13 移送
カルロスの足音が遠ざかった後、床に倒れ込んだままだったビアンカは、ゆるりと立ち上がるとベッドに腰を下ろした。
布団とは名ばかりの薄い布が敷かれたベッドでビアンカはドサリと横になる。
まさかカルロスに婚約破棄を言い渡されるとは思ってなかった。
頭の何処かではカルロスの父親であるロンゴリア侯爵が手を回してくれて、ビアンカの罪をなかった事にしてくれるのではないかと考えていた。
ミゲルの怪我も大した事はなかったと聞いている。
そもそも、ビアンカは本当に自分がミゲルを刺したとは思えなかった。
けれど、気が付けばビアンカの手には血に塗れたナイフがあり、お腹を押さえて呻いているミゲルがいたのだ。
その後、自分の身に起こっている事は、まるで夢を見ているかのように現実味がなかった。
けれど、こうして冷たい独房に入れられ、硬いベッドに横たわって、ようやくこれが現実の事であると理解した。
ベッドに横になっていると、鉄格子の隙間から食事の差し入れが届けられた。
のそりと起き上がると、トレイにのせられたパンとスープを持ってベッドに座り直す。
パンは固くて飲み込むにも時間がかかり、スープも味が薄く、どちらも一口だけで食べるのを止めた。
トレイを元の場所に戻すと、ビアンカはまたベッドに横になった。
(…これから、どうなるのかしら?)
目を瞑っても、頭が冴えて眠れない。
ビアンカはまんじりとしないまま、朝を迎えた。
近付いて来る足音に気付いてベッドに起き上がると、三人の騎士が鉄格子の前に立った。
「ビアンカ・マドリガル 殺人未遂の罪で強制労働所行きが決定した。これからそちらへ移送する」
「えっ! そんな…」
ビアンカが驚きで固まっている間に鉄格子が開かれ、二人の騎士がビアンカの両腕を取って立ち上がらせる。
そのまま両手を拘束され、独房の外に連れ出された。
独房の外で待っていた騎士がビアンカを見下ろす。
「三年働けば戻れるはずだ。もっともそれまで生きていられればだけどな。連れて行け」
二人の騎士に引っ立てられるようにビアンカはヨロヨロと歩き出す。
(強制労働所なんて…)
噂には聞いた事があった。
罪を犯した人間が送られる場所で、過酷な労働を強いられると聞いている。
そこに送られて生きて戻った人間は数えられる程しかいないとも噂されている。
そんな場所に自分が送られるとは、ビアンカには信じがたかった。
昨日通った通路から外に出ると、そこには真っ黒な馬車が待っていた。
窓は無く、中に誰が乗っているのか分からないようになっている。
馬車に押し込められるような形で乗り込むと、隣に騎士が座った。
その腰には剣が下げられている。
「逃げようとは思うなよ。逃げたら即刻この剣で叩き斬ってやるからな」
そう脅されてビアンカは黙って頷くしかなかった。
馬車の扉が閉められ、馬車がゆっくりと動き出す。
(一体何処まで行くのかしら?)
ビアンカは不安を抱えながら馬車に揺られて行った。
*****
王宮の執務室でアベラルド王太子は書類とにらめっこをしていた。
学校を卒業して二年、ようやく執務にも慣れてきた。
周りからは『早く結婚しろ』とせっつかれるが、当分そんな気はなかった。
書類にサインをし、次の書類に手を伸ばしかけると、ノックの音がした。
「どうぞ」
書類から目を離さないまま、返事をすると扉が開いてバタバタとレオナルドが入ってきた。
「アベラルド、ビアンカ嬢が婚約破棄された!」
「何だって!」
レオナルドはアベラルド王太子の腹心の部下で、今は法務局の事務官をやっている。
そのレオナルドからの報せにアベラルド王太子は椅子から立ち上がる。
「しかも異母兄の殺人未遂で拘束され、強制労働所送りになったそうだ」
「ビアンカ嬢が殺人未遂? 何かの間違いじゃないのか?」
アベラルド王太子はレオナルドが持ってきた書類に目を通す。
だが、そこにはまさしくビアンカの名前と罪状が書かれていた。
「それだけじゃない。ビアンカ嬢はマドリガル伯爵家から除籍されているんだ」
「除籍? マドリガル伯爵家の後継者はビアンカ嬢だったはずだぞ? 誰が一体そんな事を…」
アベラルド王太子は、以前目を通した貴族名簿を思い返していた。
ビアンカの祖父であるマドリガル伯爵は息子のダリオではなく孫のビアンカを後継者に指名していたはずだ。
「僕もそう思ったからマドリガル伯爵家に関する書類を探したんだ。そうしたらいつの間にか後継者はビアンカ嬢ではなく父親のダリオ様の名前になっていた」
「何だと? 一体誰が…。いや、それよりもビアンカ嬢を連れ戻せ! 彼女が殺人未遂なんて何かの間違いだ。すぐに手を回すんだ!」
「わかった! すぐに行ってくる!」
レオナルドが執務室を飛び出すと、アベラルド王太子はドサリと椅子に腰を下ろした。
アベラルド王太子はビアンカに好意を抱いていたが、彼女に婚約者がいたので諦めていた。
もうじき結婚すると聞いていたから、そうすれば諦めもつくと思っていた。
だが、まさか婚約破棄とは…。
アベラルド王太子はこのチャンスを逃すまいと決心した。