【連載版始めました】義娘が悪役令嬢として破滅することを知ったので、めちゃくちゃ愛します ~契約結婚で私に関心がなかったはずの公爵様に、気づいたら溺愛されてました~
好評でしたので、連載版を始めました!
下記にリンクを貼っておりますので、そちらから飛んでお読みください!
よろしくお願いします!
これは、予知夢だ。
私、ソフィーアはすぐにそう認識できていた。
『レベッカ・ベルンハルド! 貴様は王子の婚約者という立場を利用し、多くの令嬢に目に余る嫌がらせをし、さらには逆恨みで王子を毒殺しようとした! 反逆罪で、処刑とする!』
役人にそう宣告された女性、レベッカ・ベルンハルトは手錠されて床に転がったまま、涙を流しながら懇願する。
『な、なんで私が、処刑に……! 私はただ、王子の愛が欲しかっただけで……!』
『だから令嬢を虐めたのか? それで王子の関心を引けると? 嫉妬して王子を殺そうとしたのだろう?』
『だって私が婚約者なのに、他の女が王子に話しかけて……! 王子も楽しそうに話していて、私には全く笑顔を見せないのに……!』
床に転がりながら言い訳を繰り返すレベッカに、集まった貴族の人達は冷たい視線を送っていた。
『アラン・ベルンハルド公爵、この決定に異論はあるか?』
その場にいたレベッカの義父で公爵家当主であるアラン・ベルンハルド。
レベッカは縋るような目で側に立っているアランを見るが……。
『異論は、ありません』
育て親であるアランの一言に、絶望の表情を浮かべる。
『そん、な……』
レベッカはそのまま、アランの横にいる私を見た。
その表情を見て、私は心が抉られるように痛む。
耐えられなくなって、私は思わず視線を逸らした。
そして役人が宣言する。
『ここに、レベッカ・ベルンハルドの処刑の決定を言い渡す! 処刑は後日――』
「はっ……!」
ようやく、私は最悪の予知夢から目覚めた。
「はぁ、はぁ……」
とても豪華なベッドの上で、汗だくになりながら息を整えていた。
久しぶりに予知夢を見たけど、本当に最悪だったわ。
私は『ギフテッド』という特殊能力で、予知夢を持っている。
こんな能力を持っていると言えば絶対に面倒なことになるので、誰にも言ったことはないけど。
予知夢はとても正確で、何も行動に移さなければ絶対にその未来は訪れる。
つまりさっきの予知夢、私の義娘となったレベッカが将来、王子と婚約してからいろんな令嬢に嫌がらせをし、最後には王子を毒殺しようとして処刑される。
私は一週間前、アラン・ベルンハルド公爵に嫁いだ。
イングリッド伯爵家の令嬢だった私だが、貧乏な伯爵家で有名だった。
だから公爵家からの婚約話に食いついて、私の意志を聞くこともなく政略結婚をした。
なぜ私に婚約話が来たのかは……アラン様が一年前に義娘にした、レベッカ嬢が理由だ。
レベッカ嬢はアラン様の弟夫婦の娘だったが、弟夫婦が事故で亡くなったらしい。
だからアラン様が引き取って義娘にしたのだが、アラン様は結婚していない。
娘が出来たのだから妻も、という声が多く上がって、アラン様に婚約話が多く来たらしい。
だけどアラン様は……。
『女など面倒だ、金は払うから妻役だけをやってくれる令嬢がいい』
ということで、イングリッド伯爵家の令嬢である私に声がかかったようだ。
それともう一つの理由があり、
『レベッカに少し似ているから』
ということだった……いや、前にレベッカ嬢と一回だけお会いしたけど、同じ金色の髪ってだけじゃない? 顔立ちはそこまで似てないと思う。
そして、一週間前に一回だけ会っただけ。
妻役というのはアラン様とレベッカ嬢が社交界に出る時に妻役をするだけで、ちゃんとした家族になるわけではなかった。
私はそれを理解していて、逆らわなかったけど……それが、将来はレベッカ嬢が破滅してしまう原因だ。
レベッカ嬢は、今はまだ十歳。
彼女は両親を亡くしてアラン様に引き取られてから一年間、ただ「公爵家の令嬢たれ」ということで厳しい教育を受けている。
レベッカ嬢の両親は、最悪に近い親だった。
公爵家だった父親が男爵の令嬢である母親と愛人関係を結んでおり、婚約者がいたのに愛人が子供を産んだ。その子供がレベッカ嬢だ。
その父親は公爵家を勘当され、男爵令嬢も勘当されて、手切れ金と共に平民街で暮らしていた。
二人は「子供が産まれなければ自分達は貴族でいられた」と思い、レベッカ嬢を憎んでいたらしい。完全に自分達のせいなのに。
虐待はしなかったようだが、レベッカ嬢に飯を与えるだけで無視していたようだ。
幼少の頃から無視されて、罵倒されて、愛など全く受けずに生きてきたレベッカ嬢。
その両親が亡くなってからすぐに、また誰も知らない公爵家に引き取られる。
両親のもとにいた頃よりも生活はとても良くなったと思うが、いきなり令嬢の教育を受けることになった。
アラン様はレベッカ嬢に興味がないのか、ほとんど会わず、一カ月に一度の食事会でも会話もしない。
厳しく愛を知らない環境で育っていくレベッカ嬢は、愛情に飢えていく。
そして十八歳になった頃に王子との婚約が決まって、王子に愛を強く求めるのだが……王族と貴族の婚約に愛などは必要とされていない。
実際に、私とアラン様の間にも愛などはない。
ただアラン様にとって私と結婚するのは都合がよく、私も親の取り決めで結婚しただけ。
レベッカ嬢もそれを知っているはずなのに、愛を知らずに育った彼女は王子から愛を求めてしまった。
王子と話す令嬢に嫌がらせをして遠ざけて、王子から愛を受けようとする。
しかしそんなレベッカ嬢を王子が好きになるわけがなく、むしろ心は離れていく。
最後にはレベッカ嬢が王子を毒殺しようとして……というのが、予知夢で見た未来だ。
「なんて可哀そうなの、レベッカ嬢は……!」
私は思わずそう呟いた。
九歳で両親が亡くなってからベルンバルド公爵家に、誰も知らない場所にいきなり引き取られた。
レベッカ嬢の両親も最悪で、そこから逃げられたのはよかったかもしれないけど、今でも十歳の子供が受けるには厳しい教育をされている。
これからもずっと続いていき、どんどん心が消耗して愛に飢えていく。
このままでは予知夢の通りに、処刑されるようなことになってしまう。
ただ私の予知夢の素晴らしいところは、対策が出来るところだ。
「絶対に、レベッカ嬢を助けるわ……!」
義娘のあんな未来を知って、何もしないわけにはいかない。
まだ一回しか会ってないけど、私とレベッカ嬢は家族になった。
契約結婚だとしても、そこに変わりはない。
だけど愛のある家族ではないから、そこを変えないと。
私がレベッカ嬢と愛情を伝えて、しっかりとした家族関係を築ければ、未来でレベッカ嬢が処刑されるようなことはなくなる……かもしれない。
「私だけがあの未来を知ったんだから、絶対に回避してみせるわ!」
まずやることは……レベッカ嬢に会わないとね。
あの未来を回避するためには、レベッカ嬢が愛に飢えるようなことになってはいけない。
つまり、今からレベッカ嬢と仲良くなること、これが一番大事ね。
私はベッドから起き上がり、自分で身支度をして部屋から出る。
ベルンハルド公爵邸はとても広く、いくつか屋敷が分かれている。
私が今いるのは本邸で、ここにレベッカ嬢はいない。
彼女は一番広い別邸の一人部屋に住んでいて、そこで厳しい教育も受けている。
