想定外 / クラスメイト
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「ところで、聖女召喚の際に一般人も巻き込んだという報告があったのだが、その一般人の少女を帝国で引き取りたいと考えている」
ドゥニエ王国の王太子、ヴィクトール=エリク・ドゥエスダンは思わず「……は?」と返してしまった。
先ほどまで、ワイエル帝国の使者とヴィクトールとの間で聖女の派遣に関する話し合いが行われていた。
聖女ユウナはこの世界でも珍しい五属性持ちで、しかも、聖属性にかなり適性がある。
恐らく、魔法の訓練を続ければ優秀な魔法士になれるだろうし、聖女としての才能も開花していくことだろう。
帝国は召喚に魔法士を貸したのだから、帝国の現聖女が亡くなり、次代の聖女が見つからない場合にユウナを派遣してほしいと申し出てきた。
正直なところ頷きたくはない。
ワイエル帝国は我が国よりも発展している。
文化も、生活の水準も、流行りさえも帝国はいつだって他国の先駆けとなっている。
帝国に一度でも行ってしまえば、ドゥニエ王国との差にユウナも気付くだろう。
ドゥニエ王国は周辺国の中でもそこそこ大きな国ではあるが、帝国と比べれば領土は半分もない。
ユウナが帝国に行きたいと言い出した時、ドゥニエ王国にはそれを止める術がないのだ。
あくまで聖女の意思が尊重されるため、もしもユウナがこの国を出て帝国に行くと言えば、あちらは喜んで招き入れる。
……聖女の流出だけはなんとしても止めなければ。
だが、中小国の一つにすぎないドゥニエ王国が、大陸の王者である帝国に強く出られるはずもない。
どうにか話し合いを続けた結果、帝国の聖女が亡くなった時にどうしても次代が見つけられなかった場合、短期間だけ派遣し、必ず王国に聖女ユウナを返すことを条件につけて頷くのがやっとだった。
使者の「召喚に魔法士をお貸ししたのですから、派遣くらいはしていただいてもよろしいのではないでしょうか」という嫌味にも取れる言葉が不愉快だったが、事実なので反論は出来なかった。
そうしてやっと使者との話し合いを終えたところで、ディザーク=クリストハルト・ワイエルシュトラス皇弟殿下にそう切り出されたのである。
ヴィクトールは一瞬固まった。
ユウナと共に召喚された一般人と言われて、誰のことか、本当に分からなかったのだ。
しかし次の瞬間には黒髪を思い出した。
「あ、ああ、あの魔力のない者ですか……」
ユウナが膨大な魔力を有していた一方で、同じ世界から来たはずなのに欠片も魔力を感じられない黒髪の娘には、ヴィクトールはまったく興味がなかった。
……そういえば、あれからあの者はどうしたんだったか……。
客間に連れて行けと言い、適当に監視と使用人をつけさせたはずだが、それから報告は受けていない。
皇弟殿下の眉間にしわが増える。
この方はいつも、不機嫌そうな表情だ。
「ああ、その魔力なしの娘だ」
「何故、とお訊きしてもよろしいでしょうか? 帝国とて、あのように魔力のない者を連れ帰っても益はないと思いますが」
それともあの者には何か利用価値があるのだろうか。
もし、そうだとしたら帝国に引き渡すのは惜しい。
だが皇弟殿下がこちらを真っ直ぐに見ながら言う。
「俺の婚約者にしたいと考えている」
ヴィクトールは自分の耳を疑った。
「こ、皇弟殿下の婚約者に、ですか……」
思い出してみても、黒髪の娘の顔を思い出せない。
記憶にないということはユウナよりは美人でも可愛くもないということだろうが、覚えているのは黒髪だったという点だけだ。
「ああ、昨日偶然出会って、しばし共に過ごしたのだが、なかなかに話が合ってな。俺もそろそろ身を固めねばならんが、政治的な問題もあり、出来ればどことも繋がりのない者が望ましい。あの娘は見目も悪くないし、ここにいるよりかは帝国の方が居心地も良いだろう」
皇弟殿下の言葉にヴィクトールは訊き返した。
「しかし、我が国で召喚した者なので、あの者は我が国に属する扱いとなっております」
「そのわりには聖女と随分扱いに差があるようだが。区別するのは大事だが、差別するのは問題ではないか? 召喚に巻き込まれた者ならば、手厚く保護するべきだと俺は思うがな」
「我々はきちんと保護しています」
皇弟殿下の目が細められる。
「では何故、あの娘はあんなに痩せている? 今日は流行りの過ぎた服を身につけていた。それに髪も肌も手入れが行き届かず、食事もまともなものは食べていないようだったが?」
「そんなはずは……」
そこまで言いかけて、ヴィクトールはふと、自分がその巻き込まれた娘の扱いをどうするか明確にしていなかったことに気が付いた。
客室に通せと言ったので、客人としての待遇はなされているとばかり思っていたのだ。
けれども、本当に客間に通されただけだったとしたら?
