三人の聖女(1)
聖女であることが公となってから一ヶ月半。
今日はドゥニエ王国より、わたしが魔力充填を行う魔道具が帝国へ持ち込まれる日であった。
同時に、香月さんが来る日でもある。
お城の応接室でディザークと共に待っていると、部屋の扉が叩かれ、騎士の一人が確認をする。
ややあって、開けられた扉からドゥニエ王国の使者だろう人達と香月さん、王国の騎士達が入ってきた。
ディザークが使者達の応対をしている横で、わたしも香月さんに歩み寄った。
「この間ぶりだね、香月さん」
ヴェイン様のあの魔法を通じて半月前にも話していたので、久しぶりと言うほどではないだろう。
香月さんも笑いながら頷いた。
「よく顔を合わせてるからあんまり離れてるって感じがしないけど、こうして直に会えるとホッとするね」
「確かに。神殿での暮らしはもう慣れた?」
「うん、朝早く起きて夜も早く寝るから凄く健康的だし、奉仕活動では色々な人と会えるから楽しいよ」
そう言った香月さんの表情はとても明るかった。
話しているとマルグリット様が近付いてきたので、わたしは少しそちらに向いて、マルグリット様を迎え入れた。
「こちらは帝国の現聖女、マルグリット・ドレーゼ伯爵夫人、マルグリット様、こちらが王国の聖女となる香月優菜さんです」
紹介するとマルグリット様が礼を執った。
「初めまして、マルグリット・ドレーゼと申します。どうぞ、マルグリットとお呼びください」
「こちらこそ初めまして、香月優菜といいます。香月が家名で、優菜が名前です。私のことも優菜と呼んでください。今日はよろしくお願いします」
わたしが香月さんに魔法や魔力充填について教えるという話になった時、マルグリット様も是非それに参加したいと手を挙げてくれたのだ。
それに香月さんも喜んだ。
マルグリット様という現役の、それも長く聖女として活動してきた人から直に教えを請える機会が得られるのはわたしにとっても香月さんにとっても、非常に嬉しいことだ。
「では、まずはサヤ様に王国の魔道具の魔力充填をしていただきましょう」
マルグリット様の言葉にわたしは頷いた。
王国側が運び入れた、魔道具の納められた箱の山に近付く。
騎士はどうやら二種類いるらしく、ドゥニエ王国の王城でよく見た騎士と、それとは別に青服に白い鎧を着た騎士とがいて、魔道具の周りにいるのは青と白の騎士だ。
わたしが近付くと青と白の騎士達は胸の前へ両腕を上げ、左手の拳を握り、その拳を右手で包むような独特な格好で頭を下げた。
「魔道具はこちらで全てでしょうか?」
わたしが問うと、青と白の騎士の一人が頷いた。
「はい、今回帝国の聖女様に魔力充填を行っていただく魔道具はこちらで全てでございます。……どうか、よろしくお願いいたします」
騎士が頭を下げると他の騎士達も同様に頭を下げる。
王国の騎士達も黙って礼を執った。
それにわたしは頷き返した。
魔道具の数は恐らく三十あるかないかくらいだ。
大きいものや小さいものもあるようだけれど、これなら、一度に魔力充填を行っても大丈夫だろう。
「すぐに箱からお出しします」
と、顔を上げた騎士にわたしは首を振った。
「いえ、このままで問題ありません」
まずは目を閉じて意識を体に集中させる。
胸元に手を置き、心臓の辺りに魔力の存在を感じ、聖属性の魔力だけを取り出すと、それが伸ばした両腕を通って掌へ流れるイメージを行う。
それから目を開けて、掌から外へ流れ出た魔力が魔道具の納められた箱の山を包み込むイメージを作る。
包んだ魔力が魔道具に染み込んでいくのが分かる。
……本当に空っぽだったんだなあ。
まるで乾いた土に水が染み込むかのように、流した魔力はどんどん吸収されていく。
やがて魔力が吸収されなくなるまで注ぎ続けると、箱の山の周りに魔力が溜まり、それを体の中へと引き戻す。
腕を通り、魔力が心臓へと収束したところで手を下ろす。
「終わりました」
わたしの言葉に騎士達と香月さんが驚いた顔をする。
「え? もう終わったの!?」
香月さんが慌てて近付いてくる。
それに、うん、と頷きながら振り返る。
「一つずつだと面倒だから、わたしはこうやって一気にやっちゃってるよ」
「凄い! 私も訓練したらいつか出来るようになるかな?」
香月さんの純粋な疑問にマルグリット様が微笑んだ。
「魔力量が多ければ可能でしょう。ユウナ様は見たところ、魔力量もかなりあるようですので、魔力充填に慣れれば、数個同時に注ぎ入れるのも夢ではないと思います」