おそらくアラン様も義娘に広い部屋を良かれと思って住まわせているのだろうけど、まだ十歳ほどの女の子は寂しいと感じるだろう。
だから本邸を出てレベッカ嬢に会いに行こうとしたのだけど……。
「ソフィーア嬢、どこに行くんだ?」
廊下を歩いている時に、目の前から男性が歩いてきた。
「アラン様……!」
ベルンハルド公爵家の当主で私と契約結婚をした、アラン様だ。
相変わらず恐ろしいほどに整った顔立ちね、いつもだいたい無表情だから冷たい印象を与えることが多いと思うけど。
漆黒の艶やかな髪で、私やレベッカ嬢とは全く違う髪色や髪質だ。
私は金色で少し癖があってウェーブがかっている。
身長も高く、私と頭一個分違う。
「おはようございます、アラン様」
「もう昼過ぎだが? よく寝ていたようだ」
「あ、そ、そうでしたか」
そうだ、予知夢を見る時はだいたい長く眠ってしまうんだった。
すっかり忘れていた。
「それで、どこへ行くんだ? あなたはここ一週間、公爵夫人になるための教育を受けていたはずだ」
「ええ、そうですね」
公爵家の夫人になるのだから、当然の教育だ。
私はもう二十歳だから、そういう教育を受けてもそこまで苦ではない。
だけどレベッカ嬢は違う、まだ十歳だ。
「レベッカ嬢に会いに行こうと思いまして」
「レベッカに? なぜ?」
アラン様は無表情でそう問いかけてきた。
一週間、私はアラン様の言うことだけを聞いて教育を受けてきた。
疑問に思ったことはあった。なぜレベッカ嬢と一緒に食事をしないのか、なぜレベッカ嬢と全然会わないのか。
だけど私は契約結婚で公爵家に嫁いできたから、あまり変なことは言わない方がいいと思っていた。
アラン様の言うことに逆らうことはしない方がいい、と思っていたので何も言わなかったけど、予知夢であの未来を知った。
「レベッカ嬢と、仲良くなりたいと思いまして」
「仲良く?」
「はい、私はあの子の義母となるのですから」
私の言葉に、アラン様は不思議そうに首を傾げる。
表情はやはり全く変わっていない。
「確かに書類上の関係はそうだが、別にそこまでは求めていない。社交界などの際に、私の妻役として振る舞ってくれればそれでいい」
冷たくそう言い切るアラン様に、私はムッとした。
そんな態度をしていたら、レベッカ嬢が処刑されるという未来になってしまう。
私もあの未来を見るまでは、レベッカ嬢に関わろうとはしていなかったけど。
それでもあの未来を知ったからには、何も行動しないわけにはいかない。
「私がレベッカ嬢と仲良くなりたいのです。義務などではなく、ただ家族として」
「家族として……ふむ」
顎に手を当てて、考えるように一度頷いた。
「特に止めることはしない。別に契約で『レベッカと仲良くなってはいけない』など書いた覚えはないからな」
契約結婚をする時に、契約書で取り決めをされた。
いろいろとあったが、簡単に言えば「アラン様の仕事を邪魔せず干渉せず、彼を愛さないこと」という契約だった。
女に興味がないということなので、アラン様を好きになるような女性は面倒なのだろう。
「はい、ありがとうございます。では失礼します」
私は一礼をして、アラン様の横を通って別邸へと向かう。
「……家族か」
何か後ろでアラン様が小さく呟いた気がするけど、私にはよく聞こえなかった。
別邸に着いて、メイドの方にレベッカ嬢がどこにいるか聞く。
どうやらすでに今日の教育を受けているようだ。
私が昼まで寝ていたから、教育を受け始めているのは想定済みだ。
「今はどこで何をやっているの?」
「二階の広間でダンスの稽古をなさっているはずです」
「そう、ありがとう」
私はお礼を言って、レベッカ嬢がいるという二階の広間へと向かう。
大きな扉があってすぐに開けようとしたけど……一応、稽古を受けているので邪魔をしたらいけないと思い、こっそり開けて中を覗く。
中には何人かのメイドが壁際にいて、広間の真ん中にレベッカとダンスの先生の女性がいた。
レベッカ嬢は十歳だから他の大人よりも身長が低く、私と並んでも胸辺りしかない。
金色で長い髪はとても綺麗で、だけど顔立ちは目がぱっちりとしていて可愛らしい。
アラン様は私が「レベッカと似ている」と言っていたけど、結構違うと思う。
私もアラン様と同じように、顔が怖いと言われることがある。
目尻が上がっているので、普通に見ているだけなのに睨んでいると勘違いされたことが何度もある。
だから顔立ちが可愛らしいレベッカ嬢とは髪が金色、というだけが共通点ね。
そんなレベッカ嬢だけど、その表情はとても険しい。
ダンスの練習なのか、頭に本を置かれている。
そのまま部屋を歩いているのだが……歩いている途中に落としてしまう。
それを焦って拾って自分で頭に乗せて、また歩いては落としてを何回か繰り返す。
側で見ている先生のような女性が、はぁとため息をついた。
するとレベッカ嬢はビクッと震える。
「何度やったら出来るのですか? 早く次の練習をしたいのですが」
「は、はい、すみません……」
先生の言葉にとても委縮しながら返事をするレベッカ嬢。
十歳の子供がやるような練習? 厳しすぎるでしょ。
大人の私ですら、本を乗せて歩くのは難しい。
それと気になってたけど、指導をしている先生、どこかで見たことある気がするわね……。
ここからだと横顔しか見えないけど……あっ、思い出した、確かナーブル伯爵夫人だわ。
社交界で見たことがあって、評判がかなり悪い人だった。
自分よりも爵位や地位が低い方には高圧的で、彼女の伯爵家でも執事やメイド達に乱暴な態度を取っているらしい。
だけど社交的なマナーの先生とも聞いたことがあるから、レベッカ嬢の教育の先生に選ばれたんだろうけど……。
「また落として! 何をしているのですか!?」
「す、すみません……!」
レベッカ嬢が委縮して言い返してこないことをいいことに、あんな厳しくて乱暴な態度を取って……!
あんな教育を繰り返していたら、心に傷を負うに決まっている。
もう見てられないわ!
私は扉をバンッと音を立てて開ける。
すると全員が私の方を見て目を丸くする。
「奥様……!」
メイドや執事の方々は驚きながらも、すぐに私に一礼をする。
一週間前に嫁いできたとしても、私は公爵家の女主人。こんな反応になるのは当然だろう。
「ソ、ソフィーア様、ごきげんよう」
レベッカ嬢が私を見てスカートの裾を持って綺麗に頭を下げた。
まだ私とレベッカ嬢は一回しか会ったことないから、他人行儀なのは仕方ないでしょう。
今、大事なのは……。
「ソフィーア嬢、ごきげんよう。なぜこちらに?」
先生役を務めているナーブル伯爵夫人ね。
彼女は頭を下げることなく、笑みを浮かべて私を見下すような目をしている。
前まで私は貧乏伯爵家の令嬢で、ナーブル伯爵夫人よりも地位が下だった。
彼女の性格上、私のことを見下すのは当たり前。
だけど、今は違う。
「ナーブル伯爵夫人、ごきげんよう。ですがその態度は、公爵夫人である私に対しての行為でしょうか」
「っ!?」
一週間前に私は公爵夫人となったのだ。
まあ契約結婚でなったものだから、威張れるものではないけど。
だけど公爵夫人となったのは覆りようのない事実で、伯爵夫人と比べたら爵位も地位も上だ。
それこそ、今のナーブル伯爵夫人の態度を咎められるくらいには。
「レベッカ嬢を教育する先生として、相応しい態度を取っていただきたいですね」
暗に「そうしないと解雇する」と伝えているのだが、伝わっているかしら?
