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高1・1月:恋人たちの論理式と、心の光の飽和

第1部:新しい関係の、最初の日


長く、そして短かった冬休みが終わりを告げ、俺たちの高校一年生としての最後の学期が始まった。

十二月のあの聖なる夜。俺、落田心一と千明は、互いの気持ちを確かめ合い、特別な関係になった。

はずだった。


「……お、はよう」

始業式の朝。教室で顔を合わせた俺が何とか絞り出した挨拶は、自分でも驚くほどぎこちなく、そして上ずっていた。

「……お、おはよ」

千明もまた、俺からさっと視線を逸らし、顔を真っ赤にして俯いてしまう。

そのあまりにも分かりやすい反応。俺たちの周りにいたクラスメイトたちが、にやにやと意味ありげな視線を交わしているのが肌で感じられた。


何なんだ、この空気は。

告白以前よりも遥かに気まずい。

俺たちは晴れて「恋人」という関係になったはずだ。ならばもっと堂々としていればいいものを。

頭では分かっている。分かっているが、体が、心が、言うことを聞かない。

彼女の顔をまともに見ることができない。どんな顔で、どんな声で彼女と話をすればいいのか全く分からない。

俺の論理的な思考は、この「恋人」という未知の関係性をどう処理していいのか、完全にフリーズしてしまっていた。

頭の中では、もう彼女のことを「千明」と呼んでいる。だが、それを声に出すことは、物理法則を捻じ曲げるよりも、難しく感じられた。


「……あんたたちねえ」

昼休み。そんな俺たちの惨状を見かねて、救いの神(あるいは、お節介の悪魔)が降臨した。

雨宮玲奈だ。

彼女は俺と千明を半ば強制的に、人気のない屋上へと連行した。


「あんたたち、付き合い始めたんでしょ。クリスマスイブに告白したって、この千明から全部聞いたわよ。なのに何? なんで前よりぎこちなくなってるわけ?」

玲奈は仁王立ちで腕を組み、心底呆れたという顔で俺たちを見下ろしている。

「……そ、それは……」

千明が蚊の鳴くような声で何かを言いかけるが言葉にならない。


俺は自分の混乱を正直に打ち明けるしかなかった。

「……どう接すればいいのか、分からないんだ」

「はあ?」

「俺たちは今まで『落とし物探しのバディ』だった。そこには明確な役割分担と目的があった。だが『恋人』にはそれがない。明確な定義も説明書もない。だから俺は……」

「……はいはい、もういいわ分かったから」


玲奈はこめかみをぐりぐりと押さえながら、深々とため息をついた。

「いい、心一。あんたのその理屈っぽい頭は一旦冷凍庫にでもしまっておきなさい。そして千明。あんたもあんたよ。何をそんなにオドオドしてるの」


玲奈は千明の方へと向き直った。

「あんたはあいつのどこが好きなのよ」

「えっ!? な、なんで急にそんな……!」

「いいから答えなさい」

玲奈の有無を言わさぬ迫力に、千明はたじたじになりながらも、観念したようにぽつりぽつりと語り始めた。


「……理屈っぽいところも、面倒くさいところも……。でも、誰よりも優しくて……。私が困ってるといつも助けてくれて……。あと、時々見せる笑顔が、すごく……」

そこまで言って彼女は、自分の言葉に羞恥心が追いついたのか、顔を両手で覆ってうずくまってしまった。


玲奈はそんな彼女の頭を優しく撫でながら、俺の方を見た。

「……だそうよ。分かった? あんたはあんたのままでいればいいのよ。変に格好つけようとか『恋人らしく』しようとか思うからおかしくなるの。今まで通りあいつの羅針盤でいてあげなさいよ。ただ……」

