竜宮倶楽部
れいわ御伽草子「竜宮倶楽部」
むかし、昔、あるところに…
今日も電車に揺られる。
片道2時間、マイホームのための遠距離通勤。寝不足、食欲不振、倦怠感。プラス高血圧。白髪も増えた。
……
最近、ふと思う。私の人生は何なんだろう…
駅のホーム、
反対側のホームに、見たことのある男が立っていた。
亀山君だ、
彼と私は同期だった。営業成績が悪く、毎日課長にいびられ、とうとう会社を辞めてしまった男だ。
こんな時間に何処へ行くのだろう、
もう夕暮れだというのに、
いやに、楽しそうな顔をしているな、
笑みが溢れている。
まだ、転職先は見つかってないと聞いていたが、まるで彼女にでも会いに行くようだ。服装も心なしか小綺麗だ。
会社では、枯葉色の背広が濡れ落ち葉のような姿だったが、
私は、大して気にもしなかった…
次の日、
また、亀山君を見かけた。
何やら困った様子だ。声を掛けてみる。
「久しぶりだね、亀山君」
「ああ、浦田君、久しぶりです」
「どうしたんだい」
「ああ、Suicaを落としてしまったらしいんだ。お金も持ってないし、困ったよ」
「それは大変だ、ほら、電車代ぐらいなら貸してあげるよ」
私は、亀山君に小銭を渡した。
「ありがとう、後で必ず返すよ」
「いいよいいよ、で、今は、どうしているんだい?」
「う〜ん、何もしていなんだ」
「失業保険で生活しているのかい?」
「違うよ、失業保険はもらってないんだ」
「じゃ、生活費はどうしているんだい?」
「あ〜あそこ行けば、生活費なんかいらないんだ」
「あそこ?」
「あそこさ、竜宮倶楽部」
「竜宮倶楽部?」
「そう、あそこはイイよ〜、あんな楽しい所はない」
「なんか、怪しい名前だなぁ」
「そんなことはないよ、竜宮倶楽部は、この世のパラダイスだ」
「君も、竜宮倶楽部に入らないかい?」
目がキラキラしている亀山君。
「え、遠慮しとくよ」
「そうかい。じゃあ、また」
「じゃあ、また」
そして、亀山君は電車に乗って去っていった。
「竜宮倶楽部か…」
数日後、
再び、亀山君に出会った。
いそいそと小走りで走っていく。
竜宮倶楽部に行くのかな、
時計を見てみる。
「今日は、まだ時間があるな」
私は気になり、亀山君の後をつけてみた。
プッシュー、ガッタン
亀山君は、沿線の小さな駅で降りた。駅裏の細い路地に入って行く。
こんな駅があったんだ。快速電車では通り過ぎてしまう駅だ。町も小さく、うさぶれている。
私も駅を降りた。
そして路地に入ってみた。
路地は、小さな看板が並んでいる飲み屋街だった。その一角に、古びたドアがあった。
亀山君は、キョロキョロと辺りを伺い、ドアを開け中に入って行った。
あんな所に、
私も、急いでドアに近づいてみた。
何んでもない、ただのドアだった。お店の名前もない。
ますます怪しい、
私は好奇心に負けて、ドアを開けてみた。
カチャ、
暗い、
中は薄暗く、急な階段を降りて行くと、ほんのりと灯りが点いていた。
小さな看板が見える。
「竜宮倶楽部」と書いてある。
「ほんとに怪しい店だなぁ」
どうする?
ドアに聞き耳を立ててみる。
アハハハハ、
何やら楽しそうな笑い声がする。
亀山君の笑い声も聞こえた。
会社では暗く、笑った事のなかった男が笑っていた。
賑やか雰囲気かする。
「なんか、楽しそうだなぁ」
「入ってみるか、」
ギギーッ、
ドアを開ける。
「いらっしゃいませ、お待ちしていました」
品のいいママが出迎えた。
中は、オレンジ色のランプが並び、シックな内装。昭和レトロの雰囲気が漂う店だった。
丸い形のテーブルは、古き良き時代の懐かしさを醸し出していた。まるで、タイムスリップしたような昭和の店、竜宮倶楽部。
「こっちこっち、浦田君〜」
亀山君が手を振っている。
「こっち、こっち、」
仲間も手を振っている。みな初老の人たちだ。
あの人たち、どこかで見たことあるような…
…心地よい、
私は、気さくな人たちと意気投合した。
飲んだ、騒いだ、久しぶりに大笑いもした。好きな物もたくさん食べた。
楽しかった、大いに楽しんだ。
ここは、パラダイスだ……
次の日、
亀山君と会った。
「どうだい、楽しかったろう」
「ああ、楽しかったよ、」
「そういえば、お勘定払わなかったけど、大丈夫だったのかい?」
「いいんだよ、お金はいらないんだ」
「そんな馬鹿な、」
「本当だよ、お金はいらないんだ」
「後で、高額な請求をされるんじゃないのかい?」
「いや、私は、もう一年も通っているけど、一度も払ったことないよ」
「おかしいな、不思議だ」
「そう、不思議な倶楽部、竜宮倶楽部さ」
「竜宮倶楽部…」
それから、
私は、週末はいつも「竜宮倶楽部」に通った。
楽しかった、時間を忘れた。
いくら楽しんでも、気がつくと自宅の前に立っていた。終電を気にしなくてもよくなった。
そんな生活が続いた…
「最近、浦田係長、顔色がイイですね」後輩から言われた。
「そうかい」
「何か、楽しそうっていうか、充実しているっていうか、明るくなりましたね」
確かに、顔色が良い。
寝不足もない、倦怠感もない。食欲旺盛だし、血圧も標準だ。白髪も減った。
竜宮倶楽部に通うようになってから、人生が楽しくなった。
亀山君の言っていた、「この世のパラダイス」というのが解るような気がした。
その後、
私は仕事の成績も上がり、営業もトップになった。出世もした。今や部長だ。
人生が順調だった。
私の人生はまんざらでもない。
充実した人生。
そういえば、竜宮倶楽部に来ている人たちも、企業の偉い人ばかりだ。
みんな、竜宮倶楽部に来てから運が巡ってきたと言っていた。
私もだ、竜宮倶楽部に来てから運が巡ってきた。
しかし…
いくら出世しても、
ふと、虚しさを感じる時がある。
社会に感じる虚無感。
竜宮倶楽部にいる時だけが、幸せな気持ちになる。
ずっと此処にいたい、
そういえば、亀山君は、いつも竜宮倶楽部にいるな、
私が行くより前にいて、私が帰るより後までいる。
一体、どのくらい竜宮倶楽部にいるんだろう。
最近、駅でも会っていないな…
「亀山君、君はいつ家に帰るんだい」
「私は帰ってないんだよ、浦田君。もう5年になるかな」
「ええっ、私が、此処に来るようになってから、ずっとかい?」
「そうさ、ずっとさ」
「家族は、家は?」
「家族はいない、家は売った」
「ずっと、此処がいいのさ、ずっと」
「だけど…」
20年後、
私は、社長になった。
まだ、竜宮倶楽部にも通っている。
亀山君もずっといる。他の人たちもずっともいる。
みんな笑っている。
松下君や盛田君、本田君もいる。
最近、孫君や三木谷君もいる。
ここは楽しい、この世のパラダイスだ。
もう、
我が家なんか、帰る気がしない。
ずっと此処にいたい。
ずっと、竜宮倶楽部にいたい…
浦島太郎は、
竜宮城から、帰って来ませんでした…