大変お世話になりました。
そうして帝国の使者が帰国する日が来た。
それは同時に、わたしとマリーちゃんもこの王国を出る日でもあった。
マリーちゃんは既に家族に事情を説明したようだ。
「わ、私のお古ですが、着るものがないと困りますので……!」
と、わたしに合いそうなお古を家から沢山持って来てくれた。
その時に聞いたが、実はマリーちゃんは子爵家の末っ子なのだそうで、ちゃんとした貴族だった。
……わたしより地位が上なんだ。
でもマリーちゃん自身はそういう気持ちは持っていないらしく、いつも甲斐甲斐しく、たまにオドオドしながらもわたしの世話を焼いてくれる。
ちなみにわたしの日用品ばかり持って来るので「自分の分は?」と訊いたら、鞄三つ分ほどしかなかった。
「わたしのことを気にしてくれるのは嬉しいけど、マリーちゃん自身の分もちゃんと用意してね」
「あ、ありがとうございます! でも、私はこれで十分なので……! それにメイドや侍女は普段、お仕着せを着ていますからっ」
と返され、その後、鞄は増えなかった。
わたしの様子を見に来ていたディザーク殿下に「似た者同士だな」と言われたが、それがどういう意味なのかは訊けなかった。
帝国に帰るまでにわたしはディザーク殿下と話をする時間がかなりあった。
「今更だが、貴様は何歳だ?」
「十七歳です。ディザーク殿下は何歳ですか?」
「二十二だ」
もう少し歳上かと思っていたのは秘密だ。
いつ会っても眉間にしわを寄せている。
そのせいか、もう二、三歳くらい歳上に見える。
ディザーク殿下のそばによくいる茶髪の、穏やかそうな顔立ちの人は副官だそうで、名前をアルノー・エーベルスさんといった。
「よろしくお願いいたします、お嬢様」
ニコニコとした笑顔がやや胡散臭かった。
だけどディザーク殿下の副官ということは、これからも付き合いがあるだろうから、わたしはとりあえず頷いておいた。
「よろしくお願いします、エーベルスさん」
帝国の騎士達は王国の騎士とは全然違った。
突然ディザーク殿下が婚約者として連れ帰ると言い出したわたしに戸惑うこともなく、丁寧に接してくれる。
歳上の騎士達に敬語を使われるのは落ち着かないが、ディザーク殿下には「慣れろ」と言われた。
「皇弟の婚約者となれば、大抵の者がそうなる」
なるほど、と思った。
それで傲慢になるつもりはないが、相手もそうしなければならない立場なのだと理解すれば受け入れられる。
一人だけ交じっていた王国の騎士はどうもついて来る気だったようだけど、わたしが連れて行かないと言えば、酷く驚いた顔をされた。
……いや、なんで当たり前のように自分も連れて行ってもらえると思ってるの?
不真面目なのもそうだけれど、わざわざ監視役を連れて行く理由がない。
そもそもディザーク殿下からもらった許可も、侍女一名だけ、ということだったので連れて行くことは出来ないし、連れて行きたくもない。
「帝国に着いたら、まずは皇帝陛下に会ってもらう」
ディザーク殿下の言葉に頷いた。
「まあ、そうなりますよね」
ディザーク殿下の兄だそうだし、外見や性格も似ているのだろうか。それとも違うのか。
婚約者という立場上、微妙な間柄になる。
……反対されたらちょっと困る。
また王国に戻されたくはない。
「心配せずとも婚約の件は陛下も了承済みだ」
わたしの心を読んだかのように言われた。
「すみません、顔に出てました?」
「ああ」
つい自分の頬を触ってしまう。
「最終判断は俺に任されているが」
「自分で言うのもなんですけど、よくわたしを婚約者にしようと思いましたね? それとも、帰ったらすぐに解消しますか?」
「いや、解消も破棄もしない」
即答されて、思わず「あ、そうなんですね」とちょっと驚いた。
「皇弟である俺の婚約者というのは、どうやら他人からすればかなり魅力的なようだ。欲望の多い者を据えたくはない」
「わたしも欲望バリバリにありますよ」
「ほう? たとえば?」
訊き返されて考える。
「ふかふかのベッドで一日中ごろごろしたい、三食昼寝付きでぐうたらしたい、外に出たくない、面倒なことはしたくない、美味しいものが食べたい、毎日お風呂に入りたい。いろいろですね」
指折り数えながら言えば、クッとディザーク殿下が笑った。
「確かに欲望ではあるが、豪奢なドレスを着たいだとか、美しい宝石を集めたいだとか、そういう気持ちはないのか?」
「ありませんね。ただでさえコルセットが苦しいのに更に重そうなドレスを着るなんて拷問じゃないですか。宝石とかも邪魔ですし。あとわたし、金属アレルギーがちょっとあるのか長時間貴金属をつけると赤くなったり、かゆくなったりするから要らないです」
「そうなのか。覚えておこう」
おかげで可愛いネックレスやブレスレットを見つけても、泣く泣く諦めることになったのだが。