「っ……失礼しました、ソフィーア公爵夫人。以後気を付けます」
伝わったのかはわからないけど、ナーブル伯爵夫人は頭を下げて謝った。
だけど表情は納得しているようではなく、恨めしそうに唇を噛んでいるのが見えた。
彼女が何を思うと、どうでもいいけど。
私はレベッカ嬢に近づいて、腰を落として彼女と視線を合わせる。
ぱっちりとした目が不安に揺れている。
なぜ私が来たのかよくわからないようね。
一週間前に一回会っただけの、いきなり出来た書類上の家族。
十歳のレベッカ嬢が警戒するのは当然よね。
「レベッカ嬢、ごきげんよう。久しぶりね」
「は、はい、お久しぶりです」
まだレベッカ嬢からは敬語で話される、まあ仕方ないわね。
いつか私のことを家族だと思って、気軽に話しかけてくれたら嬉しいけど。
これから頑張って愛を伝えていかないと。
「今日はレベッカ嬢と昼食を一緒に食べたいと思って来たの」
「っ、昼食ですか……?」
「ええ、どうかしら?」
真顔だと怖がられるかもしれないので、私は笑みを浮かべて彼女に提案する。
「あ、ありがたいですが、その……」
レベッカ嬢は視線を私から逸らして、チラッとナーブル伯爵夫人のことを見る。
「ソフィーア公爵夫人、レベッカ嬢は現在、昼食を抜いております」
「……はっ?」
ナーブル伯爵夫人の言葉に、私は思わず声を出してしまった。
レベッカ嬢の昼食を抜いている?
私は立ち上がってナーブル伯爵夫人を少し睨む。
「どういうことですか?」
「そのままの意味です。彼女の食事管理も私は任されておりますので」
当然、といった表情で彼女はそう言い切った。
「なぜレベッカ嬢の昼食を抜く必要があるのですか?」
「体型維持のためと、忍耐力を鍛えるためです」
十歳の女の子に、昼食を抜いて体型維持?
育ち盛りの子供に満足に食べさせないなんて、成長を阻害するだけじゃない。
忍耐力を鍛えるなんて、他のことでも出来る。
というか令嬢の教育なんて全て忍耐力が必要なのだから、普通の教育をしているだけで忍耐力なんて身に付く。
それでさらに昼食を抜いて忍耐力を付けるなんて、成長を阻害して体調も悪くなるだけで、最悪だわ。
「昼食を抜くことを今すぐやめなさい。まだ小さいレベッカ嬢にそんなことをしても、健康に悪いだけです」
「っ、ですがレベッカ嬢の教育係は私です。いくらソフィーア公爵夫人でも、私の教育に口を出されるわけにはいきません」
確かにナーブル伯爵夫人の言うことも一理ある。
彼女に教育係を任せたのは公爵家なので、レベッカ嬢の教育に口を出すのは規則違反だろう。
それならば……。
「では、あなたを教育係から解雇します」
「なっ!?」
私の解雇宣言に、大きな声を上げて驚くナーブル伯爵夫人。
教育係として雇ったのは公爵家、だけどこちらの教育方針を無視するのであれば解雇すればいいだけの話。
「今までありがとうございました。他の方を探しますので、どうかお引き取りを」
「ソ、ソフィーア公爵夫人! そんな浅はかな考えはどうかお止めを……!」
「いいえ、あなたじゃレベッカ嬢を任せられないと判断しただけです。先程、練習している際の態度も見ましたが、あんな高圧的な態度を取る方にレベッカ嬢の先生は務めてほしくありません」
「っ……!」
ナーブル伯爵夫人は顔を赤くして怒っているようだが、何も言えずにいる。
私が公爵夫人だから、ギリギリで暴言を吐くことをとどめているのだろう。
「お帰りください」
「っ……失礼します」
彼女は私を睨みながら一礼して、足早にこの部屋を出て行った。
ふぅ、私も少し勢いでやってしまったけど、これでよかったのかしら?
だけどこれから数年にかけてレベッカ嬢に令嬢の教育をしていく先生を、あの人に任せられないのは事実。
あんな教育をずっと続けていたら、レベッカ嬢は予知夢のように悲しいことになってしまったかもしれない。
「あ、あの……」
レベッカ嬢が不安そうに私を見上げながら声をかけてきた。
「ごめんなさい、みっともない姿を見せたわ」
「い、いえ、そんなことは……」
「じゃあ一緒に昼食を食べましょ?」
「その、いいのでしょうか? 私が昼食を食べても……それにまだダンスの稽古も終わってないです……」
レベッカ嬢はとても不安そうにしながらも、その瞳には少しの期待が込められている気がした。
私は優しい笑みを意識して作りながら話す。
「いいのよ、しっかり食べて健康的に過ごすのも大事だわ。それに昼食をいつも抜いているんだったら、お腹が空いているでしょ?」
「い、いえ、特に空いては……」
レベッカ嬢が言葉を発する前に、彼女のお腹から「ぐぅ」という可愛らしい音が鳴った。
瞬間、レベッカ嬢は顔を青くしてお腹を押さえた。
「す、すみません! お腹を鳴らしてしまって、はしたないことをしてしまって……!」
慌てて青い顔で謝るレベッカ嬢を見て、私は教育係のナーブル伯爵夫人への怒りがまた膨れ上がってきた。
十歳の女の子がお腹が鳴って恥ずかしがるんじゃなくて、青い顔になって謝る?
どんな教育をすれば、こんな反応をするようになるの?
勢いで解雇してしまったけど、本当に解雇してよかったわ。
私は膝をついて視線を合わせ、彼女の頭を撫でる。
頭に手を伸ばした時にビクッとしていたけど、頭を撫で始めると不思議そうに私を見てきた。
「大丈夫よ、全く怒ってないわ」
「お、怒ってない、ですか?」
「ええ、むしろ愛らしくて口角が上がってしまうわ」
私は両手の人差し指で口角をわざと持ち上げて、「ほら」と言った。
「レベッカ嬢のお腹の虫のせいで、こんなに上がってしまったわ」
「……ふ、ふふ」
私の無理やり口角を上げた変な顔を見て、レベッカ嬢は思わず笑ってしまったようだ。
なんて愛らしい笑みなの……!
