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高1・7月中旬:バディ始動と観測者の視線

「あ、あそこ!」

見附が指差したのは、夕暮れに染まる公園の砂場の隅だった。そこだけが、彼女の目には、ぼんやりと光って見えているらしい。俺、落田心一には、西日に照らされた砂がきらきらと反射しているようにしか見えない。この認識のズレこそが、俺と彼女を隔てる壁であり、そして今、俺が最も知りたいと願う謎そのものだった。

「行くぞ、見附」

「うん!」

快活な返事と共に、彼女は砂場へと駆け出した。俺もその後を追う。砂に足を取られながら、俺は冷静に彼女の行動を観察していた。彼女は砂場の広範囲を見渡すのではなく、まるでGPSで座標を指定されたかのように、ある一点に向かって一直線に進んでいる。そして、何の躊躇もなく、その場所にしゃがみ込んだ。

「あった。やっぱりこれだ」

見附が砂の中から掘り出したのは、片方だけになった、小さな子供用の手袋だった。可愛らしいクマの刺繍が施されているが、全体的に薄汚れ、使い古されている。何の変哲もない、ありふれた落とし物だ。

「……見附。いくつか質問してもいいか」

俺は、ポケットから小さなメモ帳とペンを取り出した。見附はきょとんと目を丸くする。

「え? 何、落田くん。刑事さんみたい」

「これは科学的な調査だ。お前のその能力――現象の法則性を、俺は解明したい」

俺の真剣な眼差しに、彼女は何かを察したようだった。こくりと頷き、「いいよ、何でも聞いて」と、まるでインタビューを受ける女優のように少しだけ得意げに胸を張った。

「まず、その『光』についてだ。どう見える? 色は? 形は?」

「うーん、色と形かぁ……」

見附は腕を組み、うーんと唸り始めた。どうやら、彼女自身も自分の能力を言語化して考えたことはあまりないらしい。その反応自体が、俺にとっては非常に興味深いデータだった。

「なんていうか、物理的な光とはちょっと違うんだよね。目の奥で感じる、みたいな? この手袋の光はね、あったかいオレンジ色だった。あと、ふわふわって、輪郭が揺れてる感じ」

「オレンジ色で、輪郭が揺れている……」

俺は、彼女の主観的な表現を、できるだけ客観的な単語に変換しながらメモ帳に書き込んでいく。『光の性質:暖色系。輪郭は不鮮明』と。

「光の強さは、何によって決まる? 対象物との距離か? それとも、お前が言っていた『執着心』の度合いか?」

「それは、断然『執着心』だよ! どんなに遠くにあっても、持ち主の『大好き!』って気持ちが強ければ、すごく明るく見えるの。逆に、すぐそこにあっても、もうどうでもいいやって思われてる物は、光が弱々しいんだ」

なるほど。光の強度は、対象物との物理的距離とは無関係。完全に、持ち主の精神状態に依存する、と。俺は、まるで未知の物理法則を発見したかのような、知的興奮を覚えていた。

「じゃあ、この手袋の持ち主は、今もこれを強く求めている、ということか」

「うん、きっとそう。『僕の大事な手袋、どこ行っちゃったんだろう』って、悲しんでる光だもん。早く届けてあげなきゃ」

見附はそう言うと、手袋の砂を丁寧に払い、大切そうにポケットにしまった。

「交番に届けよう。それが一番確実だ」

「うん、そうだね!」

俺たちは公園を後にし、駅前の交番へと向かった。道すがら、俺は質問を続けた。光が見え始めるトリガーは何か、一度に見える光の数に上限はあるのか、人間の感情そのものに光を見ることはあるのか。俺の矢継ぎ早の質問に、見附は時々「えーっと」と悩みながらも、一つ一つ丁寧に答えてくれた。彼女にとって、自分の能力について誰かと真剣に語り合うのは、これが初めての経験らしかった。その横顔は、少しだけ誇らしげに見えた。

交番で無事に手袋を届け終えた後、俺たちは並んで家路についていた。すっかり日も暮れ、街灯がぼんやりと道を照らしている。

「なんだか、不思議な感じ」

不意に、見附が呟いた。

「何がだ」

「落田くんと、こうして一緒にいること。今まで、クラスではあんまり話したことなかったのに」

「……そうだな」

「私ね、落田くんのこと、ちょっと怖い人だと思ってた。いつも一人で本ばっかり読んでるし、誰かが話しかけても、あんまり笑わないから」

「余計な世話だ」

俺はぶっきらぼうに返したが、心は少しだけざわついていた。他人から自分がどう見えているかなんて、考えたこともなかった。いや、考えることを、避けてきたのかもしれない。

「でも、今日分かった。落田くんは、すごく真面目で、優しい人なんだね」

「……買い被りすぎだ。俺はただ、自分の知的好奇心を満たしたいだけだ」

そう、これはあくまで科学的な調査の一環だ。俺は自分にそう言い聞かせる。だが、彼女のストレートな言葉が、俺の心の硬い甲羅を、ほんの少しだけこじ開けたような気がした。

