……こうてい?
「サ、サヤ様、帝国の使者様方と国王陛下との昼食会が終わったそうです」
マリーちゃんの言葉にベッドから跳ね起きる。
「どこかで会えそう?」
「その、帝国の騎士と王国の騎士とで交流を深めるために親善試合を行うそうですっ」
「そこに行ってみよう」
ベッドから立ち上がって、スカートのしわを伸ばす。
今日は帝国の使者に接触するために、制服を着て、ずっと待っていた。
使者が到着したのは午前中のことだったようだが、昼食会を経て、ようやくであった。
この世界では制服は目立つだろう。
マリーちゃんには「足を出しすぎでは……」と微妙な顔をされたけど。
今回は目立つことが大事なので、むしろ、注目を集める格好のほうがいい。
「どこにいると思う?」
「お、恐らく第一騎士団の訓練場かと……。先ほど、第一騎士団の騎士達が試合について話しておりました」
「そっか、ありがとう」
髪を手櫛で整えて、マリーちゃんを連れて部屋を出る。
当たり前のように騎士が一名、ついて来る。
時間的にはいつもの散歩の時間とほぼ同じくらいなので、多分、いつものことだと思われているだろう。
真っ直ぐ目的地に向かうと怪しまれるかもしれないので、ふらふらと、最初は別の場所に寄る。
あちらこちらを眺めながら当てがなさそうに歩く。
わたしの後ろをやや離れてついてくる騎士は面倒臭そうな顔をしていた。
中庭に出て、花を見ながらふらふらしていれば、離れた場所から歓声が聞こえてくる。
「なんの声?」
わたしの言葉にマリーちゃんが「だ、第一騎士団のほうからですね」と言った。
歓声に釣られるようにそちらへ進む。
意外にも騎士に止められることはなかった。
第一騎士団の訓練場に行くと、騎士達が大勢集まっていて、ずいぶんと人気が多い。
……うーん、見えない。
人垣の後ろからジャンプしてみるが、この世界の人達は総じて背が高いので届かない。
多分、この向こうに使者達がいるのだろう。
どうしようと思っているとマリーちゃんが振り向いた。
「サ、サヤ様、こちらです……!」
いつもは気弱なマリーちゃんがわたしの手を引いて、騎士達の中へ突入していく。
騎士達はわたしを見ると怪訝そうな顔をしたが、関わりたくないのか、避けてくれたため、マリーちゃんとわたしは前へ進む。
が、最前列まで行ったと思った瞬間、ドンと後ろから誰かに突き飛ばされる感覚があった。
とっさにマリーちゃんから手を離す。
わたしは前方の地面へ両手と膝をついた。
……痛っ……。
後ろでは小さく押し殺したような笑い声がいくつもした。わざと押されたのだとすぐに気付いた。
……くだらない嫌がらせして楽しいわけ?
「サヤ様……!」
ぐるぐるといろいろな気持ちが湧き上がってくる。
……なんでこんな思いをしなくちゃいけないんだろう?
わたしだって好きでこっちに来たわけではないのに。勝手に喚び出されて、役立たず認定されて、雑な扱いをされて。
まだ後ろからは微かな笑い声が聞こえる。
羞恥と、怒りと、悔しさで手を握り締める。
掌と膝からじんわりと痛みが広がった。
後ろから聞こえていた微かな笑い声が、急にざわめきに変わり、ふっと地面に影が出来た。
「──……大丈夫か」
上から聞こえた低い声に顔を上げる。
そこには、若い男性が立っていた。
藍色とも暗い青とも思える短い髪をやや後ろに流し、見下ろしてくる切れ長の瞳は紅い。
整った顔立ちが、やや近寄りがたい雰囲気がある。
背が高くて、差し出された手は大きく、黒色の軍服を思わせる服を身に纏っている。
目が合った男性の眉間にしわが増える。
とても不機嫌というか、不愉快そうな表情だ。
…………誰?
