香月さん、魔法、出来たね。
その後、皇帝陛下の計らいで香月さんと会うことになった。
昨夜の件は香月さんにとっても色々と不安だっただろうし、わたしも香月さんともっとゆっくり話す時間が欲しかったのでありがたい。
部屋を出ると騎士がいて、香月さんの泊まっている客室まで案内してくれた。
そうして香月さんの客室へ到着し、扉を叩くと、すぐに扉が開かれて香月さんが顔を覗かせた。
「篠山さん!」
パッとその表情が明るくなる。
……香月さんって可愛い人だよね。
しかしわたしの横にディザークがいるのを見て、香月さんは慌てて礼を執った。
「失礼しました。皇弟殿下にご挨拶申し上げます」
「こちらこそ、王国の聖女にご挨拶申し上げる。今はサヤの付き添いに過ぎない。気にしないでくれ」
ディザークの言葉に香月さんは顔を上げて、わたしとディザークを見て少し目を瞬かせた。
けれどもすぐにハッと我へ返った様子で脇へ避けた。
「あ、中へどうぞ……!」
室内へ通される。
そのままソファーを勧められて、ディザークと並んで腰を下ろす。
向かい側に香月さんが座った。
それから香月さんはメイド達を下がらせたので、部屋の中にはわたしとディザーク、香月さん、そしてヴェイン様と侍女のリーゼさん、わたしの護衛の騎士二人が残った。
沈黙の中、メイド達が出て行き、扉が閉められると香月さんが声を抑えて言う。
「ごめんなさい、あのメイドさん達は王国から一緒に来た人ばかりだから話を聞かせたくないんです」
それにディザークが頷いた。
わたしも、それで下がらせたのか、と納得した。
「篠山さん、大丈夫だった? 昨日のこと、皇帝陛下からこっそり教えてもらったの。……まさかヴィクトールがあんなこと、すると思わなかった……」
心配そうに見つめられて笑い返す。
「わたしは何ともないよ。むしろ、やり返しちゃったし。……王太子と公爵令嬢が今後どうするかも聞いた?」
「うん」
頷いた香月さんは怒った顔をしていた。
でも、すぐに俯いてしまった。
「だけど、元はと言えば私のせいだよね。私が魔力操作が下手で、魔道具に魔力を注げなかったから、ヴィクトールはあんなことを……」
どうやら香月さんも王国の状況を知ってるらしい。
……それもそうだよね。
それを何とかするために召喚されたのだから。
「篠山さん、ごめんなさい」
わたしは首を振って否定した。
「違うよ、香月さん。昨日のことは王太子と公爵令嬢が悪いの。わたしのことだって、今回のことだって、悪いのはそれを行った人間で、香月さんに責任はないよ」
顔を上げた香月さんの目から涙が零れ落ちる。
それを隠すように香月さんはまた俯き、服の袖で涙を拭っている。
しかし止まらないらしく、何度も目元を擦っているので、わたしは立ち上がってハンカチを差し出した。
香月さんはそれに気付くと、戸惑ったものの受け取って、ハンカチを目元に押し当てた。
「香月さん、魔力操作の訓練してる?」
わたしの問いに香月さんが頷いた。
「う、うん、でも、全然魔法が使えなくて苦戦してて……。みんなは私を聖女様って親切にしてくれるけど、それなのに何も出来ないのが苦しくて、どうしたら上手く出来るのか自分でもよく分からないの」
心配していた通りになってしまっているようだ。
「香月さんは王国を救いたいんだね」
香月さんがギュッとハンカチを握り締めた。
「……勝手に召喚されたことは怒ってるし、許せないけど、王国の人達が苦しんでる話を聞いて私がそれを何とかすれば沢山の人を救えるなら、そうするべきなんじゃないかって思う。この世界の私は聖女としてしか価値がないし」
「そんなことはないと思うけど……」