彼女はそこで意地の悪い笑みを浮かべた。

「……たまには名前で呼んでやるとか、『好き』くらいちゃんと言葉にして安心させてあげなさいよね。この朴念仁」


玲奈のあまりにも的確なアドバイス。それは混乱していた俺の頭を少しだけクリアにしてくれた。

今まで通り、か。

だが、それが一番難しい。なぜなら俺たちの関係には決定的な変化が訪れてしまっていたからだ。それは千明だけが知覚できる、光の変化だった。


その日の放課後、俺たちは久しぶりに「落とし物探し」に出かけた。

以前の心地よい関係に戻るための、リハビリのようなものだった。

だが、その試みは早々に暗礁に乗り上げた。


「……あ、光ってる。あそこのベンチの下」

千明が指差す方へ俺たちは向かう。落ちていたのは大学生が落としたであろう英語のテキストだった。

「どうする。大学に連絡するか?」

俺が尋ねると、千明はどこか上の空で答えた。

「……う、うん。そうだね……」


彼女の様子が明らかにおかしい。視線が定まっていない。俺の顔と自分の足元を交互に見るように、落ち着きなく動いている。

「……どうした。気分でも悪いのか」

「う、ううん! 何でもない! 大丈夫!」


彼女は大げさに首を横に振るが、その頬は真っ赤に染まっている。

俺はいぶかしく思いながらも、テキストの奥付に書かれていた大学の連絡先に電話をかけた。

その電話中も彼女はそわそわと落ち着かない様子で、俺の周りをうろついている。


電話を終え、大学の事務室に届けることになったと伝えると、彼女は「そっか!」と短く答えたきり、また黙り込んでしまった。

明らかに何かがおかしい。以前の俺たちならここから落とし主の人物像について推理を戦わせたり、光の性質について議論したり、そんな軽快なやり取りがあったはずだ。

だが今の俺たちの間には、ぎこちない沈黙が流れるだけだった。


俺はまだ知らない。その時の彼女の目に何が映っていたのかを。

そしてその新しい光の奔流が、彼女をどれだけ混乱させていたのかを。


第2部:飽和する心の光


千明の世界は光で溢れていた。

いや、正確に言うと「落田心一」という一つの巨大な光源によって飽和状態に陥っていた。

あの日、クリスマスイブの夜に自分の恋心をはっきりと自覚して以来、彼女のその特殊な能力は暴走と呼んでもいいほどの変容を遂げていた。


(……ま、眩しい……)


それが今の彼女の正直な感想だった。

隣を歩く落田心一。彼の心臓のあたりから放たれる光が、あまりにも強くそして温かすぎて、彼女はまともに彼のことを直視できなくなっていた。

それはもう「光が見える」というより、「光に焼かれる」と言った方が近い感覚だった。


彼が何気なくこちらを見る。その瞬間、彼の胸にあの夏祭りの夜に見たのと同じ、穏やかで優しい愛情の光がふわりと灯る。

それだけで千明の心臓は飛び跳ね、顔から火が出るほど熱くなった。


彼が授業中に教師の鋭い質問に的確に答える。すると彼の胸に、あの青みがかった金色の知的好奇心の光がキランと閃く。

その眩しさに千明は思わず目を細めた。


彼がクラスメイトの男子とくだらない話で笑い合う。すると光は穏やかに揺らめく。

だがその男子が千明に声をかけた瞬間、彼の光がほんの少しだけチリっと鋭さを増すのを彼女は見逃さなかった。

(……もしかして今のって……嫉妬の光……?)

その発見は彼女を羞恥と喜びで悶えさせた。


そして何よりも彼女を混乱させていたのは、彼の光に呼応するように、彼女自身の胸のあたりもまた常に熱を帯び、光を放っているという感覚だった。

彼を見つめるだけで自分の心臓がぽっとピンク色に輝き出すのが分かる。彼と話すだけで光がキラキラと溢れ出すのが分かる。

それは自分の感情がすべて彼に筒抜けになっているような、圧倒的な羞恥心と無防備さを彼女にもたらした。


この能力は、恋をするにはあまりにも不便すぎる。

千明は心の底からそう思った。

感情の情報量が多すぎるのだ。

普通の恋人たちが言葉や態度で探り合う心の機微。その答えが彼女には常に「光」というダイレクトな形で突きつけられてしまう。それは甘美であると同時に、息が詰まるほどの過剰な情報だった。


この前の英語のテキストを見つけた時もそうだった。

彼女の目はテキストから放たれる穏やかな光と同時に、隣で電話をかける心一の胸に灯る愛情の光を捉えていた。

二つの光源が彼女の視界の中で混じり合い飽和し、正常な判断を狂わせる。


「なんだか最近、落田くんの光が強すぎて……。他の落とし物の光がよく見えない時があるの」


後日、思い切ってそう訴えたのは彼女の偽らざる本心だった。

だがその言葉が彼をどれだけ追い詰めることになるのか、彼女はまだ知らなかった。

彼女はただこの制御不能な恋心と、それに伴う能力の暴走に一人戸惑い、溺れかけていた。


第3部:失恋の論理式


千明のその言葉は、俺の頭に深く突き刺さった。

『落田くんの光が強すぎて、他の光がよく見えない』

俺は自室のベッドに寝転がり、その言葉を何度も反芻していた。

彼女は苦しんでいる。俺の存在が、彼女の能力の妨げになっている。

それは、紛れもない事実だ。

では、どうすればいい?