こんな可愛い子が将来、破滅する運命なんて絶対に変えてみせるわ。
「一緒に食べましょ? ねっ?」
レベッカ嬢の手を優しく握ってそう言うと、彼女は困惑しながらも「は、はい」と返事をしてくれた。
「じゃあ行きましょ。メイドさん、私とレベッカ嬢の昼食を準備して。私もこの別邸の食堂で食べるから」
「かしこまりました」
後ろで見ていたメイドの方にそう声をかけてから、レベッカ嬢の手を引いて食堂へと向かう。
最初は繋いでいた手に全く力が入っていなかったが、少しだけきゅっと力が入った。
レベッカ嬢を見ると私のことを不安げに見上げていて……不謹慎にも上目遣いの表情がとんでもなく可愛くて、私の胸がきゅっとなった。
「レベッカ嬢、好きな料理はあるかしら? 何か食べたいものは?」
「え、えっと、わからないです……すみません」
「謝る必要はないわ、レベッカ嬢。まだ自分の好きな物がわからないなら、これから見つけていけばいいのよ」
「は、はい」
私とレベッカ嬢は手を繋いだまま歩いていき、食堂の席に座る。
普通なら対面に座るのだろうが、公爵家だからテーブルがとても大きい。
対面に座ったら遠くなってしまうので、私はレベッカ嬢の横に並んで座った。
「あ、あの、こういう場合、対面に座るのではないのでしょうか?」
レベッカ嬢はすでにテーブルマナーなどを学んでいるのか、不思議そうにそう問いかけてきた。
「確かにそうだけど、私達は家族だから大丈夫よ」
「っ、家族……ですか?」
「ええ、家族よ」
驚いたように私の顔を見つめるレベッカ嬢。
彼女は今まで家族の愛を受けたことがない。
だけどこれからは私が彼女をしっかり愛していくつもりだ。
その後、すぐに昼食が次々と運ばれてくる。
いきなり別邸で私が食べると言ったので料理人の方には迷惑をかけたと思ったが、とても綺麗で美味しい料理が運ばれてきた。
さすが公爵家ね、雇っている人も一流だわ……教育係以外は。
なんであんな教育係にしたか、アラン様に聞かないといけないわね。
そんなことを考えながら食事をしていると、隣にいるレベッカ嬢が食事の手が止まりかけていた。
まだ結構余っているようだけど……。
「どうしたの?」
「あ、その、すみません、いつもより少し量が多くて……」
「もう食べられない?」
「い、いえ、食べられますが……こんなに食べていいのですか?」
そうか、レベッカ嬢はずっと食事管理をされていたから、食べることに罪悪感を覚えているのね。
「大丈夫よ、いっぱい食べて。どれが好きとかあるかしら?」
「え、えっと、どれもすごく美味しくて、全部好きです!」
はぁ、レベッカ嬢の無垢な笑顔が可愛いわ……!
周りにいるメイドや執事の方も微笑ましそうにしているわね。
さっきの稽古の時に使用人の方々は顔をしかめているか、顔を逸らしていた。
本当なら止めたいけど、立場上それは出来なかったってことね。
使用人の方々は良い人が多そうでよかったわ。
昼食の量は結構多かったけど、レベッカ嬢はしっかり全部食べられた。
十歳の食べ盛りだから、いっぱい食べられてよかったわ。
「美味しかった?」
「はい、とても美味しかったです!」
とても可愛らしい笑みを浮かべているレベッカ嬢。
今日一番の笑顔ね、やっぱり食事は人を幸せにするわね。
「今日この後はどういう予定だったの?」
「えっと、この後は座学で……ふぁ」
あら、可愛いあくびね。いっぱい食べて眠くなっちゃったのかしら。
そんなことを思っていたら、またレベッカ嬢が慌てたように顔を青くする。
「す、すみません! はしたない真似を……!」
申し訳なさそうな顔、さっきまで愛らしい笑みを浮かべていたのが嘘みたいだ。
私はもうその表情が見ていられず、横に座っていた彼女を抱きしめた。
「っ、えっと、ソフィーア様……?」
「ここにはあなたを怒る人なんていない。だからそんなに謝らないで」
私は抱きしめたまま彼女を持ち上げて抱っこをする。
そこまで力持ちではない私ですら、簡単に持ち上がるほど軽い体重。
これからはしっかり食べさせないといけないわね。
「今日はお昼寝しましょうか。教育係もいないことだしね」
「えっ、お昼寝、ですか?」
「ええ、眠いんでしょう?」
「いや、あの……」
「正直に答えてくれると嬉しいわ」
「……はい、その、昨日も遅くまで勉強をしていたので」
「昨日も、遅くまで?」
私は思わず復唱してしまった。
「あっ、私がいけないのです。試験でいつも満点を取れないので……」
「もういいわ、大丈夫よ」
話を聞いていると怒りが湧いてきてしまう。
レベッカ嬢には怒ってないのに、彼女にそれが伝わってしまうといけない。
「彼女の部屋はどこかしら? 案内をお願い」
「こちらでございます」
メイドの方がすぐに食堂の扉を開けて、案内をしてくれる。
私はレベッカ嬢を抱き上げたまま移動する。
「ソ、ソフィーア様、自分で歩けますよ……!」
「大丈夫よ、レベッカ嬢は軽いから。大人しく抱えられていてね」
「ですが……」
「レベッカ嬢は甘えていいのよ」
「っ、甘える、ですか?」
その言葉に少し驚いたのか、近くで私を見つめてくる。
睫毛が長くて綺麗ね、本当に可愛らしい。
「そうよ、レベッカ嬢はまだ幼いから、甘えていいのよ」
「……そう、なのですか?」
「ええ、もちろん」
レベッカ嬢は今まで両親から愛してもらえず、公爵家に来ても厳しい教育をされ続けてきた。
甘えたことなど人生で一回もないのかもしれない。
だから私が甘えさせてあげて、処刑されるような未来を変えないといけないわ。
「レベッカ嬢、私の首に手を回さないと危ないわ」
「は、はい」
「ふふっ、いい子ね」
レベッカ嬢がぎゅっと抱きしめてきて、彼女の温もりが伝わってきた。
それはレベッカ嬢も同じだったようで。
「温かい、です」
「ええ、そうね。安心する温もりだわ」
「安心……はい、とても安心します」
さっきまで緊張していた声が、今は少し油断したような声色になってきた。
はぁ、声まで可愛いわね……!
そんなことを思いながら、レベッカ嬢の部屋に向かう。
寝室をメイドの方に開けてもらうと、そこはとても豪華な部屋だった。
だけど机の上に多くの本や紙が置いてあるから、そこでずっと勉強をしていたようね。
あとで寝室と勉強部屋は分けさせよう、これじゃ気持ちを切り替えて眠れないでしょう。
私はレベッカ嬢をベッドの上に優しく下ろす。
「あっ……」
私から離れる時に、レベッカ嬢の寂しげな小さな声が漏れたのが聞こえた。
くっ、本当に可愛すぎるわね。
「運んでいただきありがとうございます、ソフィーア様」
「ええ、それじゃあ一緒に寝ましょうか」
「ほ、本当に寝るのですか? まだお昼ですが……」
「昨日も夜遅くまでレベッカ嬢は頑張ったんだからいいのよ。それに休まないと身体を壊してしまうわ」
一緒に布団の中に入って、顔が向き合うように横向きに寝転がった。
部屋を暗くして、ベッドの側にある灯りだけが薄っすらと光っている。
少しだけレベッカ嬢の表情が見えるくらいの明るさだ。
「寝づらくない?」
「はい、大丈夫ですが……」
普段着のまま寝転がっているので、少し寝づらいはずだ。
それにお昼に寝るのはいけないことだと思っているようなので、眠気がこないのかもしれない。
私はもう少しだけレベッカ嬢の方に身体を寄せて、彼女の頭を撫でる。
「あっ……」
「頭撫でられるのは嫌い? 寝づらいならやめるけど」
「い、いえ……その、撫でられると安心して、気持ちいいです」
レベッカ嬢は恥ずかしそうに小さな声でそう言った。
うん、可愛いわね。
「じゃあ撫でてもいい? レベッカ嬢の髪はとても綺麗で、触り心地がいいから」
「はい……」
「他に何かしてもらいたいことはある? 甘えてもいいのよ」
「……あの、一つだけ、いいですか?」
不安そうにレベッカ嬢が聞いてきた。
今までずっと私の態度や行いに戸惑っていたレベッカ嬢の、初めてお願い事。
とても嬉しいわね。
「ええ、何かしら?」
「……その、また、抱きしめてもらっても、いいですか?」
「っ……!」
か、可愛すぎる……!