「メイドが一名、やる気のない護衛騎士が一名。ドゥニエ王国の客人への対応はそういうものだと、そう捉えても良いということか」
ヴィクトールはハッとして首を振った。
「いいえ、違います。そのようなことはありません。どうやら使用人との間で誤解が生じていたようです。巻き込まれた者の待遇については改善いたします」
「いや、その必要はない。先ほども言ったが、我々が帰国する際に俺の婚約者として我が国に連れて帰る。本人もそれに同意している。この国に未練はないそうだ」
そこまで言われてしまえば、ヴィクトールがこれ以上何を言ったところで意味などないだろう。
……どうせ魔力もなく、特別に見目の良い娘でもない。
下手に拒否して帝国との間に軋轢を生むのは避けるべきだ。
「分かりました。陛下には私からお伝えしておきます。陛下の許可が出るのであれば、どうぞ、お連れください」
皇弟殿下が「そうさせてもらう」と答え、立ち上がる。
使者も一礼してその後を追った。
巻き込まれた娘は役に立たないのだから、王城にいつまでも残しているよりずっと良いはずだ。
そう思うはずなのに、何故か、砂を握っているような妙な感覚を味わう。
何かを掴み損ねたような、奇妙な感覚だった。
扉が閉まり、部屋に残されたヴィクトールは軽く首を振って立ち上がった。
……ユウナに会いに行こう。
彼女にも同郷の者が他国に行くと告げておく必要がある。
それに、ヴィクトールは少なからずユウナに対して好意を感じていた。
この三週間、明るく、優しく、朗らかな彼女を見て、接しているうちに、特別な想いを抱き始めていた。
* * * * *
この世界に喚び出されてから三週間。
私、香月優菜は聖女様と呼ばれるようになった。
ごく普通の女子高生だった私は、ある日、クラスメイトの篠山沙耶さんと日直として放課後の教室に残っていた。
その時、この世界に召喚された。
驚いたし、最初は不安も大きくて、わけが分からなかったけれど、このドゥニエ王国の人達はみんな親切で、わたしに良くしてくれる。
ここには魔物と呼ばれる危険な生き物がいて、人間を襲うため、村や街に障壁を張る魔道具が必要なのだとか。
その魔道具に魔力を注ぎ、人々の平和を維持する。
それが聖女様の役目なのだそうだ。
王太子であるヴィクトールが最初に謝ってくれた。
突然召喚してすまない。
でも、どうしてもこの国には君が必要だ。
誰もが私にこの国を守ってほしいと言う。
戸惑ったし、今でも、本当に私がそんなことを出来るのかと思うこともある。
だけど、困っている人を放ってはおけない。
元の世界に戻りたい気持ちはあるし、お父さんやお母さん達にも会いたいけれど、今目の前で困っている人を無視出来ない。私が何もしないことで誰かが傷付くかもしれないと思うと嫌だった。
それに、私が聖女として召喚されたということは、一緒に来てしまった篠山さんを巻き込んでしまったということになる。
篠山さんに謝りたかったけれど、こちらの生活に慣れるので精一杯で、なかなか会うことが出来なかった。
ヴィクトールに訊いたら「客人として何不自由なく過ごせているだろう」と言われて、少しホッとした。
……同じ元の世界の人が近くにいるという安心も、多分、あったんだと思う。
だけど、やって来たヴィクトールが言った。
「ユウナ、君と一緒に召喚された娘は帝国に行くことになった」
「帝国?」
「ああ、隣国だが、我が国よりも大きく、力のある国だ。その帝国の皇弟殿下……皇帝陛下の弟君に見初められたんだ」
……みそめられる。
その意味を理解するまで数秒かかった。
「篠山さんが、この国を出るってこと?」
ヴィクトールが「そうだ」と頷く。
どうしてか、とても心細い気持ちが湧き上がってきて、私はヴィクトールに詰め寄った。
「お願い、篠山さんに会わせて!」
しかしヴィクトールは良い顔をしなかった。
「それは……」
いつもなら、何でも頷いてくれるのに、篠山さんに会うことだけは許可してくれない。
私には何人もメイドさんや騎士さん達がついていて、篠山さんに会いに行こうとしても、絶対に案内してもらえない。
それに違和感を覚えていた。
「もしかして、篠山さんに何かしたのっ?」
篠山さんは静かな子だ。
教室ではあまり目立たないけど、長い黒髪はとても綺麗で、篠山さんと会った時に初めて「烏の濡れ羽色のような髪」という意味を理解した。
色白で、私よりちょっと背が低くて、落ち着いた感じの可愛い子だ。
でも、ちょっと人見知りなのかあまり友達が多くなさそうで、私も席が前後で日直も同じなので何度も話しかけているけれど、なかなか仲良くなれなかった。
そんな篠山さんが、いきなり他国に行きたがるとは思えなかった。
「違う、私は何もしていない。……いや、それ自体が悪かったんだ。客室に通せと伝えたのだが、どうやら、使用人達との間に誤解があったようで、この三週間、あまり良い待遇を受けていなかったらしい」
「どういうこと? 前に訊いた時に『客人として扱ってる』って言ってたよね?」
「ああ、私もてっきり客人として扱われていると思っていたのだが、ほとんどの者が客人として扱っていなかったようなんだ」
……待って、そんな、それじゃあこの三週間、篠山さんはどうやって過ごしてきたの?
