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肖像画の話

 






「なんだか緊張するね」




 馬車に揺られながらそう零せば、ディザークが首を傾げた。




「何がだ?」


「バルトルド様に会うの、前はビックリしていてあんまり意識してなかったけど前皇帝陛下だし、ディザークのお父さんだし、改めて会うってなるとちょっと落ち着かない」


「父上は今はもうまつりごとに関わっていない。今回、離宮に招かれたのだって俺達の婚約記念に絵を描いて贈りたいというだけだろう?」




 そう、わたしが聖女と発表してから一週間。


 バルトルド様から「二人の肖像画を描いて贈りたいので時間の空いている日に離宮に来てくれないか」とディザークとわたしの下にお伺いがあった。


 そしてディザークと話し合って、今日、二人の予定が合うので行こうということになった。


 バルトルド様は特に予定はないそうで、わたし達が行く日を伝えるとすぐに了承の返事があり、肖像画を描くというのでいつもより華やかなドレスとメイクで馬車に乗った。


 ディザークもいつもよりピシッと決まっている。


 普段は外しているマントをつけており、髪もしっかり後ろへ流していて、眉間のしわがよく見える。




「ディザークはもしわたしの両親と会うってなった時、緊張しないでいられる?」


「それは、難しいな……」




 考えるように顎に手を添えてディザークがやや俯く。


 その場面を想像しているのか「なるほど」とディザークが一度大きく頷いた。




「だが父上はサヤのことを気に入っていると思うぞ」


「そうなの?」


「少なくとも、父上は家族や友人以外の人間を描いたことはない。サヤを描くということは親しい者として受け入れても良いと言いたいのだろう」


「そっか、それなら嬉しいな」




 横にいるディザークへ寄りかかれば肩を抱かれる。


 そうして寄り添って過ごしているうちに馬車の揺れが段々と小さくなり、やがて小さく揺れると停車した。


 ディザークが名残惜しそうにわたしの肩から手を離す。


 外から到着した旨を告げられ、ディザークが返事をして扉を開けた。


 先にディザークが降り、わたしも席を立つ。


 すぐに手が伸びてきて両脇を掴むように抱え、馬車から地面にそっと降ろされる。


 たまには自分で降りたいと思いながらもディザークにそうやって構ってもらえるのが嬉しいと感じる自分もいて、わたしは結局、黙っていることにした。




「……ディザークの宮とは違うね?」




 華やかさのないシンプルな宮だった。


 石造りの無骨さと、けれども堂々とした威風ある佇まいは宮殿というより小さなお城である。




「父上はあまり華やかなものを好まないからな」




 出迎えてくれた執事だろう老齢の男性の案内を受けて、屋内へと入る。


 屋内も石造りで、廊下に飾られた絵は多いものの、それ以外の美術品などはほとんどなかった。


 実用一辺倒といった感じである。


 廊下を歩きながら絵を見ていると、前を行く執事の男性が説明してくれた。




「ここで飾られている絵は全てバルトルド様がお描きになったものでございます」


「それは凄いですね」




 もう既に十数枚以上は絵を見かけた。


 それら全てをバルトルド様が描いたのだとすれば、本当に絵を描くことが好きなのだろう。


 やがて両開きの扉の前に到着すると執事の男性がその扉を叩いた。




「ディザーク様と御婚約者のサヤ様がいらっしゃいました」




 中から「通せ」と声がする。


 執事の男性は扉を開けると横へ避けた。


 ディザークと共に中へ入る。


 その部屋はとても広かった。窓が大きく、日当たりも良いのか、灯りがなくても室内は非常に明るい。いくつもキャンバスが立ててあり、描きかけの絵が並んでおり、その中の一つの前にバルトルド様が座っていた。


 ふわ、と絵の具独特の匂いが漂ってくる。


 振り向いたバルトルド様が笑った。




「よく来たな」




 その笑みは気の良いおじいさんみたいで。


 絵の具で汚れた服や手を気にもせず、とても前皇帝という立場の人には見えなかった。それはわたしにとっては良い意味だった。




「そちらに座ってくれ」




 筆先だけで雑に示された場所には、この実用的な建物にはあまり似合わない華やかな椅子があった。


 どう見ても、このためにわざわざ別の場所から持ってきたであろうものだ。しかし一脚しかない。


 ディザークのエスコートで椅子に近付き、当たり前のようにそこへ座るよう促された。




「ディザークは?」


「こういう時、男は立っているものだ」


「でもずっと立っていたら疲れない?」


「いや、普段は座り仕事が多いから立っているほうが楽だ」




 そんな話をしていると、区切りのいいところまで描けたのかバルトルド様が立ち上がると背もたれのない丸椅子にパレットを置いて立ち上がった。




「すまない、待たせたな」




 それにわたしも立ち上がって礼を執る。




「バルトルド様、本日はお招きくださり……」


「ああ、待て待て、そのように堅くならないでおくれ。息子の婚約者ということはいずれは義理の娘となるんだ。それに私はもう皇帝ではないのだから、そこまでかしこまる必要もない。ただの絵が好きな老人だと思って前のように気楽に接してくれればいい」