よく声を出さなかったわ、私。
不意打ちでレベッカ嬢の可愛さがきたから、声を上げそうだった。
「もちろん」
「あっ……」
レベッカ嬢を抱きしめると、彼女もさっきと同じように抱きしめ返してきた。
私の胸元にレベッカ嬢の顔があるような体勢だ。
「息苦しくない?」
「はい、大丈夫です……」
「寝られそう?」
「はい……安心、します……」
少し眠くなってきたようで、レベッカ嬢の声が小さくなってきた。
彼女の頭に手を回して、頭を撫でる。
「おやすみなさい、レベッカ嬢」
「はい……おやすみなさい、ソフィーア様……」
レベッカ嬢は安心しきったような声でそう言った。
そしてしばらく経つと眠ったようで、可愛らしい寝息が胸元から聞こえてくる。
ふふっ、本当に可愛いわね。
こんな可愛い子が将来、愛情を求めて令嬢に嫌がらせをして、王子を毒殺しようと考えるなんて。
今からレベッカ嬢を愛していけば、おそらくその未来は変えられると思うけど。
レベッカ嬢も眠ったし、私も眠ろうかと思ったけど……。
全然眠気がない、そういえば私は昼頃まで寝ていたわね。
さすがにベッドの中から抜けようとしたら、せっかく眠ったレベッカ嬢も起きてしまうだろうし。
仕方ないけど、このままの体勢で寝転がっているしかないわね。
その後、レベッカ嬢が起きるまでベッドの中で過ごした。
レベッカ嬢は疲れと寝不足もあったのだろう、夕食前まで穏やかに眠っていた。
「す、すみませんでした!」
レベッカ嬢は起きて時計を確認し、すぐに私に謝った。
「こんな時間まで寝てしまって……!」
慌ててベッドから降りて頭を下げるレベッカ嬢。
「大丈夫よ、レベッカ嬢。顔を上げて」
私がベッドの縁に座ると、彼女と頭の高さが一緒になる。
心配そうに私を見つめる顔、寝ていたから少し跳ねている髪。
寝起きも可愛いわね。
「ぐっすり眠れた?」
「は、はい……寝すぎてしまいました」
「しっかり眠れたのならよかったわ、レベッカ嬢」
私がレベッカ嬢の寝癖になってしまった部分を押さえるために、頭を撫でる。
「気持ちよく眠れた?」
「はい、とても気持ちよかったです」
「そう、それならよかったわ。また一緒に寝たい?」
「ね、寝たいですが、ソフィーア様の迷惑じゃ……」
「大丈夫よ。私も一緒に寝たいから」
私が優しく微笑むと、レベッカ嬢も嬉しそうに微笑んでくれた。
とても可愛らしい笑みで、見ているだけで幸せになるわね。
この子の幸せは私が守らないと。
「じゃあ夕食に行きましょうか。食べられる?」
「すみません、あまりお腹は空いてなくて……」
昼食を食べた後にずっと寝ていたから、お腹が空いてないのは仕方ないだろう。
「じゃあ軽く食べましょうか」
「はい」
最初に会った時よりも元気になっている気がするわね。
少しずつ心を開いてくれているのかも。
これからもっと仲良くなって、愛してあげたい。
二人で部屋を出て食堂へと向かおうとすると、一人のメイドに話しかけられる。
「奥様、公爵様との食事の時間です」
「あっ、そうだったわね」
私とアラン様は契約して夫婦となったが、夕食は一緒に食べることが多い。
だけどあの人と夕食を取っても、ほとんど喋らないのよね。
契約結婚だからお互いに愛がないのは当たり前なんだけど。
一週間前に公爵家に嫁いできたけど、アラン様に初めて会ったのは二週間前程度。
嫁ぐ前に一度だけ顔を合わせて、次に顔を合わせた時は夫婦関係だった。
最初の顔合わせの時に私を見て「レベッカに似ている」と思ったらしいけど。
「もう私の夕食は本邸で準備されているの?」
「はい」
それは困った、私はこのまま別邸でレベッカ嬢と夕食を取ろうとしていたけど、
あ、そうだ、レベッカ嬢を本邸に連れて行けばいいのかしら。
「レベッカ嬢、あなたも本邸で一緒に食べない?」
「えっ……その、私もいいのですか? 公爵様と、食事をしても……」
公爵様? レベッカ嬢はアラン様のことを公爵様と呼んでいるのね。
私は公爵家に来て一週間ほどだけど、レベッカ嬢はもう一年はいるはずだ。
それなのにアラン様への呼び方がまだ固いのは、全然仲良くなってない証拠だ。
「レベッカ嬢はアラン様と食事をしたことはある?」
「えっと、一カ月に一度の頻度で食事会をしています」
「一カ月に一度……」
つまりまだ十回程度しか一緒に食事をしたことがないのね。
「食事をする時に何か話すの?」
「私の勉強の進み具合や、稽古のことを話します」
「それ以外は?」
「特にそれ以外は……公爵様は忙しそうで、すぐに食べてどこか行ってしまうので」
なるほど、話すのは最低限のことばかりね。
アラン様は私と食事をする時はほぼ喋らないけど、レベッカ嬢とは少しだけ喋るようね。
まあ頻度が私は週に数回、レベッカ嬢は一カ月に一度だけど。
「レベッカ嬢は、アラン様と食事を共にするのは嫌ではない?」
「い、嫌ではありません! 公爵様はとても優しい方ですから」
「優しい方?」
「はい、私をこの家に引き取ってくれましたから。とても優しいです」
確かにレベッカ嬢がアラン様の弟夫婦の娘だとしても、特に引き取る理由はない。
レベッカ嬢を公爵家に引き取ったのはどうしてなのかしら?
今はわからないけど、レベッカ嬢からすればアラン様は自分を拾ってくれたとても優しい人と思うだろう。
「もっと仲良くしたいとは思いますが……まだ、二人で話すのは少し緊張します」
「そうよね……」
数回ほど食事を一緒にしたけど、私でもまだ緊張するから。
子供のレベッカ嬢なら緊張するのは当然ね。
「それなら今日は一人で食べる?」
「あ、いえ……その、ソフィーア様がいれば、大丈夫だと思います……!」
レベッカ嬢は上目遣いでそんな可愛いことを言ってきた。
くっ、私は何度心を奪われないといけないのか……!
