三人の聖女(2)
そこまで考えて、ふと疑問が湧いた。
……元の世界で魔力に近いものって何だろう?
超能力は魔法っぽい気もするけれど、どちらかと言うと、それはライトノベルでたとえるならスキルに近い感じがした。
誰もが使えるわけではなく、一個人の特性、みたいな。
そもそもこの世界の魔法というのは攻撃魔法や治癒魔法などがあるけれど、最もよく使用されるのは日常生活だ。
たとえば火をつけたり、水を出したり、灯りを生み出したり。
元の世界では火をつけるならライターがあるし、水が欲しければ買ったり水道を使ったり、暗くなければライトをつけて明るくする。
この世界の便利なものの大半は魔法だ。
元の世界の便利なものの大半は何だ?
「あ」
不意に閃いた。
思わず動きを止めたわたしに、香月さんとマルグリット様が小首を傾げてこちらを見る。
元の世界の便利なもの。それは電化製品だ。
考えてみれば、電化製品は魔道具とよく似ている。
魔道具の使用に魔力を使用するのは、電化製品で電気を消費するのと同じなのではないか。
この世界にも雷があるので魔力とは別に電気が存在するのだろうが、わたし達の感覚でたとえるなら、魔力と電気はかなり近しい存在のように思える。
「ねえ、香月さん、これはあくまでわたしのイメージなんだけど、魔力って電気に近くない?」
香月さんが目を丸くした。
「え、電気?」
「そう、わたし達は自家発電が出来る電池みたいなもので、魔法は雷みたいなもので、魔道具は家電製品で電気を流すことで使えるようになる。足りない分の電気は食べ物や他の人から譲ってもらうことで賄えるの」
「それって……」
わたしの説明に香月さんが言葉を途切れさせた。
でも、香月さんの頭の中で目まぐるしく色々なことが考えられ、想像されている気配があった。
もちろん魔力と電気はイコールではない。
だが、イメージはそれに近いと感じた。
ややあって顔を上げた香月さんの表情は、何かを確信したような、少し緊張した様子だった。
お皿をテーブルへ置いた香月さんは両掌を合わせる。
そしてグッと合わせた両手に力が込められた。
数秒後、香月さんがハッと顔を上げた。
「魔力が通った……!!」
マルグリット様がサッと立ち上がり、香月さんに水晶を差し出した。
「感覚を忘れないうちに」
「はい!」
水晶を受け取り、膝の上に乗せ、両手で左右から触れつつ香月さんが唇を引き結ぶ。
わたしもマルグリット様も思わず息を詰めた。
ふわ、と水晶に淡い色の光が現れる。
「ユウナ様、もう少し魔力を増やしてくださいませ」
香月さんが頷いた。
水晶の中にある光が強くなる。
赤、緑、青、茶、白。全部で五色。
最も多い色はわたしと同じく白だった。
香月さんは水晶をジッと見つめていた。
「もう魔力を止めていただいて大丈夫です」
マルグリット様に言われて香月さんが水晶から手を離す。
それでも、水晶には五つの光が灯っていた。
香月さんが深呼吸を一つした。
わたしは立ち上がって香月さんのそばに行く。
その手を握る。
「香月さん、わたしの手に魔力を流してみて」
「……うん」
繋いだ手からふんわりと魔力が流れ込んでくる。
まだとても弱々しくて、まるで今にも途切れてしまいそうな砂時計の砂のように僅かだけれど、確かにそれは香月さんの魔力だった。
香月さんも魔力が流れていく感覚があるのだろう。
緊張のせいか繋いだ手は冷たかった。
「まだ途切れ途切れな部分はあるけど、魔力、わたしの手に流れてるよ」
「うん」
「流す魔力量、増やせる?」
「……ううん、今は無理かも」
かなり集中しているようで香月さんの額にはまた汗が滲んでおり、その表情もやや強張っている。
「ですが、魔力を体の外に流すことが出来ましたね。流れる魔力量と魔力の操作は非常に集中力を要しますが、外に出せたのであれば、そちらもいずれ、上達するでしょう」
わたしも同意するために頷いた。
わたしに魔力を流すことが出来たということは、魔力譲渡が出来るようになったということだ。
つまり、ほんの少しずつでも魔道具に魔力を流せる。
それは魔力充填が出来るようになったと同義だろう。
まだ流す量は僅かだけれど、魔力を体の外に流す感覚がもっと掴めれば、魔力操作も上手くなるはずだ。
「魔力充填をするには流す魔力量が少ないから、王国に戻ったら物や人に魔力を流す練習とか、なんなら魔道具を借りて充填の練習をしてもいいんじゃないかな?」
香月さんが力強く頷いた。
「今の感覚を忘れないよう頑張るっ」
それまで静かに控えていた騎士達が礼を執った。
先ほど話した騎士が「ユウナ様、おめでとうございます」と言い、それに香月さんが嬉しそうに「ありがとうございます!」と返す。
微笑み合う二人に「おや?」と思ったものの、目が合ったマルグリット様が意味深に笑みを深めたのでそれについては黙っておいた。