 ……そう言われても……。


 思わずディザークを見上げれば、頷き返される。




「本人がそう言っているのだから、そうすればいい」


「そうだとも」




 と、バルトルド様まで頷くので、わたしは「分かりました」と返すしかなかった。


 いつからいたのか気付かなかったが、侍従らしき人がバルトルド様に近付いて濡れた布を渡すとそれでバルトルド様が手を拭く。


 そうしている間に侍従だろう人が置かれていたキャンバスの一つをバルトルド様のそばへ運んでくる。


 手を拭き終えたバルトルド様から布を受け取り、代わりに新しいパレットを渡している。


 その慣れた様子から長く仕えている人なのだと窺えた。




「さあ、サヤ嬢も椅子に座ってくれ」




 侍従の人が別の椅子を運んできて、バルトルド様がそれに座りながら手でわたしが先ほどまで座っていた椅子を示す。


 勧められるまま椅子に座り直せば、それまで黙って控えていたリーゼさんが近付いてきてドレスの裾やしわを整えてまた部屋の隅に下がった。


 バルトルド様が満足そうに頷く。




「そうしてこちらを見てくれ。ディザークはそのままで良い。サヤ嬢は少し顎を引いて、ディザークのほうにやや体を向けて、ああ、その角度が一番よく映える」




 椅子に腰かけたまま、少しだけディザークの方に体を向け、バルトルド様のほうを見る。


 バルトルド様がキャンバスに下書きを始めた。




「ただそこにいるのも暇だろう。あまり動かなければお喋りくらいはしていても問題ないよ」




 そう言われても少し困ってしまう。


 バルトルド様は真剣な表情でキャンバスに向かっている。


 ……お喋りと言われてもなあ。




「バルトルド様についてお聞きしてもいいですか?」




 訊けば、バルトルド様がキョトンとした顔をする。




「私の話かい? さして面白くはないと思うがね」




 そう言いながらも何かを思い出すように目を細め、バルトルド様はゆっくりと話し出した。









* * * * *








 バルトルド=ヒルデブラント・ワイエルシュトラスは当時、このワイエル帝国の第二皇子であった。


 三歳上の兄である第一皇子がおり、その兄が帝位を継ぐとあの頃は信じて疑わなかった。


 父である皇帝と母である皇后、兄、自分、そして妹がおり、毎日がとても幸せだった。


 バルトルドはその頃から絵を描くことが好きで、兄が皇太子となってからはずっと、自分はいずれ画家になりたいと願っていた。


 画家としての才能もあり、家族もバルトルドが好きな道を行くことを望んでいた。


 だが、バルトルドが十二歳の時に悲劇が起きた。


 国全体で流行り病が広がり、平民も貴族も関係なく病にかかり、そして母と兄もその病に侵された。


 医師達は懸命に治療を施したが、母が亡くなり、その後を追うように何と皇太子の兄までもが亡くなった。


 結果、バルトルドが次代の王となるべく新たな皇太子として選ばれ、その後、皇太子としての教育が行われた。


 元より帝位に興味のなかったバルトルドにとって、それはとてもつらいことだった。


 兄がなるべきだった場所に自分が立つ。


 まだ婚約者のいなかったバルトルドにはそのまま兄の婚約者があてがわれた。


 それまで義理の姉となるだろうと思い、そう慕っていた人が婚約者となったことにも酷く戸惑った。


 一時は婚約の話を断ろうとすら思った。


 しかし彼女の「知らない人の妻となるより、あなたの妻となって、亡くなったあの方が愛した国を支えたい」という言葉と彼女ならば確かに信頼出来るという思いから、バルトルドは彼女を婚約者として迎えたのだった。