まさかマリーちゃん以外に手を差し出してくれる人がいるとは思わなかったので、驚いてしまった。
男性は膝をつくと、わたしの手を取り、軽く引っ張ってわたしを立たせた。
「血が出ているな。……おい、アルノー」
男性は掴んでいるわたしの手と膝を見ると、横を見た。
いつの間にか、別の男性もいた。
その男性は柔らかな色素の薄い茶髪にくすんだ青い瞳をした、穏やかそうな顔立ちをしており、わたしの手を掴んでいる男性と同様に黒い軍服を着ている。
ただ、わたしの目の前にいる男性のほうが、何やらバッジの数が多い。
アルノーと呼ばれた男性がわたしを覗き込んだ。
「お嬢さん、失礼しますね〜」
ゆるい口調で声をかけられる。
そうして茶髪の男性がわたしに自分の手を翳す。
「『この者を癒したまえ』」
ふわっと淡い光が手と膝に集まった。
同時に、掌と膝の痛みが消える。
「はい、治りましたよ」
「大丈夫ですか?」と茶髪の男性にも訊かれた。
なんでとか、どうしてとか、いろいろとあったのだけれど、それよりも先にぽろりと涙がこぼれた。
思わず俯いたものの、涙があふれてくる。
……大丈夫じゃ、ない……。
声が漏れそうになって唇を噛み締める。
この世界に来てから、大丈夫なことなんて、一つもない。
同時に、この人達が帝国の使者なのだと気が付いた。
この王城の人間はこんな風にわたしに優しくなどしてくれないし、むしろ、疎ましがられているから。
わたしは泣きながらも、わたしの手を掴んでいる大きな手に意図的に魔力を流した。
……お願い、気付いて。
……わたしは役立たずなんかじゃない。
大きな手が一瞬だけ、ギュッとわたしの手を握った。
「聖女と共に召喚された娘か?」
低い声に問われて頷く。
「アルノー、お前はここに残って他の者達に指示を出せ。俺は客人と部屋に戻る」
「了解しました〜」
軽く手を引かれる。
どこへ行くつもりかは分からないが、このまま放り出されるわけではないようで、安心した。
帝国の使者は王国の者達とは違って優しいようだ。
大きな手に引かれて、わたしはついて行った。
……本当はもっと違う形で接触したかったのに。
* * * * *
すん、すん、と後ろから小さく音がする。
それを聞きながら、ディザークは出来る限りゆっくりとした歩調で歩いていく。
どうすれば接触出来るだろうかと思っていた少女は、驚いたことに自分のほうからやって来た。
……それにしても、不愉快な奴らだ。
この王城の者達は一般人の少女を良く思っていないとは知っていたが、まさか、突き飛ばすとは。
黒髪の少女は思っていたよりも小柄で、細く、ディザークを一度見上げた瞳もほぼ黒に近かった。
瞳まで黒いとは知らなかったが、光を反射させる黒い瞳も、髪も、まるで夜を切り取ったようだった。
すぐに俯いた少女の掌と膝は擦り傷が出来ていて、少しだけ聖属性魔法を扱える副官のアルノーに治療させたが、少女は泣き出してしまった。
傷が痛かったから泣いたというわけではないだろう。
泣きながらも、掴んだ手から流れ込んだ魔力に驚いた。
魔力がないという報告だったが、どうやら、それは間違いであったようだ。
流れ込んできた魔力はかなりの量があり、娘の魔力量の高さが窺えた。
娘は何か理由があって魔力を隠しているのだ。
だが、思えば、それは当然なのかもしれない。
突然異世界に喚び出され、聖女ではないからと粗雑な扱いをされて、周囲の者達には馬鹿にされて、そんな状況では周りの者達を信用出来るはずもない。
黙ってついてくる少女の後ろをディザークの部下数名と、気の弱そうなメイドが追いかけてくる。
更にその後ろに王国の騎士が一名いた。
報告にあったメイドと騎士だろう。
ディザーク達のために用意された貴賓室に到着し、ディザークは振り向いた。
「王国のメイドと騎士はここで待て」
メイドが「え」と少女を見た。
少女が頷けば、メイドは一歩下がった。
だが騎士は譲らなかった。
「私は護衛を任されており、離れることは出来かねます」
その言葉にディザークは目を細めて騎士を睨んだ。
「護衛対象が突き飛ばされても何もしない者が護衛だと? 己の責務を果たさぬ騎士に用はない」
部下達が騎士を下がらせる。
そうして別の部下が扉を開けた。
ディザークは少女の手を引いて部屋に入る。
護衛の部下が二人入り、扉を閉めた。
「これで監視はない」
そう言えば、少女の肩がホッとしたように少しだけ下がった。
ソファーに座らせ、ディザークもその向かいに置かれたソファーに腰かけた。部下達が後ろに立つ。
「自己紹介が遅れた。俺はディザーク=クリストハルト・ワイエルシュトラス。ワイエル帝国の皇弟だ」
「……こうてい?」
聞こえてきた声が意外にも落ち着いていた。
「皇帝陛下の弟という意味だ」
まだ潤んでいるが、黒い瞳が見つめてくる。
大抵の者はディザークが皇弟だと知ると、すり寄ってくるか、逆に離れるかだったが、少女の目はただディザークを見るだけだった。
