44 提案
「おかえりなさいませ。お庭は如何でしたか?」
部屋に戻って来たビアンカを出迎えてくれたのはイリスだった。
ビアンカが散策に出ている間に先ほどのメイドと交代したようだ。
ビアンカをソファーへと誘導してお茶を淹れてくれる。
温かいお茶を一口飲んで、ビアンカはホッと一息ついた。
(この人ならば、アベラルド様の婚姻話について何か知っているかもしれないわ)
そう思ったビアンカは先ほど立ち聞きした話についてイリスに尋ねる。
「イリスさん、アベラルド様に隣国の王女様との婚姻話が進んでいるというのは本当ですか?」
ビアンカの問いかけにイリスは一瞬虚を突かれたような顔をしたが、すぐに笑顔に切り替えた。
「まぁ、ビアンカ様。どちらでその話をお聞きになったんですか?」
イリスに逆に問われてビアンカは答えに窮す。
まさか、メイドの話を立ち聞きしていたとは言うに言えない。
だが、イリスはそれ以上ビアンカに問うてはこなかった。
「そういうお話もありましたが、アベラルド様はきっぱりと断られました」
イリスにそう言われてビアンカは何処かホッとしている自分に気付いた。
(私ったら、アベラルド様の婚姻話を否定されてホッとしているなんて…。私は本当にアベラルド様の事が好きなのかしら?)
学校でアベラルド王太子の姿を見る度に心をときめかせる事はあった。
けれど、その度にビアンカは『自分にはカルロスという婚約者がいるんだから』と、心を押さえつけてきた。
けれど、今の自分は婚約者はいない。
(私がアベラルド様を好きになってもいいのかしら? 私のような者がアベラルド様に想いを寄せたらアベラルド様の負担になったりしないかしら? 今でさえ、マドリガル伯爵家の事でご迷惑をおかけしているのに…)
やはり、これ以上ここに居てはいけないのではないだろうか…。
「イリスさん、私ここを出ていきたいのですが…」
そう切り出したビアンカにイリスは驚きの声をあげる。
「ビアンカ様、何か不備でもございましたでしょうか? 至らない事があれば遠慮なくお申し付けくださいませ。やはりあと二人ほどこちらに寄越しましょうか?」
イリスはビアンカの申し出を自分達が至らないからだと思ったようだ。
そう受け取られた事をビアンカは慌てて否定する。
「いいえ、そうじゃありません。私がここに居るとアベラルド様のご迷惑になるんじゃないかと思って…」
徐々に口籠るビアンカにイリスは優しく微笑みかけた。
「ご迷惑ではありませんよ。アベラルド様は無駄な事はお嫌いですからね。迷惑だと思っているならば、ビアンカ様をこの離宮に滞在させたりはしません。むしろ…」
そう言いかけたイリスはそのまま口を噤んでニコリと笑った。
「これ以上は私の口から申し上げる事ではありませんね。この次にアベラルド様がいらした時にお話を伺ってください」
「…はい?」
イリスが何を言いかけたのかわからないビアンカは、首をかしげながら返事をする。
(イリスさんや他のメイドの方にここを出たいなんて言っても『はい、そうですか』なんて言われるわけはないわね。アベラルド様が私をここに連れて来たのだから、ここを出たいならば、アベラルド様にお願いするしかないんだわ。明日ここに来られた時にお話をしましょう)
ビアンカはそう心に決めたが、翌日アベラルド王太子が離宮に顔を見せる事はなかった。