9 登校
翌朝、ビアンカは目を覚ますと一人で制服に着替え、他の使用人達と朝食を取った。
玄関に向かうと既に馬車が待機していた。
「ビアンカ、遅いぞ! 何をやっていたんだ!」
父親の叱責が飛んできてビアンカは思わず身を竦める。
「さっさと乗らないか!」
拳を振り上げる父親から逃れるようにビアンカは馬車に乗り込んだ。
馬車には既にミゲルとデボラが座っていて、ビアンカを見てニヤニヤと笑っている。
ビアンカが二人の向かいに腰を下ろすと、馬車の扉が閉められ、ゆっくりと走り出した。
二人は既に入学手続きは済ませていて、ミゲルは二学年上のクラス、デボラはビアンカと同じクラスだという。
屋敷を出発した馬車は程なくして学校に到着した。
御者が開けてくれた扉から真っ先にミゲルが降り立つ。
デボラに続いて馬車を降りたビアンカの腕にデボラが抱きついてきた。
「お姉様と一緒に学校に通えるなんて嬉しいわ」
周りの人間に聞こえるような声を上げたデボラはそのままビアンカの耳に口を寄せてきた。
「余計な事は言わないほうが身のためよ」
そう小声で告げるとニヤリと毒のある笑みを浮かべた。
ビアンカはギュッと唇を噛みしめると小さく頷いた。
まだ実際にされた事は無いが、父親は時々鞭を持ってビアンカの行動を監視していた。
あの鞭で叩かれるなんて想像もしたくない。
デボラに腕を取られたまま教室に向かっていると、クラスメイトが声をかけてきた。
「おはよう、ビアンカ。そちらの方はどなた?」
「おはよう、バネッサ。こちらは…」
「はじめまして、デボラです。今日からお姉様と一緒に学校に通う事になりました。よろしくお願いします」
ビアンカが答えるのをデボラが遮った。
その勢いに押されたのかバネッサが少したじろいでみせる。
「ビアンカがお姉様? …あ」
ビアンカの父親が愛人と別邸に住んでいた事は、大抵の貴族達は知っていたから、その子女達も当然聞き及んでいた。
陰で噂話はしていても、直接本人には何も言ってこない。
バネッサもそれを思い出したのだろう。
「デボラさんね。バネッサよ、これからよろしくね」
当たり障りのない挨拶を交わすと、そのまま三人で教室に向かった。
ミゲルは既に自分の教室に向かったらしく、とうに姿はなかった。
ビアンカ達が教室に入ると、デボラの姿を不思議そうに見てくる生徒もいた。
ビアンカが自分の席に向かうとデボラはその脇に立った。
どうやらどの席に座るのか決まっていないようだ。
どうすべきかとビアンカが思案していると、担任教師が教室に入ってきた。
「デボラ・マドリガル君だね? 君の席はこちらだよ」
担任教師が一番後方の席を指さすと、デボラは両手を胸の前で組んで、ウルウルとした目で見上げた。
「先生、私はお姉様の隣の席がいいんです。変えてもらえませんか?」
他の人から見れば、慣れない環境で心細いのだと思われるに違いない。
けれど、ビアンカにはデボラが自分を監視するために隣に座りたいのだと悟った。
実際、担任教師もそう思ったようだ。
「そうか、そうだよな。よろしい! それじゃ、ビアンカ君とデボラ君はこちらの席に座りなさい」
担任教師の鶴の一声で、ビアンカはデボラと隣同士で座る事になってしまった。
こんなふうにこれから先も何かと理由をつけて、ビアンカと行動を共にするつもりなのだろう。
こうしてデボラに見張られながらの学校生活が始まった。
デボラは休憩時間のトイレにもビアンカの後を付いてきた。
お昼休憩にはミゲルまで合流してきた。
ビアンカはお昼休憩はカルロスと一緒に取っていたのだが、そこに二人は割り込んできたのだ。
カルロスがいる食堂にビアンカがミゲルとデボラを伴って現れた時は少々驚かれたが、それだけ仲が良いと思われたようだ。
カルロスはミゲルと気が合ったらしく、楽しそうに話をしていた。
ビアンカも家での扱いはともかく、学校ではそれなりに仲良くやれていたので、それを受け入れていた。
そうして、ビアンカは学校に通いながら休みの日はメイドとして働くという生活を続けていった。
父親や義母達に逆らわなければ、特に虐待を受けるわけでもなかった。
そんな日々もある日突然、終わりを告げる事になる。