誤った道の結果 / 大好きだよ。
* * * * *
……断頭台へ向かう罪人の気分だ。
ドゥニエ王国へ帰国する足取りは重い。
側近の一人と外交官は疲れた顔をしている。
その原因はヴィクトールであることは明白で、ヴィクトールの命令で今回の件に関わった騎士達もあまり顔色が良くない。
恐らくヴィクトールも今、酷い顔色だろう。
どうしてもすぐに使える聖女が欲しかったとは言え、帝国から奪おうなどと考えた時点で間違っていたのだ。
……いや、間違っていたのは最初からか。
異世界から召喚した二人の少女。
両方とも同じように高待遇で迎えていたら、今とは違った未来になっていたはずだ。
魔力を感じないから役立たずだと決めつけて放置していたことがそもそもの間違いだった。
そして、強硬手段に出たのに反撃された。
自分達の考えていた方法をまさか、そっくりそのままやり返されるとは思ってもみなかった。
やられて、ようやく、自分の行いがどれほど卑怯で最悪なものだったかを思い知った。
帝国の公爵令嬢を友好の証として側妃にする。
百数十年前の乱世ならば、王族は何人側妃を娶ろうとも文句は言われなかっただろう。
外交のために周辺国の王族から姫を娶っても、内政のために自国の有力貴族の娘を娶っても、それは必要なこととして扱われる。
だが、現在この大陸では帝国を主軸として和平条約を結び、互いに不可侵を謳っている。
つまりどの国も表向きは友好的な関係だ。
今回の件は下手をすれば帝国と戦争に発展しかねないものであった。
帝国とて聖女が必要であり、王国が冷遇した上に一度手放した聖女を無理やり連れ戻したとなれば、帝国に戦争を起こさせる大義名分を与えてしまう。
あの時はとにかく使える聖女を手に入れることしか頭になかった。
王国を救うためにも、自分が一日でも早く新たな王となる実績を得るためにも、使えるものは何でも使うつもりだった。
しかし自分の側近や外交官に責められて我に返った。
「帝国と不仲な王子に陛下が王位を譲るとお思いですか! むしろ今回の件で譲位は遠退くでしょう!」
「今回殿下が帝国へ来たのは、もう一人の聖女を冷遇した王国の信用回復のためだと申し上げたのに。これで帝国や周辺国からの信用は更に落ちてしまった。はあ、頭が痛い……」
頭を抱えた二人の気持ちをやっと理解した。
我ながらとんでもなく愚かなことをしたものだ。
もう一人の娘、いや、帝国の聖女に地に伏して詫びねばとも考えたが、それすら皇帝に一蹴されてしまった。
「サヤ嬢はドゥニエ王国と関わりたくないそうだ。それに我が国としても、彼女にこれ以上不快な思いはさせたくない」
ヴィクトールはそれ以上何も言えなかった。
自分のしてきたことを思えば毛嫌いされるのは当然のことだ。ヴィクトールが同じ立場であったなら、顔すら見たくないだろう。
返す言葉もなく黙り込んだヴィクトールに皇帝は言った。
「だがサヤ嬢はとても寛大らしい。貴君や王国のしたことは許せないが、同じ異世界の友人のためならば、しばらくの間、力を貸してもいいと言っている」
「え……?」
「聖女ユウナ・コウヅキが魔力充填を出来るようになるまで、王国の魔道具に魔力を注ぐ役を担ってもいいとのことだ。ただし、魔道具は転移門で運搬し、サヤ嬢が王国に足を踏み入れることはない」
一瞬、意味が理解出来なかった。
……王国を助けてくれるのか……?
自分を冷遇し、嘲り、捨てた王国を……?