俺のこの感情は、クリスマスイブの夜、俺自身が「最も論理的な理由」だと結論づけたものだ。今更それを捨てることなどできない。

だが、このままでは彼女を苦しめ続けることになる。

俺の論理的な思考が、このジレンマに対する最適解を導き出そうと、猛烈な勢いで回転を始めた。


そして、俺は一つの結論に達した。

俺の存在そのものがノイズなのではない。俺から発せられる『愛情の光』、つまり俺の感情表現が、彼女のセンサーを飽和させているのだ。

ならば、解決策は単純だ。

俺が彼女に対する感情表現を、意識的に抑制すればいい。

俺の心の光を、論理という名の蓋で、覆い隠せばいいのだ。

そうすれば彼女は、俺の存在に惑わされることなく、これまで通り能力を使いこなせるはずだ。俺は彼女の隣にいる『羅針盤』としての役割を全うできる。

それは、彼女を想うからこその、配慮。彼女のための、優しさ。

完璧な論理式だ。

俺は、自分の導き出したその答えに満足していた。

その論理が、いかに人の心を無視した、致命的な欠陥を抱えているかに全く気づかないまま。


俺の、その冷たい実験は、次の日から始まった。

俺は意識的に、千明との間に距離を取るようになった。

教室で目が合っても、すぐに逸らす。

彼女が話しかけてきても、必要最低限の事務的な返事しかしない。

放課後「落とし物探し」に誘われても、「今日は、やることがある」と、理由をつけて断った。


俺は、自分の行動が彼女のためになっていると信じていた。

俺は、自分が正しいことをしていると、信じて疑わなかった。

だが、千明の目にそれがどう映っていたのか。

俺は、知る由もなかった。


千明は、絶望していた。

落田心一が、変わってしまった。

クリスマスイブのあの夜。互いの気持ちを、確かめ合った、あの夢のような瞬間。

あれはすべて幻だったのだろうか。

彼のあの熱烈な告白は、嘘だったのだろうか。


彼の態度が日に日に冷たくなっていく。

目が合っても、すぐに逸らされる。

話しかけても、上の空。

そして、何よりも彼女を絶望させていたのは、

彼女にしか見えない、彼の心の光の変化だった。


彼が自分を避けるたびに、

彼が冷たい言葉を、にするたびに、

彼の胸に灯っていた、あの温かく、優しい愛情の光がふっと、力を失い弱々しくなっていくのが見えた。

彼が自らその光を、心の奥底へと押し殺しているのが痛いほど分かった。

なぜ?

どうして?

私の、せい?

私が、あの時、「光が眩しすぎる」なんて我儘を言ったから?


彼女の心は、混乱と自己嫌悪でぐちゃぐちゃになっていた。

その混乱は、やがて一つの、恐ろしい結論へと収束していく。

翼くんの時と同じだ。

心が砕ける前は、きっと、こうやって光が弱くなっていくんだ。

落田くんの、私への気持ちが、今まさに消えかけているんだ。

その、恐怖。

翼の心が砕け散る、あの光景がフラッシュバックする。

あの、すべてを吸い込む虚無のブラックホール。

あれが今、彼の心の中にも生まれようとしている。

そしていずれ、私の心も同じように……。


その負のスパイラルは、もう誰にも止められなかった。

 

俺たちの関係は、完全に「停滞」していた。

温かい陽だまりのような時間は終わりを告げ、冷たく息苦しい冬の時代が訪れていた。

雪がちらつき始めた、一月の終わりの日。

その凍りついた関係は、ついに限界点を迎えそして砕け散った。


その日の放課後。

俺は一人、教室で本を読んでいた。

教室にはもう、誰もいない。

静寂の中、不意に教室の後ろの扉が開き、千明が入ってきた。

彼女は、俺の机の前まで歩いてくると、何も言わずにただそこに立った。

その顔は、俯いていて、見えない。


「……何か、用か?」

俺は、本から、目を離さずに、尋ねた。

これも、俺の「実験」の一環だった。

感情を見せない、という。


だが彼女は答えなかった。

代わりに、ぽつり、ぽつりと、床に小さな染みができていく。

彼女が泣いていることに、俺はようやく気づいた。


「……おい」

俺が顔を上げると、彼女は決壊したダムのように嗚咽を漏らしていた。

その涙の理由を、俺はまだ理解できずにいた。

俺の、完璧なはずの論理式が予測できなかったエラー。


やがて、彼女は涙でぐしゃぐしゃの顔を上げて、俺を見つめた。

そして、この世界で、俺が最も聞きたくなかった言葉を、口にした。

その声は、震えていた。


「……落田くんは……」

「……もう、私のこと、好きじゃ、なくなっちゃったの?」


その問い。

それは鋭いガラスの破片となって、俺の胸に深く突き刺さった。

俺の作り上げた完璧なはずの論理の世界が、ガラガラと音を立てて、崩壊していく。

違う。

そうじゃない。

俺は、お前のためを、思って。

お前を、守るために。

俺の口から出たのは、そんな言い訳ではなくただ呆然とした呟きだけだった。


「……なぜ、そう思う」


その問いが、どれだけ彼女を深く傷つけたか。

この時の俺は、まだ知る由もなかった。

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