「じゃあそれを目標に頑張ります!」
マルグリット様の言葉に香月さんがやる気を見せる。
その様子に先ほどわたしと会話をした騎士が、少し目元を和ませてそれを眺めていた。
話を終えたらしいディザークが歩み寄ってくる。
「体調は問題ないか?」
「うん、平気。ありがとう」
差し出された手にはお皿がある。
その上には美味しそうなチョコレートが並んでいた。
ありがたくそのお皿を受け取った。
王国の使者達が魔道具の箱を開けて、中身に魔力が補充されているか確認しているのを横目に眺めつつ、チョコレートを食べる。
香月さんが不思議そうに首を傾げたので説明した。
「魔法を使うとお腹空くのは知ってるよね?」
「うん、えっと、魔法を使うと魔力を消費して疲れるんだよね? 魔法を使い過ぎると痩せちゃったりするって」
「そうそう。魔法を使うにはエネルギーが必要なの。特に魔力充填はそのエネルギーである魔力そのものを他のものに移すわけだから、体からなくなった分を補うために食事が必要なの」
「あ、なるほど」
香月さんが納得した顔で二度頷く。
……それにしてもこのチョコレート美味しいなあ。
途中で一つをディザークへ差し出せば、ディザークが顔を近づけてわたしの手からそれを食べる。
「このチョコ美味しいね」
「気に入ったなら、また用意しよう」
「せっかくなら一緒にそれでお茶しようよ」
ディザークが「ああ」と頷いた。
忙しい人だけれど、わたしとの時間を作ってくれるし、何かと気にかけてくれるので嬉しい。
チョコレートを食べ切るとディザークが皿を引き取ってくれて、手を拭いてから、香月さんに向き直る。
香月さんは何故か口元に両手を当てて、キラキラした眼差しでこちらを見ていた。その横には穏やかに微笑むマルグリット様がいる。
「お待たせ。香月さんの魔法の訓練しよっか」
香月さんがわたしとディザークを交互に見て「いいの?」と訊いてくる。
何のことかと首を傾げれば、香月さんは小さく首を振って「ううん、何でもない」と言った。少し残念そうな顔だった。
それからディザークはまた使者と話し始めたので、魔道具については任せ、香月さんとマルグリット様と三人でソファーに座る。
テーブルには魔法の適性検査に使う水晶が置かれている。
今日はこれで香月さんの適性検査が出来るようになるのが目標だ。
香月さんは魔力充填が出来ないため、魔法の適性検査はドゥニエ王国の宮廷魔法士に調べてもらったらしい。
確かに適性検査は水晶に魔力を注ぐ必要があるため、最低でも魔力譲渡が出来ないといけない。
ちなみに魔力譲渡とは持っている物や触れている相手に魔力を流すことで、魔力充填と意味は同じである。
人や物に魔力を渡す場合は譲渡、魔道具に注ぐ場合は充填と言うだけだ。
香月さんは魔力を魔法に変換することは出来ても、体の外に魔力そのものを出すことは出来ていないのだとか。
わたしとしては魔法が使えるなら同じだと思うのだけれど、香月さんにとっては全く別物らしい。
「魔法はイメージすれば使えるけど、魔力譲渡をしようとすると、こう、掌で阻まれるって言うか、手の内側で散っちゃうって言うか、体の外に出すのが上手く出来ないの。体の中にあるものが外に出るって怖くない?」
と、言うことだった。
わたしは魔力をわりとふんわりしたイメージで捉えているのだけれど、もしかしたら香月さんがもっと違う感覚で捉えているのかもしれない。
「ユウナ様、魔道具をお持ちください」
マルグリット様に促されて香月さんが水晶に触れる。
「そのまま膝の上に載せてみたらどうかな? 触れている部分は多いほうが、魔力を流しやすいと思う」
「そうですね、掌や足というのは体の中心から遠くなり、そうすると魔力の操作が難しくなりますので、膝の上に載せるのは良いでしょう」
香月さんが恐る恐る水晶を持ち上げて膝に置く。
透明でガラス玉にも見える水晶は綺麗だ。
「今回は魔力を流すことが目的です。サヤ様のように複数の物に魔力充填を行うならば、体外に出た魔力を維持するために訓練が必要ですが、たとえば右手から左手に魔力を流すだけであればさほど難しいことではございません」
マルグリット様が両掌を胸の前で合わせて見せる。
香月さんが真似をして、何となく、わたしも同じように両掌を合わせて話を聞く。
「さあ、集中しましょう。目を閉じてください」
香月さんと二人で目を閉じる。