「篠山さんは……ううん、何でもない」
言いかけて香月さんはやめた。
多分、わたしが王国のことをどう思っているかについて訊こうとしたのだろうけど、王国とわたしの関係を思い出して訊かずとも分かったのだろう。
微妙な空気が漂った。
「えっと、それなんだけどね、さっき皇帝陛下にちょっと提案をしたの」
香月さんがおずおずと顔を上げる。
「提案?」
「うん、もし香月さんさえ嫌じゃなければ、香月さんが魔力充填が出来るようになるまでの間、わたしが王国の魔道具に魔力を注ごうかっていう話」
「……えっ?」
香月さんが酷く驚いた様子でわたしを見る。
「篠山さん、ドゥニエ王国が嫌いじゃあ……?」
「ドゥニエ王国は嫌い。この提案も別に王国のためじゃなくて、香月さんのためと言うか、その、帝国には聖女がもう一人いてまだ余裕があるから、香月さんが聖女として活動するまでの時間稼ぎにしかならないし……」
自分で説明しながら、これはお節介なのでは、と思えてきて居心地が悪くなる。
場合によっては香月さんの立場を悪くしてしまうし、余計なお世話かもしれないし、香月さんに更にプレッシャーを与えてしまう可能性もある。
「あー……、それにマリーちゃん、わたしの侍女の実家が苦しむのも嫌だからとかもあるんだけど……」
静まり返った空気が痛い。
……どうしよう、失敗だったかな。
なんて続きを言えば良いのか困っていると、それまで黙っていたディザークが口を開いた。
「サヤの提案には利点と欠点がある」
唐突な言葉に思わずディザークを見る。
香月さんも同様に視線を向けた。
「まず利点だが、聖女殿の訓練を行う時間が稼げる。これは今の聖女殿には大きいだろう」
「はい……」
「次に欠点だが、一つは聖女殿の立場を悪くする可能性がある。これは当初の聖女殿とサヤの立場が逆転するというのが近い」
香月さんが訊き返す。
「私が魔力充填の出来ない役立たずの聖女で、篠山さんが魔力充填の出来る聖女だから、ですか」
「ああ、しかし王国の聖女はサヤではない。たとえ今は魔法が使えなくとも、将来のことを考えれば、王国唯一の聖女を無下に扱うことはないだろう。それを分かっている者はこれまでと変わらず聖女殿に接するはずだ」
ディザークの話す内容を香月さんは考えているようだった。
「二つ目の欠点はそれに付随するが、聖女殿への圧が逆に高まるかもしれないということだ。同じ異世界人のサヤが扱えたのに、と比べられ、余計に精神的に追い詰められることもある」
既に追い詰められつつあった香月さんが頷く。
それから、顔を上げた。
「帝国と篠山さんは、どうして、王国を助けてくれようとしているんですか?」
「サヤは王国の魔道具に魔力を注ぐ代わりに、その後、王国からサヤへ近付かないという誓約を交わさせるためだ。魔道具への魔力充填に関しては転移門を使って魔道具を移動させれば、サヤを王国へ派遣させなくとも行える」
「なるほど……」
香月さんが納得した風に数度頷いた。
「帝国としては王国や周辺国に恩を売ることになる。もしも王国で魔物の被害がこれ以上大きくなれば、王国は民を守るためにと援助を求めてくるだろう。人員、金銭、武器、様々な物を要求される。それを断ればやがて民が安全な場所へ逃げようと帝国や周辺国へ流出し、避難民への対応をせねばならなくなる」
「帝国や周辺国に一番迷惑がかからないのが、篠山さんの提案なんですね……」
今、香月さんは苦悩しているはずだ。
わたしの提案を受け入れても、受け入れなくても、もしかしたら香月さんの感じるプレッシャーは変わらないかもしれない。
それどころか心労は増すかもしれない。
でも、香月さんは魔力充填を行えない。
