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光る落とし物は、鈍感な君の心を照らさない。  作者: あかはる


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高1・6月下旬~7月上旬

高1・6月下旬~7月上旬

高1・6月下旬~7月上旬

 

あの日、駅前で見附千明と視線が交錯してからというもの、俺の平穏な日常は、その表面張力を失い始めていた。秩序立ててファイリングしていたはずの世界に、一枚だけ分類不能なカードが紛れ込んでしまったような、そんな居心地の悪さ。俺はそのカード――見附千明という存在を、無意識のうちに目で追うようになっていた。

梅雨の湿った空気が教室に満ちる、期末テスト一週間前。クラス全体が、来るべき決戦に向けて見えない鎧を身に着け始めるような、独特の緊張感に包まれていた。誰もが口数を減らし、休み時間には単語帳や問題集をめくる音が支配する。

そんな静寂を、爆音で切り裂くような声が上がった。

「うおおおお! 無えええええ!」

声の主は、佐々木翼ささきつばさ。クラスのムードメーカーであり、良く言えば「今を生きる男」、悪く言えば「何も考えていない男」だ。彼は自分の机の周りをぐるぐると回りながら、頭をかきむしっている。

「どうしたんだよ翼、うるせえな」

前の席の男子が、迷惑そうに顔を上げた。

「俺のソウルが! 昨日、このノートの隅に降臨した、奇跡の一枚ミラクル・ショットが消えたんだ!」

翼が言う「奇跡の一枚」とは、テスト勉強中に現実逃避で描いた落書きのことらしい。周りの生徒たちは、「またか」「どうでもいい」と、それぞれに問題集へと視線を戻していく。翼が頻繁に物をなくし、その度に世界が終わるかのように騒ぐのは、このクラスでは日常茶飯事の光景だった。

俺も、その一人だった。翼の執着は、俺の理解の範疇を遥かに超えている。彼がなくすのは、コンビニでもらったプラスチックスプーンだったり、昨日自販機で当たりが出たジュースの空き缶だったり、およそ資産価値というものから最も遠い場所にあるガラクタばかりだ。そんなものに、なぜあれほどの情熱を注げるのか。俺の論理的な思考では、到底理解が及ばない。過去も未来も考慮せず、「今、ここにあること」だけが世界の全てだという彼の哲学 は、俺の価値観とは対極にあった。

だが、一人だけ、その日常に異を唱える人物がいた。

「任せて、翼くん!」

ガタリと椅子を鳴らして立ち上がったのは、見附千明だった。

彼女は、まるでヒーローの登場シーンのように胸を張り、翼の前に立ちはだかる。その瞳は、超難問に挑む数学者のように、真剣な光を宿していた。

「おお、千明! 頼む、俺のドラゴンはどこだ!?」

「ドラゴンの絵だったんだね。よし、ちょっと集中するから、みんな静かにしてて」

見附はそう言うと、ゆっくりと目を閉じた。クラスのざわめきが、ぴたりと止まる。誰もが、彼女の突飛な行動に興味を惹かれている。

数秒の沈黙。やがて、彼女はぱっと目を開くと、一直線にある場所へと向かった。

それは、教室の隅に置かれた、女子生徒のカバンの山だった。

「え、ちょっと、千明?」

カバンの持ち主が戸惑いの声を上げるが、見附は「ごめん、ちょっとだけ!」と言うと、一つのトートバッグのサイドポケットに、躊躇なく手を差し入れた。そして、指先で何かをつまみ出す。

それは、ノートの切れ端だった。そこには、翼が言う通り、素人目にもやたらと上手いドラゴンのイラストが描かれていた。

「これじゃない?」

「うおおお! 俺のドラゴン! よくぞご無事で!」

翼は歓喜の声を上げ、見附からノートの切れ端を受け取ると、天に掲げて勝利の雄叫びを上げた。クラス中が、どっと笑いに包まれる。手品のような一連の流れに、皆が拍手を送っていた。

だが、俺だけは笑えなかった。

背筋に、冷たい汗が流れるのを感じていた。

なぜ、分かった?

翼がなくしたものが、女子のカバンの中にあるなんて、どうして推測できた?