「嬉しいわ、レベッカ嬢。私もレベッカ嬢と一緒に食べたいから」
「わ、私も嬉しいです!」
「じゃあ本邸の方で一緒に食べましょうか」
「はい!」
いい笑顔で返事をしたレベッカ嬢。
そして私達は別邸から、本邸へと向かう。
その際、すれ違ったメイドに「レベッカ嬢の夕食を本邸で用意して。それと本当に軽いものを準備しといて」と言っておいた。
私とレベッカ嬢が本邸の食堂に入ると、アラン様が席に着いていた。
というか、すでに食事を始めていた。
遅れたのは悪いけど、まさか先に食べ始めているとは……。
「申し訳ありません、アラン様。遅れてしまいました」
「いや、問題ない。こちらも食べ始めてすまないな」
アラン様は謝ってくれたが、食べる手を止めてはいない。
所作がとても綺麗で貴族であれば目指すべき美しさなのだろうが……彼が食べていても、全く美味しそうに見えない。
例えばアラン様が極上の肉を食べても、顔色一つ変えない。
腐りかけの食べ物を食べても、同じように顔色が変わらないだろう。
それだけ彼の冷徹な仮面は崩れそうになかった。
「ん、レベッカもいるのか」
「ご、ご機嫌よう、公爵様」
「ああ、どうして本邸に?」
「私が連れてきたんです、アラン様。レベッカ嬢とご一緒に食事がしたいと考えまして」
「い、一緒に食事をしてもよろしいですか?」
レベッカ嬢が少し震える声で座っているアラン様にそう言った。
アラン様は私とレベッカ嬢を一瞥してから、食事に視線を戻す。
「問題はない。だがレベッカの分の食事の準備には遅れると思うが」
「は、はい、大丈夫です」
「そうか、ならいい」
やっぱり許してくれたようだ。
興味がないから勝手にしていい、って感じだけど。
私はいつも通りアラン様の対面に座って、私の横にレベッカ嬢が座る。
レベッカ嬢の右斜めの席にアラン様が座っている位置だ。
私の料理はすぐに届いたのだが、レベッカ嬢の料理はまだ届かない。
だからまだ私は手を付けなかったのだが、アラン様が首を傾げた。
「どうした、食べないのか? 何か嫌いな物でも入っていたか?」
「いえ、そうではなく。レベッカ嬢の料理が届くまで待っているのです」
「ソ、ソフィーア様、先に食べていただいて大丈夫ですよ!」
レベッカ嬢が慌てたようにそう言ってきたが、私は首を横に振る。
「私が一緒に食べたいから待っているのよ、レベッカ嬢」
「ソフィーア様……」
「……ふむ、そうか」
私とレベッカ嬢のやり取りを見て、アラン様が指をパチンと鳴らして執事を近くに寄らせる。
「レベッカの料理を早く用意させろ。一気には持ってこなくてもいい、一品でも出来たら持ってこさせろ」
「かしこまりました。そのようにいたします」
その指示を聞いて私とレベッカ嬢は少しだけ呆然としてしまった。
まさかアラン様が私達のためにそんな指示をしてくれるなんて。
執事の方が扉から出て行って、私はハッとしてお礼を言う。
「ありがとうございます、アラン様。わざわざそのようなことを」
「あ、ありがとうございます、公爵様」
「このくらいは当然のことだ。礼を言われるまでもない」
アラン様は淡々とそう言ったが、少しだけさっきよりも食べる手が遅くなっている気がする。
しばらくするとレベッカ嬢の料理が一品届き、一緒に食べ始める。
「いただきます」
「いただきます」
「……」
うん、アラン様ははもうすでにいただいているから、言うことはないわね。
その後、しばらくは無言で食べていたのだが、私はアラン様に報告しないといけないことがあった。
「アラン様、一つご報告が」
「なんだ?」
「レベッカ嬢の教育係のナーブル伯爵夫人、彼女を解雇しました」
「……なぜだ?」
食べていた手を止め、アラン様は私をじろっと見てくる。
私はその視線に少しだけひるんだが、彼に理由を話す。
「レベッカ嬢に厳しすぎる教育をしていたからです」
「レベッカは九歳から公爵令嬢となった。教育がそこらの令嬢よりも厳しいのは当然だ」
「ですが、限度があります。大人の私でも受けたことがないような厳しい教育は、レベッカ嬢を無駄に苦しめていました」
それと私が一番あの教育係が嫌だったのは、厳しすぎる教育だけじゃない。
「特にナーブル伯爵夫人はレベッカ嬢に対して高圧的な教育をしていました。あれではレベッカ嬢が委縮してしまい、本来の能力が出せません」
「……なるほど」
アラン様はグラスを手に取り、一口飲んだ。
視線をずらし、レベッカを見る。
「レベッカ、お前はどうだ?」
アラン様に話しかけられて、隣に座っているレベッカ嬢がビクッとする。
「お前には一カ月に一度ほど、教育についての話を聞いてきた。その中でナーブル伯爵夫人に対しての印象なども聞いたが、お前からは『いい人です』という話しか聞いていない」
「あ、その……!」
「あれは嘘だった、そういうことか?」
「アラン様、それは……」
レベッカ嬢が理由を話せないと思って私が喋ろうと思ったのだが……。
「ソフィーア嬢、俺はレベッカに聞いている」
「っ……」
そう言われてしまっては、私からは何も言えない。
黙ってレベッカ嬢の方を見ると、彼女は怯えているようだった。
アラン様の視線はいつもと変わりはない、だけど彼の冷徹な視線は子供のレベッカ嬢には耐えられないだろう。
しかも今はレベッカ嬢を責めているように聞こえるから、余計に怖いはずだ。
「あ、あの……」
「……」
レベッカ嬢が何も言えていないが、アラン様は黙ってレベッカ嬢と視線を合わせている。
私は何も言えないので、レベッカ嬢に頑張ってもらうしかない。
だけど少しだけでも手伝いたいので、テーブルの下でレベッカ嬢の手を優しく握った。
「ソ、ソフィーア様……」
「レベッカ嬢、落ち着いて。自分の気持ちを言えばいいのよ」
「っ……」
レベッカ嬢は私のことを潤んだ瞳で見てから、意を決したようにアラン様の方を見る。
彼女の震える手をしっかり握っていてあげる。
「すみません、公爵様。私は、嘘をついていました。ナーブル伯爵夫人は、すごい怖かったです。私が失敗すると叩かれて、痛かったです」
今日は叩かれているところを見なかったけど、やっぱり暴力も振るわれていたのね。
本当に、許せないわ……!
「なぜそれを言わなかった?」
アラン様は淡々とレベッカ嬢に質問をする。
おそらく彼は責めているわけではなく、ただ質問をしているだけだと思うが、レベッカ嬢には問い質されているように感じるだろう。
だけどレベッカ嬢は私の手を少し強く握って、震える身体で言葉を続ける。
「これが、公爵家では普通の教育だと思って……何か文句を言ったら、怒られる、捨てられると思ったから、です」
「……そうか」
「嘘をついて、すみませんでした……」
レベッカ嬢はそう言って頭を下げた。
しばらく沈黙が続き、アラン様が「レベッカ」と声をかける。
「頭を上げろ」
「……はい」
「レベッカ、こちらこそすまなかった」
「えっ……」
まさかアラン様が謝るとは思っていなかったのだろう、レベッカが目を見開いた。
「実際、ナーブル伯爵夫人が行き過ぎた教育をしていたことを、俺は知っていた」
その言葉に、私も驚いてしまった。
「使用人からどんな教育をされているか聞いていたからな。だが解雇しなかった理由は、レベッカが言わなかったからだ」
「私が……?」
「教育に耐えられていて、それでいて不満を言わない。だから解雇しなかった」
「アラン様、それはナーブル伯爵夫人の行為を見逃していた、ということですか?」
私は少しアラン様を睨んで、語気を強めてそう問いかけた。
レベッカ嬢が暴力を受けるほどの教育をされているのを知っていて、まさかそのままにしていたなんて。
「レベッカは公爵令嬢だ」
「だからあのくらいの教育は我慢するべき、という話ですか? いくらなんでも……!」
「違う。我慢するべきではなく、自分から解雇してほしいと言うべき、ということだ」
アラン様は淡々と、公爵家当主らしい言葉を言い続ける。
「公爵令嬢なのだから、あの程度の人間を解雇することを自分から言うべきだと思っていた。だから放置していた。公爵令嬢と伯爵夫人など、立場はどう考えても公爵令嬢の方が上。今までの教育を全て問題視すれば、ナーブル伯爵家を潰すことも簡単だ」
「ですが、レベッカ嬢はまだ十歳で、公爵家に来て一年しか経っていません。そこまで考えて発言するのは難しいかと」
