突然の来訪者(1)
聖女として公にされてから五ヶ月。
最近、王国から持ち込まれる魔道具の数が減りつつある。
わたしが毎週のように魔力充填をしていたからというのもあるけれど、香月さんが魔力充填に参加し始めたのだ。
あれから毎日訓練し、時々帝国に来ては一緒にマルグリット様から聖女について学んだり、魔力充填の練習の成果を確認したり、会う度に香月さんは着実に成長していった。
最後に会ったのは三週間前だったが、その時には、もう問題ないくらい他者へ魔力を譲渡出来るようになっていた。
マルグリット様からも「これなら魔力充填を行っても問題ないでしょう」とお墨付きをもらったのもあり、魔力充填へ挑戦したのだろう。
そして、それが成功したのだ。
恐らく様子を見て、問題がなければ王国でも香月さんを聖女として改めて公表すると思う。
召喚魔法で聖女を無事喚べたと公表はしていたが、香月さんの聖女としてのお披露目はまだだったらしい。
香月さんの聖女公表はきっと神殿側で行われるだろう。
もし王族が関わろうとしても、香月さんはそれを断るとは思うし、神殿に身を置いている以上は神殿主体になるはずだ。
……王国の魔道具に魔力充填をするのはもうすぐ終わりかなあ。思っていたより短い期間で済みそう。
香月さんが努力してくれたおかげだ。
庭園を散歩しながらそんなことを考えていると、どこからか人の話す声が聞こえてきた。
何を言っているかは分からないけれど騒いでいる。
一緒にいたノーラさんが少し顔を上げた。
「正門のほうが騒がしいですね」
わたしも釣られて正門の方向を見る。
聞き耳を立ててみれば、まだ騒がしい声がする。
よくよく聞けば騒がしい声は高い気がした。
「ちょっと見に行ってみてもいい?」
後ろにいたヴェイン様と騎士達に訊けば、ヴェイン様はすぐに頷き、騎士達は顔を見合わせた後に頷いた。
「門に近付かないようにしていただけるのでしたら」
「我々より後ろにお下がりください」
と、言うことだったので今度はわたしが頷く。
「分かりました」
騎士達が前に立ち、ノーラさん、わたし、ヴェイン様という並びで正門へ向かう。
正門への道のりは短く、すぐに門が見えた。
門を守護する騎士達がおり、閉められた鉄柵みたいな門扉越しに誰かと話しているようだった。
中に入れなかったからか、外には馬車が二台ある。
「もうっ、なんで開けてくれないのよ! わたしはただディザークお兄様の婚約者になった人と話がしたいだけって言ってるじゃない!!」
女の子のものだろう高い声が聞こえてきた。
お城の敷地内でこれほど幼い声を聞くとは思っておらず、少し驚いてしまった。
確か、貴族の子息令嬢が登城出来るのは十二歳になってからだと教わったが、聞こえた声はもう少し幼い感じがする。
騎士達が立ち止まった。
これ以上は安全上、近付かないほうが良いらしい。
こちらからは植え込みの隙間より門の様子が見える。
「申し訳ございません。ディザーク様より『予定にない者や先触れのない者は通すな』と厳命されておりますので、お通しすることは出来ません」
騎士のハッキリとした声が聞こえてくる。
「今までそんなことなかったじゃない!! いつ来てもディザークお兄様は宮に入ることを許してくれたわ!! 何で今になってそんなこと言うの!?」
癇癪を起こしたような声だった。
騎士達の困った気配が感じられた。
「むしろそれが当たり前だと思うよ。叔父上は婚約者を迎えられたんだから、宮に他の人間が勝手に出入りできたら危ないじゃない」
もう一つ、今度は男の子の声がした。
女の子の声とは裏腹に男の子の声は落ち着いていた。
むしろ男の子の声もちょっと困っている風でもあった。
騒がしい声を聞きつつ、ノーラさんに質問する。
「あの子達は?」
「皇帝陛下の御子息様と御息女様でございます」
「ああ、なるほど」
女の子はディザークを『お兄様』と呼んでいたが、男の子の叔父上というのもディザークのことを指すのだろう。
「皇女殿下であらせられるレナータ様はディザーク様にとても懐いておられたので、恐らく、ディザーク様とご婚約されたサヤ様に会いに来られたのでしょう」
門のほうからは「中に入れなさい!」「ディザークお兄様の婚約者にわたしは会うべきなのよ!」と騒ぐ声がずっと響いている。
男の子は「もう諦めなよ、先触れも出してないし、無理に押しかけてるのは僕達なんだから」と言う。
……うん、まあ、そうなんだけど。