呆然としたヴィクトールに皇帝が再度繰り返す。
「あくまで友人のためで、王国を救うためではない」
遅れて言葉を理解した。
ユウナはいまだ魔法が使えていない。
適性検査の際も魔道具に魔力を注げなかったので、宮廷魔法士にユウナの体からあふれていた魔力を調べさせて判明したものだった。
日々、訓練しているが結果は芳しくなく、周囲の期待が重く圧しかかるのかユウナの表情も日に日に曇っていった。
ヴィクトールはもう一人の聖女を手に入れて、ユウナに時間を与えてやりたかった。
だが、全ては愚かな考えだった。
「ああ、それと聖女ユウナだが、サヤ嬢の指導で初級だが魔法が使えるようになったと報告が来た」
「!?」
俯いていた顔を上げれば、皇帝は肩を竦めた。
「良かったではないか」
……ユウナが魔法を使えるようになった?
しかもそれが帝国の聖女のおかげで?
ヴィクトールは全身から力が抜けてソファーへ体を預けるしかなかった。
帝国から聖女を奪うなどと馬鹿なことを考えずに、誠意を持って謝罪をし、ユウナに魔法と魔力充填を教えてもらえるよう願い出るべきだったのだ。
そうすれば、もしかしたら……。
……私のしたことは本当に全て無意味だったのか。
それからは外交官を交えて皇帝と話し合ったが、ヴィクトールが何かを言えることはなかった。
「こちらが転移門の間でございます」
案内の騎士が横に避け、扉を守っていた二人の騎士達が左右から扉を開ける。
やや離れた場所にいるユウナの表情が明るくなる。
……いいや、昨日から明るいものだった。
皇帝と話し合った後にユウナから「少しだけど魔法が使えるようになったよ!」と報告を受けた。
それまでヴィクトールが優しい言葉をかけても、何かを贈っても曇ったままだった表情は今までで一番嬉しげで、言葉が詰まった。
ユウナも今回のことは知っていて、それに対して酷く怒っていたし、面と向かって「そんな最低な人と結婚なんてしないから」とも言われて改めて現実を突きつけられた。
止まっていた足を動かして室内へ入る。
そこには皇帝と帝国の外交官、そして皇弟と帝国の聖女がいた。控えてはいるが騎士達も多い。
ユウナを見た帝国の聖女が小さく手を振る。
そんな帝国の聖女を皇弟がそばで見守っている。
室内に騎士が多いのは今回の騒動で、暗に、帝国からの信用を落としているぞと伝えているのだろう。
帰国したら父である国王や重鎮達からも叱責を受けることは想像に難くない。
妹達はいるものの、王子はヴィクトールだけだが、王と重鎮達の判断によってはヴィクトールは王太子から外されるかもしれない。
その場合はまだ婚約者のいない妹達のどちらかと従兄弟を結婚させればいいし、なんなら王弟である叔父がしばらく王位につき、その間に妹達の間に生まれた子を次代の王に立てればいい。
ヴィクトールは王の唯一の息子だが、王になれる唯一の存在ではない。
外交官達と皇帝が話している横で、ヴィクトールは空気のように静かにして、たまに話を振られたら相槌を打つ程度しか出来ない。
ユウナは帝国の聖女と親しげに話していたが、ふとこちらを見るとヴィクトールの名を呼んだ。
「ヴィクトール様」
呼ばれているのに無視をするわけにもいかず、近付いたものの、皇弟や後ろに控えている騎士達の視線が痛い。
「……ユウナ、どうした?」
酷く居心地が悪く、罪悪感を覚えながら返す。
ユウナの目が帝国の聖女へ向けられ、ヴィクトールも釣られてそちらへ視線を動かした。
真っ直ぐな黒い瞳と目が合って一瞬、息が詰まる。
「提案の件、聞きましたか?」
「っ、ああ、感謝する──……いえ、感謝します。帝国の聖女様には我が国を救う義理などないというのに……」
「それについてはコウヅキさんのためです」
突き放すように言い切られて思わず黙る。
黒い瞳に浮かぶのは嫌悪でも怒りでもなく、恐らく、それは無関心という言葉が最も近い。
「感謝は要りません。ただ、もう関わらないでください。それさえ守っていただければ、わたしも約束は果たします」
帝国の聖女は続ける。
「ドゥニエ王国が捨てたわたしに助けられる。その失敗の恥と後悔を貴方達はずっと忘れられないかもしれませんが、わたしは貴方達を憎むよりも、わたし自身の幸せを生きていきます」
その言葉にハッとする。
聖女の幸せなど考えたことがなかった。
国で最も尊ばれ、大事にされる存在だから、聖女となるのはとても誉れ高く幸福なことで、国の守護の要である聖女の人生は良いものだと思っていた。
……だが、本当にそうなのだろうか?