「体の中心に魔力を感じてください。……魔力はありますか?」
「……はい、あります」
「あります」
胸の中心に魔力があるイメージをすると、そこに何かがある感覚がした。
以前、香月さんが言っていた、熱いものや冷たいものをそのまま飲み込んでしまって胃にそれを感じるというアレに確かに近い。
熱いとか冷たいとかはないけれど、わたしには、小さな光の粒子があふれているような、不思議な感じがあった。
「では、それを右掌まで流してみましょう」
血液が流れるように、右腕を意識して、それを通す。
右掌までそれが到着する。
香月さんの返事がややあって「出来ました」と言う。
わたしも目を閉じたまま頷いた。
「その魔力を左掌に通してください。掌は壁ではありません。右から左へ水が流れるように、または粉を流し入れるように、滑らかな流れを想像してみてください」
わたしの魔力はするんと何の抵抗もなく左手に流れた。
黙ったまま、また頷く。
苦戦しているのか香月さんの返事はない。
そっと目を開けて香月さんを見れば、ディザークみたいに眉間にしわを寄せて、顔を顰めていた。
合わせた手に力が入っているのが見るだけで分かる。
なかなか上手くいかないようで、香月さんの焦りが感じ取れた。
「ユウナ様、焦ることはございません。ゆっくり、少しずつ魔力を流してみましょう」
マルグリット様に香月さんが頷いたものの、肩を落としている。
それでも諦めないところが香月さんの長所だろう。
でも今のままだと気落ちしてしまって上手くいかないような気がして、わたしは立ち上がった。
「香月さん、ちょっと気分転換しない?」
声をかけると香月さんが目を開けた。
「え、でも始めたばっかりだよ?」
「そうだけど、香月さん結構な魔力を循環させようとしてるでしょ? 魔力を操作するだけでも実は結構疲れるし、美味しいものでも食べながら、どうしたら香月さんが魔力を流せるか考えてみない? 分からないままやってても出来ないだろうし」
香月さんのそばに立って手を取ると、マルグリット様も「そうですね」と立ち上がった。
「思えば私共は感覚で魔法を扱っておりますが、異世界よりいらしたユウナ様がその感覚を掴むのはとても難しいことなのでしょう」
水晶をテーブルに戻し、立ち上がった香月さんがわたしを見る。
「だけど篠山さんはすぐに魔法を使えたんだよね?」
「うーん、わたしは元の世界でもライトノベルとかよく読んでて、その中にある魔法はこんな感じってイメージというか、やっぱり感覚的なものでやってるんだけど……」
「私はあんまり本を読まなかったから、その違いなのかな……」
しょんぼりとしている香月さんの手を引いて、別に用意されていたテーブルへ向かう。マルグリット様も来た。
テーブルの上にはお菓子や軽食などが沢山並んでおり、色とりどりで可愛らしい。
それを見た香月さんが「わあ……!」と目を輝かせた。
控えていたリーゼさんやメイドさん達がそっと近付いてきて、それぞれの取り皿にお菓子や軽食を綺麗に盛り付けてくれる。
ソファーに戻り、それぞれ食べ始める。
一口サイズのサンドウィッチはとても美味しくて、一つ一つ具材が違っているところも凄い。
香月さんがマカロンみたいなお菓子をかじり、幸せそうな顔をする。
食べ物を美味しく食べられるなら、まだ大丈夫だろう。
「サヤ様とユウナ様の世界に魔法はないのでしょうか?」
マルグリット様の質問に頷き返す。
「はい、魔法は空想上のものであり、代わりに科学技術が発達していました。色々な事象や物について研究し、解明し、それを人の手で事象を起こしたり物を作ったり。でもこちらの世界の人が見たら魔法を使っているように見えるかもしれませんね。それぞれの分野に専門家がいて、誰もが作れるわけではないですし」
「それは魔法に似ていますね。確かにこの世界は魔法がございますが、誰もが扱えるわけではなく、魔力を有し、属性に適性がなければいけませんもの」
しかも元の世界には魔力というものがない。
少なくとも人間は魔力という不可思議な力の存在を認識していないし、魔法は空想上のものだと思われている。
……本当にあるのかどうかは別として、もしかしたら、元の世界でたまに話題になる超能力者と呼ばれる人々のそれが魔力や魔法と呼ばれるものの類だという可能性もあるが。
魔女や魔術という言葉があるくらいなので「魔法はない」と断言して良いのかは分からないが、わたしや香月さんにとって身近なものではなかった。




