8 来客
翌日からビアンカはメイドのお仕着せを着せられて、メイドとして働く事になった。
とはいえ、他のメイドの後について、仕事を教えて貰うだけの事だが、今まで世話をされてきた側から世話をする側に変わり、戸惑う事ばかりだった。
ハンナはあのままデボラ専属のメイドにされ、ビアンカと顔を合わせるのは夜に仕事が終わってからになった。
「ビアンカ様、お疲れではありませんか?」
一日中、メイドとして立ち働いて疲れた顔でベッドに腰を下ろすビアンカをハンナが気遣う。
「大丈夫よ。慣れない立ち仕事に足が疲れただけだから…。それにみんなの中では私が一番若いんだから、疲れたなんて言えないわ」
「そんな事はありません。今までの生活とは一変したのですから疲れて当たり前です。旦那様もご自分の娘であるビアンカ様にこんな仕打ちをなさるなんて…」
ハンナはそう憤っているが、ビアンカはそれは当然だと思っていた。
ビアンカ自身、ダリオを父親だと認識していないのだから、ダリオが自分を娘だと認識していなくても何の不思議もない。
伯爵家としての体裁上、ビアンカを屋敷に置いているだけで、それがなければとっくに追い出されているに違いない。
まだ掃除婦や洗濯婦などの下働きをさせられないだけマシなのだろう。
メイドの見習いを始めて一週間がたち、明日から学校へ行くという前の日の朝の事だった。
いつものようにメイド服に着替えようとしたビアンカの所へ、ハンナがドレスを持って現れた。
「ハンナ、どうしたの? そのドレスは何?」
「ビアンカ様、急いでこのドレスにお着替えください。間もなくカルロス様がいらっしゃるそうです」
「え? カルロス様が?」
久しぶりに聞くカルロスの名前にビアンカの心は躍った。
(こっそりカルロス様に今の私の状況を訴えれば、何とかしてもらえるかしら?)
そんな淡い期待を抱きながら、ビアンカはハンナに手伝ってもらい、ドレスに着替えて髪を整えてもらった。
部屋を出て使用人棟から屋敷に入るとそのまま応接室へと案内された。
開けられた扉から中に入ると、そこには既に父親と義母、ミゲルとデボラが座っていた。
「遅かったじゃないか。そんな所に突っ立っていないでさっさと座れ」
父親に座るように指示された席は、ソファーに座る父親と義母の間だった。
二人に挟まれる形になり、ビアンカは居心地の悪さを感じていた。
「いいか、これからカルロス様が来られる。余計な事は口にするなよ。わかったな?」
父親に脅され、ビアンカは頷くしかなかった。
その顔と口調には有無を言わさぬ響きがあった。
隣に座る義母にチラリと目をやり、ビアンカは悲しくなった。
義母が着ているドレスはビアンカの母親の物だったが、胸元を強調するようなデザインに作り替えられていた。
そしてその首元にはやはり母親の物だった首飾りがキラキラと輝いている。
斜め横に座るデボラが着ているドレスは、ビアンカのクローゼットに入っていた物だ。
そしてその首にかかっているネックレスも…。
それらを見てビアンカが項垂れていると、マルセロがカルロスを案内して来た。
真っ先に父親が立ち上がり、カルロスを出迎える。
「カルロス様。先日は葬儀にご出席いただきありがとうございました。さあ、どうぞお座りください」
カルロスは応接室にビアンカ以外の人物がいるのに少し驚いたようだったが、すぐに笑顔を浮かべて挨拶を返した。
「皆様もお変わりないようで安心しました。ビアンカ、元気そうだね」
カルロスに声をかけられ、ビアンカが返事をしようとした時、左足の太ももに手を置かれた事に気付いた。
『余計な事は言うな』という義母からの圧力だった。
「はい、カルロス様。この通り元気で過ごしておりますわ」
当たり障りのない返事をすると、太ももに置かれた手がスッと引かれた。
「それで、マドリガル伯爵。こちらの方々は?」
カルロスが尋ねると父親は大げさな声を張り上げる。
「これはこれは。私とした事が、紹介が遅れて申し訳ございません。私の妻のパメラと息子のミゲル、娘のデボラです。今までビアンカに寂しい思いをさせてきましたが、これからは家族仲良く過ごすつもりです。子供達は明日からビアンカと共に学校に行かせますので、どうか仲良くしてやってください」
それを聞いてカルロスが目線でビアンカに問いかけてくるが、ビアンカはただ笑みを浮かべる事しか出来なかった。
またしてもパメラの手がビアンカの足を触ってきたからだ。
「カルロス様。ビアンカお姉様はとてもお優しいんですよ。こうしてご自分のドレスを貸してくださり、ネックレスもかけてくださったんですの」
デボラが身を乗り出すようにカルロスに話しかけ、仲良しをアピールしている。
それを聞いてカルロスが満足そうに頷いた。
「そうなんですね。皆様と仲良くやれているのなら、それに越した事はありません。どうかビアンカをお願いします」
ビアンカは今すぐにでも『違います!』と叫びたかったけれど、パメラの手が痛いほど太ももに食い込んできて何も言えなかった。
カルロスが帰った途端、それまでの鬱憤を晴らすような叱責がビアンカに飛んできた。
「まったく、面倒だな。今後はカルロス様とは二人きりで会わないようにな」
「さっさとドレスを着替えていらっしゃい。今日の仕事はまだ終わってないのよ」
義母に急き立てられ、ビアンカはメイドのお仕着せに着替えると、いつもの日常に戻っていった。