突然の来訪者(2)
「妹、レナータは昔から叔父上に憧れていまして……」
困った顔をした皇子殿下の横で、皇女殿下が腕を組んでツンと顔を逸らす。
「だってディザークお兄様ほど素敵な人なんていないもの」
「それには深く同意します。あの厳しく真面目なところはカッコイイですし、体も鍛えてしっかりしているし、気遣いが出来て優しいですよね」
「あら、見る目はあるのね。でもわたしはあなたが嫌い!」
それはまた随分と正直なことで。
「てっきり『ディザーク様と別れろ』と言われるかと思っていました」
皇子殿下と皇女殿下がわたしを見る。
「ディザークお兄様を取られたのはすごく不満だけど、そんなこと言わないわ。お父様が許したのにわたしが反対したってどうしようもないもの。でもどんな人なのかは気になったから来たの」
「せめて先触れは出したほうがいいって止めたんですが……」
「それじゃあ本当の性格が分からないじゃない!」
……あー、なんか分かってきたかも。
憧れていたディザークがいきなり婚約して、しかもそれが全く知らない人間だから、どんな性格なのか調べに来たというところだろう。
だからと言ってわたしがご機嫌取りをする理由はなさそうだ。
踏ん反り返っている皇女殿下に言う。
「こちらにいらした理由は分かりました。ですが、それで無礼な振る舞いを許すことにはなりませんよ」
「えっ」
皇女殿下が驚いた声を出した。
「皇女殿下が無礼な振る舞いをするのであれば、わたしは残念ながら、今後の皇女殿下との関わり方は考えさせていただきます」
「か、考えるって……?」
「公務などの必要最低限の時以外はお会いすることも、お話しすることもないということです」
目を丸くする皇女殿下にちょっと呆れてしまう。
最初から失礼な人に礼を尽くす義理はない。
「だからやめたほうがいいって言ったじゃないか。いつまでも叔父上に憧れていても結婚は出来ないし、第一レナはもう婚約者候補が何人かいるでしょ」
「いやよ、みんな子供っぽいもの……!」
思わず控えていたノーラさんにそっと訊く。
「両殿下はおいくつ?」
「皇子殿下は十一歳、皇女殿下は九歳でございます」
……ですよね。まあ子供なのは分かっていたけど。
これくらいの歳の頃なら、同年代の子よりも、ディザークほどの年齢の大人のほうがカッコイイ男性に見えるだろう。
同じ皇族で気軽に接せられる立場にいるし、ディザークは外見も美丈夫といった感じだし、小さな頃から会っていれば他の子供と比べてしまうのも無理はない。
子供に恋敵だと思われてツンケンされるのは、ちょっと微笑ましく感じてしまう。
しかし下手したら皇族が異世界人を嫌っていると受け取られかねない。
どうしたものかと考えていると部屋の扉が叩かれた。
騎士が確認し、すぐに扉を開けて脇に避けた。
「サヤ」
入ってきたのは、仕事でいないはずのディザークだった。
「ディザーク」
思わず立ち上がって近寄れば、ディザークも歩み寄り、軽く抱き締められる。
それからディザークは皇子殿下と皇女殿下に顔を向けた。
これまでのことを皇子殿下が説明すると眉間のしわが深くなった。
「まったく、先触れも出さずに押しかけるなんて」
ディザークに睨まれた両殿下が肩を竦ませた。
それからわたしへ頭を下げる。
「サヤ、すまない」
「わたしは怒ってないよ?」
「そうだとしてもだ。身内になる相手に礼儀を守れないようでは、他の者になど、尚更守ることなんて出来ない」
「まあ、確かにね」
ディザークの言葉に皇女殿下がより小さくなる。
悪いことをした自覚はあるようだ。
だが、異世界人で聖女のわたしに皇族が冷たい態度を続けるのは問題があるだろうし、帝国としては望ましくないことだ。
ディザークが皇女殿下を見た。
「レナータ」
厳しい声音で呼ばれて皇女殿下の肩がびくりと跳ねる。
「たとえ皇女であっても、いや、皇女でなくともやって良いことと悪いことがあるのは分かるな?」
ややあって皇女殿下が頷いた。
「皇女という立場には責任がついてくる。我が儘を言ったり、好き勝手に振る舞うことは出来るが、それが許されているわけではない。あまり好き放題していると皆から嫌われてしまうぞ」
