彼女達や彼のその後
公に帝国の聖女だと発表してから一ヶ月。
わたしは意外にも穏やかに過ごしていた。
皇族の一員となるべく教育を受けつつ、週に一度、聖女として魔道具に魔力を込めて、あとはディザークの宮で思ったよりものんびり暮らしている。
異世界人ということも公表されているため、今は「この世界に慣れるまで聖女としての活動は控えめに」という感じである。
実際、魔力充填以外は何もしていない。
そのうちマルグリット様のように、たまに神殿に行って慈善活動もとなるかもしれないが、まだ先の話になるだろう。
ドゥニエ王国の魔道具の魔力充填が優先されるから。
王国と言うと、この一ヶ月の間に香月さんは王族達に自分の気持ちを伝えて王城を出たらしい。
最初の頃のわたしに対する扱い、その後のわたしへの王国の態度、王太子の行いなどから王国の王族は信用出来ないとやはり感じたそうだ。
王太子は香月さんを側妃とすることを諦めたみたいだが、王国の他の人々もそうとは限らないし、わたしの時のように急に襲われたらという不安もあってハッキリとそれを伝えたのだとか。
それを真っ直ぐに告げられる香月さんが凄い。
そのことに王太子は反対しなかったようだ。
それどころか率先して神殿と連絡を取り、香月さんが望む通り、王城から神殿に香月さんの居場所を移してくれたそうだ。
ヴェイン様が魔法で繋げてくれて香月さんと話をした。
王城での暮らしに比べると、神殿での暮らしはずっと質素で規則正しい生活らしい。
「でも、むしろ神殿のほうがいいの。豪華なドレスよりも聖女の装いのほうが楽だし、食事もシンプルで食べやすいし、気持ち的にもずっと穏やかでいられるかなあ」
とのことだったので、香月さんとしては神殿入りしたのはとても良かったようだ。
王城に引き留める声も多かったけれど、そこは王太子が「聖女であるユウナの意思を尊重すべきだ」と苦しい立場の中でも何とか押し退けてくれたらしい。
それから香月さんは貴族の教育はやめた。
常識や礼儀作法は学んでいるけれど、貴族の教育はわざわざ受けなくても聖女としては問題ないと分かって、その分、魔法の訓練に当てている。
「篠山さんのおかげで魔力の感覚が分かったから、初級魔法はかなり上達したよ」
ちなみに香月さんは闇属性だけ適性がないそうだ。
宮廷魔法士から学ぶより、神殿にいる神官から学んだほうが香月さんには分かりやすかったのだとか。
でもまだ聖属性の魔力だけを分離するのは無理で、魔道具への魔力充填は出来ていない。
そうだとしても魔法の上達は重要だと思う。
魔力操作に慣れてくれば、香月さんもいずれは魔力充填を出来るようになるだろう。
今は毎日一歩ずつ進んでいる感じだ。
「治癒魔法はまだ使えないんだけど、神官様達について慈善活動にも参加してるの。勉強になるよ」
香月さんいわく王城にいるより毎日忙しいけれど、神殿での生活は彼女の性に合っているようだ。
生き生きとした様子はかなり楽しそうだった。
それから王国の魔道具への魔力充填についてだが、王国と帝国とで話し合い、第一回目の充填の日取りが決まった。
その日は魔道具と共に香月さんも来る。
そこでわたしから香月さんに魔力充填について教えるという名目になっているが、お互い定期的に問題ないか顔を合わせるためでもあった。
……まあ、香月さんは魔力充填について教えてほしいって言ってたから嘘ではないんだけど。
転移門で王国の使者達が魔道具を運び、わたしが充填をする。香月さんにも魔法や充填のレクチャーをしつつ、近況報告をし合い、魔道具を持って帰ってもらう。
一応、わたしが行っている帝国の魔道具の魔力充填と同じ分を持って来る予定らしい。
それなら多分、問題なく充填出来ると思う。
その後に香月さんに教えることも可能だろう。
魔力充填の時はディザークが立ち会ってくれるというので心強い。
忙しい身でも気にかけてくれるディザークの気持ちが嬉しいし、王国の使者は正直信用出来ないので、そばにいて目を光らせてくれるのはありがたい。
ちなみに王太子だけれど、どうやら次代の王にはなれないらしい。
