よろしくお願いします、ディザーク殿下。
……なんかトントン拍子に進んでるなあ。
帝国の皇弟殿下と話をしてからたった二日しか経っていないのに、わたしを取り巻く人々が変わっていった。
まず、護衛が増えた。護衛は帝国の騎士達だ。
相変わらずやる気のない騎士が一人交じっているけれど、ビシッとした帝国の騎士達の中で居心地が悪そうである。
この騎士はドゥニエ王国に置いていくつもりだ。
ちなみにマリーちゃんはついて来てくれることとなった。
「わたしは帝国に行くけど、マリーちゃんはどうしたい? 王国に残る? それとも一緒に来る? 皇弟殿下は侍女を連れてきてもいいって言ってくれてるし」
そう訊くとマリーちゃん意外にも即答した。
「サヤ様について行きます! 私、怒ってるんですっ。サヤ様に酷いことをした王国が、許せません!」
気弱なマリーちゃんが珍しくハッキリと言うので、わたしは少し驚いたが、嬉しかった。
「良かった、初めて行く場所だから一人は心細かったんだ。マリーちゃんも一緒に来てくれるなら嬉しい」
「サヤ様……わ、私、帝国へ行ってもサヤ様のおそばでお仕えさせていただきます!」
「うん、ありがとう」
と、いうことで、それを皇弟殿下に伝えた。
ただ一言「分かった」とだけ返された。
マリーちゃんを連れて行くのを分かっていたみたいだった。
皇弟殿下はわたしの置かれた状況を知ると、毎回食事に招待してくれるようになり、おかげでわたしは三週間ぶりにまともな食事を口にした。
まだあくまで婚約者候補ではあるのだが、騎士も派遣してくれて、騎士達はマリーちゃんと一緒に部屋の掃除などの雑用もしてくれたのでとても助かった。
暇だったから一緒に掃除を手伝ったら驚かれたけど。
やって来た皇弟殿下に止められたが。
「それは使用人の仕事だ」
なんでも、使用人にはきちんと仕事が定められているので、下手に手伝ってはいけないらしい。
じゃあ騎士は? と思ったが、騎士達は使用人の代わりも兼ねて派遣しているからいいのだとか。
……だから女性騎士がいたんだ。
「おい、もっと食え」
ぼうっとしていると皇弟殿下に言われる。
別のことを考えていて、手が止まっていたようだ。
だけど、どちらにしても食事は食べ切れなさそうだ。
わたしは首を振った。
「いえ、もうお腹いっぱいです」
コルセットで絞っているのもそうだけれど、三週間ずっと粗食続きだったので、急に豪華な食事を沢山食べろと言われても胃が受け付けない。
ナイフとフォークを置くと皇弟殿下の眉間にしわが増えた。
「少なすぎないか?」
「そう言われても……。この世界に来てから、大体パンとスープにちょっと何かあるかどうかぐらいだったから、いきなり沢山は食べられません」
「そうか……」
何故か眉間のしわが深くなる。
……あのしわ、消えなくなりそうだなあ。
スッと皇弟殿下がお皿を差し出してきた。
「デザートくらいは入らないか?」
差し出されたそこには二、三口程度のケーキが載っていた。
これくらいなら、と受け取れば、皇弟殿下の眉間のしわが少し薄くなる。
ちまちまとそれを食べていると皇弟殿下が口を開いた。
「明後日、帝国へ帰還する」
「そうなんですね。じゃあ、それまでに行く準備をしておきます。……まあ、わたしは持っていくものなんてほぼありませんけど」
召喚された時に着ていた服くらいだろうか?