皇女殿下がディザークの言葉を聞きながら俯く。
「もし、レナータが今日のレナータみたいなことをされたら許せるか?」
「……ううん」
「そうだろう。俺だって無礼な人間は嫌いだ。作法を知らないのと、知っていて礼を欠くのでは、後者のほうがずっと悪いと思わないか?」
皇女殿下の肩が更に下がる。
無礼な人間は嫌い、という部分にも反応したようだ。
「レナータ、サヤに謝罪を」
ディザークの言葉に皇女殿下が小さく呟く。
「……ごめんなさい」
「こちらこそ、色々と申し訳ありませんでした」
「他に何かあったのか?」
「まあ、ちょっとね。わたしも無礼なところはあったから、今回はお互い様ということで」
子供相手に大人げなかった自覚はある。
「サヤがそう言うなら」
額にちゅ、とキスをされる。
それに皇女殿下がハッと顔を上げた。
青い瞳がこぼれ落ちそうなくらい見開かれる。
「ディザークお兄様は、本当にその人が好きなの?」
ディザークが頷く。
「ああ、そうだ」
「わたしよりも?」
「比べられるものではないと思うが、俺はサヤを大事に思っている」
それに皇女殿下はショックを受けた顔をした。
「だから最近会ってくれないの?」
「いや、それは忙しいからで……」
「でも婚約者と会う時間はあるんでしょ?」
ディザークが少し困った顔をする。
「それは同じ宮に住んでいるからだ。レナータも毎日忙しいじゃないか。そういえば、今日の授業はどうしたんだ?」
皇女殿下は押し黙った。
多分、サボって来たのだろう。
「授業はきちんと受けるべきだ、レナータ」
「……ごめんなさい」
珍しくディザークも小さく溜め息を吐いた。
「ディートリヒ、レナータ、今日はもう帰るように」
ディザークの言葉に両殿下が頷いた。
「サヤ様、突然来てしまってごめんなさい」
「いえ、次は先触れをいただけると嬉しいです」
「……また来てもいいんですか?」
目を瞬かせる皇子殿下に頷いた。
「はい、今度はゆっくりお茶をしましょう」
……皇女殿下も来る気があれば。
両殿下に向けて言えば、ディザークも「サヤがそう言うなら」と頷いてくれた。
わたしからはこれが精一杯だ。
どうするかは皇女殿下次第である。
これでわたしを拒絶するならそれも仕方がないし、その時は出来るだけ関わらずに過ごせば何とか波風も立たないだろう。
皇子殿下は「はい!」と明るい声で返事をした。
皇女殿下は俯いていて、表情は分からなかった。
* * * * *
帰りの馬車の中で、帝国の皇子ディートリヒ=アルノルト・ワイエルシュトラスは妹皇女に訊いた。
「それで、レナは何がしたかったの?」
項垂れていた妹が少し顔を上げる。
「わたしはディザークお兄様の婚約者と話がしたかっただけよ。もしかしたらディザークお兄様の好みがわかるかもって思って……」
「分かったの?」
「……全然わからなかったわ……」
それにディートリヒは溜め息を呑み込んだ。
叔父の婚約者は不思議な雰囲気のある人だった。
細身で、若くて、真っ黒な髪に同色の瞳が神秘的で、顔立ちはやや幼いような気がした。
穏やかそうだけど、決して気弱ではないらしい。
叔父と話している時の柔らかな声からは、叔父のことをとても好きなのだなと感じられた。
その声を向けられる叔父も婚約者が好きなようだ。
「叔父上の好きな人を探って、好きなところが分かったとしても、レナがそれを真似しても叔父上はレナを恋愛感情で好きにはならないと思うよ」
そもそもこの国では三親等での婚姻は出来ない。
妹の初恋が実ることはないのだ。
「わかってるわよ!!」
妹が両手の拳で自分の膝を叩いた。
「あんなディザークお兄様、初めて見たもの! わたしにだって頬や額に口付けをしてくれたことなんてないのに、婚約者には当たり前みたいにしてて、ディザークお兄様の目を見たら、もう勝てないんだって嫌でもわかったわ!!」
癇癪を起こしたように騒ぐ妹にディートリヒは少し驚いた。
父や自分とは違い、皇族の血を濃く引きながらも紅い瞳を持って生まれることの出来なかった妹は、それもあって昔から甘やかされて育ってきた。
社交界に出れば「直系の皇族なのに青い瞳だ」と皆から好奇の目で見られるだろう。
