60 救いの手
カルロスの手はビアンカの肩を掴んだまま離そうとしない。
「い、痛い…」
ビアンカがカルロスの手を払いのけようとしても、びくともしない。
おまけにもう片方の手はグラスで塞がっているため、どうしようも出来ない。
「お前と婚約破棄をしてデボラと婚約をしたのに、デボラは実は平民だから結婚は出来ないと知らされた。おかげで私はまた婚約者を探さなくてはいけない。おまけにお前の事件はデボラ達による狂言だと? 本当は私と婚約破棄をするためにお前が仕組んだ事なんじゃないのか!?」
カルロスの怒鳴り声に周りにいる子息や令嬢が何事かとこちらを伺っている。
ビアンカとカルロスが婚約者同士だった事に気付いてヒソヒソと言葉を交わしている人達もいる。
「私は何も知りません! すべてはお父様達がやった事です!」
ビアンカは思い切りカルロスの手から身を引いた。
だが、その弾みで持っていたグラスが手から滑り落ちた。
中の液体はぶち撒けられドレスに大きな染みを作り、グラスは床に落ちて粉々に砕け散る。
ガシャン!
大きな音が会場内に鳴り響き、しんと辺りが静まり返る。
「フン! お前には汚れたドレスがお似合いだよ。さっさとここから出て行け!」
カルロスは振りかぶった手でビアンカを叩こうとする。
(叩かれる!)
ビアンカは目を瞑り身を縮こまらせたが、何も起きない。
恐る恐る目を開けるとアベラルド王太子がカルロスの腕を掴んでいた。
「誰だ! 手を離せ!」
カルロスは怒鳴りながら後ろを振り返り、誰が自分の腕を掴んでいるのかを知ってギョッとする。
「あ、アベラルド様…」
カルロスの腕から力が抜けたのをみてアベラルド王太子は手を離した。
「せっかくのパーティーの席で何をやっているのかな?」
冷ややかなアベラルド王太子の言葉にカルロスはウロウロと視線を彷徨わせる。
「こ、これはその…」
カルロスが言い淀んでいると、いつの間にかアベラルド王太子の側に来ていたレオナルドがニヤリと笑った。
「そういえば学生時代、君はビアンカ嬢のいないところでよく零してたな。『ビアンカよりもデボラの方が胸がデカくて私の好みなのに』なんてね」
そんな話を暴露されてカルロスは顔を赤くして俯いてしまっている。
「…く… し、失礼します…」
カルロスは顔を伏せたまま足早にアベラルド王太子の脇をすり抜けて去っていく。
レオナルドはその後ろ姿を目で追って、やれやれとばかりに肩を竦める。
「ビアンカ嬢、大丈夫ですか? 何処かお怪我は?」
アベラルド王太子が心配そうにビアンカに尋ねる。
「大丈夫ですわ。それよりもグラスを割ってしまって申し訳ありません」
ビアンカが砕け散ったグラスに視線を落とす。
そのグラスはメイドがさっと箒で掻き集め、ちりとりで取っていた。
その手際の良さにビアンカは思わず感心してしまう。
「それよりもドレスが汚れてしまいましたね。レオナルド」
アベラルド王太子がレオナルドに呼びかけると、レオナルドがビアンカへと近付いて来た。
「ビアンカ嬢、失礼します」
レオナルドの手がドレスの染みにかざされると、フッと染みが消えて何処にあったのかすらわからなくなった。
「あ、ありがとうございます」
そこに来てようやくビアンカはレオナルドも魔法が得意な事を思い出した。
染みが消えたドレスを見てホッとしているビアンカの手を誰かの手が掴んだ。
ビアンカがそちらに視線を移すと、クラウディアと目が合った。
「あちらでちょっとお話したいのだけれど良いかしら?」
とても断れるような雰囲気ではない物言いにビアンカが戸惑っていると、そのまま手を引っ張られた。
「クラウディア様?」
アベラルド王太子の声がけにクラウディアはニコッと微笑み返す。
「ごめんなさい、アベラルド様。わたくし、どうしてもこの方とお話がしたいの」
有無を言わさぬ声色にアベラルド王太子は何も言えずに佇んでいる。
そのままクラウディアはビアンカを引っ張って行く。
ビアンカはアベラルド王太子達が見送る中、クラウディアに付いていくのだった。