最初、ユウナは泣いていた。
家に帰りたいと言っていた。
そう言わなくなったのは、聖女の役割について、国の状況について説明してからだった。
ユウナは聖女の人生を受け入れてくれたと思っていたが、もし、そうではなく、諦めで受け入れていたとしたら、そこに幸福を見出せるのだろうか。
「ユウナ、私は、ドゥニエ王国は君に……」
ユウナが困ったような顔をする。
「許したわけじゃないよ。でもね、私が何もせずに沢山の人が傷付いたり死んだりするのを無視は出来ない。だから私は王国の聖女になるって決めたの」
「そう、か……」
今、初めて本物のユウナと話している気分になった。
これまでヴィクトール達が見ていたのは自分達に都合の良い聖女の姿であって、本当のユウナの気持ちを聞いてはいなかったのだ。
「すまなかった……」
ヴィクトールの言葉にユウナは困ったような表情のままだった。
何もかも、気付くには全てが遅すぎた。
それでも王国の民のためにと力を貸してくれるユウナの意思をもっと尊重し、せめて彼女が彼女らしくいられるように尽力するしかヴィクトールに出来ることはない。
そして、優秀な聖女を驕りによって永遠に失うことになった後悔と恥、責任を背負って生きていく。
懺悔の言葉は今のヴィクトールが口にしたところで、きっと羽根よりも軽いだろう。
今後の行動でしか、もう示す術はない。
全ては己の行いの結果なのだから。
「ヴィクトール様、コウヅキ様、そろそろお時間です」
側近に声をかけられて「ああ」と返事をする。
ユウナが名残惜しげに帝国の聖女を見た。
「篠山さん、また会えるかな?」
「うん、会えるよ。なんだったら魔道具の魔力充填の時についてくればいいんじゃない?」
「あ、そっか」
二人の聖女が楽しそうに笑っている。
……もし、正しい選択をしていたら、私達は王国でこの光景を目にすることが出来たのかもしれない。
だが、もうどうしようもないことだ。
ユウナと側近と共に外交官の下へ戻る。
「それではヴィクトール殿、息災で」
皇帝の言葉にヴィクトールは頷いた。
「皇帝陛下も末永くご健勝であらせられますよう、王国より願っております」
全員で礼を執り、転移門へ向かう。
背後から「王太子殿下」と声が聞こえた。
門に踏み入りながら振り返れば、帝国の聖女がこちらに丁寧に礼を執っていた。
「さようなら」
……ああ、本当に、王国は、私は愚か者だ。
聖女を求めて召喚魔法を行使したくせに、己の望んだ聖女を自ら捨てた、大馬鹿者だ。
* * * * *
「あー、すっきりした」
ドゥニエ王国の王太子達が帰った後。
気分転換がしたくて、ディザークと共に宮の庭先でのんびりとティータイムを過ごすことにした。
ディザークも忙しいだろうに付き合ってくれている。
大きな木の陰に布を敷いて、そこにお菓子やお茶を持ち込んでちょっとしたピクニック気分である。
向かい合わせに座っているディザークも、どこか穏やかな雰囲気だ。
相変わらず眉間にしわは寄っているけれど。
膝の上に広げたハンカチに包まれたクッキーはどれも美味しそうで、どれを食べるか迷ってしまう。
「あれで良かったのか?」
木に寄りかかったヴェイン様に訊かれる。
「我ならば王国の愚かな王族達を滅ぼせるぞ?」
「いやいや、そういうのは要りません。そんなことをしたらこっちが悪者になりますし、香月さんが助けると決めた王国の人々をわたしが苦しめるのは嫌ですよ」
「そうか、サヤは優しいのう」
少し不満そうな顔をしていたが、ヴェイン様はそれ以上は何かを言うことはなかった。