「さっきの篠山さんの言葉のおかげで、魔力の流し方についても私なりにちょっと分かった気がするよ。ありがとう! マルグリット様もご協力してくださり、ありがとうございます!」
「全てはユウナ様の努力の成果ですわ」
マルグリット様は嬉しそうに微笑んだ。
自信のついた香月さんの笑顔に懐かしさを感じる。
……元の世界の香月さんはいつも笑顔だったっけ。
「さあ、香月さん、忘れないうちに練習しよう? またわたしに魔力を流してくれる? 流した分は後で返すから」
「うん!」と頷いた香月さんに内心でホッとする。
これなら、わたしが王国の魔道具に魔力を注ぐ役目もそう遠くないうちになくなりそうだ。
わたしはあくまで香月さんが出来るようになるまでの繋ぎである。
ディザークと共に事の成り行きを見守っていたのだろうドゥニエ王国の使者達も、安堵の表情を浮かべていた。
* * * * *
マルグリット=ドレーゼは紅茶を飲みながら、目の前にいる二人の若い聖女達を眺めた。
一人はサヤ・シノヤマ嬢。
黒髪に黒い瞳という珍しい色を持つ少女で、性格はさっぱりとしている。少し淡々とした部分もあるかもしれない。
ドゥニエ王国で役立たずと判断されたらしいが、実は全属性持ちの聖女であった。
帝国に渡り、皇弟殿下の婚約者になった。
もう一人はユウナ・コウヅキ嬢。
春の花を思わせるピンクブラウンの髪に、同色の瞳をした少女で、明るく真っ直ぐな性格のようだ。
ドゥニエ王国の聖女として現在訓練をしている。
どちらも異世界より召喚された。
召喚魔法についてマルグリットは良く思っていなかった。
この世界の、そして自分達の住む国のことであるならば、それはそこに住む者達で解決するべきである。
異世界より何も知らない人間を喚び、利用するなど、ただの誘拐だ。
もしもマルグリットが同じ立場であったなら、たとえどれほどの贅沢を約束されても協力などしないだろう。
自分の人生を無理やり奪われるのだから。
目の前の二人は被害者である。
そう思うと、マルグリットはとても申し訳ない気持ちになった。
こちらの世界の人間の都合で、家族も、友人も、元の世界での人生全てを失った少女達の心情を思うと何も感じないはずがなかった。
聖女という立場は重責である。
国の守りの要となる魔道具に魔力を注ぎ、人々の傷を癒し、常に善き人の模範としてあるべきとされる。
マルグリットが聖女に選ばれたのは二十代半ばだった。
最初はその幸運に心から喜んだ。
聖女に選ばれるのは光栄なことで、誇り高い立場だと思っていた。聖女となれば誰もが自分を敬う。
けれども、聖女の務めや立ち居振る舞いは容易ではなかった。
魔道具に魔力充填を行うのも慣れないうちはすぐに疲労困憊してしまったし、魔力が足りなくて無理に食事をしたり、人から魔力譲渡をしてもらったりもした。
奉仕活動も忙しく、好きだった夜会やお茶会へは参加出来なくなり、自然と貴族社会との繋がりは薄くなっていった。
代わりに夫が社交に力を入れてくれているおかげで伯爵家は貴族社会でも無事に過ごせているけれど、マルグリットは貴族の夫人としての立場は失っていた。
いつでも「聖女様」と呼ばれる。
治癒魔法をかけても、誰もが感謝してくれるとは限らない。
どうしても治らない怪我や病もあり、そういう時、マルグリットは「聖女のくせに治せないのか」と責められることのほうが多かった。
愚痴をこぼせば「聖女なのに」と言われ、人々を癒しても魔道具に魔力を必死に注いでも「聖女なら当然」と思われ、心身共につらい時期があった。
支えてくれた夫や子供達がいなければ、きっと続けられなかっただろう。
そんなつらい立場を召喚した何も知らない人間に担わせる。
それがどれほど無責任で身勝手なことか。
この世界の人間であるマルグリットですら時には投げ出したいと感じるのに、何の責任も関わりもない若者の人生を奪ってその重責を担わせるのは間違っている。
しかし、召喚魔法でこの世界に呼び出された目の前の二人は聖女になることを受け入れた。
……いいえ、受け入れざるを得なかったのでしょう。
何も分からない世界で要求を跳ね除け、もしもそのまま放り出されたとしたら生きていくのは難しい。
マルグリットがドゥニエ王国の召喚魔法について知ったのは、サヤ・シノヤマ嬢が帝国に来てからだった。
行う前に知っていたら強く反対しただろう。
むしろ、初めてサヤ・シノヤマ嬢と会った時、落ち着いた様子であることに驚いた。
もし十代の頃のマルグリットが異世界に召喚されたとしたら、己の不運を嘆き、悲観して何も受け入れられないと思う。
だからこそ、聖女の立場を受け入れた少女達には出来うる限りのことをしたいし、先達として少女達に悪習を引き継ぐようなことは避けるべきなのだ。
