彼女は想定外
* * * * *
ディザークはサヤとアルノーと共に、己の宮へ数日ぶりに帰ってきた。
この宮に姉以外の女性を招き入れたのは初めてだ。
馬車から降りたサヤが「うわあ……!」と声を上げつつ宮を見上げた。
「本物の宮殿だ……!」
興奮しているのか、色白だった頬が少し赤い。
中へ入れば待機していたらしい使用人達が「お帰りなさいませ」と総出で出迎えた。
いつも、そんなことは仕事の邪魔になるだろうからしなくて良いと言っても、彼らはやめなかった。
それを見たサヤの目が輝いている。
「今日から貴様の家になる」
そう言えば、くるりとサヤが振り向いた。
「まるでお姫様みたいですね」
「似たようなものだろう」
サヤと話していればレジスが近付いてくる。
「お帰りなさいませ、ディザーク様。そして、初めましてお嬢様、執事長のレジス=モーリアと申します」
レジスは幼い頃からディザークに仕え続けてくれている使用人の一人だ。
穏やかそうだが、こう見えて、怒ると怖い。
サヤが浅く頭を下げた。
「初めまして、シノヤマサヤといいます。シノヤマが家名で、サヤが名前です。サヤと呼んでください」
「サヤ様、私ども使用人に丁寧な口調は不要でございます。どうぞ気楽にお話しください」
「え? あ、ええっと、すぐには直せないので、少しずつでもいいですか? じゃなくて、いい、かな?」
戸惑いながらもサヤはレジスの言葉に応えようとして、レジスが穏やかに「はい、ありがとうございます」と微笑んだ。
「部屋へ案内してやってくれ」
ここを出る時、上級使用人達には婚約者が出来るかもしれないこと、その婚約者が異世界人で、もし婚約を受け入れたなら連れて来ることになるだろうということも伝えていた。
そのための部屋の用意も出来ているはずだ。
「かしこまりました」とレジスが頷く。
「サヤ」
「はい、なんですか?」
名前を呼べばすぐにサヤが返事をする。
「俺のことは今後ディザークと呼べ。それから、婚約者になったのだから丁寧な言葉遣いも必要ない。これからも共に過ごしていくなら、本音が言い合えるくらいにはなりたいと思っている」
サヤの黒い瞳が二度、瞬いた。
それからニッとサヤが笑った。
「うん、これからはディザークって呼ぶね」
貴族の令嬢では絶対に浮かべないような笑みだが、素直に嬉しそうな顔をされると少し落ち着かない。
それとなく視線を逸らしてしまう。
「ああ、何かあれば遠慮なく言え」
「りょーかい」
そうしてレジスが二つの名前を呼んだ。
恐らく、今後サヤの侍女となる者達だろう。
レジスが選んだ者ならば間違いはない。
「……そうだ、医者を呼ばせているから診察を受けろ」
離れかけた小さな背に声をかければ、不思議そうにしながらも「分かったー」と返事がくる。
ひょこひょこと去って行く背中を見送り、それが見えなくなってから顔を戻した。
「留守中、どうだった」
「万事恙無く」
「そうか、ご苦労」
サヤのほうはしばらく時間がかかるだろう。
……少し休憩するか。
手を振ってレジス達使用人を下がらせつつ、自室へ向かう。
アルノーはレジスと、ディザークの日程に関することを話し合うだろうから放っておいても問題はない。
自室へ着くと、上着を脱いで椅子にかける。
そのままソファーへ寝転がった。
明日からは溜まった仕事で忙しいだろう。
……だが、しばらくはこっちへ仕事を持ち込むか。
サヤがここに慣れるまでは近くにいたほうがいいだろう。
そんなことを考えているうちに、転寝をしてしまっていたようで、扉を叩く音にハッとする。
起き上がって「入れ」と声をかければ、レジスが入って来た。
恐らく、サヤの診断結果を伝えに来たのだろう。
「サヤの状態はどうだ?」
「軽い栄養失調で痩せ気味なので、きちんと食事と休息を取らせるようにとのことでした。……急激に体重が落ちたようだったそうで、魔法を習い始めたばかりの者がなりやすい痩せ方だとおっしゃっていました」
「ふむ」
サヤは教えられなくても多少魔法が扱える。
初めて会った時にも炎を生み出していた。
……もしかして人目を避けて使っているのか?