女の子が「皇女であるわたしに行けない場所なんてないわよ!!」とついに門を叩き始めた。
ああいう時に正論を言うのは火に油を注ぐようなもので、やはり、女の子の声が叫ぶようなものになる。
……あれは門番をしてる騎士達が可哀想だなあ。
「あの子達を宮に招き入れてもいい?」
そばにいる騎士達とノーラさんに問う。
三人がちょっと顔を見合わせた。
「皇子殿下と皇女殿下ですから問題はないと思いますが……」
騎士の片方が言葉を濁す。
ヴェイン様が口を開いた。
「あの子供はサヤに少し敵対心を持っているようだが」
「でも皇女殿下でしたら今後も関わる機会はあるでしょうし、一度話してみようと思います。ダメそうなら今後は関わらないようにします」
「そうか、分かっているならば良い」
ノーラさんが一つ頷いた。
「では両殿下のご訪問についてはディザーク様にご連絡いたします」
「うん、お願い」
騎士達を見れば、そういうことならと門に近付くことを許してもらえ、わたしは騎士達とノーラさん、ヴェイン様と共に門に向かった。
植え込みの陰から出ると途端に「あ!」と声がする。
「そこの黒髪のあなた、ディザークお兄様の婚約者ね!?」
門の柵越しに指差される。
騎士達であまり見えなかった来客は予想通り、女の子と男の子だった。
女の子は銀髪に海のような真っ青な瞳をしており、可愛らしく華やかなドレスを着ている。
男の子はプラチナブロンドで、紅い瞳をしており、フリルの多い、可愛くもオシャレな服装だ。
「お二人をお通しして」
門番をしていた騎士が「よろしいのですか?」と訊いてくる。
女の子の表情が明るくなった。
「ええ、皇子殿下と皇女殿下が突然とは言えお越しになったのですから、きっととても重要なご用事があるのでしょう」
ニッコリ微笑みながら言えば男の子と女の子が揃って、ばつの悪そうな顔をした。
開かれた門から入ってきた二人に礼を執る。
「帝国の第一の星と第二の星にご挨拶申し上げます。初めまして、篠山沙耶といいます。篠山が家名で沙耶が名前です」
男の子は礼を返してくれたものの、女の子は何もせず、フンと顎を上げて顔を逸らした。
どうやら挨拶する気はないらしい。
「僕はディートリヒ=アルノルト・ワイエルシュトラスといいます。こちらは妹のレナータ=テレジア・ワイエルシュトラスです。聖女様に妹が失礼をしてごめんなさい」
「お兄様、勝手にわたしの名前を教えないで!」
「レナこそ、いつまで聖女様に無礼を働くつもりなの?」
兄皇子にやや冷たく返されて、妹皇女が「う……」とちょっと身を引いた。
それから「だって……」と涙目で俯く。
そのまま泣くかと思ったが、意外にも、泣くことはなく、顔を上げると皇女殿下はわたしをまた指差した。
「だってこんな大して美人でもない人がディザークお兄様と結婚するなんてありえないじゃない!!!」
……この世界の人はみんな顔の彫りが深いからなあ。
わたしは子供っぽく見えてしまうし、顔立ちも地味に感じるだろうし、スタイルが良いわけでもないので確かに外見的な長所はないだろう。
皇女殿下は将来とても美人に成長するだろうことが分かるくらいの美少女だから、余計にわたしが不美人に見えるかもしれない。
皇子殿下が「レナ!」と鋭く名前を呼んた。
「いい加減にしなよ。無理やり押しかけた上に騒いで、それでも中に入れてくれた相手の外見を貶めて、人として恥ずかしくないの? 叔父上だってそんなレナを見たら嫌うと思う」
それには思わず頷いてしまった。
ディザークは真面目だし、わたしのことを好いてくれているからか、冗談で自虐ネタを言うだけでも良い顔をしない。
子供だからって何でも許してくれるような性格でもなさそうだから、さっきの発言を聞いたら怒るかもしれない。
……って、今はそんなこと考えてる場合じゃない。
「とりあえず、中に入りませんか? 今日は日差しが強いですから、ずっと外にいるのはお体に良くないでしょう」
そう声をかければ口喧嘩に発展しそうだった二人がこちらを見る。
皇子殿下が申し訳なさそうな顔で「はい……」と頷き、皇女殿下はやはりそっぽを向いていた。
恐らくこの二人は何度もこの宮に来ているのだろう。
騎士の一人が先に宮へ伝えに走ってくれて、わたし達はゆっくり宮への道を戻る。
皇子殿下と皇女殿下にもそれぞれ侍従と侍女、そして護衛の騎士達がいるので大所帯となった。
