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光る落とし物は、鈍感な君の心を照らさない。  作者: あかはる


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高2・10月:文化祭前夜と、二人のアンサンブル

第1部:文化祭の序曲


九月の長雨が嘘のように過ぎ去り、十月の空はどこまでも高く澄み渡っていた。

金木犀の甘い香りが校庭を通り抜ける風に混じり、生徒たちの服装も夏服から冬服へと移行する季節。

俺たちの高校二年生としての二学期は、文化祭という一大イベントに向けてその熱量を日に日に高めていた。


『修学旅行の思い出 ~もう一度、あの古都へ~』


教室の黒板に掲げられた俺たち二年二組の出し物のテーマ。

それは九月のあの教室を二分した対立を乗り越え、俺たちが初めて一つのクラスとして心を一つにした、あの修学旅行の経験そのものだった。

教室は今や工房としての様相を呈していた。

床にはブルーシートが敷かれ、あちこちでペンキの匂いが立ち上っている。生徒たちはいくつかのグループに分かれ、それぞれの作業に没頭していた。


「よし、そこの金閣寺の背景、もう少し金色を足して!」

「抹茶パフェの試作品できたよー! 誰か味見してー!」

「この写真すごくない!? 奇跡の一枚!」


金閣寺や千本鳥居の背景画を制作する装飾班。抹茶や八つ橋を使ったオリジナルスイーツを開発するカフェ班。修学旅行で撮影された膨大な数の写真の中からベストショットを選び出し、展示の準備をする写真班。

教室の中は混沌とした、しかし不思議な一体感に満ちた文化の坩堝と化していた。


そして俺たち三人もまた、それぞれの役割を果たしていた。

「心一、悪いけどこのプロジェクターの配線見てくれない? どうも調子が悪くて」

「分かった」

俺は論理的な思考能力を買われ、カフェで上映するスライドショーの機材管理などを担当する技術班に所属していた。

「千明、こっちの飾り付け手伝って!」「はーい!」

千明はその太陽のような明るさで、クラス全体のムードメーカーとして八面六臂の活躍を見せている。

そしてそのすべてを冷静な視線で取り仕切っているのが玲奈だった。

「カフェ班、予算少しオーバーしてるわよ。装飾班に少し回しなさい。写真班は展示のレイアウトをもう一度練り直して。動線が悪すぎるわ」


彼女は特定の班には所属せず、クラス全体のまとめ役としてその卓越した管理能力を発揮していた。

九月のあの一件以来、彼女はただ厳しいだけの風紀委員ではなくなった。時には冗談を言い、時には誰よりも親身になって相談に乗る。そのしなやかなリーダーシップが、この個性豊かなクラスを一つに束ねていた。


