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前編

 先見の巫女姫と呼ばれる占者がいる。

 失せ物探しから人の生死まで。

 違うことなく未来を言い当てる。

 リガという小さな国のある館の奥深く、御簾の向こうに用心深く隠されて――訪う者たちは誰も誰も占者の顔を見ることはできない。

 まさに神託のようだと畏怖する者もいるほどの占者の言葉を、幸ある未来を望んで訪れる者たちは占者の御付きの者を通して有難く頂戴する。その際に時折漏れ聞こえてくる声から、まだ年若い女だと知り、巫女姫と呼ばれていることを知っていながらも多くが驚愕する。だが、それも一瞬。授けられた言葉に、ある者は喜び、ある者は肩を落とし、時に狂乱し、占者の正体などどうでもよくなる。

 千差万別の様子で部屋を出ていく者たちを、御簾の向こうから静かに見つめる占者がどんな想いを抱えているのか、誰も誰も気にすることはない。

 密やかに今日も御簾の向こうで語る占者がいる。




                ◇





 ばたばたと廊下を走ってくる音がする。

 静寂が好まれるこの館では在り得ない騒々しさに文句を言ってやろうと女が腰を上げたときに、部屋の扉がばたんと開いた。

「敵襲です!」

「は?」

 入室の許可も求めずに飛び込んできた護衛の言葉に、室内にいた女性たちが揃って動きを止めた。


「なんですって?」

 怪訝そうな声をあげたのは女性たちのなかで一番年嵩の女――文句を言ってやろうとしていたタスマだった。飛び込んできた護衛――館の警備の任に就いている青年アンロをまじまじと見てから呆れを多分に含ませた顔で問い質す。

「馬鹿な。誰が攻め込んできたというのです?」

「セオ国です!」

 アンロが告げた名に、タスマの顔に怒気が走り、タスマの後ろに控えていた二人の侍女――まだ少女といえる年頃のルカリとルリスの姉妹が思わずといった様子で顔を見合わせた。


「なるほど! 確かに、このリガ国に攻め込むような不届き者など、あの男以外にいるはずがない!」

 この館の主に仕える女性の中では最も地位が高いタスマが平常の冷静さをかなぐり捨てて、憤懣やるかたもないと吐き捨てた勢いに、少女たちがびくりと肩を揺らし、アンロが視線を揺らした。


 そのとき、鬨の声が轟いた。


館の最奥部にある、この部屋まで届いた音声にゆっくりとタスマが窓の方へと視線を向けた。

「神をも恐れぬ愚か者が!」

 タスマの手の中の扇がみしみしと音を立てる。

 タスマの動きに釣られるように視線を動かした少女たちだったが、再び聞こえてきた音声には戸惑うような顔をしただけで、外の声よりタスマの手の中の扇の方が気になるような様子をみせる。



 セオ国、リガ国――国と称しているが、その歴史は浅い。

 領土を巡る群雄割拠の時代。

 元々は一領地の一領主――力のある領主たちが国としての名乗りをあげ、覇権を目指して鎬を削るそんな時代。そんな中、めきめきと頭角を顕しているのがセオの若き王。代替わりをして、わずか数年で近隣の領地を併合し、まさに破竹の勢いで中央へと駆け登ろうとしている。

 その型破りな言動に眉を顰める者は多いが、戦上手な手腕故に戦神という異名まで与えられ、不敗を誇る彼に憧れを抱く者も一定数、確かに存在しているほどだ。今、最もその動きが注目され警戒さている王であり、国である。


「なぜ、あのような者がのうのうと……!」

 苛々と言葉を紡ぐタスマの後ろでルカリが、そろりとタスマの顔色を窺いながら首を傾げる。

「なぜセオがリガに?」

 ルカリの問いに、妹のルリスが頷く。双子に間違えられるほど、二人はよく似ている。

 平穏とは言い難い世ではあるが四六時中、すべての国が戦に明け暮れているわけではない。このリガの国は覇権争いからは一歩距離を置いているし、そもそも戦端を開くにしても作法というものがある。普通であれば。

 そんな普通ではないことをするセオの若き王。卑怯な手も必要なら厭わず使ういうと評判は、どうやら事実らしい。しかし、その王が軍勢を率いて攻め込んできたと聞いても、タスマも侍女の姉妹も慌てる様子はない。怯える様子も。不思議なほど落ち着いている。