私がそう言うと、アラン様は少しだけ目を見開いた。
しかしすぐにいつもの無表情に戻る。
「ああ、確かにその通りだ。だからすまなかった、レベッカ」
頭を下げてはいないが、しっかり謝罪の言葉を言ったアラン様。
意外と自分が悪いと思ったら素直に謝罪をする人なのね。
「い、いえ、公爵様、私が嘘をついたのが悪いのです」
「ああ、レベッカにも非はある。次からはしっかり考えて発言するように」
「わ、わかりました」
この人……子供に容赦ないわね。
だけど公爵家当主のアラン様なりに、しっかりレベッカ嬢を育てようと考えていたのね。
でも今のままだったら将来、レベッカ嬢が愛に飢えて破滅してしまう。
アラン様とレベッカ嬢がしっかり仲良くなっていけば、その未来を変えられる可能性が高くなる。
これから私とレベッカ嬢だけじゃなくて、アラン様とレベッカ嬢の仲も良くしていきたいわね。
その後、アラン様は食事を先に食べ終わってしまい、食堂を出て行った。
私とレベッカ嬢はそのまま食堂で夕食を食べた。
夕食後、レベッカ嬢は別邸へと向かった。
昼間にかなり寝ていたので、少しだけ勉強がしたいとのことだ。
私は「無理をしなくていいのよ?」と言ったけど……。
「いえ、私がやりたいのです。公爵様やソフィーア様に認められるような、公爵令嬢になりたいので」
レベッカ嬢は笑みを浮かべてそう言った。
とても素晴らしくて抱きしめてしまいたいくらいだったが、グッと我慢した。
だからこれから勉強をするようだが、私も後で別邸に向かってレベッカ嬢の勉強を見てあげるつもりだ。
今は私が教育係を解雇させてしまったから、勉強を教える人がいない。
だから私が少しでも勉強を教えられたらいいけど。
レベッカ嬢に勉強を教える前に、私はアラン様に用があった。
アラン様がどこにいるのかはわからないけど、とりあえず彼の執務室へと向かった。
着くと同時にアラン様が執務室から出て、どこかへ向かうところだった。
「アラン様」
「ん、ソフィーア嬢。何か用か?」
歩みを止めて私の方を振り返るアラン様。
「はい、本日は勝手なことをしてしまい、すみませんでした」
「勝手なこととは?」
「教育係を解雇したことです。契約に反する行為でした」
私とアラン様の契約で、彼の仕事を邪魔せず干渉しない、というものがある。
彼が選んだレベッカ嬢のための教育係を勝手に辞めさせる、これは立派な契約違反だろう。
契約違反で一発で離婚……にならないと信じたいけど。
「別にあれくらいは契約違反ではないだろう」
「えっ、そうなのですか?」
「ああ、あの教育係はもともと俺が決めてはいないし、あの程度の人間を解雇したところで契約違反だと言うほどのことではない」
「そうですか……ですが、また教育係を探して雇わないといけないのですよね」
「確かにそうだな」
アラン様はそう言って顎に手を当てて何か考え始めた。
すぐに結論が出たのか、すぐに私と視線を合わせる。
「ではレベッカの教育係は、ソフィーア嬢が決めてくれ」
「えっ、私がですか?」
「ああ、あとで教育係の候補の書類を侍女に渡しておく、確認してくれ」
「わ、わかりました」
まさかレベッカ嬢の教育係を選ぶという仕事を任されるとは思わなかった。
「ソフィーア嬢も公爵夫人としての教育も受けていると思うが、問題ないか?」
「はい、このくらいなら大丈夫です」
「そうか……ふむ、ソフィーア嬢が公爵夫人として学ぶものを学び終わったら、あなたがレベッカ嬢の教育係を務めるのも悪くないだろう」
「えっ、いいのですか!?」
それは願ってもないことだ。
レベッカ嬢と一緒にいる時間が増えるから、彼女ともっと仲良くなれるだろう。
私がとても食いついたからか、アラン様が少し目を見開いていた。
「ああ、問題ない。だがあなたの仕事は増えるが、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
「そうか、ではそのように頼む」
「かしこまりました、ありがとうございます」
私は頭を下げてお礼を言った。
これで話は終わったから、アラン様はそのまま私から離れていく……ことはなく、なぜかじっと私を見つめていた。
「あ、あの……なんでしょう?」
「あなたは、なぜいきなりレベッカと仲良くし始めたのだ?」
「っ……」
そうだ、私は一週間前にベルンハルド公爵家に嫁いできてから、レベッカ嬢と全く関わっていなかった。
予知夢を見て、このまま私が積極的に行動しなかったら、レベッカ嬢が未来で破滅するから……と言っても、信じてくれるだろうか。
いや、まだ予知夢のことを話すのはやめといたほういいかもしれない。
アラン様に「妄言を言っているのか?」と疑われる可能性が高いし、変な女と思われて離婚になるかも。
そうなったらまたレベッカ嬢が一人になってしまって、破滅する未来が変わらないかもしれない。
それは絶対に避けないといけない。
「レベッカ嬢が可哀そうだと思ったからです。両親が亡くなってすぐに公爵家に引き取られたのは幸運ですが、九歳の女の子が誰も知らない場所で一人で頑張っているのは、あまりにも寂しくて辛いと思います。だから少しでも彼女の寂しさを和らげようと思い、家族として仲良くしたいと思ったのです」
「……そうか」
こ、これで納得してくれたかしら?
「確かにそうかもしれないな。私はそこまで考えが回っていなかった」
なんとかアラン様は納得してくれたようだ。
「私もレベッカ嬢と同じような立場ですから、その考えができたのかもしれません。私は二十歳で嫁いだ身なので、レベッカ嬢とは全く別ですが」
私もいきなり公爵家に来たから、レベッカ嬢と少しだけ境遇が似ている。
だけど私とレベッカ嬢の立場は違うし、辛さも全く別物で、レベッカ嬢の方が辛いに決まっている。
「……なるほど。ではソフィーア嬢も、公爵家に来て辛いのか?」
「はい? いえ、私はそこまでは……」
「そうか、何か辛いことがあるなら言ってくれ。出来うる限りは改善しよう」
「あ、ありがとうございます」
まさかそんな気遣ったことを言われるとは思わず、少しビックリした。
アラン様は冷徹な方と聞いていたけど、少し違うようね。
「あなたがレベッカと家族のような関係になると言って別邸に行った時は驚いたが、これなら問題はない……いや、むしろソフィーア嬢のお陰で、レベッカが成長したと思っている」
「そうですか?」
「ああ、今までは私に自身の気持ちを伝えることはなかったが、今日初めてそれが出来た。本当は一人で成長してほしかったが、私が厳しすぎたようだ」
「公爵家の当主としては素晴らしい考えだと思います。レベッカ嬢の今後のことを考えての教育だったのは事実でした」
まあ厳しすぎると言うのは否定できないかもしれないけど……。
「――私は、違うと思っていたのだがな」
アラン様は視線を下げて小さく呟いた、かすかに聞き取れるくらいの言葉だ。
その言葉を放った時の彼の表情は寂しそうで、諦めが入り混じったような複雑なものだった。
私が見てきた中で一番、アラン様の感情が出ているように感じた。
「アラン様……?」
「っ、いや、なんでもない」
アラン様はすぐにいつもの無表情になり、私と視線を合わせる。
「これからもレベッカと仲良くしてやってくれ。レベッカに悪影響が出ないのならば、私は何も言わない。むしろ良い影響が出ているようだからな」
「はい……」
「レベッカとソフィーア嬢なら、家族になれるかもしれない」
さっきのつぶやきを聞いたからだろうか。少し違和感を覚えた。
今の言葉もまるで自分は……アラン様は家族にはなれない、と言っているように聞こえた。
「アラン様も、レベッカ嬢と仲良くしてください」
だから思わず、考える前に口から言葉が出た。
「レベッカ嬢もアラン様と仲良くしたいと言っておりました。私とだけじゃなくて、アラン様とも」
「……そうなのか」
「はい、アラン様とレベッカ嬢はすでに家族ですから」
「だがそれは書類上の話だ」
「今はそうですが、これから本当の家族になればいいのです」
「これから、か……」
「はい、必ずなれますよ。レベッカ嬢も、私も、アラン様と家族になりたいですから」
「っ……」
私の言葉に目を見開いて驚いたアラン様。
えっ、そんなに驚くようなことかしら?
