高2・10月:後夜祭の魔法と、戴冠されし王子様(♀)
第1部:王子の受難と変身大作戦
秋桜祭二日目の喧騒が夕暮れのチャイムと共に、ゆっくりと終わりを告げる。
俺たちの二年二組のカフェは最終的に目標金額を大幅に上回る驚異的な売り上げを記録した。江口と宮間さんの美しいアンサンブルが奏でる最後の音色が、名残惜しそうに教室に響き渡り、俺たちの長くて短い祭りはその幕を閉じた。
はずだった。
彼にとっては、本当の受難はここから始まるのだった。
「さあ、始めるわよ」
場所は人気のない家庭科準備室。
目の前で腕を組む総監督兼プロデューサー雨宮玲奈の瞳は、獲物を前にした肉食獣のようにギラギラと輝いていた。
その周りを固めるのは、目をキラキラさせたヘアメイク兼スタイリスト見附千明と、なぜかビデオカメラを構えている記録係の佐々木翼。そしてその他クラスの女子数名からなる「城戸くんを美少女にする会」のメンバーたちだった。
そしてその中心で生贄のように椅子に座らされているのが、今日の悲劇の主人公、城戸雅也だ。
彼はすべてを諦めきった虚ろな目で、天井のシミを数えていた。
「オペレーション:プリンス・シンデレラを開始する! まずは衣装からよ!」
玲奈の号令を皮切りに、悪夢の時間は始まった。
彼女たちがどこからか調達してきたのは、演劇部の衣装である深紅のベルベット生地でできた豪奢なドレスだった。
「いや、待ってくれ。俺は本当に……」
城戸のか細い抵抗は、女子たちの歓声の前にあっけなくかき消される。
彼はカーテンの中で屈辱に耐えながら、その肌触りだけは無駄に良いドレスに袖を通した。
サイズはまるであつらえたかのようにぴったりだった。それがまた彼の絶望を深くした。
次にヘアメイク。
千明が楽しそうにメイクボックスを広げる。
「動かないでね、城戸くん!」
「そういう問題じゃないんだが……!」
城戸の悲痛な叫びも虚しく、彼の整った顔は千明たちの手によってみるみるうちに「美少女」へと作り変えられていく。
ファンデーションを塗られアイラインを引かれ、頬にはチークが乗せられていく。
俺はその一部始終を壁に寄りかかりながら、冷ややかに、しかし心のどこかでは多大なる同情と共感を込めて観察していた。
「……哀れだ」
俺がぽつりと呟くと、隣でスマホのシャッターを切り続けていた玲奈がにやりと笑った。
「あら心一。もしかして羨ましいの? あんたが出てもよかったのよ?」
「断る。俺は彼の精神的苦痛を客観的に分析し共感しているだけだ。人間の尊厳がファンデーションという名の白い顔料の下に塗り潰されていく、この悲劇を」
「はいはい、ご立派なことで」
仕上げは艶やかな黒髪のロングヘアーのウィッグ。
それを被せられた瞬間、準備室に小さなどよめきが起こった。
鏡の前に立たされた城戸。
そこに映っていたのはもはや彼自身ではなかった。
誰もが息を呑むほどの絶世の美少女が、困惑した表情でこちらを見つめていた。
「「「……きれい……」」」
女子たちがうっとりとため息を漏らす。
「すごい、城戸くん、すごく綺麗! 可愛い!」
千明が手放しで彼を褒めちぎる。その純粋な賞賛の声。
だが俺の感想は全く違っていた。
(……気の毒すぎる)
俺は心の底から同情した。
あの城戸がこんな屈辱的な姿に……。その美しい外見と、彼の心の中にあるであろう絶望とのギャップ。そのあまりの悲劇性に俺はもはや直視することができなかった。
俺はそっと目を逸らした。南無。
第2部:審判のステージと、王子の告白
後夜祭は校庭の中央に組まれた巨大なキャンプファイヤーへの点火と共に、その幕を開けた。
燃え盛る炎が夜空を焦がし、生徒たちの高揚した顔を照らし出す。
そして体育館に特設されたステージで、ついにメインイベント『ミスター&ミス秋桜コンテスト』が始まった。
俺は千明や玲奈と共に、ステージがよく見える最前列の一角を陣取っていた。
まずは『ミスター秋桜コンテスト』。各クラスから選りすぐりの美男子(という名の女子生徒)たちがステージに上がり、それぞれ趣向を凝らした男装姿でアピールを繰り広げる。玲奈が隣で「ふん、まだまだね。私が出れば一瞬で終わるのに」と不敵に呟いていた。
そしていよいよ運命の『ミス秋桜コンテスト』が始まった。
司会者が高らかに出場者の名前を呼び上げる。
「エントリーナンバーワン! 一年三組、鈴木くん!」
「ナンバーツー! 三年一組、佐藤先輩!」
次々とステージに現れるのは、この日のために丹精込めて作り上げられた「美少女」たち。
無理やりスカートを履かされた柔道部の巨漢。完璧なアイドルメイクとダンスを披露する演劇部のエース。会場は爆笑と歓声の渦に包まれていた。
そしてついにその時が来た。
「お待たせしました! エントリーナンバーファイブ! 二年二組代表、『まさひめ』こと城戸雅也くんの登場です!」
そのアナウンスと同時に、俺たちのクラス二年二組のボルテージは最高潮に達した。
「「「城戸ーっ!」「まさひめーっ!」「綺麗だぞーっ!」」」
翼を筆頭にクラスの全員が野太い声援を送る。
その声援に背中を押されるように、ステージの袖から深紅のドレスに身を包んだ城戸がふらふらと現れた。