「騙りでは?」

「まさか!」

 旗印を間違うわけがないとアンロがルリスに反論すれば、おっとりとルカリが言う。

「でも、攻め込んでくる理由などあるとは思えませんが」

 再び、まったくその通りとルリスが大きく頷いた。

 セオの言い分――攻め込んできた理由を問われ即答できなかったアンロはタスマから冷たい眼差しを浴び、思わず悲鳴を飲み込む。


 セオの行為に首を傾げた二人の問いは最もなことだった。

 セオがリガを落としたところで旨味がない。

 リガが覇権争いから一歩引いているのは忌憚なく言ってしまえば、覇権を狙えるほどの国力がないから。なにせ小さな国である。どこかの国に肩入れしているわけでもなく、地理的にも中央への道すがらに併合する必要性がある場所ではない。

 これが他の国だったら、先見の巫女姫が目的かと真っ先に考えるが、セオに限ってはそれはないはずだ。

 神を信じないと豪語するセオの王は、先見の巫女姫の言葉を神託になぞらえた者を鼻で笑ったという。それだけでも噴飯ものだが、「神託など片腹痛いわ」と言い放ち、虚言とまで言ってのけたとあっては、リガ国の人間たちからすれば万死に値する人間だ。

 故に国主としての評価は高いというが、タスマにとって――否、リガ国の民にとっては忌々しい存在である。だが、目の敵にしているのはリガの人間であって、セオではない。恐らくきっとセオの国主はリガなど歯牙にもかけていないだろう。

 いきなりセオのような大国が、吹けば飛ぶようなリガのような小国に攻め込んでくる理由などありそうにない。両国で最近何かしらの揉め事があったという話は聞いたこともなく、ルカリとルリスの姉妹は首を傾げるのだ。


「そうは言っても……」

 攻め込んできているものはきているのだというアンロの言葉をぴしゃりとタスマが遮った。

「愚者の行いの理由などわかるはずがない」

 タスマが語気荒く言い放つ。タスマがセオに辛辣なのは有名で、ルカリとルリスは視線を交わし合って、火に油を注ぐような真似はしない方がいいと小さく頷きあう。つまり、これ以上この話は続けないほうが良さそうと口を噤む。


「それで? なにしにここへ?」

 タスマに睨まれて、アンロは表情を強ばらせつつ慌てた様子で理由を口にする。

「表が混乱して、タスマ様でないとどうにもならない状況でして……っ」

 表とは、この部屋以外のすべてを指す。この館には、多くの女性が働いている。

「侍女頭は何をしている?」

「それが、その……」

 恐怖に前後不覚になってしまったと聞いてタスマの額に青筋が浮かび、ルカリとルリスの姉妹が「あらまあ」という顔をする。

 この期に及んでも、女性三人に慌てる様子はない。何故なら、彼女たちが仕え、大切に大切に守ってきた――この屋敷の御簾の向こういる主が危険を口にしていないから。


「情けない。表のことは表でなんとかするよう伝えなさい」

「で、ですが、我々では……!」

 表の彼女らを取り纏めるのは侍女頭ということになってはいるが、実際に取り仕切る実力者はタスマである。護衛の数は多くとも混乱に陥った者たちを統率することがでず、縦横無尽に泣き出す彼女たちに護衛の方が顔面蒼白状態。