王太子と婚約者の結婚を早め、子を成して、その子の教育がきちんと済んで王位を継げるようになれば現国王が王位を譲るようだ。
王太子もそれに賛成しているのだとか。
以前は周囲の意見よりも己の考えを優先させていた王太子だったが、今は、周囲の意見を聞き、話し合い、そうして物事を見るようになったらしい。
香月さんは王太子の婚約者に会ったそうで、かなり常識人らしく、香月さんが神殿に行くのに賛同して協力もしてくれたそうだ。
「ヴィクトールよりもしっかりしてる人だったよ」
と、香月さんは言っていた。
王太子の婚約者は香月さんを側妃にする事について反対らしい。
王家が力を持ち過ぎて傲慢になった結果が今回の件だと考えているそうで、これ以上、王家に権力は不要だと思っているのだとか。
それに香月さんに対しても、無理やり召喚したのは王国側なので、この世界で香月さんの選択肢が増えるように出来るだけ支援してくれると約束してくれたそうだ。
王国はそのような感じである。
そして帝国でも、ちょっと一悶着あった。
わたし自身は無関係だけれど、バルバラ・ペーテルゼン公爵令嬢とペーテルゼン公爵家で色々なことが起こった。
わたしが聖女であると公表されてからしばらく後、ペーテルゼン公爵令嬢がレーヴェニヒ伯爵令嬢にナイフで刺されるという事件があった。
レーヴェニヒ伯爵令嬢は婚約発表の場でわたしにワインをかけようとして失敗した、あの令嬢だ。
あのパーティーの後、レーヴェニヒ伯爵令嬢はペーテルゼン公爵令嬢からあっさり切り捨てられ、社交界でも爪弾きになり、婚約していた家からも婚約を破棄されたそうだ。
レーヴェニヒ伯爵家も少なくない損害を受けたらしい。
そうして貰い手のないレーヴェニヒ伯爵令嬢は修道院へ入れられることが決まっていた。
もはや貴族の令嬢として生きていけないだろう。
レーヴェニヒ伯爵令嬢の怒りや嘆きが向かったのが、ペーテルゼン公爵令嬢だった。
他の家が主催していた夜会に紛れ込み、出席していた公爵令嬢を隠し持っていたナイフで刺したそうだ。
ナイフに毒が塗ってあったようで、治癒魔法をかけられたものの、ペーテルゼン公爵令嬢はそのまま亡くなってしまった。
聞くところによると猛毒だったらしく、公爵令嬢は苦しみ抜いた末に死ぬという凄惨な最期を迎えたのだとか。
レーヴェニヒ伯爵令嬢はその場で捕縛された。
何故レーヴェニヒ伯爵令嬢がペーテルゼン公爵令嬢を刺殺したのかという話から、御令嬢達が声を上げ、その結果、公爵令嬢の数々の悪行が露呈した。
ペーテルゼン公爵家は多くの貴族から娘の悪行を告発され、訴えられ、苦しい状況に置かれているそうだ。
貴族派内部での立場も地に落ちたらしい。
バルバラ・ペーテルゼンが死亡したことにより、彼女が王太子の側妃となることは立ち消えた。
ただ、友好関係を示すために使者だけは送られた。
公爵令嬢が死んだことにより、王太子が王位につき、彼女を側妃として娶る必要性がなくなったため、王太子が王位を継承するよりも、その子に継がせた方が良いとなったのだろう。
娘が亡くなっても罪が消えるわけではなく、ペーテルゼン公爵家は裁判を受け、これまで公爵令嬢がしてきた悪行について訴えられることが決まっている。
訴えが認められて有責となれば、公爵家は莫大な慰謝料を払うだけでなく、各家に正式な謝罪を行い、犯罪者を出した家となる。貴族にとっては致命的だ。
今後、ペーテルゼン公爵家の発言力はかなり弱くなる。
公爵令嬢の葬儀は家族だけで小さく済まされたそうだ。
レーヴェニヒ伯爵令嬢だが、追い詰められて正常な判断の出来ない状況下であったことやペーテルゼン公爵令嬢に洗脳に近い状態で誘導されて問題を起こしたこと、それから声を上げた御令嬢達の多くから減刑を求められたこともあり、本人や家が既に多くの損害を受けている点も考慮されてペーテルゼン公爵令嬢刺殺についての罪は問われなかった。
それでもレーヴェニヒ伯爵令嬢は社交界に戻れなかった。
精神的に問題があり、日常生活も送れず、修道院行きではなくなったものの、自領で静養するのだとか。
わたしとしてはレーヴェニヒ伯爵令嬢に恨みはないので、ワインをかけようとしてこのような状態に陥ってしまったのは少々憐れに感じた。