「ディザーク殿下が気にしてるのは、そういう欲望ではない……んですよね?」
「ああ、皇弟の婚約者という身分で好き勝手にしなければ、それでいい。たとえばドレスや宝飾品を買い漁って国庫を食い潰したり、他の貴族を無理やり従わせたり、気に入らない者を虐げたり、そういったことをする者は俺自身も好かん」
「あー、それはダメですね」
わたしもそういう人は嫌いだ。
うんうんと頷きつつ、ディザーク殿下に返す。
「大丈夫です。わたしは三食昼寝付きでぐうたら出来るなら、それで満足なので」
わたしはわたしの好きなことが出来ればいい。
「それなんだが、家庭教師をつけてもいいか?」
「家庭教師?」
「一応、皇族の婚約者となるのだ。礼儀作法や必要な教養を覚えてもらいたい。あとは、そうだな、たまに公務として夜会に参加してもらうかもしれない」
「ええー……」
……それ凄く面倒臭そうなやつ。
でも、まあ、仕方ないか。
皇弟殿下の婚約者となれば、やはり、多少の公務もあるだろうし、立場上、きちんと礼儀作法も学ばないとまずいだろう。
「……分かりました」
さすがに本当に何もしないで三食昼寝付きは無理だと分かっていたし、どうせなら、これを機にこの世界のことをいろいろと学ぶのも面白いかもしれない。
そういう話もあったが、とりあえず、何事もなくわたし達は帝国行きの日を迎えたのである。
朝からマリーちゃんが騎士達に荷物を任せていて、わたしは数日ぶりにまた元の世界で着ていた制服に身を包んでいた。
……これ、意外と目立つんだよね。
皇帝陛下と会う時に「異世界人ですよ〜」と分かりやすい格好のほうがいいかなと思ったのだ。
それにマリーちゃんから借りた服はどれも帝国では流行遅れも良いところな骨董品扱いらしいので、それならいっそ制服で行けば流行も何もないだろう。
「て、帝国に行くのが楽しみですね……!」
マリーちゃんの声はどこかウキウキしている。
「そんなに良いところなの?」
「もちろんです! その、帝国はこの大陸随一の大国ですし、文化も流行も、いろいろと先進的なんですっ。帝国で流行ったものは他国でも絶対に流行るくらいなんですっ」
「へえ、それは凄いね……?」
あんまり想像がつかないけど。
ウキウキしているマリーちゃんと午前を過ごし、ディザークが昼食会に出ているので自室で食事を済ませ──帝国の使者の同伴者となってからは食事が劇的に改善された──、午後もまったり過ごす。
そうしていると、部屋の扉が叩かれた。
ゴツゴツゴツとちょっと力強く叩かれたので、恐らくディザーク殿下だろう。
元よりわたしのところに来るのは彼しかいない。
香月さんとは一度しか会えていないが、多分、あの王太子とか周りの人々が止めてるのだと思う。
……でも、あの王太子だからねえ。
害虫でも見るみたいな冷たい眼差しを向けてくるのだ。
わたし、あなたに何かしましたかって感じなのだが、巻き込まれてくっついてきた余計なものと思われているのは確かだ。
しかし、それも今日までだ。
帝国に行ってしまえば、あの王太子に会わずに済むし、少なくとももっと過ごしやすいだろう。
マリーちゃんが応対して、案の定、ディザーク殿下が入ってくる。
「迎えに来た」
手を差し出されて、それに自分の手を重ねる。
軽く引き上げられてソファーから立つ。
マリーちゃんに教えてもらったのだが、この世界の王族や貴族は婚約者がそばにいる時は、婚約者をエスコートする必要があるらしい。
ディザーク殿下が左腕をスッと差し出すので、そっと手を添える。
……ぜんっぜん慣れない。
「このまま転移門に向かうが、忘れ物はないか?」
「ありません」
首を振ってから、ふと疑問に思った。
「転移門ってなんですか?」
「ある場所まで一瞬で行ける転移魔法というものを、魔道具に付与したものだ。各国に一つか二つあり、それは基本的に門同士の行き来しか出来ない。今回は王国から帝国まで転移で移動する」
「それは便利でいいですね」
馬車の旅で〜とか、王城の外を飛んでいた小さなドラゴンみたいなやつに乗って〜とかだったら絶対に無理だ。
王国の騎士らしき人が案内役として歩いており、わたし達の前と後ろに帝国の騎士達がいて、マリーちゃんもついて来ている。
午前中のうちに荷物は全部運ばれて行ったので、わたし達は何も持っていく必要はない。
これでこの王城ともお別れかと思うと清々する。
寂しいとか悲しいとか、そういう気持ちはない。
しばらく歩き、長い階段を上る。
そして両開きの扉に到着すると、扉を守護していた騎士達がその扉を両側から開けた。
塔の天辺にこの部屋はあるようで、天井がドーム型になっており、部屋の中心には金属製の枠みたいなものが設置されていた。
たとえるなら、ヨーロッパの貴族の邸宅とかの入り口にありそうな門の、扉がない感じである。
……あれが転移門かな?