わたしの提案を受け入れたら王国は助かるが、自分の立場は悪くなって、身の置き所もなくなる可能性もある。
しばし香月さんは黙っていた。
「決めるのはドゥニエ王国だが、聖女殿が嫌がるならば無理強いはしない」
手が白くなるほど香月さんが拳を握り締め、そして、か細く息を吐き出すとハンカチで急にゴシゴシと目元を擦った。
力を入れすぎたせいか、顔を上げた香月さんの目元は赤くなっていた。
でも、まっすぐに背筋を伸ばした香月さんはハッキリとした口調で言った。
「私は、篠山さんに助けてほしい」
一度唇を引き締め、香月さんが困ったような、悲しそうな顔をする。
「聖女として呼ばれたけど、私は力不足で、すぐに魔法が使えるようになるかは分からない。もちろん努力はする。でも、私の気持ちより、王国の人達の暮らしのほうが大事だから」
その声は震えていた。
……ああ、香月さんこそ、本物の聖女だ。
わたしは立ち上がって香月さんの下へ行き、その手を握った。微かに震える手は冷たかった。
香月さんには酷いことをしてしまった。
王国はきっとこの提案を受け入れるだろうが、香月さんに一国の未来を左右する決断をさせたようなものだ。
「香月さん、ごめんなさい」
ふふ、と香月さんが苦笑する。
「篠山さんは悪くないよ。私が聖女としての役目をきちんと果たせないのが悪いの。篠山さんも帝国の聖女で大変なのに迷惑かけちゃってごめんなさい」
「迷惑だなんて思ってないよ」
むしろ、わたしは香月さんに傾きかけた王国を押し付けて逃げてしまった。
だから罪悪感もある。
「私達、会う度に謝ってばっかりだね」
「確かに」
香月さんと顔を見合わせ、笑ってしまった。
このままだとわたしも香月さんもずっとお互いに謝り倒すことになりそうだと感じて、話題を変えることにする。
「そういえば香月さんは魔法が全然使えないって言ってたけど、魔法の何が分からないの?」
わたしの問いに香月さんが「うーん」と首を傾げる。
「まず、魔力が分からないなあ。教えてくれる王国の魔法士さん達は『魔力を意識して、手に流して〜』とか『魔法を具現化させるには魔力で具体的な姿を思い浮かべて〜』とか言うんだけど、そもそも『魔力って何?』状態なの」
「あー……」
それは多分、わたし達が魔法のない世界で生まれ育ったからだと思う。
正直、わたしもライトノベルなどを読んでいなかったら、もっと魔法を使うのに苦戦したかもしれない。
魔力というもの自体がわたし達にとっては未知のものなのだ。
いきなり魔力を意識しろと言われても『そんなもの自分の中にあるの?』って疑念の方が大きい。
香月さんの手を握り直す。
「香月さん、魔力についてあれこれ考える必要はないよ。目を閉じて、自分の体と心臓をイメージしてみて」
「うん」
香月さんが目を閉じる。
「体には血管があって、血が流れてるよね? それと一緒で、魔力も心臓から手足に行く感じ。……今から少しだけ魔力を流すね」
香月さんと繋がった両手に魔力をそっと流す。
そうしたら、香月さんが「あ」と声を上げた。
「なんだかあったかいものが流れてくるよ。でも、少しだけむず痒い気もするかも……?」
「それが魔力だよ。わたしはね、自分の体の中に道があって、そこを光の粒子みたいな魔力が通っていくイメージなんだけど、香月さんにはどんな風に感じる?」
「えっと、冷たいものとか熱いものとかをそのまま飲み込んじゃった時に胃の辺りにあるのが分かる変な感じ……?」
そのたとえが余りにも分かりやすくて、小さく吹き出してしまう。
「そっか。じゃあ、今はあったかい感じが手にある感じかな?」
「多分……」