 タスマが嘆息して「情けない」と繰り返す。

「ここを離れるわけにはいきません」

 タスマが、いつもの口調で冷徹に告げる。アンロが情けない表情で、タスマの後ろの侍女たちに助けを求めるが、ルカリもルリスも首を振る。

「しかし……!」

 護衛よりもタスマの命令の方でないと通らないという主張は通らなかった。

「しかしではない。おまえも、この館を護る護衛なら、このくらいのことで動揺するものではない!」

 タスマに少しばかり曲がって見える扇でびしりと指され、アンロは背を仰け反らせた。


「タスマ」

 静かに割って入った声があった。

 名を呼ばれたタスマがはっとしたように手を下ろし、アンロがしゃきりと背筋を伸ばした。手を取り合っていたルカリとルリスもさっと居住まいを正して平伏した。

「アンロと一緒に行ってあげて」

 声は部屋の奥、御簾の向こうからだった。

「姫様!?」

 タスマの悲鳴じみた声に、御簾の向こうでくすりと笑う気配がした。

「大丈夫よ。この部屋が一番安全だもの。そうでしょう?」

 なにかあるはずもないという含みに、確かにそれはそうなのだがとタスマは顔色を悪くする。

「お側を離れるわけにはまいりません」

「大丈夫よ。だから、タスマ。アンロと一緒に行って、皆を落ち着かせてちょうだい。二人も手伝って」

「なりません」

 侍女姉妹を同行させようとした言葉をタスマが途中で遮る。

「二人は姫様の御側に」

「……そう。アンロ、皆をお願いね」

 柔らかい声音に、アンロわずかに頬を染めて大きく頷く。

「はい! ファラ様、お任せください!」

「姫様の御名を呼ぶなど不届きな! 身の程をわきまえよ!」

「はい! 申し訳ありません!」

 なぜだか嬉しそうに答えたアンロに渋面になったタスマは渋々と、本当に嫌そうに渋々と、ルカリとルリスに粗相がないようにと言い置いて、アンロを従えて部屋を出て行った。

 その様子にファラが小さく溜息を落としたのは、誰の耳にも届くことはなかった。




               ◇




 かちかちと小さな音がする。

 静かな室内にやけに響く音に導かれるように意識を浮上させたファラは、何の音かと凭れていた脇息から身体を起こし、御簾の向こうに視線を向ける。

 御簾の向こうからは全く見えないが、御簾の中からは向こうがきちんと見える。

 ルカリとルリスが抱き合い震え、恐怖で歯を鳴らしているのだ。向こうからは見えないはずなのに、縋るような双眸でファラの方を見ている。


 タスマがアンロと部屋を出て、もうかなりの時間が経っていた。

 一人目の客が案内されてくる時刻はとっくに過ぎ、日は頂点に達している。なのに、その間、誰一人やってこない。

 昼餉すら運ばれてこない状況に、茶道具の片付けなどをしていたルカリとルリスは段々と落ち着きをなくし、とうとう二人身を寄せ合って座り込んでいる。

 はっきりと聞こえないまでも、寄せては返すような人の声は悲鳴にも似ていて。館のここそこにあった入り乱れた気配が、俄かにぴたりと止んだのが、ほんの少し前のこと。

 異様なことが起きていると知るには充分な時間と状況。

 今、気配が張り詰めていた。

 まだタスマは戻って来ない。


「ね、姉さん」

 沈黙に耐えられなくなったルリスの震える声に、ファラは二人の限界を悟る。ファラは二人に呼びかけた。

「二人ともこちらへ」

 びくりと二人が御簾の方へ顔を向けるが、動こうとはしない。

「こちらへ」

 再度促されて、二人は恐る恐ると腰を上げた。

「御簾を上げて頂戴」

 ファラが告げると、二人はぎょっとしたように一歩下がった。合わせたように拒否を示す二人に、ファラは嘆息する。

 

 御簾は境界。その向こうは神域。

 足を踏み入れてよい場所ではないのだ。

 みだりに御簾を上げることすら許されない。

 明確に線引きされ、徹底的に二人には――ファラに仕える者たちは教え込まれていて、それは恐ろしいほどに染み込んでいた。

 ファラは特別な存在だ、と。


(そんなわけないのに)

 苦い思いを飲み込みながら、ファラは今まで言ったことのないような強い口調で命じる。ファラを特別視する二人が逆らえないように。

「早く」

 強い口調に驚き顔を強ばらた二人が、そろりそろりと御簾を上げる。

 ファラは、初めて御簾ごしではなく二人の顔を見た。ファラの身の周りのことはすべてタスマが担っており、自身の侍女ありながら、ファラは二人と御簾ごしにしか接したことがなかった。

(やっぱり違うものね)

 直接見る二人の顔を新鮮な思いで見つめた。だが、二人の方は大丈夫かと声をかけたくなるほど青褪めていた。ファラの顔を直視できないというように、二人は視線を下に向けた。ほんの少し、それをファラは寂しいと感じた。


 御簾の中は一段高い仕様になっており、厚手の敷物が敷かれていた。そこにファラは直に座っている。立ったままだと巫女姫を見下ろしてしまうので、ルカリとルリスの姉妹はすぐさま膝をつく。


「表でなにが起きているのでしょうか」

 遠慮がちに控えめではあるが、問わずにはいられなかったのだろうルカリが顔を上げる。

 その横で「セオがどうして? そんなこと姫様」と言ったルリスをルカリが慌てて止めた。姉に腕を掴まれたルリスは自身の言葉が充分失言に値すると気付き、俯いた。

 一瞬、二人の眸に「なぜ、これを予見できなかったのか」という控えめではあったけれど、明確な非難の色が過ったのをファラは見逃さなかった。

 タスマがいれば、こんな発言は許さなかっただろう。だが、ファラは咎める気にはならなかった。むしろタスマがいたら、けっして見せなかったであろう正直さに、ファラは苦笑しそうになる。