俺はプロジェクターの修理をしながら、そんな教室の光景を眺めていた。

そこにはもうあの日のような不協和音の光はどこにもない。

代わりに誰もが同じ目標に向かって心を一つにしている、温かいオレンジ色の創造の光が教室全体を満たしていた。

特に俺の目を引いたのは二人の生徒の姿だった。

江口と宮間さん。かつてクラスを二分する対立の中心にいた二人。

彼らは今、この文化祭で再び実行委員長としてクラスの先頭に立っていた。

まだどこかぎこちなさは残るものの、真剣な表情で意見を交わし合うその姿は俺の心を温かくした。

俺たちのあの選択は間違っていなかったのだ。


第2部:失われた一音、消えゆく光


文化祭本番まであと二週間。

準備が佳境に差し掛かったある日の放課後だった。

俺たちのカフェの目玉企画。それは店内に小さなステージを設け、生演奏を行うというものだった。

そしてその大役を任されていたのが、クラス一のピアノの腕前を誇る宮間さんだった。

彼女は修学旅行の思い出をテーマに、いくつかのJ-POPをピアノアレンジで披露する予定になっていた。


その日、彼女は音楽室で一人練習に励んでいた。

俺と千明は頼まれた機材を音楽室に運び込むために、その練習風景を目撃することになった。

夕暮れの西日が差し込む音楽室。彼女が奏でるピアノの旋律は美しく、そしてどこか物悲しかった。


「……すごいね、宮間さん」

千明がうっとりとその音色に聞き入っている。

俺もまたその卓越した技術に感心していた。

だが俺は気づいていた。彼女のその演奏には何かが決定的に欠けていることに。

それは魂とでも言うべきものだった。音符は正確に奏でられている。だがその一音一音がまるで感情を失った人形のように、空虚に響いていた。


やがて曲が終わり、彼女は深々とため息をついた。

そして鍵盤の上に力なく突っ伏してしまう。その苦悩に満ちた横顔。

俺たちが声をかけるのを躊躇っていると、彼女は弾かれたように顔を上げた。

そして鍵盤の上の楽譜をぐしゃりと握りつぶした。

「……だめ。全然だめ……!」


彼女はそう吐き捨てると、俺たちの存在にも気づかずに音楽室を飛び出していってしまった。

後に残されたのは不協和音の余韻と、そしてピアノの上に忘れられた一枚の楽譜だけだった。


千明がそのくしゃくしゃになった楽譜をそっと拾い上げる。

その瞬間、彼女の顔がこわばった。

「……心一くん……」

「……ああ」

「この楽譜……。光がすごく弱々しい。まるで泣いてるみたい。悔しくて悲しくて、どうしていいか分からないって叫んでる……」


それだけではなかった。

千明は音楽室を飛び出していった宮間さんの後ろ姿を目で追いながら、震える声で続けた。

「……宮間さんの光も……。あの綺麗な水色の音楽の光が……。今すごく揺らいでる。色が薄くなって消えそうになってるよ……」


失われた自信。スランプという言葉だけでは片付けられない深刻な心の不調。

それは彼女の音楽そのものへの「執着」の光が消えかけている、危険なサインだった。

そしてその原因は、俺たちの誰もが知っているあの過去の傷跡にあることを、俺は直感的に理解していた。


第3部:アンサンブルのための論理


「……どうしよう、心一くん」

屋上へと続く階段の踊り場、俺たちのいつもの作戦会議室で千明は不安そうな顔で言った。

「このままじゃ宮間さんの光、本当に消えちゃうかもしれない。十一月のあのスケッチブックの先輩みたいに……」


その懸念はもっともだった。

一度消えかけた情熱の光。それを再び灯すことがどれだけ困難か、俺たちは知っていた。


「……これは単なるスランプじゃない」

俺は観測ノートにペンを走らせながら分析した。

「一種のトラウマの再燃だ。合唱コンクールの時と同じ構図。クラスの期待を一身に背負いステージの中心に立つ。そのプレッシャーが彼女のあの時の古傷をこじ開けているんだ」