そうだとしたら、早めに教師となる者をつけたほうが良さそうだ。
魔法を使うと体力が削られる。
慣れていない者が頻繁に使うと自身の体力の幅を超えて魔法を行使してしまい、そのせいで痩せてしまうことがある。
これを放置していると最終的に死ぬこともある。
「サヤに注意しておこう」
よほどの無理をしなければ死ぬようなことはないが、サヤは小食なので、魔法を何度も行使していたら痩せてしまうのも仕方がない。
どうしても魔法を扱いたいなら、まず食事量を増やす努力からさせたほうがいいだろう。
「夕食のお時間ですが、どうされますか?」
「今後は朝夕は食堂で摂る」
「かしこまりました」
これまでは仕事を優先して遅くに帰り、面倒臭くて夕食は自室で軽く摂っていたが、サヤがいるならば話は別だ。
仕事が忙しいからこそ、食事の時くらいはきちんと顔を合わせて話をする機会を作っておくべきだ。
「まだアルノーはいるか?」
上着に袖を通しながらレジスへ問う。
「はい、まだおられます」
「しばらくの間、宮で仕事をする。書類はこちらへ持ってくるよう言ってくれ」
レジスがほっほと笑った。
「そのように伝えておきます」
「それと口の堅い服飾店の者は手配出来そうか?」
「はい、明日の午後にこっそりと訪れる手筈となっております」
頷き、部屋を出る。
食堂までの道を歩いていると、サヤの背中を見つけた。
「サヤ」
呼べば、サヤがパッと振り向いた。
「ディザーク」
待っていればいいのに、わざわざこちらへ近付いて来る。
そのそばには王国から連れて来たメイドがいた。
……いや、これからは侍女か。
まだ若く、気弱な部分のある者だが、サヤに仕える気持ちは人一倍強いようだ。
騎士を通してサヤの状況を聞き出した際に、とにかくサヤの待遇を良くしてほしいと懇願したそうだ。
他国に来るには勇気が要っただろう。
それに数日見ていただけでもサヤと仲が良いことが分かったので、連れて来ることを許可した。
サヤも異世界の、それも異国の地に一人でいるのは心細いはずだ。
心許せる相手がいるというのは大事なことだ。
「食堂へ向かうところなら、共に行こう」
「うん、そうだね」
差し出した左腕にそっとサヤが触れる。
あまりに控えめに触れるので、毎回、少しくすぐったい気持ちになる。
もっと力をかけられても問題ないのだが。
エスコートしながらゆっくりと歩き出す。
「ところで貴様、隠れて魔法の訓練をしているな?」
そう問えば「え?」とサヤが見上げて来る。
「うん、してるけど……。なんで分かったの?」
「先ほど医者に診察させただろう。魔法を扱い慣れていない者が己の体力以上に魔法を行使すると、急激に痩せる」
「あ、だからこの世界に来てから急に痩せたんだ」
なるほど、とサヤが納得した風に頷く。
「痩せるということは体は飢餓状態にあるということだ。そのまま無理をすると死ぬぞ。……きちんとした家庭教師をつけるまで魔法は使うな」
「はぁい」
「それから魔法を使いたいならば食事量を増やせ。使う分を補えれば痩せることはない」
「じゃあ魔法使いはみんな大食いなの?」
サヤの言葉につい足が止まった。
魔法士が大食いなどと気にしたこともなかった。
気付けば笑ってしまっていた。
急に笑い出したせいか、サヤが不思議そうに首を傾げ、それでも怒ることはない。
「……そうだな、大食いかもしれん」
そう言われてみれば、確かに宮廷魔法士の利用する食堂は量が多い。
魔法で使用した分の体力を補うために食事を摂ることは当たり前だったので、疑問は感じていなかったが、サヤはそういったことも知らない。
違う世界で生きたからこそ着眼点が違うのだろう。
止まっていた足を動かす。
「でも食べられる量って限度があるよね? どうしても体力以上に魔法を使わなくちゃいけない時はどうするの?」
「一時的に他者から魔力を譲渡してもらう方法がある。最初に出会った際に貴様が俺に魔力を流しただろう。あれが魔力譲渡だ」
そこまで言って、ふと気付く。
「貴様、そこそこ魔力があるはずだが、一体どれほど魔法を使っているんだ?」
「わたしの魔力量が分かるの?」
「確実に知っているわけではない。魔力を流された時、かなりこちらに流れてきていたのに貴様は平然としていた。だからそれなりに魔力量が多いのだと思っただけだ」
食堂に辿り着き、後ろを歩いていたサヤの侍女が扉を開けた。
中へ入り、サヤを椅子に座らせる。
ディザークはその斜め前に座った。
飲み物と食事が運ばれてくる。
サヤの食事の作法はこの世界のものとは少し違うが、それでも下品だとか汚いとか感じない。
元の世界でも教育を受けていたのだろう。
これならば、こちらの世界の教育でもさほど苦労しないのではないかと思う。
「さっきの話だけど、魔法は一日五時間くらい訓練してるよ。魔法で部屋が壊れないように保護して、その中でいろいろ試してる」
「保護?」
「うん、こういう感じ」
サヤが両手を合わせて広げると、その手の中に半透明の球体が現れた。
それを見てディザークはギョッとした。
「聖属性魔法が扱えるのか!?」
サヤがキョトンとする。
「うん、大体の魔法は使えるよ」
「待て、それはどういう意味だ?」
「どういう意味も何も、王国で読んだ魔法に関する本に書いてあった魔法は全部使えたけど……」
「なんだと!?」
思わず立ち上がれば、サヤが戸惑った顔をする。
控えていたレジスや他の使用人達も静かにしているが、その表情は驚いたものだった。
この世界には魔法があるが、誰でも使えるわけではない。
魔力があり、適性がある属性でなければ、使うことは出来ない。
つまり魔力があっても適性のない属性の魔法はいくら詠唱を行っても、魔力を捧げようとしても、魔法は発動しない。
……大体の、いや、本にあった魔法は全て使えた?