マリーちゃんは心得ていたのか「じゅ、準備は進めております」と言う。
「帝国に着き、俺の兄である皇帝陛下の承認さえ得られれば、貴様は俺の婚約者となる」
それに頷き返した。
「はい、それで、皇弟殿下の婚約者って何をすればいいのでしょうか? わたしはこの世界に来てから、ほぼ何も学んでいないので、急に仕事をしろと言われても困るのですが……」
「それについては特にはない」
「ええ?」
皇弟殿下の顔をまじまじと見てしまう。
「何もないんですか?」
そんなはずはないだろう……と思う。
「皇弟の婚約者と言っても、やることはない。俺は軍務で忙しいし、社交界は皇后陛下が纏め上げているし、両陛下の間には既に子が二人もいて継承問題も解決している。むしろ何もしなくていい」
「じゃあのんびり過ごしていいと?」
「ああ、好きに過ごせばいい。だが、あまり散財はするな。皇族の生活費は民の税金で賄われている」
「分かりました。わたしは衣食住がそれなりに揃っていれば満足なので、散財はないと思います」
皇弟殿下はわたしを見て一言「そうか」と納得した様子で頷いた。
「しかし帝国に帰ったらまずはドレスを作らせなければならんな。皇弟の婚約者がみすぼらしい格好では困る。相応の装いはしてもらおう」
「え、ドレス着るんですか?」
今のワンピースが一番動きやすくていいんだけど。
マリーちゃんが「そうですよ!」と声を上げた。
「サヤ様もドレスを着るべきなんですっ。こんな、私のお古なんて良くありません……!」
「そう? これ、動きやすいし、いいと思うんだけどなあ。これで十分だよ?」
「いけません! 王国でも流行遅れということは、帝国では、もはや骨董品扱いされてしまいます……!」
マリーちゃんの言葉に控えていた騎士達が頷く。
……結構可愛いのに。
まあでも、皇弟殿下の婚約者という立場を考えると、やはりそれなりにきちんとした装いをしなければならないのだろう。
ここよりもまともには扱ってもらえそうなので、向こうの指示には従おうと思う。
……香月さん、泣きそうな顔していたよね。
多分、同じ世界から来たわたしがドゥニエ王国を離れることに不安を感じたのだ。
だけどわたしもここでいつまでも虐げられるのは嫌だし、待遇改善されても、どうせ「聖女様のオマケ」と呼ばれ続けるのは変わらない。
帝国なら、それほど言われないと思いたい。
「帝国では俺の宮で過ごしてもらうが、しばらくは建物から出ないように。正式に婚約者として発表するまでは静かにしていてもらう」
それに頷いた。
この世界に来てから毎日王城内をうろついていたけれど、正直、とても疲れるのだ。
引きこもって良いと言うのなら大歓迎である。
「それから侍女と騎士は常にそばに置いておけ。……皇弟の婚約者という立場を欲する者は多い」
「狙われやすいんですね」
「理解が早くて何よりだ」
……うーん、まあ、なんとかなるでしょ。
わたしは皇弟殿下の宮から出るつもりはない。
何もしなくていいなら、のんべんだらりと過ごさせてもらうだけだ。
「大丈夫です、勝手に外に出たりしませんから」
むしろ引きこもりライフを謳歌しよう。
「あの、ところで一ついいですか?」
わたしが訊けば、皇弟殿下が頷いた。
「なんだ」
「良ければ皇弟殿下のお名前を紙に書いていただけませんか。お名前、長すぎて覚えられていないんです」
一瞬、皇弟殿下が押し黙った。
僅かにその紅い瞳が細められる。
「分かった」
皇弟殿下が軽く手を上げれば、後ろに控えていた騎士が殿下にペンと紙を渡した。
サラサラとペン先が紙の上を流れる。
そうして、その紙を手渡された。
ディザーク=クリストハルト・ワイエルシュトラス。
やや無骨な字のそれを眺めていると、ペンと紙が差し出される。
「貴様の名前も知っておきたい」
それを受け取り、名前を書いて、二つ折りにして渡す。
「改めてよろしくお願いします、ディザーク殿下」
* * * * *
ディザークはあてがわれた貴賓室に戻って来ると、ソファーに腰かけた。
そうして、自分の婚約者となることを決めた少女サヤ・シノヤマから渡された紙を取り出した。
小さな紙には見たこともない文字が書かれている。
随分と複雑な形をした文字で、恐らく、元の世界の文字なのだろう。
独特な形だが、不思議な美しさがある。
そういえばサヤの魔力も不思議な感じがした。
普通ならば、他人の魔力というものは譲渡される際にピリリとした痛みを伴う。
それは譲渡する側と譲渡される側とで属性魔力に違いがあるからだ。