偶然か? 洞察力?

いや、違う。あの時の見附の動きには、一切の迷いがなかった。まるで、そこに「それ」があると、最初から分かっていたかのような、確信に満ちた動き。駅前で、キーホルダーを拾った時と全く同じだ。

俺の脳内で、論理と理性が警鐘を鳴らす。

「あり得ない」「非科学的だ」「説明がつかない」

思考が、行き止まりの迷路に迷い込んでしまったようだった。

「千明、あんたまた……」

呆れたような、しかしどこか心配そうな声で、雨宮玲奈が見附の隣に立つ。「あまり目立つことはよしなさいって、いつも言ってるでしょ」

「えー、でも翼くん、すっごく困ってたし。見つかって良かったじゃん」

見附は、悪びれる様子もなく、へらりと笑った。

玲奈は、何かを知っている。

彼女の言葉の裏には、「お前のその特殊な能力を、人前で軽々しく使うな」というニュアンスが隠されているように聞こえた。

見附千明の謎は、ますます深まっていく。俺はその日から、以前にも増して、彼女の一挙手一投足から目が離せなくなっていた。

期末テスト期間に突入し、学校全体が静かな熱気に包まれていた。放課後の図書室は満席で、皆がカリカリとペンを走らせる音だけが響いている。俺もその一人として、分厚い参考書と向き合っていた。

集中力が途切れ、ふと筆箱に手を伸ばした時、俺は異変に気づいた。

ない。

いつも使っている、シャープペンシルが。

それは、どこにでもあるような、ごく普通の市販品だった。だが、俺にとっては、他のどんな高級なペンとも替えがたい、特別な一本だった。中学に上がる直前に、亡くなった祖母が買ってくれた、最後の贈り物。それが、俺の形見だった。

「……っ」

血の気が引くのが分かった。

冷静になれ、と自分に言い聞かせる。俺はまず、論理的に自分の行動を逆再生トレースすることから始めた。

今日、このペンを使ったのはいつだ? 最後の授業は現代文。その後、教室で少し自習をしてから、図書室に来た。その間、筆箱を開けた記憶はない。ということは、ペンは教室か、あるいはここに来るまでの廊下のどこかにあるはずだ。

俺は静かに席を立ち、図書室の司書に断りを入れて、自分のいた席の周りを調べ始めた。だが、ない。次に、教室へ戻った。放課後の教室は、夕暮れの赤い光が差し込み、がらんとしていた。自分の机の中、周り、ロッカー、考えられる場所を全て探したが、ペンはどこにも見当たらなかった。

焦りが、じわじわと心を侵食してくる。

あのペンは、俺にとって、ただの筆記用具ではなかった。祖母は、いつも俺の一番の理解者だった。俺がUFOや超能力の話をしても、他の大人のように馬鹿にしたりせず、「そう、すごいわね」と、優しく相槌を打ってくれた。その祖母がくれたペンは、俺が失ってしまった、あの頃の純粋な心を繋ぎとめる、最後の錨のようなものだった。

数日にわたり、俺は授業の合間や放課後を使って、必死にペンを探し続けた。だが、まるで神隠しにでも遭ったかのように、その手がかりすら掴めなかった。

もしかしたら、誰かが間違えて持っていったのかもしれない。あるいは、清掃の時に、ゴミと一緒に処分されてしまったのか。

最悪の可能性が、次々と頭をよぎる。

秩序立てていたはずの世界に、一つの「紛失」というバグが発生しただけで、俺の心はこんなにも乱れるのか。自分の脆さを、思い知らされた。

そんな俺の様子を、見附千明が遠巻きに見ていることに、俺は気づいていた。

彼女は、何か言いたげな顔でこちらを見ては、気まずそうに目を逸らす、という行動を繰り返していた。おそらく、俺が何か大事なものを探していることに、気づいているのだろう。

だが、俺の方から彼女に助けを求めることなど、できるはずがなかった。

それは、俺が今まで積み上げてきた「落田心一」という人間性を、自ら否定することに他ならなかったからだ。非科学的な力に頼るなど、過去の自分への裏切りだ。プライドが、頑なにそれを許さなかった。

