高2・修学旅行3日目:千本鳥居の迷い子と、願いの絵馬
第1部:千本鳥居の迷宮
修学旅行三日目の朝は旅館の慌ただしい喧騒と共に始まった。
昨夜の男子部屋での馬鹿騒ぎ、女子部屋での秘密のお茶会。それぞれに異なる、しかし等しくかけがえのない思い出を胸に、俺たちの心は旅の高揚感で満たされていた。
今日の午前中はクラス全員での団体行動。行き先は京都観光の中でも特に海外からの人気が高い、伏見稲荷大社だ。
バスを降りた俺たちを迎えたのは、鮮やかな朱色に彩られた巨大な楼門だった。そしてその奥には、現実とは思えないほどの幻想的な光景が広がっていた。
千本鳥居。
山の麓から頂上へと続く参道に、隙間なくびっしりと建てられた朱色の鳥居の列。それはまるで異世界へと誘う終わりのないトンネルのようだった。
「すごい……!」
千明が感嘆の声を上げる。
降り注ぐ朝の光が鳥居の列に濃淡の影を作り出し、どこか神秘的な雰囲気を醸し出している。
「うわー、これ全部歩くのかよ! まじで登山じゃん!」
翼がげんなりとした声を上げるが、その瞳は好奇心で輝いていた。
「いい、全員よく聞け」
担任教師がパンパンと手を叩いた。
「見ての通りここは迷路のような場所だ。絶対に班から離れず勝手な行動はしないこと。途中の『奥社奉拝所』を第一チェックポイントとする。そこで一度人数確認を行う。いいな!」
「「「はーい!」」」
生徒たちの元気な返事と共に、俺たちの朱色の迷宮探索が始まった。
俺たちの班は俺、千明、玲奈、翼、そして音無さんの五人。昨日の一件以来すっかり俺たちのグループの一員となった音無さんは、まだ少し緊張した面持ちだったがその表情は明らかに以前より明るくなっていた。彼女は神社の入り口で買ったという可愛らしい狐の顔が描かれたお守りを、大切そうに握りしめている。
鳥居のトンネルの中は不思議な静けさに満ちていた。外の喧騒が嘘のように遠ざかり、聞こえるのは自分たちの足音と時折聞こえる鳥のさえずりだけ。
「なんだか神様の通り道を歩かせてもらってるみたいだね」
千明がひそひそと囁いた。
「これだけ鳥居が奉納されてるってことは、それだけ多くの人の願いがここにあるってことよね」
玲奈が感慨深げに言う。
その言葉通り、一つ一つの鳥居には奉納した個人や企業の名前が黒々と刻まれていた。
ここは人々の祈りと感謝が積み重なってできた場所なのだ。
道中、一匹の猫が俺たちの足元を横切っていった。人懐っこいようで、にゃあと鳴いて脇道へと入っていく。
「あ、猫さん!」
動物好きの千明と音無さんが嬉しそうな声を上げた。
猫はまるで「おいで」とでも言うかのようにこちらを振り返り、また一声鳴いた。
「……少しだけ、いいかな?」
音無さんがおずおずと俺たちに尋ねた。
「すぐに戻るから」
その初めて見る積極的な姿に、俺たちは顔を見合わせた。
「……分かった。五分だけだぞ。あまり奥へは行くなよ」
俺が言うと彼女はぱっと顔を輝かせ、千明と共に猫が消えていった細い脇道へと入っていった。
数分後、二人は満足そうな顔で戻ってきた。
「写真、撮らせてくれたんだよ。すごくおとなしい子だった」
千明がスマートフォンの画面を見せてくれる。そこには日向ぼっこをする三毛猫ののどかな姿が写っていた。
そんなささやかな寄り道も、この旅の醍醐味だった。
第2部:声なきパニックと、消えゆく光
千本鳥居の中間地点、眼下に京都市内を一望できる「四つ辻」と呼ばれる開けた場所に、俺たちのクラスはたどり着いた。
ここで一度休憩と人数確認が行われることになっていた。
生徒たちは思い思いに景色を眺めたり写真を撮ったりしている。
俺もその美しいパノラマにしばし見入っていた。
やがて担任教師の声が響いた。
「おーい、全員集まれー! 人数確認するぞー!」
各班の班長が自分の班の人数を報告していく。
「一班、全員います!」
「三班、OKです!」
そして玲奈が声を上げた。
