6 引っ越し
ビアンカはおもむろにクローゼットに近付き、中から服を取り出そうとした。
「あたしが荷造りを手伝ってあげるわ」
ベッドに寝転がっていたデボラがビアンカを押し退けるようにクローゼットの扉を開けた。
ドレスがズラリと掛けられ、端には下着や小物を入れるタンスが置いてある。
デボラはタンスの引き出しを開けると、躊躇いもなく次々と下着を床に放り出していく。
「あっ、何を…」
ビアンカが止めようとしても、デボラはお構い無しだ。
男性である父親がいるというのに、下着を床に撒き散らされてビアンカは恥ずかしさでいっぱいになる。
ハンナと二人で床に散らばる下着を急いでかき集めた。
「あら、これはあんたにはもったいないわね。あたしがもらっておいてあげるわ」
手伝うと言いながらデボラはクローゼットの中を物色していたようだ。
床に投げられたビアンカの下着は、持っていた物の半分にも満たなかった。
物色が終わって引き出しを閉じたデボラは、今度は掛けてあるドレスの検分を始めた。
「あら、随分と素敵なドレスが並んでるじゃない。う~ん、これは私の好みじゃないからあんたにあげるわ」
そう言って、飾りの少ない地味なドレスをビアンカに投げて寄越す。
「あげる」と言われても、元々はビアンカの物なのに、どうしてそんな言われ方をされなければいけないのだろう。
ビアンカは惨めな気持ちを抱えながら、床に投げ捨てられたドレスを拾い集めた。
「荷造りは済んだか? 済んだのならさっさと部屋を出て行け! マルセロ、案内してやれ」
ダリオの言葉にビアンカはいつの間にか執事のマルセロがこの部屋に入って来ていた事を知った。
マルセロは申し訳なさそうな顔でビアンカに近付いてくる。
「ビアンカ様、ご案内いたしますので、こちらへどうぞ」
ビアンカは両手に下着を抱えてマルセロの後をついて行く。
嵩張るドレスはハンナが持って、ビアンカ達の後に続いた。
冷たい視線のままの父親と、したり顔をしている義母パメラの横を通って部屋を出る。
パメラの横に見知らぬ少年が立っていたが、あれがきっとダリオのもう一人の子供なのだろう。
使用人部屋が並ぶ棟に向かいながら、先頭を歩くマルセロが、小声で話しかけてきた。
「申し訳ございません、ビアンカ様。私では旦那様をお止めする事が出来ませんでした」
マルセロの言葉にビアンカは軽くため息をついた。
おそらくマルセロも解雇をちらつかされたのだろう。
円満退職でなければ次の勤め先などそうそう見つからない。
ましてや「推薦状を書かない」と言われれば、辞めるに辞められないだろう。
「仕方がないわ。お祖父様が亡くなった今、この家の当主はお父様なんだもの。私が結婚するまで耐えれば済む事だわ」
ビアンカは十八歳になれば、カルロスと結婚する約束になっている。
これは既にロンゴリア侯爵家と書類で約束を交わしているため反故には出来ない。
義母達だってビアンカがこの家を出て行く事を歓迎するだろう。
それに学校に通っている間は、そんなに酷い扱いはしてこないはずだ。
(きっと、大丈夫よ…)
そう思いながらも、何処か不安にかられるビアンカだった。
屋敷の渡り廊下を渡って使用人部屋がある棟にたどり着いた。
お風呂とトイレは共同で、家具付の個室がそれぞれに与えられている。
「こちらです」
棟に入ってすぐの個室をマルセロが開けた。
ベッドと小さなクローゼットに椅子とテーブルがあるだけのこじんまりした部屋だった。
「こちらがこの部屋の鍵です。無くされないように」
マルセロに小さな鍵を渡されて、ビアンカは思わず鍵を握り込んだ。
「それでは、私は旦那様の所に戻りますので…」
マルセロが出ていくと、ビアンカは下着を抱えたまま、ベッドに座り込んだ。
今までのベッドとは比べ物にならない位の硬さだった。
よく見れば、板の上に布団を敷いただけの簡素な造りのベッドだ。
「ハンナ達はこんなベッドで寝ているのね。これじゃ疲れなんて取れないでしょう?」
ビアンカに視線を向けられて、ハンナはブルブルと首を振る。
「そんな事はございません。これでも庶民のベッドよりはマシですよ。お金がない家は板の上に布を敷いただけですからね」
「まぁ、そうなの?」
ハンナの言葉を聞いて、ビアンカは自分がどれだけ恵まれていたのかを実感した。
だが、これからどんな生活が待っているのか、ビアンカには予想も出来なかった。