聖女や聖人の献身が当たり前だと思われている、この風習自体を壊したい。
昔のマルグリットだったらそんなことは無理であったが、長く聖女として活動してきた今のマルグリットならば発言力も強い。
……聖女も聖人も同じただの人間なのよ。
「うーん、流れる量、増えないね」
「これ、結構疲れる……」
「ちょっと休憩する?」
この新たな芽が枯れてしまわないように。
これから芽吹く者達が潰されてしまわないように。
マルグリットは内心で固く決意した。
聖女や聖人の立場を変えてみせる、と。
* * * * *
サヤが王国の聖女と訓練をしている。
その様子を、王国の使者達と話しながらもディザークは横目に眺めていた。
王国の聖女ユウナ・コウヅキとサヤは同じ世界より召喚されたが、サヤはコウヅキ嬢とは少し距離を置いている部分がある。
仲が悪いわけでもなく、無関心というわけでもなく、しかし特別親しいという雰囲気もない。
それについてサヤに尋ねたことがあった。
「コウヅキ嬢は友人なのか?」
その問いにサヤは首を傾げた。
「え? うーん、クラスメイトだけど友達ではないかなあ。まあ、同じ世界から召喚されちゃった者同士って意味では気にかかるし、特に嫌う理由はないよ」
「しかし友人になるつもりはないと?」
「性格の違いかな。コウヅキさんは良くも悪くも良い子なんだよね。誰かが困っていたら自分が苦労しても助けるのが当たり前、みたいな感じ? それが悪いとは言わないし、どうするかは本人の自由だけど、コウヅキさんと一緒にいることで周りがわたしにもコウヅキさんと同じ考えや行動を要求したり強要したりしてきたら嫌でしょ?」
と、いうことだった。
「一緒にいるとどっちも比べられるしね」
その一言はあっさりとした声で紡がれたが、サヤが王国で放置されていたことを考えると実感のこもったものだと理解出来る。
だからサヤはコウヅキ嬢とは親しくなりすぎず、けれど突き放すでも無関心でもない、曖昧な距離感を保っている。
コウヅキ嬢がそれに気付いているかは不明だが。
ドゥニエ王国と関わりたくないという理由もあるのだろう。
手紙ではなく、ヴェインに頼って魔法でコウヅキ嬢と連絡を取り合っている部分からも王国を信用していないのが分かった。
実際、王国の使者達とは全く言葉を交わしていない。
神殿の聖騎士とは一言二言話していたが、それだけだ。
サヤは王国の使者も騎士も興味がないのだろう。
「そろそろ時間だ」
そう声をかければサヤが「あ、もうそんな時間?」と振り返る。
横にいたコウヅキ嬢が少し残念そうな顔をした。
王国の使者達との対談も終え、魔力充填も済んでいるため、彼らが長居する理由はない。
サヤがコウヅキ嬢へ顔を戻した。
「今日の感覚を忘れないで練習してね」
「その、次も来たら教えてくれる……?」
「え? 今日で魔力も流せるようになったし、わたしが教えることはあんまりないと思うけど……」
「でも、また会いたいし……。あ、それにマルグリット様からも聖女について色々お聞きしたいこともあります!」
どこか必死な様子のコウヅキ嬢にサヤが頬を掻いた。
それに、なるほど、とディザークは納得した。
コウヅキ嬢は恐らくサヤと友人関係になりたい、または、繋がりを持ち続けたいと思っているのだろう。
コウヅキ嬢が不安そうな顔をした時、一瞬、王国の騎士達の視線がサヤへ向けられた。
もしかしたら、そこにはコウヅキ嬢の願いを叶えろという気持ちが混じっていたかもしれない。
少なくとも、サヤはそれに気付いたようだった。
言葉に出されたわけではないが、確かに、こういうことが続けばそれが当たり前になってしまう。
「次回については互いに予定が合うかも分からないんだ、今ここで約束は出来ないだろう」
ディザークがそう声をかければ、コウヅキ嬢が少し肩を落とす。
「そう、ですよね。……ごめんなさい」
そうして王国の使者と騎士達が魔道具を運び、聖騎士とコウヅキ嬢と共に帰国していった。
サヤと離れがたそうなコウヅキ嬢にサヤ自身が「また連絡するから」と言わなければ、もっと帰国に時間がかかったかもしれない。
転移門で見送りを終えると、サヤに袖を軽く引かれた。
「ディザーク、ありがとう」
何がと言わなくてもすぐに分かった。
返事の代わりにサヤの手を握ると、ディザークよりも小さくて細い手にしっかりと握り返される。
「わたしが王国を出たことで不安に感じてるのかもね」
「そうだとしても、彼女がサヤに寄りかかる理由にはならない。コウヅキ嬢は自分で王国の聖女になると決めたんだ」
サヤがうん、と頷いた。
そしてディザークに少しだけ身を寄せた。
「コウヅキさんにも頼れる相手が出来るといいね」
サヤの言葉にディザークは「そうだな」と頷き返した。
も、と言われたことが少し嬉しかった。
* * * * *