「そのあったかい感じに集中して。もう少し流すから、ゆっくり、それが心臓へ向かって近付いていくイメージをしてみて。血が流れるみたいに」
香月さんが目を閉じたまま頷いたので、もう少し流す魔力の量を増やす。
わたしも目を閉じて、わたしから香月さんの体に流れる魔力をイメージする。
優しく、冷えてしまった手や体を温めるように、ゆっくりと魔力が香月さんの心臓辺りへ流れていく。
ややあって香月さんが目を開けた。
「なんだか安心する……」
気持ち良さそうな呟きだった。
「どう? 少しは魔力がどんなものか分かった?」
「なんとなく感覚でだけど……」
香月さんがジッと自分の手を見つめている。
「感覚があるうちに試してみよう。心臓から、今のあったかい感覚が腕を通って掌に出て、そこで小さな火になるのを想像してみるといいよ」
手を離せば、香月さんは掌を上へ向けて、目を閉じた。恐らく魔力の流れをイメージしているのだろう。
感覚に慣れないのか、なかなか魔法は現れない。
香月さんの焦りが感じられて、わたしは空いているほうの手を握った。
「ちょっと手伝うね」
わたしの手から魔力を流し、香月さんの腕を通って心臓の辺りに魔力を流し、そこから反対の手に向かって魔力を伸ばしていく。
「わたしの魔力は感じる?」
「うん、さっきよりハッキリ感じる」
「真似してみて。心臓から魔力が太い血管を通って、腕を抜けて、そこから掌にいくの。掌の真ん中から小さな塊の魔力が出て、そこに小さな火がつくよ」
香月さんの眉根が寄った。
わたしは焦らず魔力を流した。
そして香月さんが魔法の詠唱を行った。
「『小さき炎よ、出でよ……!』」
どこか懇願するような声と共に、ポッと可愛い音がして、香月さんの掌の上にライターくらいの火が灯った。
ハッとした様子で香月さんが目を開ける。
同時に炎が揺らいだ。
「意識を集中して!」
「うん!」
消えかけた火がまた元に戻る。
睨むように火を見つめる香月さんの様子を気にしながら、少しずつ、流す魔力の量を減らしていく。
そして、ついに、わたしの魔力は流れなくなった。
でも、香月さんの掌には炎があった。
「香月さん、魔法、出来たね」
わたしが手を離しても自分の掌に火が残っていることを見て、香月さんの顔が泣きそうに歪んだ。
香月さんは一度手を握って火を消したけれど、もう一度開いた掌にまた火を灯す。
……すごい、もう感覚を掴んでる。
香月さんがまたぽろぽろと泣き出してしまった。
「良かった、私、魔法、ちゃんと使える……っ」
火を出した右手を抱き締めるようにして泣く香月さんは少し震えていた。
今はまだ魔力の感覚がしっかり掴めていないかもしれないが、それでも魔法が使えたのだから、きっとこれから訓練すればもっと大きな魔法も使えるようになるはずだ。
「最初は危ないから少量の魔力で試していって、慣れたら少しずつ使う魔力の量を増やしていけば強い魔法も使えるようになると思うよ。魔道具への魔力譲渡は、聖属性の魔力だけを流すから、またちょっと難しいけど……」
香月さんが、先ほど渡したハンカチで涙を拭う。
「大丈夫。私もちゃんと魔法が使えるって分かったから、これから魔力操作の練習を沢山して、魔道具に魔力を注げるようになる」
そう言った香月さんは、今まで見た中で一番晴れやかな笑顔を浮かべていた。
香月さんが王国の聖女として魔道具に魔力充填が出来るようになる日は、そんなに遠くないだろう。
わたしが手伝うのは短い期間で済みそうだ。
香月さんも魔法が使えなくて王国で居心地の悪い思いをしていただろうから、これからは胸を張って堂々としてほしい。
きっと、わたしよりも聖女らしい聖女になるはずだ。
自信のついた香月さんの表情はとても明るかった。