……あっ、待って、私がアラン様と家族になりたいって言ったら、「妻として愛してほしい」みたいにならないかしら?
そ、それはマズいわ! これは完全な契約違反……!
「す、すみません! 今のは言葉の綾で、私は妻として愛してもらいたいとかではないので、本当に……!」
私が慌てて弁解をしようとすると、アラン様は口角を上げてクスッと笑った。
「ふっ、わかっている。ソフィーア嬢がそんな考えで言ったとは思ってない」
「そ、そうですか……それならよかったです」
だけどまさか笑われるとは思わなかった。
アラン様の笑みを初めて見たけど、顔立ちが整っていて綺麗だから、やはり少しドキッとしてしまった。
いけない、私は彼を好きになってはダメなのだ。
それこそ契約違反になってしまうから、気を付けないと。
「では、私は仕事に戻るとする」
「あ、はい。長く引き留めてしまいすみません」
「いや、とても有意義な時間だった。礼を言う」
有意義? そこまでのことを話したかしら?
ただ教育係を勝手に解雇したことを謝っただけだけど。
「お仕事、頑張ってください」
「ああ、おやすみ、ソフィーア嬢」
「おやすみなさい、アラン様」
私達はそう言って別れた。
とりあえず契約違反ですぐに離婚、ということはなさそうだ。
本当にそれはよかったわ。
――これは……また夢かしら?
感覚的に夢だとわかった、だけどこれは予知夢かしら?
明晰夢、夢の中と理解しただけってこともありえるわね。
予知夢の中でも、「これは絶対に予知夢だ」とわかるものと、「明晰夢と予知夢、どっちだろう?」とわからないものがある。
今見ている夢は後者の感じだ。
そして夢の中なのに、普通にベッドに寝転がっているわね。
なんだか変な夢……。
「ソフィ」
えっ……?
私の愛称を呼ぶ声がベッドの隣から聞こえて、そちらを振り向くと……同じベッドにアラン様が寝転がっていた。
「目が覚めたか?」
とても柔らかくて優しい笑みを浮かべて、私を見ている。
現実のアラン様がこんな笑みをするとは思えないけど……いやまず、なんで私とアラン様は一緒のベッドに寝ているの?
「ア、アラン様?」
あっ、今気づいたけど、この夢は私が現実のように普通に動けるやつだ。
「おはよう、ソフィ」
「お、おはようございます……?」
「ソフィ、さっきからなぜ敬語なんだ? それに呼び方も、アランでいいと言っただろう?」
「え、えっ?」
待って、いろいろと待って。
私がアラン様を敬称なしで呼んでいて、しかも敬語もなし?
この夢の私ってそんなにアラン様と仲が良いの?
いや、仲良いというか……普通に夫婦みたいになってない?
「すみま……ご、ごめんなさい、アラン。忘れていたわ」
「ああ、それでいい」
私に名前を呼ばれて嬉しそうに口角を上げるアラン様。
うん、やっぱりこれは予知夢じゃないわね。
現実のアラン様がこんな甘々な笑みを浮かべるとは思えない。
ん? それならこの夢は、私の深層心理が見たいと思っている夢ってこと?
そ、それはそれでダメじゃない?
私はアラン様を愛しちゃいけないのに、こんな夢を見るってことは……。
バッと布団を捲ると同時に上体を起こした。
「は、早く夢から目を覚まさないといけないわ……!」
二つの意味で、本当に。
「ソフィ、どうした? 夢から覚めないといけないって」
一緒に上体を起こしたアラン様。
私の言葉に首を傾げている。
「あ、その……これは夢で早く目を覚まさないとって思って」
私はアラン様にそんな変なことを話す。
夢の中でこういう「ここは夢だ」と口にすることで、早くに目が覚めやすい。
これは予知夢を持っている私ならではの経験則だ。
「夢……確かにこれは夢のようだ」
「えっ、アラン様もそう思っているのですか?」
「敬語、呼び方」
「……ア、アランもそう思っているの?」
「ああ、そうだ。数カ月前まで、俺が誰かを愛して、誰かと家族になるなんて、夢でもなければ信じられなかった」
「ああ、そういう意味ね」
まあこれは夢なんだけど。
「だがこうして俺は、ソフィを心の底から愛せて、レベッカとも家族になれた。本当に嬉しく思う」
アラン様は優しく微笑んでから、私の頬に手を添えて……えっ?
「だからソフィ、俺は悲しいぞ。夢なんかと言われて」
「いや、その……」
「だから夢じゃないと、君の身体に教え込まないとな」
アラン様が私に身体を寄せて、端整な顔立ちが目の前まで近づいてくる。
「いや、ア、アラン様……!?」
「目を瞑れ、ソフィ。これは君への罰だ」
ニヤッと笑って、さらに顔が近づいて……。
いやいやこれはちょっとやりすぎじゃ……!?
とても恥ずかしいが、思わず私はぎゅっと目を瞑ってしまい――。
「――はっ!?」
私は、目が覚めた。
やっぱり夢だった、いや、絶対に夢とわかっていたけど。
ギリギリ、しなかった……と思う。
ああいう夢は目が覚めても感触とかは覚えていることが多いから、うん……つまり覚えてないってことは、してないってことね。
私はベッドから起き上がる……その時にチラッと隣を見てしまったのは仕方ない。
今の夢は……予知夢だったのか、明晰夢だったのか。
いや、まあ、絶対に明晰夢でしょう。
あんなのが予知夢なわけがないわ、アラン様が別人になったみたいだったし。
だけど明晰夢だとしても、私が深層心理でああなりたいって思っているってことで……。
あ、あまり深く考えないようにしよう。
そして私は侍女を呼んで着替えをして、朝食へと向かった。
本邸の食堂へ向かうと、またアラン様が先に食べていた。
「ん、おはよう、ソフィーア嬢」
「おはようございます、アラン」
「……ん?」
「あっ……」
言った後に気づいた、夢の名残で敬称なしで呼んでしまっていた。
「も、申し訳ありません、アラン様」
「やはり聞き間違いではなかったか。いや、謝る必要はない」
アラン様は少し目を見開いていたが、全く怒る様子はない。
そんなに懐が狭い方ではないと思っていたけど、よかったわ。
私がアラン様の正面に座って食事を待っていると、彼が話しかけてくる。
「しかしこれを機に、敬称なしで呼び合ってもいいかもしれないな」
「えっ?」
「家族……に対して、いつまでも他人行儀に呼びたくはない」
アラン様は私と視線を合わせて、口角を少し上げて言う。
「ソフィーア」
「っ……」
「そう呼んでもいいだろうか?」
「は、はい、もちろんです」
「ありがとう」
一瞬だけ、夢の中で見たアラン様と、笑みを浮かべて私の名前を呼んだアラン様が、重なってしまった。
「ソフィーアも、私のことをアランと呼んでも構わない」
「わ、わかりました、アラン」
「それでいい。だが公の場では敬称を付けてくれ、敬称なしで呼ぶのは二人きりの時だけだ」
「はい、わかっています」
アラン様は頷いてまた無表情で食事をし始めたが、いつもよりも機嫌がよさそうだ。
私と敬称なしで呼び合ったから、かしら。
なんだかあの夢が本当に予知夢なのか明晰夢なのか、わからなくなってきたわ。
だけどまだ敬称なしで呼び始めただけ、おそらく明晰夢よ、うん。
そう思いながら私も食事を始めたのだが……少しの間、胸の高鳴りが収まらなかった。
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