第七話 戦女神と荷物持ち
~前回のあらすじ~
ミアから神殿に関する衝撃の情報を聞いたが、真偽がわからない。
ゴブリンに対する講義を受けて、買い物も済ませて準備万端。
朝。宿で軽く朝食を摂った俺達は水筒にそれぞれ好きな飲物を詰めてもらい、ゴブリン退治に出発した。
前を歩くミアは例のデカい剣を背中に背負うことができるハーネスのようなものを付けている。
鎧は着けておらず、薄い革でできた軽装備だ。短めのスカートが揺れるのを見てドキドキしてしまう。
鎧などの荷物はギルドで借りてきたカートのようなものに入れてミオが引っ張っている。
まるで犬の散歩でもしているような感じだ。
彼女は見るからに非力だが、マナの力でこのカートを軽く動かしているんだそうだ。
マナ……マジでうらやましい。
俺はなんとなく前を歩くミアの大剣を眺めていた。
黒っぽい鉄っぽい見た目のその両刃の刀身は、中央に溝があり、よく見るとなにか文字が書かれているように見える。
ただのデカい鉄の塊に思えていたが、意外とかっこよく見えてきた。
目的地は街道を西に1時間ほど歩き、そこから北方向に細い道を進む。
拠点の街『グラントール』から大体北西方向にある小さな村の近くだった。
村はずれにある洞窟という話だったが、思っていたよりも村に近く、村はずれとの境界を主張している質素な門から10分程度しか離れていなかった。
村長に話を聞くと、人の被害は怪我人が数人くらいだが、家畜がかなりやられたとのこと。
「もう半分以上やられてしまった。もっと早くギルドに頼むべきだったよ……」
40代くらいに見える村長は、疲労と悔しさを滲ませた表情で話してくれた。
「あいつらは夜になると襲ってくる。小さい体がかえって見つけにくくて……手をこまねいているうちに群れの数が増えちまって……」
村でなんとかしようにも、もはや退治に行く村人のほうが襲われてしまうとのこと。
「群れの大きさはよくわからないが……少なくとも20はいる。気を付けて……よろしく頼むよ。」
俺達は村長宅の一室を借りて準備をした。
ミアが鎧を着けて、ミオがローブを纏う。
戦力外と思われる俺は、肩にロープを掛け、リュックサックにくさ玉用の箱や、リオの香袋、ポーション、食料などを入れて荷物持ちだ。
情けない気もするが仕方ない。
慣れた手つきで籠手を着け、ぐっと手を握り込みながらミアが話してくれる。
「こういう小さい村ではギルドに依頼するのも難しいのよ。決して安くないからね。」
ギルドの方も命がけの仕事に安い値段はつけられないのだろう。難しい問題だ。
この世界の住民たちが苦労している現実を見て、改めて『ゴブリン退治』に持っていたイメージとのギャップ、本当に危険な相手であることを実感した俺は、ケツのポケットに入れたスタンガンを確かめ、肩のロープを掴む手にぐっと力を入れた。
支度を済ませて村長宅から出てくると、何人かの村人が俺達を見送ってくれた。
中には手を合わせている人もいる。
村長も鎧を着たミアを見て少し安心したようだ。
まるで戦女神といった風情のミアをよそに、ミオが元気に宣言する。
「任せておいて!必ず追い払ってくるわ!」
ミオの可愛らしさはさっきまで現実の厳しさに落ちていた気分を盛り上げてくれる。
村から村長の情報通りに歩いていくと、ゴブリンがいつも通っている痕跡がたくさん現れてきた。
足跡、食い散らかした骨、意味不明だが、明らかに並べられているであろう木の枝。
ミア曰く、
「ゴブリンの方はもう村に危険を感じていないのかも。かなり村の周囲を無警戒にウロウロしている感じだわ。」
「もう少し遅かったら家畜だけじゃなくて、本格的に村の人達も襲われていたかも。」
ミオもかなり危険な状態だと分析する。
「もうすぐ巣穴ね。いつ出てきてもおかしくないわ。気をつけてね。」
ゴブリン……いよいよ見ることができるのか。
そのとき、獣道のようなルートの少しだけ脇に、キラリとなにかが光った。
村から盗まれた大切なものかも。
俺は、出発する俺達を見送ってくれた村の人達を思い出していた。
なにが光ったのか確かめようと一歩脇に踏み出した瞬間……
『ズボッ』
急に俺の体は重力を失った。
『ドボンッ』
そして何かの中に落ちた。
「クセェ……!」
穴の中はまさに鼻が曲がりそうな悪臭だった。
慌てて立ち上がると、穴はそれほど深くはなく、腰より少し深い程度だった。
俺はその穴の中で、汚物や腐ったなにかの貯められた底に尻餅をついたのだ。
やっと状況を理解しかけた俺の耳に不快な声が響く。
「グゲゲゲ……キーキー……」
