バウデヴェインというドラゴン
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バウデヴェインはワイエル帝国を守護するドラゴンである。
漆黒の鱗に紅い瞳をしており、もうどれほど長く生きたかは忘れたが、ワイエル帝国を建国した初代皇帝が唯一の友であった。
ドラゴンのバウデヴェインは畏怖されることは多いが、これまでの竜生の中で己をカッコイイと表現して近付いてきたのは初代皇帝だけだった。
彼はバウデヴェインと初めて出会い、何度も会いに来ては何気ない話をしてよく笑う変わった人間で、けれどもそれが心地良かった。
何より、彼は同じ色を持っていた。
初代皇帝も黒髪に紅い瞳をしていたのだ。
彼と友という関係になるのに時間はかからなかった。
まだ国というものがあやふやな時代、彼は他の人間よりもずっと賢く、人々の生活を安定させるためこのワイエル帝国の建国に奔走した。
手伝ってほしいと言われた時もバウデヴェインは友の助けになれることが嬉しいと感じたし、友とより長い時間を共有出来たことは幸運であった。
ドラゴンと人間では寿命が違いすぎる。
それでも彼は人間にしては随分と長生きした。
時には共に戦争にも行き、背中を合わせて戦うこともあったし、魔物の大量発生をバウデヴェインが一掃することもあった。
やがてつがいを迎えて、子が出来ても、彼はバウデヴェインとの関係を変えず、いつもバウデヴェインを友と呼んで毎日のように会いに来て長話をした。
話の内容はほとんどが彼とバウデヴェインが成したことについての思い出話だったが、いつも感謝を示し、バウデヴェインの助けを褒め称えてくれた。
だが褒めるばかりではなくバウデヴェインの悪い部分を指摘することもあって、それがまた、バウデヴェインには面白くて愉快だった。
ドラゴンにとっては瞬きほどの人生を生きた彼は死に際に言った。
「気が向いている間だけでいいから、この帝国を見守ってくれないか? ……俺達で築き上げた国を、失いたくないんだ……」
彼の言葉にバウデヴェインは頷いた。
それからワイエル帝国を見守り続けた。
時代によっては戦争にも参加したが、バウデヴェインは基本的には国の行く末を見守っていた。
人間の国のことは人間が出来る限り解決すべきで、全てのことにバウデヴェインが口を出せば、そのうち皇族達はバウデヴェインの指示通り動く傀儡となってしまう。
それはバウデヴェインの望むところではない。
彼の子、孫、そのまた子と皇族は時代を繋いだものの、期待とは裏腹に初代皇帝以降、黒を持つ者は現れなかった。
濃い色合いを持つ者や紅い瞳の者は多いが、初代皇帝ほどの黒はいない。
それでも友の言葉をバウデヴェインは忘れられなかった。
「また、お前に会いに生まれてくる。何十年、何百年経つか分からないが……。その時はまたお前と過ごしたい」
最高の褒め言葉だとバウデヴェインは思った。
彼が死んだ時、ドラゴンの生を受けてから初めて悲しみを知り、涙を流した。
その後は友が葬られた霊廟の地下で静かに過ごしながら、友との思い出に浸る。
そんな風にしている間に数百年など、あっという間に過ぎていった。
その間に多くの皇帝や皇族が挨拶に来たが、名を覚えている者はほとんどいない。
バウデヴェインにとって唯一の友は彼だけだ。
その子孫達は彼とは違うし、彼ではない。
彼の色を有していないのも関心があまり湧かない理由の一つだった。
思い出と眠りの中で過ごしていたある日、霊廟に人間が訪れた。
現皇帝と、確か、その皇帝の弟だったか。
目を開け、顔を上げ、バウデヴェインは驚いた。
そこには彼と同じ黒を持つ人間がいた。
すぐに彼ではないことは理解出来た。
彼とは異なる色の魂だったから。
しかし彼と己と同じ黒は非常に珍しい。
黒を持つ娘は異界の者だった。
その漆黒の髪に懐かしさを覚えた。
彼も、バウデヴェインと同じ黒色の髪を大切に伸ばし、誇ってくれていた。
久しぶりの喜びを感じてバウデヴェインの心が動いたのは言うまでもなく、娘の守護を行うことにして霊廟の外へ出た。
娘、サヤは彼ほどではないけれど、バウデヴェインに対してよく話しかける人間で、ドラゴンであるバウデヴェインをあまり恐れてはいないようだ。
どことなく彼を思い起こさせる。
そんなサヤは皇帝の弟と添い遂げるらしい。
皇帝の弟の名はディザークというそうだ。
「ねえ、午後の訓練を見に行ってもいい?」
サヤの問いにディザークが首を傾げる。
「それは構わないが、女性が見ても特に面白いものではないと思うぞ?」
「そうかな? ディザークも剣を振るうんだよね?」
「ああ、俺も参加する」
サヤがそれに楽しそうに笑う。
「じゃあディザークのカッコイイ姿が見られるね」
それにディザークが驚いたように目を瞬かせ、照れくさそうに視線を逸らす。
「……見たいなら、好きにすればいい」
ディザークの言葉にサヤが大きく頷く。
「差し入れ持って行くね」
「分かった。……ではまた午後に」
そうしてサヤと抱擁を交わしてから、ディザークは己の仕事場へ向かうために宮を出て行った。
その馬車を見送りながらサヤが幸せそうに微笑んでいた。