合唱コンクールでの失敗。その責任を彼女は今も一人で背負い続けている。

そしてまた同じ失敗を繰り返すことを、何よりも恐れているのだ。

自分が失敗すればクラスの皆をがっかりさせてしまう。そして何より――江口を再び失望させてしまう、と。


「……私、話してくる!」

千明が意を決したように立ち上がった。

「宮間さんに、一人で抱え込まないでって伝える!」

「待て、千明」

俺はその彼女の真っ直ぐな善意を制止した。

「……今の彼女にお前のそのストレートな優しさは届かない。むしろ逆効果だ。彼女は『あなたに私の気持ちが分かってたまるか』と心を閉ざすだけだろう」

「……じゃあ、どうすればいいの……?」


俺はくしゃくしゃになった楽譜を見つめた。

この問題の本質は宮間さん一人の心の中にはない。その根源は彼女と江口、二人の間に横たわるあのすれ違いの記憶にある。

ならばこの錠を開ける鍵を持っているのは俺たちではない。江口本人しかいないのだ。


俺は決断した。

俺たちの役目は当事者ではない。あくまで触媒だ。

二人が再び向き合うためのきっかけを作る。それだけだ。


その日の放課後、俺と千明はサッカー部の練習を終えた江口を呼び止めた。

彼は俺たちの真剣な様子に何かを察したようだった。

俺たちは彼を誰もいない音楽室へと連れて行った。そしてあのくしゃくしゃになった楽譜を彼に見せた。


「……これ、宮間が……?」

彼は息を呑んだ。

俺は光のことは伏せたまま、今日の出来事をありのままに話した。

彼女がスランプに陥っていること、一人で苦しんでいること、そしてその原因が去年の合唱コンクールにあるだろうという俺たちの推測も。


江口は黙って俺の話を聞いていた。

その表情は驚きから次第に深い苦悩へと変わっていった。

彼は気づいていなかったのだ。九月のあの日和解したと思っていたあの過去の出来事が、今もなお彼女をこれほどまでに苦しめていたということに。

そして自分自身もまたその過去から目を逸らし続けてきたということに。


「……俺……」

彼は悔しそうに唇を噛んだ。

「……俺、あいつに謝っただけで分かった気になってた……。あいつがどれだけ音楽を大事にしてるか知ってたはずなのに。また一人で抱え込ませて……。俺、何も見えてなかった……!」


その彼の心からの後悔の言葉。

千明には見えていた。彼の胸の奥で友情を示す温かいオレンジ色の光が、強くそして切なく揺らめいているのを。

彼は今も彼女を大切な友人だと思っているのだ。ただその伝え方が分からないだけで。


「……どうすればいい」

彼が助けを求めるように俺たちを見た。

俺は静かに首を横に振った。

「それを決めるのは俺たちじゃない。お前自身だ」

俺はピアノの椅子を指さした。

「……答えはたぶん、そこにある」


第4部:再生のアンサンブル


俺と千明は音楽室を後にした。

江口は一人その場に立ち尽くし、何かを深く考え込んでいるようだった。

俺たちがやるべきことは終わった。あとは彼を信じるだけだ。


翌日の放課後、俺は千明と共にそっと音楽室を覗きに行った。

ドアの隙間から聞こえてきたのはピアノの音色だった。だがそれは昨日までのあの空虚な音ではない。

たどたどしく、そしてどこかぎこちない。しかし確かに温かい感情が込められた音。


俺たちは息を殺し中の様子を窺った。

ピアノを弾いていたのは宮間さんだった。

そしてその隣には、アコースティックギターを抱えた江口の姿があった。


彼が奏でるギターのコードは正直お世辞にも上手いとは言えなかった。時々音を外しては宮間さんに「そこ、違う!」と怒られている。

「……悪ぃ」

「もう一回。……せーの」


二人は何度も何度も同じフレーズを繰り返していた。

それはアンサンブルと呼ぶにはあまりにも拙い演奏。だがその光景はどんな完璧なコンサートよりも俺たちの心を打った。

二人の間にはもうあの日のような壁はなかった。

音楽という共通の言語で彼らは再び心を通わせようとしていた。失敗を恐れず互いの音を聞き合い、そして一つのハーモニーを作り上げようとしていたのだ。


千明が俺の手をそっと握った。

彼女の目にはその奇跡の光景が映っていた。

宮間さんの胸で消えかけていた水色の光。その光が江口の奏でるギターの音色に呼応するように、再び力強い輝きを取り戻していく。

そして江口の胸から放たれる友情のオレンジ色の光。

その二つの光が時にぶつかり合い、時に寄り添い、そしてゆっくりと溶け合って一つの美しい虹色の光へと変わっていく、その瞬間が。


俺たちはもうそれ以上見ている必要はなかった。

俺たちは静かにその場を離れた。

耳の奥に残る不格好で、しかしどこまでも優しい二人のアンサンブル。


そして文化祭前夜。

最後の飾り付けを終えた二年二組の教室。その中央に作られた小さなステージで、江口と宮間さんは最後のリハーサルを行っていた。

江口のギターと宮間さんのピアノ。二つの音色が完璧に重なり合い、美しいハーモニーを奏でていた。

その音色はクラスメイト一人一人の心を優しく包み込んでいく。


俺は千明と玲奈と共にその光景を見つめていた。

俺たちのクラスは今、最高の状態にある。

千明には見えていた。教室全体を満たす温かくそして力強い一体感の光が。

そしてその中心で誰よりも眩しく輝いている二人の友情の光が。

俺たちはまた一つの事件を解決したのだ。

ヒーローになるのではなく、誰かが誰かを救うそのきっかけを作ることで。

その誇りを胸に、俺たちは明日始まる最高の一日を待っていた。

俺たちの二度目の文化祭。その幕が今、静かに上がろうとしていた。

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