そこにはあの王太子と数人の男性達、そうして意外なことに香月さんもいた。
王太子はディザーク殿下にエスコートされているわたしを一瞬見たが、すぐにディザーク殿下に視線を向ける。
「ディザーク殿下、この度は魔法士を貸してくださり、ありがとうございました。感謝の意を皇帝陛下にもお伝えいただけたら幸いです」
「伝えておこう。ああ、聖女の派遣についても忘れずに願いたいものだ」
「……ええ、もちろんです」
……おや? おやおや?
ついディザーク殿下と王太子を盗み見てしまう。
もしや帝国って王国よりもずっと立場が強いの?
帝国は大国だと聞いたが、この様子を見る限り、王国は帝国に頭が上がらないといった風に見える。
……だからわたしの引き渡しもあっさり進められたのかな?
香月さんが近付いてきて、手を取られた。
「篠山さん、本当に行っちゃうんだね……」
潤んだピンクブラウンの瞳に苦笑する。
「うん、ごめんね」
「……ううん、私こそごめんなさい。篠山さんの状況、ここ数日調べたの。ここを出て行きたくなるのは当然だよ」
香月さんにギュッと手を握られる。
「でも、婚約するとは思わなかった」
チラ、と香月さんがディザーク殿下を見る。
その瞳が心配そうにわたしを見たので、わたしは微笑んだ。
「わたしも驚いたけど、でも、自分の意思で婚約者になるって選んだから大丈夫」
「そっか……」
香月さんがどこかホッとした表情をした。
無理やりわたしが連れて行かれるのではと思ったのかもしれないが、帝国に行くのはわたしの意思だ。
皇弟殿下の婚約者というのは予定外だが。
帝国にも何やらわたしを必要とする理由があるようなので、お互いの利益のための契約である。
そのほうが、ただの善意で助けてあげますと言われるより、ずっと信用出来る。
「香月さんも聖女としてのこととかでいろいろ大変だろうけど、無理しないでね。帝国のほうで落ち着いたら手紙も書くから」
「ありがとう、篠山さんも無理しないで」
「うん」
香月さんの手を離すとピンクブラウンの瞳が潤む。
「香月さん、今もカラコンつけてるの?」
ふと湧いた疑問を投げかければ、香月さんはキョトンとした後、ふふっと笑った。
「ううん、してないよ。よく分からないけど、この世界に来た時にカラコンはなくなっちゃった。でも、目の色も髪の色もこのままみたい」
「そうなんだ」
「サヤ」と呼ばれて顔を上げる。
ディザーク殿下と王太子がこちらを見ていた。
「もう時間だ」
短い言葉に頷き返し、王太子を見た。
目が合ったのでニッコリと微笑んでやった。
「この国には二度と戻りませんから、ご心配なく。短い間でしたが、大変お世話になりました」
王太子の口元がひく、と微かに引きつった。
盛大な嫌味が通じたようで何よりだ。
ごほん、とディザーク殿下が小さく咳払いをする。
「では、ヴィクトール殿、息災で」
歩き出したディザーク殿下に連れられて、わたしも門へと向かう。
門の左右に人が立ち、魔法陣らしきものが門の下で輝くと、門自体も輝き出した。
その光の中へ入る直前、香月さんへ小さく手を振っておいた。
光の中に入るとふわっとエレベーターに乗った時のような、微かな浮遊感があった。
それも一瞬で、次の瞬間には、別の部屋が広がっていた。
「ここは帝都の城内だ。このまま皇帝陛下へ謁見するが、問題ないか?」
「はい、大丈夫です」
これからわたしは帝国で暮らすのだ。