テスト最終日の放課後。

俺は、もはや諦めの境地で、自分の机に突っ伏していた。答案は全て埋めたが、手応えなどどうでもよかった。心には、大きな穴が空いてしまったような、虚無感が広がっている。

「……落田くん」

不意に、頭上から声がした。

顔を上げると、見附千明が、心配そうな顔で俺の机の前に立っていた。

「何か、探し物?」

その、あまりにも単刀直入な言葉に、俺は息を呑んだ。

彼女の瞳は、真っ直ぐに俺の心を見透かしているかのようだった。

「……別に」

俺は、反射的にそう答えていた。だが、声は自分でも驚くほど、か細く震えていた。

見附は、俺の強がりを見抜いたように、少しだけ悲しそうに眉を寄せた。

「嘘。すごく大事なものをなくした顔、してるよ」

その言葉が、俺の心の最後の砦を、いとも簡単に打ち砕いた。

ああ、駄目だ。

もう、隠しきれない。

俺は、観念したように、深くため息をついた。

「……ペンを、なくしたんだ。シャープペンシルを」

「そっか。大事なやつ?」

「……祖母の、形見だ」

そう口にした途端、自分でも抑えきれないほどの感情がこみ上げてきた。俺は、慌てて俯く。

見附は、何も言わずに、ただ静かに俺の告白を聞いていた。

やがて、彼女は決心したように、顔を上げた。

「分かった。ちょっと待ってて」

そう言うと、彼女はくるりと背を向け、教室を出ていこうとした。

「おい、どこへ行くんだ」

「心当たりがあるの。大丈夫、きっと見つかるから」

根拠のない、しかし妙な説得力のある言葉を残して、彼女は廊下を走っていった。

一人残された教室で、俺は呆然と立ち尽くす。

心当たり? いったい、どこに。

俺はもう、学校中を探し尽くしたはずだ。

非科学的な期待と、論理的な諦めが、心の中でせめぎ合っていた。

どれくらいの時間が経っただろうか。十分か、あるいは三十分か。

夕暮れの光が、教室をオレンジ色に染め上げる頃、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。

息を切らして教室に飛び込んできたのは、見附だった。彼女の額には、玉のような汗が浮かんでいる。

「はぁ……はぁ……ごめん、遅くなって」

彼女は、俺の前に立つと、ぎゅっと握りしめていた右手を、ゆっくりと開いた。

その白い手のひらの上に、一本のシャープペンシルが乗っていた。

俺が、ずっと探していた、祖母の形見だった。

「これじゃないかな?」

見附は、少し不安そうに、俺の顔を覗き込んだ。

俺は、言葉を失っていた。声が出ない。ただ、彼女の手のひらと、その上にあるペンを、信じられないものを見るように、交互に見つめることしかできなかった。

「……どうして」

ようやく、絞り出すように声が出た。

「どうして、これが……。どこにあったんだ」

「用務員さんが、落とし物をまとめて保管してる箱があって。その中に、たくさんのペンが混ざってたんだけど……」

見附は、少しだけ言い淀んだ後、意を決したように、続けた。

「このペンだけ、すっごく強く光ってたから」

――ひかってた?

その単語が、俺の頭の中で何度も反響する。

光る? ペンが?

馬鹿な。あり得ない。物理的に、そんな現象が起こるはずがない。

だが、現実に、俺が血眼になって探しても見つからなかったペンが、今、ここにある。

疑いようのない「結果」が、目の前に突きつけられている。

俺が今まで信じてきた、論理と理性で構築された世界が、ガラガラと音を立てて崩壊していく。そして、その瓦礫の中から、全く新しい、理解不能な法則を持った世界が、姿を現そうとしていた。

俺は、震える手で、見附の手のひらからペンを受け取った。

ひんやりとした金属の感触。間違いない。俺のペンだ。

俺は、顔を上げた。目の前の少女を、初めて、本当の意味で見た気がした。

彼女は、変な奴だ。

非合理的で、非科学的で、俺の世界のルールから逸脱した存在だ。

だが、彼女は、俺が失くした、一番大切なものを見つけてくれた。

「……ありがとう」

俺は、ほとんど無意識に、そう呟いていた。

その日の夜、俺は自分の部屋で、机の引き出しの奥にしまい込んでいた古いスクラップブックを取り出していた。小学生の頃に作った、UFOや超常現象の記事を切り抜いた、手製のオカルトノートだ。