それから、俺たちの奇妙なバディ活動は、日常の一部として定着していった。

期末テストも終わり、答案返却の喧騒も過ぎ去った七月中旬。解放感に満ちた空気の中、俺と見附は、ほとんど毎日、放課後になると街を徘徊した。もちろん、デートなどではない。あくまで、「現象」の観測とデータ収集のためだ。

俺は、あの日以来、「観測ノート」と名付けたメモ帳を持ち歩き、見附が「光」を発見するたびに、詳細な記録を取り続けた。

『7月12日、16時30分、晴れ。場所:商店街の書店前。対象物:少女漫画の付録のキーホルダー。光の性質:ピンク色、ハートの形に見えた(見附の主観?)。特記事項:持ち主と思われる女子中学生がすぐ近くにおり、発見後、直接手渡す。非常に感謝される』

『7月14日、17時過ぎ、曇り。場所:第二校舎裏の駐輪場。対象物:佐々木翼の生徒手帳。光の性質:黄色、激しく点滅。特記事項:翼は生徒手帳をなくしたこと自体に気づいていなかった。光のトリガーは、持ち主の紛失の認識とは必ずしも一致しない? 要検証』

特に、佐々木翼のケースは興味深かった。

あの日、俺と見附が校門を出ようとした時、見附が「あ、翼くんの光だ」と呟いたのだ。彼女が指し示したのは、俺たちが今しがた通り過ぎてきた駐輪場の奥だった。

「あいつ、また何かなくしたのか」

「うん、すごく慌ててる感じの光だよ。ピカピカしてる」

俺たちは引き返し、埃っぽい駐輪場の隅で、地面に落ちている翼の生徒手帳を発見した。

翌日、教室でそれを翼に突き出すと、彼は「え、俺なくしてたの!? まじで!?」と、心底驚いていた。

「お前、なくした自覚もなかったのか」

「だって昨日、家に帰るまで一回もカバン開けなかったし。うわー、危ねえ! 千明、心一、まじサンキュー!」

この一件は、俺の観測ノートに新たな仮説を書き加えるきっかけとなった。「光の発生トリガーは、持ち主の『執着』そのものであり、必ずしも『紛失した』という認識を必要としない」。つまり、生徒手帳という「ないと困る」という潜在的な執着が、彼が気づかぬうちに光を発していた、ということだ。

俺たちのコンビネーションも、徐々に洗練されていった。

見附が、その超常的な能力で「光」の在り処を特定する。そして俺が、発見された落とし物の状況や特徴から、持ち主を論理的に推理する。見附の直感と、俺の論理。一見すると相容れない二つの要素が、こと「落とし物探し」においては、驚くほどうまく噛み合った。

「ねえ、このハンカチ、すごく良い匂いがしない?」

ある日、神社の境内で見つけたレースのハンカチを手に、見附が言った。

「たしかに。柔軟剤か、香水か……」

俺はその匂いを嗅ぎ、記憶を探る。先日、クラスの女子たちが話していた、新発売の柔軟剤の匂いと酷似している。

「このイニシャルの刺繍、『N.M』。うちのクラスに、そのイニシャルの女子はいたか?」

「えーっと、望月さんと……あ、三上さん!」

「三上か。彼女が、この柔軟剤を使っていた可能性は高い」

俺たちの推理は的中し、ハンカチは無事に持ち主である三上さんの元へ返っていった。

「千明ちゃんだけじゃなくて、落田くんもすごいんだね! まるで探偵みたい!」

クラスメイトにそう言われた時、俺は柄にもなく、少しだけ誇らしい気持ちになっている自分に気づき、内心で激しく動揺した。誰かの役に立つこと、感謝されること。そんなものに、価値などないと思っていたはずなのに。

もちろん、俺たちの行動は、学校という狭いコミュニティの中で目立たないはずがなかった。

特に、ある人物にとっては。

「あんたたち、ちょっといいかしら」

その日も、俺たちが見つけたボールペンを職員室の遺失物係に届けた帰りだった。廊下で、腕を組んだ雨宮玲奈が、仁王立ちで俺たちの行く手を阻んだ。その表情は、風紀委員として違反者を取り締まる時よりも、遥かに険しい。

「れ、玲奈。どうしたの、そんな怖い顔して」

見附がおどけて言うが、玲奈の視線は俺に突き刺さったままだ。

「単刀直入に聞くわ、落田心一。あんた、千明とどういう関係なの?」

その問いは、俺が最も恐れていたものだった。俺と見附の関係性は、あまりにも特殊すぎて、第三者に説明のしようがない。ましてや、見附の能力のことは、絶対に口外できない。

「……どういう関係、とは」

俺は、平静を装って問い返した。

「とぼけないで。最近、ずっと二人でいるじゃない。あんたみたいなのが、千明と一緒にいるなんて、どう考えても不自然よ」

「あんたみたいなの」という言葉に、俺の眉がぴくりと動く。それは、俺が他人からどう見られているかを、的確に表現した言葉だった。孤立を好み、他人に興味を示さない、協調性のない男。そんな俺が、クラスの太陽である見附千明と一緒にいる。不自然だと思われて当然だ。