 その後、皇太子教育を終え、結婚し、父について仕事を覚えるとそれを待っていたかのように皇帝である父はある朝、静かに息を引き取っていた。


 母と兄を失ってから政務に奔走していた父は無理を続け、そのせいで命を縮めてしまったのかもしれない。


 皇帝となったバルトルドは妻との間に三人の子を授かったが、次男であり末子であるディザークを産んでから妻は体調を崩して亡くなった。


 その時にバルトルドは思ったのだ。


 このまま自分までもが亡くなれば帝国は揺らいでしまう。早く次代を育て、血筋を繋げるべきだ。


 それからバルトルドは第一皇子であるエーレンフリートの教育に力を注ぎ、早くから皇太子として指名すると政務に参加させた。


 参加と言っても大半は横で見ているだけだったが、エーレンフリートはよく出来た息子であった。


 エーレンフリートと第一皇女はバルトルドに性格が非常に似ており、少々癖はある。


 そして第二皇子のディザークは亡き兄に似ていた。


 外見は違うが、真面目でやや無愛想なところは兄を思わせた。もしかしたら癖の強い上の兄と姉と付き合っているうちにそうなったのかもしれないが。


 それでも三人は仲が良く、危惧していた継承権争いが起きることもなく、バルトルドは内心で胸を撫で下ろした。


 エーレンフリートが問題なく政務を執り仕切るようになると仕事を段々息子へ移していき、最後にバルトルドは帝位を譲り、城内に終の住処となる宮を建てるとそこに引きこもったのだ。


 それ以降、エーレンフリートから助言を求められない限り、バルトルドが政に関わることはなかった。


 エーレンフリートが無事帝位を継ぎ、結婚し、子も生まれて、バルトルドはもう自分のやるべきことはないと感じた。


 だからこそ、余生は本来の通りに過ごしたかった。


 風景や家族、友人などを描きながら穏やかに、静かに過ごしたいという思いだけが残ったのだった。









* * * * *









「そうして今はのんびり絵を描きながら過ごしている。本来、私がそうなるべきだったように」




 バルトルド様がそう、静かに締め括った。


 ディザークは何も言わなかったので、父親のこれまでについては知っているのだろう。


 家族が次々と亡くなって、当時のバルトルド様は深く悲しみ、そしてとても苦しんだと思う。


 でも、安易に「苦しかったですね」と言うのは違う気がした。その人の苦しみはその人しか分からないし、お悔やみの言葉を伝えるのも今更な感じがする。




「わたしは、バルトルド様が生きていてくださって良かったと思います」




 バルトルド様が首を傾げた。




「そうかい?」


「はい。バルトルド様が生きていてくれたからこそ帝国の皇族も途切れず、わたしも、ディザークと出会えました」


「なるほど、そういう考え方もあるか」




 ふふ、とバルトルド様が愉快そうに笑う。




「私は兄の代わりでしかないと思っていたけれど、そう言われると、なかなか悪い気はしないものだね」




 人は、本当の意味では他者の代わりになんてなれないとわたしは思う。


 だってどんなにその人を真似ても、その人を目標にしても、その人自身にはなれないから。


 だけど、だからこそ、バルトルド様はお兄さんの代わりになるべく努力したのだろう。


 その気持ちはきっと、とても尊いものだ。


 一瞬、バルトルド様が目を伏せた。


 しかしすぐに顔を上げると朗らかに笑う。




「ディザーク、良い娘を婚約者に迎えたな」




 それにディザークが頷く気配がした。




「ええ、本当に」




 短い肯定の言葉が嬉しかった。


 その後はわたしについて話をしたり、ディザークの子供の頃について聞いたりしながら時間は過ぎていった。


 下書きはその日のうちに出来たものの、絵が描き上がるには時間がかかるそうだ。


 夕方まで過ごし、また近いうちに訪れる約束をして、バルトルド様の宮を後にする。


 馬車の中で揺られながらディザークに寄りかかる。




「絵、楽しみだね」


「そうだな。きっと良いものを描いてくれるだろう。出来上がったら宮に飾るか?」


「うん、それいいね」




 ……出来上がりが楽しみだ。


 この世界には写真がないので、姿を残すには絵を描いてもらう必要がある。


 手間も時間もかかるが、だからこそ、大事にしたいと思えるようになるのだろう。


 その後、出来上がった絵は宮の玄関ホールに飾られ、結婚後も描いてもらうようになるのだけれど、それはまた別の話である。







 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 後日談、ありがとうございます。 [一言] 5年ごとに、絵を描いてもらえばいいかも知れませんね。 親子の絆も深まるし、お話もできるし。 ヴェイン様も、入れて描いてあげて下さい!
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