15 逃亡
二人の騎士に崖の上で追い詰められたビアンカは身を翻して崖下の川に向かって飛び込んだ。
川底まで達した身体はすぐに水面に浮上する。
そのまま動かずに流れに身を任せた。
おそらく頭上から騎士達がビアンカの事を見ているに違いない。
死んで流されていると勘違いさせるためにも、あえてぐったりとした状態に見せかけた。
ビアンカが思っていたよりも流れは速く、所々に突き出ている岩に身体をぶつけやしないかとヒヤヒヤした。
幸いにも岩にぶつかる事もなく流されるが、岸に向かって泳ごうにも流れが速くなかなか辿り着けない。
おまけに拘束されたままの手では水をかくことも難しい。
何度も水を飲みながらようやく流れが緩やかになった所で、岸に向かって足だけを使って泳ぎ出す。
途中から足が着くとわかり、立ち上がって岸に向かって歩き出した。
腰の辺りまで水に浸かった状態で足を進めてようやく川から上がる事が出来た。
「ハァッ、ハァッ…」
思っていたより体力を消耗したようで、息も絶え絶えにその場に倒れ込む。
「…もう、動けない…」
こんな所で倒れるわけにはいかないと分かってはいても、身体が動かなかった。
おまけに濡れた服が身体に張り付いて、寒さに身震いをする。
(…少しだけ、休んだら…)
寒さに唇を震わせながら身体を丸めると、ビアンカはそのまま目を瞑った。
*****
アベラルド王太子はレオナルドと共に馬を走らせてビアンカが乗せられた馬車を追った。
だが、馬車は既に門を通過して郊外へと向かって行った後だった。
「遅かったか。…すぐに追いかけるぞ!」
「おい! 何も言わずに郊外に出ると、後で国王陛下に叱られるぞ!」
多少の自由は許されているにしても、王太子が護衛騎士も連れずに郊外に出て言いわけがない。
「緊急事態だ! 構うものか!」
「いや、お前は良くても俺が叱られるだろ! おい、待てって!」
慌てるレオナルドを尻目にアベラルド王太子は、門を抜けて馬を走らせる。
「俺のせいじゃないからな」
文句を言いながらもレオナルドはアベラルド王太子を追いかけた。
山道の中を馬を走らせていると、向こうから黒塗りの馬車がやってきた。
「ん? あれは騎士団の移送用の馬車か?」
ビアンカ嬢以外にも移送された罪人がいたのかと思い、アベラルド王太子はその馬車の前に立ち塞がった。
馬車はアベラルド王太子達の前でピタリと止まる。
「おい! 何で道を塞ぐんだ!」
馬車の前で止まったまま、動かないアベラルド王太子達に御者が悪態をつく。
どうやら道を塞いでいるのがアベラルド王太子だとは気付いていないようだ。
「済まないが、人を探している。お前達は誰を移送して来たんだ?」
「ア、アベラルド王太子!?」
道を塞いでいるのが誰だかわかった御者が、御者台から降りて馬車の脇に跪く。
「おい、どうして止まるんだ? …あ!」
馬車の扉が開いて別の男が顔を出すが、前方のアベラルド王太子に気付いて、こちらも馬車から降りて跪いた。
「もう一度聞く。誰を移送して来たんだ?」
アベラルド王太子の問いかけに男達は顔を見合わせる。
互いに目配せし合っていたが、ようやく馬車の中から降りてきた方の騎士が口を開いた。
「私達はビアンカ・マドリガルを移送しておりました。しかし、途中で馬車の車輪に不具合が生じ、修理をしている間にビアンカ・マドリガルが逃げだし、誤って崖から落ちてしまったのです」
「何だと!? それでビアンカ嬢はどうした!?」
予想外のアベラルド王太子の剣幕に騎士達はビクリと身体を震わせた。
「そのまま、川に流されてしまって…。私達は今からそれを報告に向かう途中でした」
「今すぐにその場所に案内しろ!」
アベラルド王太子は騎士達に怒鳴りながらも、彼らの態度に何処か不自然な物を感じていた。
罪人を逃がしてしまったにしてはあまり慌てたような様子がない。
だが、今はそんな事に探りを入れている暇はなかった。
ビアンカを助ける為にも落ちた場所を確認する必要がある。
馬車はもと来た道を引き返し、アベラルド王太子達はその後に続いた。
アベラルド王太子はもっと速く馬を走らせたかったが、車体を引いている以上、スピードが出ないのは仕方がない。
ジリジリとした思いで馬車の後をついて馬を走らせる。
やがて視界が拡がり、崖が見えた。
「あの崖から下に転落しました」
騎士達に指さされ、アベラルド王太子は馬を降りて歩き出す。
崖の上から下を覗き込むと、遥か下を流れの速い川が走っていた。
(こんな所から落ちて無事でいられるだろうか…? いや、絶対に生きている!)
アベラルド王太子はそう信じるしかなかった。
「レオナルド! すぐに川の下流に向かうぞ!」
アベラルド王太子は騎士達には目もくれず、馬に跨り下流に向かって走り出した。