ちを告げた。


「あの時俺は言ったな。『お前がいないと俺の世界には光がない』と」

「……うん、覚えてる」

「……一年経って、俺はその仮説を修正する必要があることに気づいた」

俺は彼女の両肩に手を置き、真っ直ぐにその瞳を見つめ返した。

そして俺がこの一年でたどり着いた新しい真実を告げた。


「……千明。お前は俺の世界の中の光じゃない。……お前が俺の世界のすべてだ」


その言葉。千明の瞳が大きく見開かれ、そしてみるみるうちに涙の膜が張っていく。

俺はそっとその頬に手を添えた。そしてゆっくりと顔を近づけた。


重なる唇。

それは修学旅行のあの夜の、触れるだけのキスとは違った。

確かな愛情と、そして永遠を誓うような深く優しいキス。

千明には見えていた。唇が重なったその瞬間、彼の胸から放たれた金色の光が爆発し、自分の心の光と完全に一つに溶け合っていくその奇跡の光景が。

もうどちらが誰の光か分からない。ただそこには二人だけの完璧な光が存在していた。


長いキスの後、唇が離れる。

俺たちは至近距離で見つめ合った。互いの瞳にイルミネーションの光と、そして相手への愛が映り込んでいる。

もう言葉はいらなかった。俺たちの心は完全に一つだった。


第4部:二人だけの星座


俺たちはイルミネーションの喧騒から少しだけ離れ、静かな公園のベンチに腰を下ろしていた。

繋いだ手が温かい。隣に感じる千明の温もり。それが俺の世界のすべてだった。


「……綺麗だね」

千明が俺の肩に頭を乗せながら呟いた。

「……ああ」

俺の視線の先には冬の夜空に輝くオリオン座があった。

だが今の俺にはそれよりもずっと大切な星座がある。彼女に贈った羅針盤座、そしてその中心で輝く千明という名の星。


俺たちはこの一年半でたくさんの「落とし物」を見つけてきた。

だが俺が人生で見つけ出した最高で、そして唯一の宝物。それは間違いなく、この隣で穏やかな寝息を立て始めたこの少女なのだ。


俺は彼女の肩をそっと抱き寄せた。彼女が風邪をひかないように、自分のコートでその小さな体を包み込む。

彼女の胸元で俺が贈った「羅針盤座」のスライドが、街の光を反射してきらりと光った。それはまるで俺たちの未来を照らし出す道標のようだった。


この世界はたくさんの光で満ち溢れている。

楽しい光、悲しい光、優しい光、そして時には偽物の光も。

俺たちはこれからもその光の海の中を、二人で旅していくのだろう。

迷い、悩み、時には傷つきながら。

だがもう何も怖くはない。

俺の手の中にはこの温もりがある。そして俺の心の中には彼女という、絶対に揺らぐことのない光があるのだから。


聖なる夜は静かに更けていく。

俺たちの二度目の冬。その始まりの夜はどこまでも甘く、そして永遠の輝きに満ちていた。

この一瞬が星になって、俺たちの心という夜空に刻み込まれていく。

二人だけの星座となって。

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