同時にペーテルゼン公爵令嬢に気に入られようとしていた彼女の取り巻き達の行いも明らかになり、その御令嬢と家々も大変なことになっているらしい。
その家々も貴族派で、今回の件で貴族派はかなり求心力を失い、皇族派や神殿派に転向した家もあるそうだ。
ペーテルゼン公爵令嬢の悪行は貴族だけでなく、平民達の間でも大きな話題として取り上げられていて、皇都の話題は公爵令嬢の生前についてで持ちきりなのだとか。
ペーテルゼン公爵令嬢に関することは正直、後味の悪い結果となってしまったが、因果応報なのかもしれない。
己の悪行を死で償った公爵令嬢が最期に何を思ったのか、わたしには想像もつかなかった。
余談となるが、その数ヶ月後、ペーテルゼン公爵家は降爵され、公爵令嬢の悪行を題材にした演劇が平民達の間で短い間だが流行ったらしい。
その劇をわたしが見ることはなかった。
* * * * *
バルバラ・ペーテルゼン公爵令嬢が死んだ。
自分が操っていた貴族の御令嬢に刺されたそうだ。
それを聞いた時、ヴィクトールはショックも受けたが、同時に心のどこかで安堵する気持ちもあった。
ヴィクトールが王位を継ぐ理由がなくなった。
友好のために、王位を継いで公爵令嬢を側妃に迎え入れる予定だったが、もうその必要はない。
すぐにヴィクトールは父王と婚約者、そして側近達や国の重鎮達と話し合い、己が王位を継ぐのではなく、生まれた子が王位を継ぐという方向に転換した。
これまで、ヴィクトールは己が次代の王になると思っていた。
しかし今回、いかに己が愚かなのか理解してしまった。
王になった際に、また何かしてしまうかもしれない。
そうでなかったとしても、帝国に睨まれているヴィクトールが王となるよりも、きちんと教育をされた子が王となるほうが良い。
場合によっては子の教育に帝国から人を派遣してもらうか、子を帝国へ行かせて学ばせることも考えている。
これについては婚約者も了承していた。
子が立太子するまではヴィクトールが王太子でいれば良いし、その後は、子に王太子の公務を教え、父王が王の公務を教え、子が王位を継いだらヴィクトールは政から身を引く。
そう決めてからは少し心が軽くなった。
ユウナについても、彼女の意思を尊重した。
ヴィクトールはユウナのことを好きだったが、ユウナはヴィクトールに恋愛的な好意はなく、彼女は神殿に行きたいと望んだ。
王城にいても政に巻き込まれかねない。
国内でも権力を持つ神殿に身を寄せていたほうが他の貴族も手出しは出来ないし、ヴィクトール自身も己を信用出来ていなかったため、少しでも自分から離すべきだと考えた。
聖女であるユウナを王城から出すことに反対する者も中にはいたものの、婚約者や父王の賛同もあり、ユウナはすぐに神殿へ移り住んだ。
ユウナは神殿のほうが過ごしやすかったようで、魔法の訓練をしつつ、神殿での奉仕活動に参加したり孤児院への慰問に行ったり、かなり精力的に活動しているようだった。
王城にいた時は色々と我慢していたのだろう。
ヴィクトールは王族として再教育を受けつつ、王太子の公務を担っている。
実は帝国から来た使者の中には現皇帝の教育係だった者がおり、その者から教育を受けている。
今まで受けた教育よりもかなり厳しいが、日々学ぶことが多く、ヴィクトールは学ぶ機会が得られたことに感謝した。
教育を受けている時は婚約者もよく同席する。
これまで苦手に感じていた婚約者であったが、授業と共に政に関してなど、話す機会が増えてからは苦手意識はなくなった。
婚約者の態度が冷たいと感じたのはヴィクトール自身が彼女にそう接し、興味を持っていなかったからで、きちんと対話してみると実は情に厚く真面目で、堅実な女性であることを知った。
己は本当に何も見てなかったのだ、とヴィクトールは改めてこれまでの自分本位さを恥じた。
「すまない、ヴィヴィアン」
頭を下げたヴィクトールに婚約者、ヴィヴィアンは困ったように微笑を浮かべていた。
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