「……ごめんなさい。自分に関わることは視えないの」

 二人は顔は顔を強ばらせたが、すぐに我に返ったように勢いよく平伏した。

「も、申し訳ございません……!」


「二人ともよく聞いて」

 膠着した空気を断ち切るように、ファラは自身の後ろの壁を見るよう促した。

「右下にあるくぼみを押して」

 ファラに言われる通り、壁の隅を押すと壁が動いた。勢い込んで力を込め過ぎたルカリが額を壁にぶつけたほどにあっさりと人一人通るのに充分な空間が現れた。

「隠し通路……?」

 額を押さえたルカリが呆気にとられたように呟く。


「館の外へ続いているわ」

 あなたたちはここから逃げなさいと言われたルカリとルリスが戸惑いを浮かべた。

「姫様は、どうされるのですか」

「私はここに残ります」

「では、私たちも残ります」

 きっぱりといったルカリの後ろで、ルリスが顔を強ばらせたのをファラは気付かないふりをした。

 見た目はそっくりな姉妹だが、ルカリの方が職務に忠実で責任感が強い。ルリスは不真面目なわけではないが、ルカリよりは柔軟だ。見立ては正しかったらしいとファラは密かに喜んだ。ルカリなら、ファラを置いて逃げるという選択を必要なら取れる。

 ファラははっきりと首を振った。

「できません! 姫様をおいて逃げるわけにはまりません!」

 強い口調で言うルカリに、ゆっくりとファラは言う。

「聞いて。セオが本当に攻めてきたなら、リガでは敵わないわ」

 リガに正規軍はない。本気でセオが攻め入って来たなら持ちこたえられるはずがないのだ。そんな人員も装備も持たないのだから。

 セオにとっては、リガなど征服するのは容易い。それこそ行きがけの駄賃程度だろう。セオの若き王は別に殺戮を好む質ではないので、素直に降伏すれば、むやみに命をとることはしないとファラは知っている。ただ、リガの王――その側近たちも含めて――にそれが適用されるかは知らないが。

 二人を逃がすなら、恐らく戦いが一段落した今が好機。万が一、見つかったとしてもいきなり斬りつけられることはないだろう。


「私なら大丈夫よ」

「ですが……」

 頷かないルカリに、ファラの目論みと異なり沈黙するルリス。ファラは内心で溜息を吐く。顔色をなくす姉妹に仕方ないので最強の最後通牒をつきつけることにした。できれば、言いたくはなかったと思いながら。

「命令よ。従って」

「で、ですが……」

「姉さん、従いましょう」

 ルリスに腕を取られたルカリがのろのろと腰を上げる。

「姫様が大丈夫と仰っているのだから」

 だから大丈夫なのよと言ったルリスが、ファラを真正面から見た。そして、すっと頭を下げると姉を促し――迷いをみせる姉を引きづるようにして、隠し戸の向こうへ消えた。

 二人が中に入るのを見届けて、ファラは扉を元の通りに閉めた。


(あれは気付かれていたのかしら?)

 ファラはルリスの様子に首を傾げた。


「自分に関わることは見えないの」と言ったファラが、「大丈夫」と言ったところで何の価値があろうか。ここが安全だと言うのなら、二人を留めておくのが最善のはず。だが、ファラは逃げろと言った。

 そのことに気付かなかったのか、気付かないふりをしたのか。ルカリは気が付いていなかったと思うが、ルリスはどうだろうか。ファラを真正面から捉えたルリスの様子を思い返す。

(どちらでも構わないわね。今となっては)

 ファラは嘆息し、少し乱れた裾を丁寧に直す。

(城はもう落ちた)

 脇息に凭れて、眸をとじる。


 ファラが自身に関わることを予見できないというのは嘘だった。

 占者は自分のことは視ることができない。世間の通念である。真偽のほどは明らかではないが、ファラたちリガの巫女姫に限っては例外が幾人もいた。ファラもそのうちの一人。ただ、敢えて誰も口にしてこなかった。自分たちの身を守るために。

 ファラはこれから訪れる自身の未来を知っていた。

 セオは、確実にここにやってくる。ファラを捕らえるために。

 彼らが攻め込んできた理由はファラ――先見の巫女姫だから。

 ファラは静かに待つ。

 さほど遠くないうちに訪れる時を。


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