嘲笑されたあの日以来、一度も開いたことのない、封印された過去。

ページをめくると、子供じみた熱意が、インクの匂いと共によみがえってくる。

馬鹿にされるのが嫌で、傷つくのが怖くて、俺は「信じる」ことをやめた。

だが、今日、俺の目の前で起こった出来事は、どうだ?

あれを、どう説明すればいい?

見附千明は、言った。「光って見えた」と。

彼女の能力は、本物だ。

そう認めざるを得なかった。

だとしたら、俺が否定し、捨て去った、この「見えない世界」も、本当に存在するのかもしれない。

罪悪感と、好奇心。

千明を「変な奴」と決めつけ、心の中で馬鹿にしていたことへの、罪滅ぼし。

そして、この不可解な現象の謎を解き明かしたいという、かつて自分が持っていたはずの、純粋な探究心。

二つの感情が、俺の中で一つの結論を導き出していた。

翌日の放課後。俺は、教室で帰り支度をする見附の元へ向かった。

彼女は俺の姿を認めると、少しだけ驚いたように目を見開いた。

「昨日は、悪かったな」

俺がそう切り出すと、彼女はきょとんとした顔で首を傾げた。

「え? 何が?」

「いや……お前を、その……変な奴だと思ってた」

「あはは、よく言われるから気にしてないよ」

見附は、カラカラと明るく笑った。その屈託のなさに、俺は少しだけ毒気を抜かれる。

「一つ、聞かせろ。お前が言っていた『光』とは、何だ?」

俺は、本題に入った。

見附は、少しだけ周りを気にするように視線を泳がせた後、「ちょっと、場所を変えようか」と言った。

俺たちは、人気のない屋上へと続く階段の踊り場に移動した。西日が、窓から差し込んでいる。

「私が昨日言った『光』っていうのはね……」

見附は、少し照れくさそうに、しかし、はっきりと説明を始めた。

「物の持ち主の、『執着心』みたいなものが、光って見えるんだ」

執着心。

あまりにも曖昧で、非科学的な言葉。だが、今の俺には、それを否定する術がなかった。

「落とし物が、持ち主にとって大事なものであればあるほど、光は強くなる。落田くんのペンはね、今まで私が見た中でも、一番ってくらい、眩しい光を放ってたよ。だから、すぐに見つけられたの」

俺の、ペンへの執着。祖母への想い。それが、彼女には「光」として見えていたというのか。

「……面白い」

俺は、思わず呟いていた。

不気味で、理解不能だった現象が、「執着心の可視化」という仮説を与えられたことで、途端に知的好奇心の対象へと変わっていた。

「なあ、見附」

俺は、決意を固めて、彼女に向き直った。

「俺も、お前の『落とし物探し』に付き合う」

「え?」

見附は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、俺をまじまじと見つめた。

「なんで、急に?」

「お前を馬鹿にしてた罪滅ぼしだ。それと……その能力が、本物なのか、俺自身の目で見極めたい」

オカルトへの、歪んでしまった執着。もう一度、あの頃のように、純粋な気持ちで「信じたい」という願望が、俺の心を突き動かしていた。

俺の真剣な眼差しに、見附は何かを感じ取ったようだった。彼女は、しばらく黙って俺の顔を見ていたが、やがて、その表情が、ぱっと花が咲くように明るくなった。

「……仲間、だね!」

「は?」

「今まで、こういうの、一人でやってたから。なんだか、嬉しいな。よろしくね、落田くん!」

そう言って、彼女は太陽のような笑顔で、俺に右手を差し出した。

俺は、一瞬だけ躊躇った後、その手を、固く握り返した。

こうして、論理と理性を信奉する懐疑論者の俺と、執着心という名の光を見る不思議な能力者の彼女、という、水と油のような、奇妙な「落とし物探しバディ」が結成された。

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