「一応訊くが、使えない魔法はなかったのか?」
「うん、なかった。属性って火、風、水、土、闇、聖の六つだよね? どの属性の魔法も使えるし、魔力も結構あるから、多少強い効果のものでも使えるよ」
食堂がシンと静まり返る。
サヤだけが状況を理解していないようだ。
小さく息を吐いて、椅子に座り直す。
「……えっと、なんかまずい?」
恐る恐るサヤに訊かれて我へ返る。
「ああ、いや、すまない、驚いただけだ。魔法に属性があるのは知っているようだが、人にはそれぞれ属性適性があるのは分かるか?」
「その人が得意な魔法の属性だよね?」
「そうだ。一般的に、魔法はその適性のある属性のものしか使えない。俺は火、風、土の三属性が適性で、この場合、その三属性の魔法しか扱えないんだ」
「………………え?」
サヤが固まった。
「……得意な適性の属性魔法が強くて、他の適性のない属性魔法はちょっとしか扱えない、とかじゃなく……?」
「適性のない魔法は使おうとしても発動しない」
サヤが押し黙った。
本にあった魔法が全て使えたとは、それは、全属性の魔法が扱えるということではないのか。
ドゥニエ王国が召喚した聖女は五属性持ちだった。
……聖女ではないサヤが全属性持ち……?
そこまで考えて王国でのサヤの扱いを思い出す。
「サヤ、貴様、王国で適性検査はしたか?」
「それ魔法の属性を調べるやつだっけ。そういうのはしてないよ。召喚されてすぐに、あの客室に放り込まれたから」
もしや、ととんでもないことを想像してしまう。
サヤは出会った当初から魔力漏れが一切ない。
それに魔力譲渡も行えたため、魔力の操作に慣れているとは感じていたが、改めて考えてみるとおかしい。
「……サヤのいた世界に魔法はあったか?」
「ううん、なかったよ」
魔法のない世界にいたというのに魔力操作に長けている……。
そもそも、この世界に来てたった三週間で魔法が扱えるようになっていること自体がおかしいのだと気付くべきだった。
「……レジス、明日の予定を変更する。兄上にサヤの適性検査と魔力測定を早急に行うべきだと伝えてくれ。ここでの会話もだ」
「かしこまりました」
レジスは他の執事に後を任せると下がった。
サヤが眦を下げた。
「えっと、なんかごめん」
「先ほども言ったが悪いことではない。が、想定外ではある。サヤ、全属性持ちは非常に珍しい。それこそ、聖人や聖女と同じぐらいだ」
サヤは目を丸くした後、ふはっと笑った。
「やっぱり魔法使えること隠してて正解だね」
……今はそれが問題になっているのだが。
だが、その笑みにディザークも釣られて、ふっと笑みが漏れた。
もしもこの考えが事実であったなら、サヤはまさしく、この帝国の最重要人物となるだろう。
予想外のことではあるが、帝国にとっては良い方向に転がるかもしれない。
とりあえず食事を終えて、部屋までサヤを送っていく。
「明日は俺も同行しよう」
部屋の中に入りかけていたサヤが振り向く。
「本当? 一人で行くのはちょっと不安だったから、凄く助かる。ありがとう」
「気にするな。では、また明日」
それにサヤが笑った。
「うん、また明日。おやすみ、ディザーク」
「……ああ、良い夢を」
サヤは小さく手を振り、扉が閉められる。
……おやすみ、か。
レジス達にも「おやすみなさいませ」と声をかけられるが、サヤの言葉はそれとは別の心地良さがあった。
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