「わたしはシノヤマサヤです。シノヤマが家名で、サヤが名前です。……サヤって呼んでください」
「そうか。ではサヤ、貴様は魔力持ちだな?」
「はい」
少女、サヤがしっかりと頷いた。
「報告では魔力はないと書かれていたが、隠していたのか」
「ここの人達はわたしを役立たずだと思って馬鹿にしています。もし魔力があると知られたら、何に利用されるか分かりませんでしたから……。わたしは聖女じゃないので……」
なるほど、と思う。
いくら魔力があったとしても、聖女でなければ、王国はサヤを使い潰そうとしただろう。
魔力があるからと扱いを変えるとは思えない。
これまでの粗雑な扱いに、サヤもいろいろと感じる部分があったはずだ。
「わたし、帝国に行きたいんです」
サヤが右手を上げた。
瞬間、その掌にボッと炎が現れた。
部下達が剣を構えたので、手で制する。
「……驚かせてすみません。でも、わたしは詠唱を使わずに魔法が出せます。魔力もそれなりにあると思います」
確かに今、サヤは詠唱を行わなかった。
無詠唱の魔法を扱える人間など、ディザークが知る限り、一人もいない。
……サヤは聖女ではないと報告があったが……。
たとえ聖女ではなかったとしても、無詠唱で魔法を扱える上に魔力量も多いとなれば、優れた魔法士となる可能性が高い。
「お願いします。帝国に連れて行ってください」
サヤが炎を消してこちらへ頭を下げる。
「ここには、王国にはいたくないんです。きっと、わたしが魔法を使えると言ったとしてもここでは待遇は良くならないと思います」
「帝国になら、利用されても良いと?」
「少なくとも王国のためになるようなことはしたくありません。この国はわたしを蔑んでいますから」
サヤの願いは、帝国としては良いものである。
優れた魔法士になりそうという点でもそうだが、その黒い髪と瞳もまた、重要だった。
先ほどの王国の騎士達を思い出す。
ここにいても、サヤは苦しむだけだろう。
掴んだ手の細さがまだ、掌に残っている。
「帝国としても貴様の状況には少なからず責任を感じている」
「わたしの状況、ですか?」
「ああ、召喚魔法など安易に行うべきではなかった。それに手を貸すよりも、もう一度、周辺国と協力して聖女を派遣させるなり、新たな聖女を探すなり、別の道を選ぶべきだった。……まさか一般人が巻き込まれるとは思っていなかった」
召喚魔法で現れるのは聖女か聖人だけ。
そう王国側からは言われたが、もしかしたら、これまでの召喚でもそういった者がいたのかもしれない。
ただ歴史に名が出てこなかっただけで……。
サヤのように虐げられて一生を終えた者がいたかもしれないと思うと、帝国が魔法士を貸したことは、間違いだったのではとも思う。
「もっと、召喚については慎重になるべきだった」
サヤが目を瞬かせ、そして笑う。
「この国の人達にあなたの爪の垢を煎じて飲ませたいです」
意味は分からなかったが、笑った顔に暗い影はない。
「帝国としてはサヤの受け入れは構わない。が、一応貴様の身は今のところは王国預かりだ。一度話し合わねばならん」
「ここの人達は喜んでわたしを捨てると思いますよ」
「そうだろうか? 帝国が欲しいと言えば、何かあるのではと邪推して渡すのを渋るかもしれない」
ディザークは一瞬黙った。
兄の策を使うのが確実なのは分かっている。
サヤを見れば、不思議そうに見返される。
「一つ、確実に連れ帰る手段がある」
だが、それにはサヤの同意も必要だ。
「どんな方法ですか?」
ディザークは少し躊躇った。
見たところ、サヤは十代半ばほどだろう。
成人していないのは確かだ。
そうしてディザークは二十二歳で成人している。
他国から、男が女を自国に連れ帰るのに最も簡単で、確実性の高い手段。
「俺の婚約者になることだ」
サヤがキョトンとした顔をする。
ややあって、意味を理解したのか黒い瞳が驚きに見開かれた。
「え、婚約って結婚しますって約束するアレ!?」
「そうだ。俺がサヤを見初めて、帝国に連れ帰りたいと言えばいい。幸い、俺は結婚もしていなければ、婚約者もいない身だ。疑われはしないだろう」
黒い瞳がぱちぱちと瞬いている。
「そこまでする必要があるんですか……?」
サヤの戸惑いは当然のことだ。
しかし帝国としてもサヤを、黒を有する者を欲しいと思っているので、これはある意味ではどちらにとっても良い条件だ。
「ここでは理由を説明出来ないが、我が国は黒を持つ者を欲している。サヤは髪も瞳も黒い。帝国としても、サヤが来ることは願っても無いことだ」
サヤが考えるようにしばし黙った。
けれども、覚悟を決めた様子で顔を上げた。
「分かりました。あなたの婚約者になります」
だから帝国に連れて行ってください。
サヤの言葉に、ディザークは深く頷いたのだった。
* * * * *




