29 狂言
「先ほどもお話しましたように、ビアンカ嬢の事件には色々と腑に落ちない部分が多いんです。例えば、異母兄のミゲルが刺された時、騎士達がビアンカ嬢を取り押さえたとあるのですが、その時もたまたま騎士達が近くを通りかかった時、マドリガル伯爵家から使用人が飛び出してきて助けを求めて来たとか…」
アベラルド王太子の言葉にビアンカは、あの時の事を思い返した。
(確かに、気付いたらナイフを握っていたけれど、駆けつけてくる足音を聞いたと思ったら、すぐに騎士達に取り押さえられたわ。…まるで、出番を待っていたかのように…)
ビアンカが頷くのを見て、アベラルド王太子は更に続けた。
「どうやら、この時駆けつけた騎士達と、ビアンカ嬢を護送中に殺害しようとした騎士達は同一人物らしいんです。話を聞こうと騎士団に行ってみたのですが、既に退団したとかで会えずじまいでした。今、彼等の行方を追っていますが、まだ見つかっていません」
『同一人物』と言われて、ビアンカはハッと息を呑む。
「…それは、つまりマドリガル伯爵家の誰かが、その人達に依頼をしたと言う事ですか?」
「そう考えるのが当然でしょう。確かに騎士団は街を巡回していますが、ビアンカ嬢の事件の時、偶然前を通りかかったなんてありえません。あらかじめ呼ばれて行ったとしか考えられません」
アベラルド王太子に断言されて、ビアンカは頭を抱えたくなった。
世間体の為にビアンカをマドリガル伯爵家から追い出さなかったくせに、こんな事件を起こしたと知られる方がよほど世間体が悪いと思うのだが、そうは考えなかったのだろうか?
はぁっと重い息を吐くビアンカにレオナルドが追い打ちをかけてくる。
「ビアンカ嬢の事件の件ですが、事件そのものがなかった事になっているんですよね」
「え?」
ビアンカはすぐには、レオナルドの言葉の意味が理解出来なかった。
「…え、と…」
ビアンカの視線を受けてレオナルドはガシガシと頭をかく。
「さっき、法務局の方に行って書類を探したんですが、何処にも見当たらないんです。他の事務官に聞いたのですが誰も知らないとしか言わないんです」
「そうなると、やはりミゲルが刺されたと言うのはただの狂言だった可能性がありますね。実際に怪我をして治癒魔法をかけてもらうなり、何処かの病院に行けば記録として残りますからね。それが無いと言う事は、怪我をしていなかったと言う事です。怪我をしていないのにビアンカ嬢が事件を起こしたという記録があっては変ですからね」
アベラルド王太子に説明されてビアンカは納得した。
だが、同時に疑問が残る。
「誰が、その書類を持ち出したんでしょうか?」
そう言った後で、ビアンカは一人の人物の顔を思い浮かべた。
「…もしかしたら…」
ビアンカの呟きに同意するように、アベラルド王太子が頷いた。
「おそらく、バルデス侯爵家のカルロス殿が関わっているでしょうね」
ビアンカは先ほどのガブリエラの言葉を思い出した。
『カルロス様とデボラの婚約披露パーティーに呼ばれた』と。
それにガブリエラはビアンカが事件を起こした事を知らなかった。
知らないのも当然だろう。
結局、事件そのものは無かったのだ。
ビアンカは自分が人を刺したのではないと確信して、ホッと安堵した。
「ビアンカ嬢。あなたは異母兄を刺したりなどしていません。だから安心してここにいていいんです」
アベラルド王太子に断言されて、ビアンカはポロリと涙を零した。
「…ありがとうございます…」
一度零れた涙は止まる事はなく、せきを切ったようにポロポロととめどなく流れていく。
「おい、アベラルド。何泣かせてるんだよ」
「うるさい! 私はただ事実を述べただけだ!」
向かい側に座る二人のやりとりに、ちょっと笑いながらも、ビアンカは涙を流すのだった。