聖女として喚び出された私ですら、大勢のメイドさん達にあれこれと教えてもらってようやく馴染んできたところなのに、篠山さんはそうやって助けてくれる人が全然いなかったということだ。
思わず立ち上がっていた。
「篠山さんに会いに行く!」
もう一度言えば、今度はヴィクトールも折れてくれて、一緒に篠山さんのところへ行くことになった。
メイドさんは最後まで渋っていたけれど、ヴィクトールが命じると案内してくれた。
篠山さんの部屋は私の部屋からずっと離れていて、もしかしたら一番遠い部屋なのかもしれない。
メイドさんが「こちらです」と扉を示した。
そこには騎士さんが一人だけいて、私達を見ると、とても驚いた顔をしていた。
ヴィクトールが扉を叩く。
ややあって、中から扉が開かれた。
私よりも少し歳上らしい、茶髪を二つに分けて三つ編みにした可愛らしいメイドさんが顔を覗かせた。
ヴィクトールと私を見るとやっぱり驚いた顔をして、一礼する。
「で、殿下、聖女さま、ご挨拶申し上げます。そ、その、こちらへはどのようなご用件で……?」
「篠山さんに会いたいのっ」
少し気が弱いのか、メイドさんは戸惑った様子だったけれど「サヤ様に訊いて参ります」と一度扉を閉められた。
ヴィクトールは少し苛立っているようだった。
廊下で待たされることに慣れていないみたい。
少しして、扉が開けられた。
「お、お待たせしました。どうぞ、中へお入りください」
メイドさんが扉を開けると横へ避けた。
ヴィクトールが入り、それから私も続いて入る。
その部屋は私にあてがわれた部屋よりも狭く、家具はあるけれど、あまり手入れが行き届いていないようでよくよく見れば薄ら埃が積もっている場所もあった。
ソファーのところに篠山さんがいた。
「篠山さん……!」
振り向いた篠山さんが、少し困ったような顔をする。
「香月さん……」
駆け寄って手を握ると細くて、三週間前に見た時よりも、篠山さんは痩せていた。
可愛いワンピースを着ているけれど、私が着ているものに比べると地味で、少し、着古された感じがあった。
扉を閉めたメイドさんが篠山さんのそばに戻って来る。
メイドさんはたった一人しかいないようだ。
「ごめんなさい、篠山さんっ。私のせいで巻き込まれたのに、扱いが良くなかったって聞いたの。……篠山さんは何も悪くないのに……!」
「ううん、香月さんだって何も悪くないよ。好きで召喚されたわけじゃないんだし、わたしが巻き込まれたのだって、運が悪かったんだよ」
優しく手を握り返されて私は泣きたくなった。
「篠山さん、帝国に行くって本当なの? ドゥニエ王国から、いなくなっちゃうの?」
「うん、いつ放り出されるか分からないし、ここにいてもわたしの扱いは良くならないから。皇弟殿下の婚約者として帝国に行けば、少なくとも、ここよりいい暮らしが出来るし」
罪悪感でいっぱいだった。
私が悠々と過ごしてきた三週間、きっと篠山さんは凄く苦労したんだろう。
本当はドゥニエ王国に残っていてほしい。
同じ世界の者同士、そばにいてほしい。
でも、ここにいても篠山さんは幸せになれない。
篠山さんの視線を辿ってヴィクトールを見た時、それを理解してしまった。
ヴィクトールの、篠山さんを見る目がとても冷たかったから。
「……そう、だね……」
私のわがままで篠山さんを引き留めるわけにはいかない。それは篠山さんのためにならない。
「ねえ、篠山さん、帝国に行っても手紙のやり取りくらいなら出来るかな……?」
「うん、もちろん。香月さんに手紙書くね」
こんな状況になっても篠山さんは怒ってなくて、それが、逆につらかった。
……私は何も見てなかったんだ。
ただヴィクトールに与えられるままで、でも、多分、このままじゃダメなのだと思う。
この国で聖女と呼ばれていくなら、もっと、きちんと色々なものを見て、知って、学んで、理解していかないと。
このままだと私は大切なことを見落としたまま、また気付かないでいてしまう。
「私も手紙、沢山書くから」
篠山さんが小さく笑って頷いた。
でもやっぱり、寂しくて、それを隠して私も笑う。
篠山さんが自分で選んだのなら、私が何か言う必要はないだろうし、聖女と呼ばれる私が口出ししたら、篠山さんが帝国に行けなくなってしまうかもしれない。
そんなことをしたら篠山さんの心も離れていくだろう。
……この世界で唯一、私と同じ異世界の人。
篠山さんには嫌われたくない。
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