ディザークは火と風、土に属性がある。
つまり、ディザークに魔力を譲渡する場合、火と風と土の属性の者からは苦痛を伴わずに受けられるが、それ以外の水と闇、聖属性の者から受け取るとピリリとした僅かな痛みを伴うことがある。
サヤの魔力も同様に微かな痛みを感じたが、それ以上に心地の良さがあった。
流れ込んできた魔力量も多かったが、ディザークが心地良いと感じるなら、火、風、土のいずれかの属性を持っているということだ。
そして痛みが伴ったことからして、水、闇、聖属性のどれかの属性も持っているはず。
最低でもサヤは二属性は持っていることになる。
……二属性であの魔力量なら、それだけでも、優秀な魔法士としての将来性があるな。
もし本人に学ぶ意思があるならば、魔法士としてきちんと訓練を積めば、帝国の利益に繋がるかもしれない。
それに自分の力で居場所を得た方が、サヤにとっても良いだろう。
名前の書かれた紙を畳んで懐へ仕舞った。
「ディザーク様は本当によろしいんですか〜?」
副官のアルノー・エーベルスに問われる。
「何がだ」
「あの子が婚約者で良いのかということですよ。皇帝陛下よりご命令されたとしても、ディザーク様にだって選ぶ権利があるでしょう?」
「つまり、お前から見て相応しくないと言いたいわけか」
アルノーは小さく肩を竦めたものの、否定しなかった。
だが、ディザークからしたらサヤの存在は丁度良かったのだ。
皇帝である兄には子供もおり、もうあと数年もしたら皇太子となるだろう。
ディザークは兄とも、その子供とも、継承権問題で争うつもりはないが、継承権を放棄した後にもしも兄や子に何かあった時、帝国を率いる者がいなくなってしまう。
そのため、皇子が無事に立太子の儀を迎えた暁には、継承権を放棄するつもりである。
しかしそれでも皇弟の妻という座は魅力的らしい。
断り続けても、いまだに見合いを勧められてうんざりしていたのだ。
……結婚するならば媚びない者が良い。
その点、サヤはそういったことはなさそうだった。
ディザークが皇帝の弟という身分だと知っても顔色一つ変えなかったし、態度が変わることもなかった。
身体的に少々か弱いところはあるかもしれないが、異世界に召喚されても、粗雑な扱いを受けても折れない胆力に、ディザークは実を言えば凄いと思っている。
「皇弟殿下であらせられるディザーク様の隣に立つには、彼女では少々荷が重いように感じられたので」
ディザークはふと微かに笑ってしまった。
「異世界に召喚されて、自分が不必要と判断されて、それを理解した上で己の実力を隠して帝国の使者に接触してくる者が?」
「まあ、それは意外でしたが……」
「見た目に騙されていると痛い目を見るぞ」
サヤはか弱そうな見た目だが、精神はそうではないようだ。
帝国に行きたいと言った時も、婚約者になることを頷いた時も、サヤは一度だってディザークから目を逸らさなかった。
威圧的だとよく言われる自分が女性や子供から怖がられているのは知っている。
そんなディザークを前にサヤは普通に受け答えをしており、真っ直ぐに見つめてくる黒い瞳には、恐怖もなければ欲望も感じない。
強いて言うならば、サヤは落ち着いている。
十代半ばくらいと思っていたが、もしかしたら、もう少し歳上かもしれない。
「どの国にも属さず、自ら帝国行きを望んでおり、黒を有する。魔力もあり、恐らく二属性以上の属性持ちだ。政治にも興味はないだろう。結婚相手として過不足はない」
はあ、とアルノーが溜め息をこぼす。
「ディザーク様はあの娘と結婚しても良いのですか」
「俺と会話が出来るならば特に不満はない」
見合いを申し込まれたにも関わらず、怯えられたり、全く目が合わなかったり、という令嬢が多かった。
それに比べたらきちんとこちらの目を見て話すサヤのほうがずっと良い。
「それに、選ぶ権利というのであれば、サヤこそが選ぶ権利を持っている。俺も帝国も、国に来てくれるよう願うべき立場だ」
「それはそうかもしれませんが……」
「婚約者として嫌がられないよう努力すべきは俺のほうだろう」
とにかく不自由な思いはさせないようにしなければ。
この王国で嫌な思いもしているだろうから、宮に着いたら服飾店の者達をこっそり呼び、侍女も必要数つけて、食事もしっかりと食べさせなければ。
……サヤは痩せているからな。
魔法を使うには体力もいる。
あまり痩せていては魔法を使う体力もないだろう。
「帰ったらまずは医者に診せるか」
その前に皇帝との謁見があるが。
* * * * *