穏やかな日 / 王国の聖女
聖女として公になってから半年。
ドゥニエ王国で、今日、ついに香月さんの聖女としてのお披露目が行われる。
香月さんはどこか出席してほしそうにしていたけれど、わたしはもう王国に行くつもりはないし、関わりたくもないので出席しないと伝えた。
帝国からはディザークを筆頭とした使者が向かった。
きっと香月さんは初めて出会ったマルグリット様と似たような、聖女らしい装いをして、民の前に立つのだろう。
……わたしもいずれあの服を着るんだよね。
白と金だけの、あの服を着るのは重いだろう。
物理的な話ではなく、精神的な意味で、恐らくあの聖女の服を着るのは重そうだ。
奉仕活動の際にはあの服を着ることになっている。
実は既に服を受け取っているけれど、着る機会がなくて、ずっと仕舞われたままだ。
……香月さんは似合いそうだなあ。
そんなことを思いつつ、紅茶を飲む。
わたしは、今日は宮に引きこもっている。
引きこもっているけれど、一人ではない。
「ぼーっとしていらっしゃるけれど、大丈夫ですの?」
テーブルを囲んでいたレナータ様に訊かれる。
一ヶ月前に初めて会って、その後、すぐに彼女の両親である両陛下から謝罪をもらい、レナータ様自身も謝りに来てくれた。
その時はきちんと手紙でお伺いを立てて、予定した日の時間を守ってやって来ると、頭を下げて再度謝罪をされた。
本気でわたしを嫌っているわけではないらしい。
聖女がとても大切な存在なのも分かっていたが、ディザークを奪われた気分になってしまい、どうしても対抗心が湧いてしまったのだそうだ。
それから、彼女の教育方針も変わったのだとか。
今は厳しくなり、以前の我が儘さがなくなったみたいだ。
ディートリヒ様も教育が厳しくなったそうだ。
「サヤ様は不安なんだよ。これまで叔父上と長く離れたことがなかったって話だし、こうして距離が離れていると色々思うこともあるんだよ」
「え、そうなの?」
ディートリヒ様の言葉にレナータ様が眉尻を下げて、心配そうな顔でこちらを見る。
「これこれ、お前達、そういうことは気付いても言ってはいけないよ。本人が一番分かっているのだから」
同じくテーブルを囲んでいた前皇帝のバルトルド様が穏やかな口調で、孫二人を窘める。
それにディートリヒ様とレナータ様が元気に返事をした。
……うん、薄々思ってたけどすごい面子だよね?
前皇帝陛下と次期皇帝陛下になるだろう皇子と、皇女。
一つの部屋に三人も皇族がいる。
今日ディザークがいないと知ったレナータ様がお茶をしに行っても良いかと手紙を送ってきたので了承した。
手紙のやり取りはしていたし、わたしも怒っていないし、何よりディザークがいないから少し寂しかった。
そうしたら何故かバルトルド様も呼ぼうという話になって、この四人でお茶をすることになった。
「おじいさまはサヤ様にとっては義理のお父様になるんだから、一緒にお茶するのはおかしくないわ」
と、レナータ様は手紙で書いていた。
……まあ、いいのかなあ……?
バルトルド様と仲が悪いわけではないし。
もらったディザークとわたしの肖像画は宮の玄関ホールに飾ってあり、それに気付いたバルトルド様は「随分と目立つところに飾ったね」と嬉しそうに笑っていた。
あとレナータ様はツンツンしなくなった。
実は世話焼きなタイプだったようで、もっと華やかなドレスを着なさいとか、流行のものを身につけなさいとか、わたしを貶めるようなものではなくて、どちらかと言うと皇族の仲間入りする予定のわたしがあまりドレスや装飾品、流行に興味がないのを気にしている風だった。
「帝国が聖女様をないがしろにしてると思われたら困るわ」
と、流行のドレスや装飾品、小物などのデザイン画を持ってきてくれた。
それを眺めて一緒にお喋りをするのは楽しいものだ。
しかしディートリヒ様はちょっと退屈そうなので、元の世界から着てきた制服を見せてあげたのだが、スカートの短さに兄妹揃ってギョッとしていて少し面白かった。
それはともかく、宮の応接室に今現在、前皇帝、皇子と皇女というすごい面子が揃っている。
わたしだけ一般人、と思いかけたが、そもそもわたしは聖女になったし皇弟殿下の婚約者なのですごい面子の一人かもしれないと内心で首を傾げた。
……その辺りは考えるのはやめよう。
「確かにディザークがいなくて不安に思う部分はありますが、護衛もいますし、こうして一緒に過ごしてくれる人がいるので寂しくないですよ」
「良かった、寂しいのはつらいもの」
「そうですね、レナータ様がお手紙をくださったおかげで、こうして楽しい時間が過ごせています」
わたしの言葉にちょっと誇らしげな顔をするレナータ様が微笑ましい。
でも、事実レナータ様は沢山の話題を持っていて、主に流行のものが多いけれど、色々なことを話してくれる。
だから、あっという間に時間が過ぎていった。
綺麗な青い瞳がくるりとわたしを見る。
「ねえ、サヤ様、ディザークお兄様とはどこまで進んだの?」
ただ、まだ子供だからかたまに爆弾を投下してくるが。
……義理の父親になる人の前でする話じゃない……!
