52 手配
ビアンカがようやく気持ちを落ち着かせた頃、馬車はまた離宮へと戻っていた。
馬車の扉が開かれ、ビアンカが降りようとするのをアベラルド王太子が押し留めた。
不思議そうな顔のビアンカにアベラルド王太子が手を伸ばしてくる。
「ビアンカ嬢、ちょっと失礼しますね」
アベラルド王太子がビアンカの目元に手をかざすと、腫れぼったかった目が元に戻った。
「ありがとうございます」
アベラルド王太子とレオナルドの前でそんなにも泣いてしまった事が恥ずかしく、ビアンカは消え入りそうな声で礼を言う。
それよりもどうしてまた離宮に戻って来てしまったのか、ビアンカが問うよりも先にアベラルド王太子が答える。
「マドリガル伯爵家の方には既に人を手配しています。伯爵家の方でビアンカ嬢を受け入れる準備ができ次第、連絡をしてくれるそうなので、もうしばらくこちらに滞在して下さい」
確かに以前ビアンカが使っていた部屋はデボラに奪われていた。
部屋の装飾やドレスの好みもビアンカとはまるで違っていた。
デボラの世話をしに部屋に入る度に自分がいた頃とは変わっていくのを見るのは辛かった。
そんな部屋に今戻っても居心地の悪い思いをするだけだろう。
(ハンナがいれば私の好みを把握しているはずだから、良いようにしてくれるはずだわ)
「わかりました。もうしばらくこちらでお世話になります」
そうビアンカが告げるとアベラルド王太子はホッとしたような顔を見せる。
玄関口にはイリスが出迎えてくれていた。
アベラルド王太子がビアンカの手を取って中に入ろうとすると、向こうからバタバタと誰かが走り寄って来た。
「アベラルド様! やっとお帰りですか! すぐに執務室におもどり下さい!」
どうやらアベラルド王太子付きの文官のようだ。
「すまない、ビアンカ嬢。また後で…」
言い終わらないうちにアベラルド王太子は文官に引きずられるように連れて行かれる。
レオナルドはちょっと肩を竦めるとビアンカにお辞儀をしてアベラルド王太子の後を追っていった。
「ビアンカ様、お部屋に戻りましょう」
ビアンカがアベラルド王太子を見送っていると、イリスに声をかけられた。
「…はい」
イリスに連れられて部屋に戻ったビアンカは、またしばらく穏やかな時を過ごした。
それから二日後、朝食を終えたビアンカの元にアベラルド王太子が訪ねてきた。
「ビアンカ嬢、マドリガル伯爵家で準備が整ったそうです。これから行きましょう」
まだ何の用意もしていなかったビアンカは突然の事に目を瞠る。
「これからですか?」
オロオロするビアンカにイリスがニコリと微笑んだ。
「どうぞいらして下さい。こちらでビアンカ様が着ていらした服は後ほど伯爵家におとどけいたします」
そう告げられて、ビアンカはこれでイリスとはお別れなのだと思い至った。
「ありがとうございます、イリスさん。お世話になりました」
深々と頭を下げるビアンカにイリスもお辞儀を返す。
「こちらこそ、ビアンカ様のお世話が出来て良かったですわ」
アベラルド王太子と共にビアンカが玄関口に向かうと、既にレオナルドがいて馬車の扉が開けられていた。
「それじゃ、イリスさん。お元気で」
ビアンカが馬車に乗り込むと、続いてアベラルド王太子とレオナルドも馬車に乗った。
馬車の窓から手を振るビアンカが見えなくなるまでイリスは玄関口に佇んでいた。
「ビアンカ様。出来ればアベラルド様の奥様としてこの王宮に戻って来られる事をお待ちしています」
イリスの呟きはビアンカには届かなかった。