つがいとは対等な立場でなければならない。
つがいとは互いを慈しみ、尊重しなければならない。
そうあるべきだと彼は言っていたし、つがいや子のいた彼はとても幸せそうだった。
幸せそうな彼を見るのがバウデヴェインは好きだった。
サヤの幸せそうな様子を見ると、その頃の心地の良い気持ちを思い起こさせ、穏やかな気持ちになる。
ディザークは良き男だ。
初めてサヤと出会った時、ドラゴンの手で触れようとしたバウデヴェインの前に躊躇いなくディザークは立ち、サヤを守ろうとした。
その度胸はなかなかのものである。
大切なつがいのためならばドラゴン相手でも身を呈して守ろうとする姿勢は素晴らしい。
だからバウデヴェインはディザークのことも存外気に入っている。
それからサヤについて午前中の授業を受け、昼食を摂り、午後になると馬車に乗って城へと向かう。
差し入れも持ってきており、侍女が持つと言ったがサヤは「自分で渡したいから」と膝の上に菓子の入ったカゴを抱えている。
その様子はとても楽しげだ。
彼も、よく似た表情でいつもバウデヴェインの下を訪れた。幼子のような無邪気な笑みだ。
城へ着くと騎士達の案内を受けて、訓練場へ行く。
そこには他にも訓練を見に来たであろう人間達が多くいたが、観客席に来たサヤに気付くとほとんどの者達は振り返りサヤに見やすい場所を勧めた。
それにサヤが礼を言い、最前列に辿り着く。
侍女と護衛騎士、バウデヴェインでサヤを囲む。
訓練はもう既に始まっており、どうやら、二つに分かれた騎士達同士で戦う模擬戦であるらしい。
片方の将はディザークのようだ。
本来、将は後衛で指揮を行うのだが、ディザークの性格上、安全な後方にいるのはあまり好みではないのだろう。
むしろ先陣を切って戦っている。
「うわあ、凄いね!」
剣のぶつかりあう音、騎士達の雄叫び、地面を踏み鳴らす音、鎧同士のぶつかる音。
それらが重なってかなりの騒音になっている。
高い位置にある観戦席のようなこの場所からは全体がよく見えた。
「ディザーク、どこにいるかな?」
「ほら、あそこだ。最前線におる。恐らくあの腕の赤い印は将を示すものだろう。ディザークが右軍の指揮をとっているはずだ」
サヤの視線が探すように動くので、バウデヴェインが指し示せばサヤが目を丸くして、それから笑った。
「なんかディザークらしいね」
周りの観戦者達が両軍に声援をあげる。
それにサヤは少し驚いた表情を見せた後、大きく息を吸い込み、真似するように叫んだ。
「ディザーク、頑張れ!!」
一瞬、ディザークが顔を上げて確かにこちらを見た。
まるでサヤの声に呼応するように、ディザーク率いる右軍が勢いを増して押していく。
多くの声援の中、勝利したのはディザークの軍だった。
模擬戦を終えたディザークがこちらへ軽く手を振り、それに気付いたサヤも嬉しそうに振り返している。
侍女や騎士達が微笑ましげな顔をしていた。
休憩に入り、ディザークの下へ向かう。
「ディザーク、お疲れ様。凄かったよ!」
鎧を脱いでいたディザークが振り向く。
「そうか」
サヤを見たディザークの表情が微かに和らいだ。
常に眉間にしわを寄せているこの男だが、サヤと話している時は比較的しわが薄くなる。
眉根を寄せるのはもう癖なのだろう。
鎧を脱ぐディザークのそばでサヤが言う。
「音がかなりするんだね。こういうの初めて見たからビックリしたけど、なんていうか、凄い熱量があった。あとディザーク、将なのに一番前にいたね」
笑いを含んだそれにディザークが小さく息を吐く。
「後方にいるのは性に合わん。何より、命を懸ける場において率いる者こそが先頭に立たねば部下達に示しがつかない」
「確かに後ろで指示出して踏ん反り返ってる人より、一緒に戦う上司のほうがみんなついてくるよね」
話しながら、鎧を脱ぎ終えたディザークがサヤの手からカゴを受け取った。
「声援が聞こえた。……お前の声は力になる」
少し照れくさそうにディザークが言う。
それにサヤがニッと笑った。
「戦ってるディザーク、すっごくカッコ良かったよ。見に来て正解だった。また訓練があったら見に来ていい?」
「……好きにしろ」
サヤが差し出した手にディザークも己の手を重ね、二人は休憩をするために訓練場の端へ歩いていく。
……うむ、これは将来が楽しみだ。
そう遠くない未来、この二人は正式に婚姻してつがいとなるだろう。
きっと、幸せな人生を送り、子も出来る。
その子が彼と、そしてバウデヴェインと同じ色を宿していたらと思うのは我が儘だろうか。
けれども、どこかで淡い期待と確信があった。
この二人の子こそ、バウデヴェインの望む存在となるだろう。
それが今はバウデヴェインの一番の楽しみだった。
「ヴェイン様も一緒に食べましょう!」
手を振るサヤとこちらを見るディザーク。
……あやつもよく我のところに菓子を持ってきては、共に話をしながら食したものだ。
彼の姿がサヤに重なり、懐かしさを感じながら、バウデヴェインは歩き出したのだった。
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