それにヴェイン様が何かして、それで王国の人々が傷付いたり死んだりした時、わたしはその責任を負えないし、そういうことで悩みたくない。
こうしてのんびりするのが好きなのだ。
「随分と機嫌が良いな?」
「王太子の最後の顔が面白かったから」
手に取ったジャム入りのクッキーはキラキラしていて、見た目からして、味の良さが伝わってくる。
ディザークの言葉にニッと笑えば、小さな溜め息が聞こえてきたが、構わずクッキーにかじりつく。
「ディザークも見たでしょ? 最後、あの王太子ったら泣きそうな顔しててさ、後悔してますって感じだった」
今回の件、王国に甘い対応をしたように見えるだろう。
……まあ、王太子は帰ったら針の筵だろうけどね。
わたしが襲われかけたと言えば良くない噂が立つかもしれないので、そこについては帝国も表立っては糾弾出来ないものの、王国も実情は知っている。
王太子は帰国したら責任を問われるだろう。
しかし、多分、王太子の座からは降ろされない。
王位を継承した後にペーテルゼン公爵令嬢を側妃にすると決まっているわけだし、大きな失態を犯したからこそ帝国には二度と頭が上がらないし、でも自分の犯した罪から逃げられずに今回の件を知る国の上層部からは厳しい目を向けられて今後一生苦しむだろう。
王国の魔道具の魔力充填については、帝国の魔力充填を現在週一で行っているので、王国のほうに手を取られてもそれほどつらくはない。
これで帝国は王国に更に恩を着せることが出来て、王国も、もう帝国や周辺国相手にふざけた態度は取らないと思う。
王国は自分達の傲慢さで聖女を一人失った。
ジリ貧状態でそれはかなり苦しいはずだ。
わたしは魔力充填はするけど、それはあくまで必要最低限の範囲で、王国側でも色々努力はしてもらうつもりである。
わざわざ王国のために精一杯頑張る必要はない。
それに、わたしもわたし自身のことで忙しいのだ。
「ディザーク」
名前を呼べばディザークが顔を上げる。
「なんだ」
「あの日、助けてくれてありがとね」
二枚目のクッキーをディザークへ差し出した。
「……別に、俺は当然のことをしたまでだ」
視線を逸らし、一見すると不機嫌とも取れる風に言ったが、その大きな手がクッキーを受け取り、一口かじる。
「そっか」
そんな不器用なところがディザークらしい。
見上げた木の枝の隙間から差し込む木漏れ日が心地良い。
「ねえ、ディザーク」
「なんだ」
見上げたまま呼べばすぐに返事があった。
顔を戻し、ディザークを見る。
「大好きだよ」
紅い瞳の目元がほんのり赤くなる。
ディザークがわたしの真似をするように、クッキーを差し出した。
「俺もサヤが好きだ」
「『大好き』じゃなくて?」
クッキーを受け取り、かじる。
「お前を誰にもやりたくないと、そう思うくらいには好きだ。……これでは足りないか?」
ぽろ、と手からクッキーが落ちた。
予想以上の返答に動揺してしまう。
……それは、ちょっと、破壊力大きい……!
頬が熱くなるのが分かる。
「……足りなく、ないです」
思わず敬語になったわたしにディザークが笑う。
釣られるようにわたしも笑い出した。
異世界に召喚されて、役立たずだと判断された。
「聖女様のオマケ」とすら言われたけれど。
どうやらオマケではなかったようだ。
……そう、わたしはオマケなんかじゃない。
わたしの人生、主人公はわたしなんだから。
──「聖女様のオマケ」と呼ばれたけど、わたしはオマケではないようです。(完)──