「五班、……あれ?」
彼女の声が途切れた。玲奈は慌てて、もう一度自分の班のメンバーを数え直している。
「……一人、足りません!」
その悲鳴のような報告に教師たちの顔色が変わった。生徒たちの間にもどよめきが広がる。
足りない一人。それは音無さんだった。
さっきまで確かに一緒にいたはずの彼女の姿が、どこにも見当たらない。
「いつからだ!?」
「分かりません……! さっき猫を見に行った時には確かに……!」
千明が青ざめた顔で答える。
教師たちが慌ただしく動き始めた。他の班の生徒はここで待機。教師と各班の班長で今来た道を戻って探す、と。
クラスの楽しい雰囲気は一瞬で吹き飛んだ。誰もが不安そうな顔で互いの顔を見合わせている。
この迷路のような山の中で一人迷子になる。その恐怖は計り知れない。
「……千明」
俺は隣で呆然と立ち尽くしている彼女に声をかけた。
「……見えるか」
「……うん」
彼女はこくりと頷いた。その瞳には強い緊張の色が浮かんでいる。
「見える……! 音無さんの光……! 清水寺の時と同じ、怯えた薄紫色の光だよ……!」
やはり彼女は近くにいる。
だが千明は続けた。
「でもおかしいの。光がすごく弱々しい。それに、あちこち動き回ってる。彼女、自分がどこにいるか分からなくてパニックになって、山の中を彷徨ってるんだ……!」
その絶望的な状況。ただでさえ入り組んだこの山の中で目標が動き回っているとなれば、教師たちの捜索も難航するだろう。
どうすればいい。俺が思考を巡らせていると、千明がはっとしたように声を上げた。
「……待って。もう一つ光が見える」
「何?」
「音無さんの光とは別の光。すごく小さいけどはっきりとした金色の光。……願い事の光だ。そしてその光は動いてない。一箇所からずっと放たれてる!」
別の光。それは何を意味する?
俺は一つの可能性に思い至った。
「……落とし物だ。音無さんが何かを落としたんだ。そしてその落とし物に込められた『願い』が光っているんだ」
そうだ。朝、彼女が握りしめていたあの狐のお守り。あれに違いない。
俺たちの進むべき道が見えた。
パニックになって動き回っている音無さん本人を追うのは悪手だ。だがその場に留まっている「落とし物」なら見つけ出すことができる。
そしてそれを見つけさえすれば、彼女がどの道ではぐれてしまったのか、その足取りを掴むことができるはずだ。
俺は玲奈と翼を呼び寄せた。そして俺たちの新たな「任務」を告げた。
第3部:願いの絵馬
「先生、お願いします!」
俺は捜索に出ようとする担任教師を引き止めた。
そして俺なりの論理で説得を試みた。もちろん光のことは伏せて。
「俺たちの班はついさっきまで音無さんと一緒にいました。おそらく彼女がはぐれてしまったのは、俺たちが猫を見に脇道に入ったあの辺りの筈です。広範囲を闇雲に探すより俺たち五人だけで今来た道を正確に引き返させてください。その方が効率的ですし早く見つけられる可能性があります」
俺の真剣な訴えと、昨日音無さんを救ったという「実績」。そして何より隣で頷く玲奈の存在が教師の心を動かした。
「……分かった。だが十分だけだ。十分経って見つからなかったら、すぐにここへ戻ってこい。いいな!」
「はい!」
俺たちは教師の許可を得ると一斉に駆け出した。
翼が先頭を走り俺と玲奈が続く。そして千明が光の方向を指し示す。
「……こっち! あの脇道の方からだ!」
俺たちは先ほど猫を追って入っていった細い脇道へと、再び足を踏み入れた。
メインの参道から外れたその場所は人もまばらで薄暗い。いくつもの小さな社が点在している。
「……光が強くなってきた。この奥だ!」
千明の声に導かれ、俺たちはさらに奥へと進んでいく。
そしてその一番奥まった場所、小さなお堂のような社の前で千明は足を止めた。
そこにはたくさんの狐の絵が描かれた絵馬が奉納されていた。
「……あった!」