ディートリヒ様が少し顔を赤くしている。
バルトルド様は変わらず穏やかな笑みを浮かべている。
「どこまで、とは?」
訊き返すとレナータ様がやや身を乗り出した。
「ごまかさないで! ディザークお兄様と手は繋いでる? エスコートは数えちゃダメよ。好きな人同士は手を繋ぐの。ディザークお兄様はちゃんと前みたいに頬や額にキスしてくれる? あ、でも唇は結婚するまでダメなのよ! 赤ちゃんが出来ちゃうから!」
……あ、そういうこと?
もしかして、まだ妊娠のあれこれとか知らない?
ディートリヒ様を見れば小さく何度も頷いている。
「ああ、えっと、はい、手を繋いだり抱擁したり、ディザークが朝出かける時には頬にキスをしたりしていますよ」
「まあ、素敵! そうよね、お父様とお母様もとても仲がいいの。夫婦は仲が良くなくちゃダメなのよ!」
「わたし達はまだ婚約者ですけどね」
仲良くなってから、こんな風にディザークとわたしの話を聞きたがるようになった。
周りにそういう話をしてくれる人がおらず、両親に訊いても教えてくれず、同年代の女の子は恋愛よりも流行ものの話が好きだからそもそもそういう話自体がまずないらしい。
レナータ様はディザークとわたしの話を聞いては『ディザークお兄様に似た素敵な未来の旦那様』とのことを想像しているようだ。
……教えるのってまずいかな?
でも一緒にいるディートリヒ様もバルトルド様も何も言わないので、いいのかもしれない。
「あ、そういえば王国の聖女様ってサヤ様と同じ世界から来たんでしょ? どんな方なのかしら?」
話が逸れてくれたことにホッとする。
「明るくて素直な性格の子ですよ。同じ学校、えっと、勉強を教えてもらう場所があって、そこで、同じ部屋で学んでいました」
「じゃあお友達ですの?」
「いえ、友人というほどの間柄ではなかったですね」
香月さんは学年でも結構人気のある女の子で、誰とでも仲良くしているみたいだったけれど、席が前後だからといって別段親しくしていたわけではなかった。
「わたしも仲良くしようとは思ってませんでしたから」
レナータ様が不思議そうに首を傾げた。
「どうして?」
「香月さん、ドゥニエ王国の聖女はみんなから人気があって、いつも誰かと一緒にいることが多くて、わたしはあまり目立ちたくなかったので関わりたくなかったんです」
「サヤ様は目立ちたくないの? 社交界では有名で人気者のほうが強いのに」
「元の世界ではわたしは貴族ではありませんでしたし、社交界というものもなく、有名でなくても困らなかったんですよ」
「ふうん?」とあまり理解していない様子のレナータ様であったが、そもそも生活様式や価値観など様々なことが違うから理解するのは難しいだろう。
「じゃあサヤ様は王国の聖女様が嫌い?」
「嫌いではありませんよ。同じ世界から召喚されましたし、同じ部屋で学んだ相手でもあるので香月さんが不幸になったら良い気分にはなりません。でも友達というほど親しくもなれないですね」
「同じ世界から召喚されて、知り合いで、同じ聖女なのに、友達にはならないのですか?」
わたしの言葉にディートリヒ様が訊き返してくる。
その横でレナータ様もうんうんと頷く。
そんな二人にわたしは苦笑が漏れた。
「香月さんは正しく『聖女らしい人』なんです。わたしは『自分が生きていくため』に帝国の聖女になる道を選びました。しかし香月さんは『困っている人を自分が頑張れば助けられるから』聖女になることを受け入れました。……そうですね、お二人は皇族ですが、他の国の王族と会った時に必ず友達になりますか?」
「嫌な子だったらお友達にはなりたくないわ」
「性格が合わないこともあるし……。王国の聖女様とサヤ様は性格が違うから、友達にはなれないんですか?」
「ちょっと違いますね。『なれない』のではなく『ならない』んです。香月さんはわたしと友達になりたがっているみたいですけど、わたしはほどよい距離を保った付き合いでいたいんですよ」
両殿下が難しい顔をする。
まだ子供の二人には理解出来ないみたいだ。