「玲奈、そんな言い方ないでしょ! 落田くんは、私の大事な『仲間』だよ!」

見附が、俺を庇うように前に出た。

「仲間? 何のよ」

「それは……えーっと、ボランティア活動、みたいな?」

「嘘おっしゃい」

玲奈は、見附の苦しい言い訳をピシャリと切り捨てる。その目は、もはや俺を完全に敵だと認識している。

「あんた、千明の『特技』を知って、面白がってるだけなんじゃないの? あいつの人の良さにつけ込んで、珍しいオモチャみたいに扱ってるだけなんじゃないの?」

その言葉は、図星、ではなかった。だが、俺の心の、最も痛い部分を抉った。

俺がやっていることは、観測であり、分析だ。それは、彼女を「研究対象」として見ていることと同義ではないのか。玲奈の非難は、俺自身が心のどこかで感じていた、罪悪感の正体を暴き出していた。

「……違う」

俺は、自分でも驚くほど、低い声で否定した。

「俺は、からかってなどいない。真剣だ」

「何が真剣だって言うのよ」

「……」

俺は、言葉に詰まった。これ以上、何を説明できる?

俺と見附の間で交わされた、あのペンを巡る出来事も、彼女の能力の秘密も、何一つ話すことはできない。

沈黙する俺を見て、玲奈は「やっぱり、そうなんだ」と、失望したように呟いた。

「いい、落田。千明を傷つけるようなことだけは、絶対にしないで。もし、あの子が泣くようなことがあったら、私が、あんたを許さないから」

それは、幼馴染に向けられた、切実で、そして純粋な愛情の言葉だった。千明の秘密を知る、唯一の理解者としての、強い覚悟の言葉だった。

玲奈は、俺にそれだけ告げると、見附の腕を掴み、「行くわよ、千明」と、その場を去っていった。

一人残された廊下で、俺は玲奈の言葉を反芻していた。

彼女は、見附の能力を「特技」と呼んだ。その言葉の選び方から、彼女が能力の詳細までは把握していないことが窺える。だが、彼女は、見附が「普通ではない」ことを理解し、それを守ろうとしている。

その姿は、かつて、オカルト好きだった俺を、ただ一人、笑わずにいてくれた祖母の姿と、少しだけ重なって見えた。

玲奈の警戒心は、もっともだ。俺は、部外者だ。そして、見附の能力を、純粋な好奇の目で見つめている。

だが、俺はもう、ただの「観測者」でいるだけでは、満足できなくなっている自分にも気づいていた。

見附と一緒に落とし物を探し、持ち主に返す。その過程で得られる、ささやかな達成感。クラスメイトからの、思いがけない感謝の言葉。それらが、俺の灰色の世界に、少しずつ色を与え始めている。

これは、ただのデータ収集ではない。

俺は、見附千明という人間そのものに、そして、彼女が紡ぎ出す物語に、惹きつけられているのかもしれない。

その日の夜、俺は観測ノートの新しいページを開いた。

そして、いつものような客観的な記録ではなく、俺自身の主観的な感情を、初めて書き記した。

『雨宮玲奈は、見附の保護者であろうとしている。だが、彼女は、見附の能力がもたらす、本当の痛みを知らないのではないか?』

『俺は、何のために、この活動に付き合っている? 罪滅ぼし? 好奇心? それとも――』

そこまで書いて、俺はペンを置いた。

答えは、まだ見つからない。

だが、一つだけ確かなことがある。俺は、もうこの奇妙な日常から、引き返すことはできないだろう。

夏の気配が、日ごとに濃くなっていく。

一学期の終わりが、すぐそこまで迫っていた。

そして、俺たちは、このバディ活動が、決して楽しいことばかりではないという、最初の現実に直面することになる。

ある日の放課後。蝉の声が、早くも夏の到来を告げていた。

俺と見附は、バス停のベンチで、次の「光」が現れるのを待っていた。いや、正確には、見附が「感じる」のを、俺が待っていた。

「……あ」

不意に、見附が小さな声を上げた。

「見えたのか」

「うん。でも……なんだろう、この光」

彼女は、眉をひそめ、バス停のベンチの下を指さした。

「すごく、弱々しい光。チカチカって、点滅してるみたいに見える」

点滅?

俺は、観測ノートに新たな項目を書き加えた。『光の新たなパターン:減衰、および点滅』。

「それにね」

見附は、どこか不安そうな声で、続けた。

「この光、なんだか……すごく、悲しい感じがする。それに、昨日、この場所を通った時も、同じ光を感じた気がする。その時よりも、ずっと弱くなってる」

昨日よりも、弱くなっている。

その言葉は、俺の胸に、これまでとは質の違う、不吉な予感を呼び起こした。

光は、減衰するのか?

それは、一体、何を意味するんだ?

俺たちの、まだ始まったばかりの冒険に、初めて不穏な影が差し込んだ瞬間だった。


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