10 噂話
ビアンカが最初に違和感を覚えたのは、二つ年上のミゲルが卒業して、しばらく経った頃だった。
ミゲルが卒業してからも、昼食はカルロスとデボラと共に摂っていた。
デボラと一緒に学校に通うようになって三年が過ぎたが、相変わらずビアンカを監視するようにビアンカの側を離れない。
おかげで学校ではすっかり『仲の良い姉妹』として有名になってしまっていた。
(一緒にいるだけなのに、そんな風に思われるなんて…)
家ではデボラ達にこき使われているビアンカとしては、腹立たしいばかりだったが、それを口に出来ないのがもどかしかった。
カルロスも時々、ビアンカを訪ねて来てくれるのだったが、そんな時は必ず誰かが同席してくるのだった。
それをカルロスに認めさせる父親の理由付けが何とも滑稽だった。
『カルロス様の事は信用していますが、やはり娘を持つ父親としては心配なんです。娘と二人きりにならないように誰かを同席させていただけませんか?』
そう言ってカルロスに懇願してみせたのだ。
それを見てカルロスは、ダリオが今までビアンカを放置していた事を後悔していると思ったらしく、第三者の同席を許してしまった。
その中一番同席が多いのがデボラだった。
デボラはビアンカを差し置いて、自分だけがカルロスと仲良く喋っていた。
カルロスもビアンカの妹であるデボラを邪険に扱えずに、少々対応に困っているようだった。
それなのに、ここ最近は、妙にカルロスとデボラの距離が近いように感じていた。
(もしかしたら、デボラはカルロス様の事が好きなのかしら? でもそれならばお父様に言って私とカルロス様の婚約を取り消させそうなものだけれど、そんな動きも無いし…。きっと気の所為ね)
ビアンカはそう自分を納得させていた。
しかし、そのカルロスも学校を卒業して、デボラとビアンカだけが学校に通うようになると、徐々にクラスメイト達の態度が変化して行った。
ビアンカとデボラが登校して教室に向かっていると、遠巻きにヒソヒソと話をしているクラスメイトの姿があった。
ビアンカがそちらに視線を向けると、サッと目を反らして立ち去って行く。
(変ね? 何かあったのかしら?)
隣を歩くデボラは、そんな事にはお構い無しに足を進めている。
余計な事を言ってデボラの機嫌を損ねて父親に報告をされても困るので、ビアンカは何も言わずに教室に向かった。
そんな日々が続く中、珍しくビアンカは一人で学校の中を歩いていた。
教室を移動する時にデボラは担任教師に呼ばれたため、ビアンカは先に行くように促されたからだ。
一人で廊下を歩いていると、ヒソヒソ話が聞こえてきた。
「ビアンカったら、家ではデボラをメイド代わりにこき使っているらしいわよ」
「デボラが父親の愛人の娘だからって、虐めているとも聞いたわ」
「学校で二人で行動しているのも、自分の命令をきかせるためらしいわよ」
そんな言葉が耳に飛び込んで来て、ビアンカは驚愕した。
言われている事はすべてビアンカがされている事だ。
ビアンカはすぐにでも話をしているクラスメイトの所に行って話を否定したかった。
だが、それをするとうっかり本当の事を話してしまいかねない。
ビアンカ自身が伯爵家でメイドとして働いているなんて誰にも知られたくなかった。
かといってやってもいない事を囁かれるのも嫌だった。
(後でデボラに話をしなければ…)
ビアンカはデボラと二人きりになると先程聞いた噂の事を話した。
「デボラ、皆が私があなたをメイド代わりにこき使っているって噂しているんだけど…」
そう切り出したビアンカにデボラはプッと吹き出した。
「あんたがあたしを? 面白い噂もあるもんねぇ」
デボラは人目がないとこんな下品な物言いをする。
それがビアンカはたまらなく嫌だったが、あえて口にはしない。
「お願いだからあなたの方で噂を否定してくれないかしら? お願い」
ビアンカが頼み込むとデボラはニヤリと口を歪めた。
「お願い? お願いって言うならそれなりに頼み方ってあるでしょ? 地面に頭を擦り付けてお願いしたら聞いてあげてもいいわよ」
デボラに土下座を強要され、ビアンカは一瞬躊躇ったが、渋々とその場に跪いた。
地面に頭を擦り付けるビアンカを見て、デボラは満足そうに黒い笑みを浮かべる。
「いい眺めね。わかったわ。あたしから皆に話しておくわ」
デボラが請け負ったとおり、噂話はピタリと収まり、ビアンカはホッと胸を撫で下ろした。
だが、実際には噂話は収まっておらず、ビアンカの知らないところで大きく膨らんでいるのだった。