千明が指差す地面。草むらの中に、見覚えのある狐のお守りが落ちていた。
間違いない。音無さんのものだ。
「やったな!」
翼が声を上げる。
だが俺はそれだけでは終わらなかった。
なぜ彼女はこんな場所まで一人で来たんだ? 猫を見ていただけではないはずだ。
俺の視線は壁一面に掛けられた絵馬へと向けられた。
そしてその一番新しい一枚に、見覚えのある少女の文字を見つけた。
その絵馬に書かれていた願い。俺は息を呑んだ。
『新しい友達ができました。
勇気を出して、みんなともっと仲良くなれますように。
この素敵な出会いをありがとうございます』
その健気で切実な願い。
彼女は猫を追ってきたのではない。この場所にこの願いを奉納するために一人でやってきたのだ。
そしてその過程で道を間違え、迷子になってしまった。
すべての謎は解けた。
「……そうだったんだ……」
千明がその絵馬を見つめ、瞳を潤ませている。
「……私たち、友達だって思ってくれてたんだね……」
だが感傷に浸っている時間はない。彼女はこの先のどこかで一人、心細い思いをしているのだ。
俺たちはお守りを拾い上げると再び走り出した。
彼女の心が壊れてしまう前に。俺たちの「友達」を助け出すために。
第4部:届く声
音無さんが消えた脇道。そこからさらに山の上へと続く道はいくつかに分岐していた。
観光客は誰も足を踏み入れない、獣道のような細い道だ。
「千明! どっちだ!」
「……こっち! 光が揺れてる……!」
俺たちは千明の指し示す一番険しい坂道を駆け上がった。
息が切れる。足がもつれる。それでも俺たちは足を止めなかった。
「音無さーん!」
翼が腹の底から大声を張り上げる。
「いるなら返事してくれー!」
その声が木霊する。だが返事はない。
俺たちの心に焦りが募る。
その時だった。微かに聞こえた。すすり泣くようなか細い声が。
「……こっちだ!」
声のする方へ俺たちは向かう。
道の脇にある小さな滝。その岩陰に彼女はいた。
体操座りで膝に顔をうずめ、一人声を殺して泣いていた。
音無さんだった。
「音無さん!」
千明が彼女の元へ駆け寄る。
その声に彼女はびくりと顔を上げた。俺たちの姿を認めると、その瞳から安堵の涙が溢れ出した。
「……みんな……! ごめんなさい……! 私……!」
「よかった……! 本当によかった……!」
千明は彼女を強く抱きしめた。
玲奈も翼も俺も、心の底から安堵のため息をついた。
俺たちは彼女を責めなかった。
千明が彼女の手にそっと狐のお守りを握らせた。そして優しく微笑んで言った。
「……絵馬、見たよ」
その一言に音無さんははっとしたように、顔を真っ赤にした。
「……あ、あれは……!」
「すごく素敵な願い事だね」
千明は続けた。
「でもね、もうそんなお願いしなくても大丈夫だよ」
彼女は俺たち一人一人の顔を見回して、そして音無さんに向かって言った。
「だって私たちは、もう友達なんだから」
その言葉。
音無さんの瞳から再び涙が溢れ出した。だがそれはもう恐怖や悲しみの涙ではなかった。
嬉し涙だった。
千明には見えていた。彼女の心を覆っていたあの怯えた薄紫色の光が完全に消え去り、その代わりに太陽のように温かく力強い金色の幸福の光が、彼女の胸いっぱいに広がっていくのを。
俺たちは再びクラスのヒーローになった。
音無さんを連れて集合場所に戻ると、教師もクラスメイトたちも心からの拍手で俺たちを迎えてくれた。
だがそんな賞賛の声よりも、俺たちの心を満たしていたのは一人の友人の心からの笑顔だった。
その日の午後、バスで次の目的地へと向かう車中、俺たちの班の席はいつになく賑やかだった。
その中心で、翼の馬鹿げた冗談に声を上げて笑っている音無さんの姿があった。
迷い子はもうどこにもいない。彼女は自分の居場所を見つけたのだ。
俺たちの旅はまだ続く。だが俺たちはこの旅でまた一つ、かけがえのない宝物を見つけた気がしていた。