声のする方を見ると、小さな体に緑色の肌、吊り上がった目、長い鼻と耳、そして口からは鋭い歯が覗いている。
数匹のゴブリンたちが明らかに俺を見て笑っている。
あいつらがこの最低な罠を仕掛けたのだ。
俺とファンタジー生物との最初の出会いは最悪だった。
ミアとミオが駆け寄ってくる。
「だいじょうぶ?怪我は?」
ミアがあまりにも情けない俺を心配してくれる。
「怪我はだいじょうぶそうだ……悪い、引っかかっちまった……」
役に立たないどころか足を引っ張ってしまった。最悪だ。
「くっさいわね!香袋も一緒に落ちちゃったら意味ないじゃない。あははっ!」
なんとミオは俺を指さして爆笑していた。
「ま、まぁ怪我がなかったならよかったわ。自分で上がれる?」
ミアは苦笑いで俺を気遣ってくれるが、あまり手を貸したくないらしい。
それはそうか。大切にしている装備にニオイがつくのはさすがにためらわれるのだろう。
自力で穴から這い出た俺は、爆笑しているミオに聞いてみた。
「おい、マナでなんとかならないのか?このニオイ。」
するとミオは呆れた顔で、
「そんなことができるなら香袋なんて持ってこないわよ。」
それはたしかに。
それでも、ミオに笑われたおかげで、かえって惨めな気持ちが楽になった。なんとも不思議な子だ。
「次は絶対に油断しない。」
たった一歩道を逸れただけだった。それでこのざまだ。
もしも穴の中に槍状のものでも仕掛けられたりしていたら……俺のファンタジーはここで終わっていたかもしれない。
俺は異世界の厳しさを思い知らされた。
当面臭いのはどうにもならないとしても、大切なものの無事を確かめる必要がある。
リュックの中身……くさ玉用の箱、水筒は無事だった。といっても、水筒は飲む気にならないけど……
香袋も無事ではあったがミオに渡そうとしても拒否された。
ケツに入れていたスタンガンは……見た感じは無事だが、使える回数にも限りがあり、試しに撃ってみるわけにもいかない。
無事であることを祈るしかない。
背の高い草の間を歩いていくと、目の前に洞窟が現れた。
想像していたよりもちゃんと洞窟だった。普通に人間が入れるし、なんなら3人並んで入れる。
『ゴブリンの巣』と聞いて、勝手に小さいものだと思い込んでいた。
「ゴブリンは見えないけど、さっき笑っていた個体が仲間に教えているだろうから、油断しないで。」
もう絶対に油断しない。絶対にだ。
二人が洞窟を警戒しているのを見て、俺は後ろに注意を払うことにして振り返った。
そのとき、
『ガチャリ』
突然メカニカルな音がした。
ミアが大剣を背中から抜いたのだ。鞘に収まっているのではなく、剣の先端が入るホルダー部分と、剣の根本を掴むように動く機構で、大きな剣を自然に取り出せるようになっている。
男の子はこういうギミックに弱い。
ゆっくり洞窟に近づくと、ミオが手のひらに光の玉を作り出す。
それを洞窟の中にゆっくりと飛ばす。
光の玉が洞窟の中を照らすと、中から『ギャーギャー』と、さっき聞いた不快な声が聞こえてきた。
その声からは警戒と興奮が伝わってくる。
ミアが大剣を手に洞窟の中へと踏み込んでいく。
「ミオから離れないでね。」
俺は言われた通り、ミオの後ろについていく。
ときどきチラチラと後ろを振り返りながら。
前の方で『ブンッ』と音がする。
続いて『ゲッ』という声。なにかが潰れる音。
ミアが剣を一振りしたのだ。
続いてミオが光の玉を奥に飛ばしていく。2つ、3つ、4つ。
洞窟の中があっという間に明るくなる。
そして、先程ミアの剣に吹き飛ばされた憐れなゴブリンが、壁の赤いシミになっているのが見えた。
ミアは時折剣を振りながら、洞窟の中をずんずん進んでいく。
ミオは今回、明かりを灯す役割のようだ。
洞窟の構造は単純で、少し右方向に湾曲した一本道だった。
そしてあっという間にくさ玉の回収が終わった。
この姉妹にとって今回の任務は造作もないものだったのだ。たとえ100匹のゴブリンでも、ミアにとっては物の数ではないだろう。
彼女たちが常に気にしていたのは俺の安全だった。
それでも足を引っ張ってしまったことに、俺はさすがに凹んでいた。
「干し肉を一切れもらえる?」
ミアがそう言いながら、洞窟の脇の花を摘む。
激しくマナを使ったからお腹が空いたんだろうか?
そのへんの事情がよくわからない俺は、言われた通り、リュックから干し肉を出してミアに渡す。
ミアは洞窟の前に花と干し肉を供え、手を合わせた。
「活動範囲がぶつかれば戦わざるをえないけど、彼らも必死に生きているだけだから。」
俺の初めてのクエストが終わった。