バルトルド様は分かるのか、少し微笑みを深めたものの、黙ってお菓子を食べている。
「じゃあサヤ様はこれからもドゥニエ王国の聖女様とは、お友達にはならないってこと?」
難しい顔のままレナータ様に訊かれる。
「どうでしょう? 未来のことは誰にも分かりませんから」
「サヤ様はお友達になりたいの? なりたくないの?」
「どちらでもいいと思っています」
ディートリヒ様とレナータ様はやっぱり難しい顔だった。
バルトルド様はそんな孫二人を眺めつつ、穏やかに微笑を浮かべていた。
* * * * *
高く澄んだ青空には雲一つない。
そんな快晴の下、私は白と金のシスターみたいな独特なデザインの服を着て、王都の最も大きな神殿の出入り口から人々に手を振っていた。
聖騎士の皆さんが警備をしてくれているけれど、新たな聖女を一目見ようと多くの人々が詰めかけ、誰もが白い花を持っている。
私が手を振るとわっと歓声が上がる。
その度に、何かが体に重く圧しかかる気がした。
それでも私は笑顔を浮かべて手を振る。
……大勢の人に期待されてるんだ……。
手を振る時間が終わると、今度は各国から来た要人への挨拶回りが始まった。
疲れていても笑顔で挨拶をしなければいけない。
軽いはずの衣装が酷く重く感じる。
今になって聖女という立場の重責を実感した。
体が震えそうになるのを堪え、笑顔を作る。
「皇弟殿下、本日はお越しくださり感謝申し上げます」
一番最初の挨拶はワイエル帝国の皇弟殿下だった。
親しい間柄ではないけれど、知っている相手だったことに少しだけホッとした。
「こちらこそ招待していただきお礼申し上げる。帝国はあなたの聖女就任を祝い、今後の活躍を期待している」
「はい、聖女の名に恥じないよう努力いたします」
神殿で教わっていた通りに返す。
皇弟殿下も難しい言い回しを使わず、必要最低限であったため、それが逆にありがたかった。
胸の前で両手を組んで神殿の礼を執る。
……やっぱり篠山さんは来てないよね。
参加しないとハッキリ断られたので分かっていたが、篠山さんが来てくれたら、それだけでとても心強く思えたのに。
その後も各国の要人と形式的な挨拶を交わす。
……ああ、そっか……。
これまで、私は『聖女』という立場をきちんと理解出来ていなかったんだ。
国を守るために存在する聖女。
みんなから親切にしてもらえるけれど、愛されるけれど、それは無償のものではない。
魔力充填は疲れる仕事だ。
私は他の人よりも魔力が多いからまだ良いが、普通の神官だと魔道具の一つか二つに魔力を注いだところで魔力切れを起こしてしまうらしい。
実際にやってみて、篠山さんの魔力充填がいかに凄いことなのか気付き、そして、私には真似出来ないと分かってしまった。
……私、篠山さんに甘えてたんだ。
篠山さんだって同じ立場なのに。
いや、篠山さんのほうが大変だっただろう。
異世界に召喚されて、放置されて、やっと帝国に逃げられたのにドゥニエ王国は諦めなくて。
きっと、本当は王国の魔道具に魔力充填だってやりたくなかったはずなのに。
同じ世界からきた人だから、クラスメイトだから、私が逆の立場だったら助けるから。
だから助けてもらえると私はどこかで甘えていたんだ。
「聖女様!!」
「聖女様〜!!」
人々の声がする。期待と希望に満ちた声が。
振り返れば笑顔の人々が手を振っている。
……これは私の選んだ道。私がこれから守るべき人々。
中には祈るように手を組んでいる人もいた。
……私はこの人達の期待に応えられるのかな……?
その答えはきっと、未来にしかない。
ふと視線を動かせば警備にあたっている聖騎士さん達の中に、見慣れた顔を見つけた。
離れていたけれど確かに目が合った。
ふ、と微笑みを返されてドキリとする。
望まれているなら。誰かの幸せを守れるなら。
私が大切だと思える人のためになるなら。
顔を上げて人々に手を振り返す。
……これからは篠山さんに甘えないようにしないと。
自分の選んだ道なのだから、自分の力で精一杯歩いていこう。
* * * * *




