32 捕縛
アベラルド王太子の元にレオナルドから調査報告が届いたのはそれから三日後だった。
レオナルドから渡された報告書に目を通したアベラルド王太子は、予想通りの名前がそこにあった事に軽くため息を吐く。
「やはり、この男か…」
報告書に上がっている名前はマルセロ・バンデラ。
マドリガル伯爵家の執事だ。
「…ビアンカ嬢の祖父に仕事を認められて執事に抜擢された男なんだろう? なのに自分の主人とその息子の妻に毒を盛るなんて、忠誠心の欠片もないな。『飼い犬に手を噛まれる』とはこの事か」
アベラルド王太子がフルリと首を振ると、レオナルドは肩を竦めた。
「報告書にある通り、ギャンブルにのめり込んでいるらしいからな。より多く、金をくれる方に忠誠を誓うんだろう」
バサリと書類を机の上に投げ出して、アベラルド王太子は顎の下で指を組む。
報告書にはマルセロが抱えていた借金が数年前、急に完済された事や、再び借金をこしらえてもすぐに返される事が書かれている。
「それにしても、ダリオはそれだけの金を持っていたのか?」
「どうだろうな? もしかしたら、爵位を継いだ後で払うと言っていたのかもしれないな」
成功報酬として金をもらっていたとすると、確実に金をもらう為に証拠を残しているとも考えられる。
「よし! それじゃあ、これからマルセロを迎えに行こうか」
いきなり立ち上がったアベラルド王太子にレオナルドが目を丸くした。
「は? 今から? 無茶言うなよ。ダリオ達だって屋敷にいるのに、何しに来たのかって怪しまれるだろ」
レオナルドに却下され、アベラルド王太子はむうっと口を尖らせる。
「じゃあ、どうするんだよ」
ドサッと座り直すアベラルド王太子にレオナルドはそっと耳打ちをする。
しばらくレオナルドの話に耳を傾けていたアベラルド王太子は、徐々に表情を緩ませていく。
「…わかった。それで行こう」
*****
マルセロは馬車に、乗り込んだダリオ一家を見送ると、ふぅと一つ息を吐いた。
(…まったく…。人使いの荒い連中だ。いくら金をもらってもこれじゃ割に合わないぞ)
だが、その金の為に犯罪の片棒を担いだのだ。
今更、逃れる事は出来ないのは、マルセロも十分承知している。
(だが、こちらにはダリオ様が関与しているという証拠を持っているんだ。いざとなればこれらを使ってもっと金を出させるさ)
そう考えながら屋敷の中に戻ると、何やらきな臭いような匂いが鼻を突く。
(…何だ?)
マルセロが訝しんでいると、バタバタと誰かがこちらに向かって走って来た。
「あっ! マルセロさん! 大変です! 使用人棟が火事です!」
ハンナにそう告げられてマルセロは目を剥いた。
「何だと! 誰か火を消そうとしているのか?」
「駄目です! 火の回りが早くてそれどころではありません!」
「馬鹿な!」
マルセロはそう叫ぶなり、ハンナを押しのけて使用人棟に向かって走り出した。
(証拠品を持ち出さないと! アレが無くなれば金がもらえなくなる!)
使用人棟に入ると、何処が火元なのか煙が充満していてわからない。
「くそっ! まさか私の部屋じゃないだろうな!」
そんな悪態をつきながらマルセロは自分の部屋に向かった。
幸いな事にマルセロの部屋の方には火は見えなかった。
(とりあえず証拠品を持ち出さないと…)
マルセロは隠していた証拠品を手に持つと、急いで部屋を飛び出した。
「…え?」
マルセロは自分の目の前にいる人物が、にわかには信じられなくて、ポカンと口を開ける。
「…ア、アベラルド様?」
今日、ダリオ達を呼び出したはずのアベラルド王太子がどうしてここにいるのか、すぐには理解出来なかった。
そのまま固まっているマルセロの手から、ヒョイッと証拠品が取り上げられた。
「いただきっ!」
そこには証拠品を持ったレオナルドがニッと笑っている。
慌てて取り返そうとマルセロが手を伸ばすより早く、マルセロの身体は騎士達に捕縛されていた。
「マルセロ・バンデラ! 前マドリガル伯爵、及びクリスティナ夫人殺害の容疑で逮捕する!」
その声がマルセロの耳に届いた時には、辺りに充満していたはずの煙は掻き消えていた。