「あの、シノヤマ様、帝国に来てくださり、ありがとうございます。帝国は次の聖女様が見つからなくて困っていたので、感謝しても足りないくらいです」
歩いていると後ろから皇子殿下にそう言われた。
「わたしのことは気軽にサヤとお呼びください。わたしも帝国に来たいと思っていたので、ディザーク様のおかげでこの国に来られて良かったです。皆さんとても親切にしてくださいますし、居場所を見つけられたようで嬉しいです」
少し振り向いて皇子殿下に微笑めば、嬉しそうな笑顔が返ってくる。
「分かりました、では僕のこともディートリヒと呼んでください」
「はい、よろしくお願いいたします、ディートリヒ様」
お互いに微笑み合っていると皇女殿下が「ちょっと!」と声を上げる。
「わたしのこと無視しないでよ!」
と、言われたのでわたしは皇女殿下に微笑んだ。
「申し訳ございません、皇女殿下。先ほどご挨拶を受け入れていただけなかったので、てっきり、わたしとは口も利きたくないのではと深読みしてしまいました」
皇女殿下が驚いた様子で目を丸くした。
その横で皇子殿下も目を瞬かせている。
もう一度ニッコリ微笑んで前を向く。
「聞いた、お兄様!? 皇女であるわたしに無礼でしてよ!!」
「いや、今までレナのほうが無礼だったんだから、冷たくされるのは当然だと思うけど。今すぐ追い返されても僕は驚かないよ」
「何が聖女よ! ディザークお兄様は騙されてるんだわ!」
後ろでわーぎゃー騒ぐ声を無視して歩き続ける。
聖女という立場だからと言って心が広いとは限らないし、面と向かって貶してくる相手に優しくするほどわたしは出来た人間でもない。
応接室に到着し、中へ入る。
二人にソファーを勧め、わたしもその向かいに腰を下ろした。
ややあって扉が叩かれた。騎士が対応し、メイドが数人入ってくる。お茶やお菓子を持ってきてくれたようだ。
テーブルの上にそれらを並べたメイドにお礼を言う。
メイドは一礼すると静かに退室した。
まずはわたしがお茶とお菓子に手をつける必要がある。
ノーラさんが淹れてくれた紅茶を一口飲み、取り分けてくれたケーキを食べてみせる。
そうして皇子殿下と皇女殿下の侍従と侍女がそれぞれ、紅茶とお菓子を食べて確認している。
わたしは気にしていませんよという風にのんびり紅茶を飲みながら、侍従と侍女が頷くのを待った。
それぞれから問題ないと許可が出て、ようやく二人は紅茶に手を伸ばした。
騒いで喉が渇いていたのだろう。
皇女殿下は黙って紅茶を飲んでいる。
皇子殿下は少し居心地が悪そうだ。
「それで、本日はどのような御用向きでお越しになったのでしょうか?」
わたしの問いかけに皇子殿下が口を開きかけたものの、横にいた皇女殿下のほうが早かった。
「あなた、ディザークお兄様にどうやって取り入ったの!?」
それに皇子殿下が頭が痛いという風に額に手を当てた。
「……ええと、それはもしかして亡くなられたペーテルゼン公爵令嬢の真似でしょうか?」
「なんであの悪者の公爵令嬢が出てくるのよ?」
「皇女殿下の言動があの方と非常によく似ていたので、民達の間で流行っている悪役令嬢物語というものを真似しておられるのかと」
皇女殿下の顔が赤くなる。
横で皇子殿下が「確かに似てるかもね」と更に追撃をこぼしたものだから、皇女殿下は絶句した様子で震えていた。
「まず、わたしはディザーク様に取り入ったわけではありません。婚約者となった経緯は色々とありますが、きちんとお互いを思い合ってお付き合いさせていただいております」
ここで帝国に来るために婚約したとは言わないほうがいいだろう。
皇子殿下がうんうんと頷いた。
「そうですよね、この間少し叔父上と話しましたが、サヤ様のことをとても大事にしているのを感じました」
「いつの間にディザークお兄様と会ったの! お兄様だけずるい!!」
「騎士達の訓練の見学に行った時だね。レナは前に勝手に席を立って騎士達を困らせたじゃないか。だから今回は見学させてもらえなかったんじゃない?」
ずるいずるいと皇女殿下が文句を言うけれど、皇子殿下は全く気にした様子もなくお菓子を食べている。
身に覚えがあるのか皇女殿下がぐっと口を噤む。
「で、でも、あのディザークお兄様が急に婚約者を選ばれるなんておかしいわ! 今まで女の人に全然興味がなかったのに!! ──……あなただけずるいじゃない!!」
「え、わたしも?」
キョトンとしたわたしの目の前で、皇子殿下が大きく溜め息をこぼした。