母に似た、美しい青い瞳がディートリヒは好きだ。
周りの者達も妹を大事にしてくれるし、愛してくれているが、誰もがそうではない。
いずれ、つらい思いをする日がくるだろう。
そう思うと皆、妹を甘やかしてしまうのかもしれない。
「今後もああいう風な態度を取るなら、レナはもう、サヤ様に会わないほうがいいよ」
妹が唇を小さく噛み締める。
恐らく、叔父上を取られて悔しいけれど、それと同じくらい叔父上の心を射止めた婚約者が気になるのだろう。
「……でもお兄様は会いに行くんでしょ?」
「もちろん。叔父上と結婚されたら叔母上になるんだし、僕がやがて帝位を継ぐ頃にはサヤ様は今代の聖女様としても接することになるからね」
それにディートリヒも色々な興味を持っている。
生真面目な叔父が愛した人がどのような人物なのか。
皇帝である父が「予想外だらけさ」と言った人。
ドゥニエ王国との確執も大体聞いている。
それに、異世界についても教えてほしい。
ディートリヒは異世界のことにとても興味があって、もし教えてもらえるならば、色々と尋ねてみたい。
「わたしだって……」
「気になるにしても、礼儀作法は守るべきだよ。また来てもいいって言ってもらえたから良かったけど、社交界に出た時にあんなことしたら今度はレナが悪役皇女って呼ばれちゃうよ」
「もうあんなことしないわ! わざとよ、わざと! 無礼に振る舞えば怒って本性を出すと思ったの!!」
妹なりに考えたのだろうがお粗末である。
「とにかく、今回のことは父上と母上に言うからね」
「ええ!?」
「特に母上にはすごく怒られるだろうけど、ちゃんと反省するまでサヤ様のところには行けないだろうね。まあ、それは止められなかった僕もだけど」
母も妹を愛しているけれど、だからと言って我が儘で相手に礼を欠いた態度をとった妹を簡単には許さないだろう。
父は妹に甘いところがあるが、母はむしろ厳しい。
きっと妹は母にものすごく叱られて泣く。
でも母は泣いたからって許してはくれない。
「悪いことをするからだよ」
妹は涙目になっていた。
* * * * *
皇子殿下と皇女殿下が帰った後。
どうやらディザークは両殿下が突然宮を訪れたという連絡を受けて、急いで戻って来たらしい。
「あの二人がサヤに危害を加えることはないと分かっていたが、レナータは少々我が儘で、あの通り何故か俺にとても懐いているから、サヤを困らせるかもしれないと思ったんだ」
ディザークのほうは皇女殿下の恋心に気付いていないのか、気付かないふりをしているのか。
どちらにしても皇女殿下の恋は実らないということだ。
……少し可哀想だけどね。
「いきなり来たから驚いたけど、それだけだよ」
「本当にすまない。レナータは我が儘を言うことは多いが、普段からあんな風に無礼な振る舞いをする子ではないんだ」
「分かってるよ。憧れの『ディザークお兄様』に婚約者が出来て、しかもあんまり会えてなくて寂しかったんじゃないかな?」
思えばわたしが帝国に来てから、ディザークはわたしのことをよく優先してくれている。
仕事で忙しいだろうに、ドゥニエ王国の魔道具の魔力充填の時も立ち会ってくれているし、毎日時間を取ってくれるし、そう考えると皇子殿下や皇女殿下と会う時間はほぼないように感じられる。
「たまには会う時間、作ってあげられない?」
ディザークが難しそうな顔をする。
「互いに予定が合うかどうか……。だが、そうだな、少し様子を見て調整してみよう」
頷くディザークに、好きだなあ、と思う。
その気持ちのままキスをすれば、ディザークが驚いた表情で目を丸くした。
「わたしのことを大事にしてくれるディザークも好きだけど、家族のことも大事に出来るディザークも好き」
きっと、わたし達が本当の意味で家族になった時もディザークは大事にしてくれるのだろう。
ディザークの目元がほんのり赤くなる。
眉間のしわが深くなった。
照れてるのが分かりやすくて可愛い。
「……あまりからかうな」
近付くディザークの顔に目を閉じる。
唇に触れる温もりを感じながら、やっぱりわたしはディザークのことが好きだなあ、と思うのだった。