その姿に会場が一瞬静まり返った。
これまでの悪ふざけ路線の出場者とは明らかに違う。そこにいたのは本物の「美少女」だった。
憂いを帯びたその表情、緊張で固まったその仕草。そのすべてが奇跡的なバランスで彼の美しさを引き立てていた。
やがて静寂は割れんばかりの歓声へと変わった。
「……すごい。心一くん見て。城戸くん輝いてるよ……!」
千明がうっとりと呟く。
俺は黙って頷いた。千明には見えているのだ。ステージの上で戸惑い怯え、しかし確かに輝き始めた彼の心の光が。
アピールタイム。
他の出場者が歌やダンスを披露する中、城戸はただステージの中央に立ち尽くしていた。
「さあ、まさひめちゃん! 特技は何かあるかな!?」
司会者の無慈悲な問いかけ。城戸は完全にフリーズしていた。
だがその時、彼は客席の一点を見つめた。
そこには必死の形相で彼に声援を送る、二年二組の仲間たちの姿があった。
俺も千明も玲奈も翼も江口も宮間さんもいる。
その温かい視線に気づいた彼はふっと息を吐いた。そしてマイクを握りしめ、小さなしかし凛とした声で言った。
「……特技とかは、ありません」
そのあまりにも素直な言葉に会場から笑いが起こる。
「……僕はこういう目立つことは苦手です。本当は今すぐにでも逃げ出したいくらいです」
彼は正直に語り始めた。
「でも今日、クラスのみんなが僕をここに送り出してくれました。僕のために一生懸命準備をしてくれました。……だからその気持ちにだけは応えたいと思います」
彼はそこで一度言葉を切った。
そして今まで誰も見たことのなかった、はにかんだような、そして心からの本物の笑顔を見せて言った。
「……二年二組の城戸雅也です。……今日は最後まで頑張りますので、応援よろしくお願いします」
そのあまりにも不器用で誠実なスピーチ。
完璧な王子様でも絶世の美少女でもない。ただの一人の高校生としての彼の素顔。
そのギャップに会場は、この日一番の大きな大きな拍手と歓声で包まれた。
俺はその光景を見ながら確信していた。彼はもう大丈夫だと。彼は本当の自分の居場所を見つけたのだと。
第3部:王女の戴冠と、祭りの終わりに
コンテストの結果は火を見るよりも明らかだった。
審査員特別賞、観客投票、そのすべてを制し今年の「ミス秋桜」の栄冠に輝いたのは、二年二組、城戸雅也――いや『まさひめ』だった。
彼はステージの上でプラスチック製の安っぽいティアラを戴冠させられ、困惑した表情で立ち尽くしていた。
その姿はどこまでも美しく、そして滑稽だった。
「……まさひめちゃん、今のお気持ちは!?」
司会者にマイクを向けられ、彼は一言こう答えた。
「……できればこれは、夢であってほしいです」
そのあまりにも正直な感想に、会場は再び爆笑の渦に包まれた。
ステージを降りた彼は、あっという間に二年二組のクラスメイトたちに取り囲まれた。
「城戸、お前最高だったぞ!」
「マジで綺麗だった!」
「感動した!」
皆が彼の肩を叩きその健闘を称えた。そこにはもう以前のような彼に対する遠慮や壁はなかった。
彼はもはや孤高の王子様ではない。俺たちのクラスの誇るべき、不本意なシンデレラだった。
その輪の中心で戸惑いながらも嬉しそうに笑う彼の姿。
千明には見えていた。
彼の胸の中で、あの頼りなかった光が今、クラスメイトたちの温かい賞賛の光を浴びて、力強く眩いほどの金色の光となって輝き出しているのを。
それは彼が本当の意味でこのクラスに受け入れられた瞬間だった。
「……よかったね、城戸くん」
千明が涙ぐみながら呟いた。
その横で俺は「……気の毒なことには変わりないがな」と付け加えるのを忘れなかった。
コンテストが終わり後夜祭はフィナーレへと向かう。
キャンプファイヤーの炎がぱちぱちと音を立てて燃え盛る。その炎を囲んで全校生徒によるフォークダンスが始まった。
軽快な音楽。手を取り合いステップを踏む生徒たちの笑顔、笑顔、笑顔。
その大きな輪の中に俺たちもいた。
俺は千明と手を取り、ぎこちないステップを踏む。
揺れる炎に照らされた彼女の姿。そのあまりの美しさに、俺は一瞬ステップを忘れそうになった。
俺たちは言葉もなくただ互いの瞳を見つめ、微笑み合った。
この二日間、本当に色々なことがあった。嫉妬もした。事件も解決した。そして腹を抱えて笑い合った。
そのすべてがこの瞬間のためのプロローグだったかのようだった。
千明には見えていた。
ファイヤーの炎の光、生徒たち一人一人の胸に灯る楽しかった思い出の光、そして何よりも強く輝く目の前の心一の愛情の光。そのすべての光が混じり合い、彼女の世界を完璧な幸福で満たしていく。
やがて音楽が終わりダンスの輪が解ける。
祭りの終わり。それはいつも少しだけ寂しい。
だが俺たちの心は満たされていた。
俺は千明の手を取った。
「……帰るか」
「うん」
俺たちは人の流れから少しだけ外れ、夜の校舎へと向かった。
明日からまたいつも通りの日常が始まる。
だがもうそれは以前とは違う特別な日常だ。
この祭りの思い出という新しい光を胸に灯して。
俺たちの二度目の秋は最高の形でその幕を閉じたのだった。




