それぞれ / ……ほんとは怖かった……っ。
* * * * *
「くそっ、どうしてこうなった……!?」
帝国の城の控え室、その一角でヴィクトールは頭を抱えていた。
王国は前聖女が亡くなり、魔道具に聖属性の魔力を注ぎ込める者も少なく、国を、民を守るためにはどうしても聖女が必要だった。
それも今すぐに魔力充填を行える聖女が。
ユウナは五属性持ちで魔力も多く、聖女の資質はあったが、魔力の操作が下手で、まだ魔力充填は行えない。
けれどもユウナは日々努力している。
それでも王国の状況は切迫していた。
帝国に渡したサヤという娘が全属性持ちの聖女だと知った時は愕然としたが、同時に、もう一度連れ戻すことが出来れば王国を救えると思った。
ユウナを蔑ろにするわけではない。
ユウナが魔力充填を行えるようになるまでの中継ぎとし、適当に愛妾としてしまえば、ユウナを側妃に娶っても何とかなる。
とにかく今は使える聖女が欲しい。
そんな時にペーテルゼン公爵令嬢から手紙が届いた。
自分が皇弟の婚約者に相応しく、やがてはその妻となるべきだと思っているようで、皇弟の婚約者となった娘は公爵令嬢にとっては邪魔な存在でしかなかった。
聖女を手放すのがどういうことなのか国にとってどれほどの損失になるのか分かっていないらしい。
だが、ヴィクトールにとっては好都合であった。
夜会でユウナに側妃を断られたことはショックであり、同時に計画が狂ったことに焦りを感じたものの、あの娘がヴィクトールの愛妾になれば最悪ユウナが側妃にならなくとも問題ない。
王国は二人の聖女を手に入れられる。
帝国には睨まれることになるだろうが、もう息も絶え絶えな状態の王国をどうにか救うほうがヴィクトールにとっては重要だった。
ユウナが魔力充填を行えるようになったら、帝国に返したっていい。
元は王国が召喚した娘なのだ。
取り返すことの何が悪い。
様子を見て夜会から抜け出し、ペーテルゼン公爵令嬢の手引きで夜会から少し離れた客室で令嬢と落ち合った。
「すぐにあの娘も来るでしょう」
その言葉通り、娘はすぐに部屋に来た。
そこまでは良かった。
けれど、娘は魔法を使えるようになっていた。
膨大な魔力で吹き飛ばされ、無詠唱の魔法によって生み出された蔦のようなもので公爵令嬢と共に縛り上げられた。
そして放り出された。
蔦を解こうとヴィクトールも公爵令嬢ももがいた。
しかしすぐに人の声がした。
「……これはどういう状況だ?」
それは皇弟の声だった。
聞こえるはずのない声に振り向けば、そこに皇弟がおり、驚いた顔をしていた。
娘が皇弟に抱き着いて、その後に客室の扉が開かれた。
最悪なことにヴィクトール達はベッドの上にいた。
それもヴィクトールと公爵令嬢は蔦によって向き合った状態で折り重なっており、もがいたせいで服も乱れてしまっていた。
それからは悪夢としか言いようがない。
娘がとんでもないことを叫び、ヴィクトールも公爵令嬢も否定したが、その場にいた騎士や貴族達の目は疑念に満ちたものだった。
驚きのあまり震えながら婚約者に縋る聖女と、ベッドの上で折り重なっていた他国の王太子と自国の公爵令嬢。
人々がどちらを信じるかは言うまでもないだろう。
ヴィクトール達がベッドにいたと己の目で見た者達は、きっと、さもそれが真実であるかのように見たものを吹聴するはずだ。
手紙ではあれほど自信がある様子だった公爵令嬢は、想定外のことに震えるばかりであった。
予定ではヴィクトールがあの娘とベッドにいるところをペーテルゼン公爵令嬢が目撃して悲鳴を上げ、人を呼び、目撃者を増やすことで娘の貞淑さを失墜させるつもりだったのに。
まんまとやり返されてしまったのだ。
こうなってしまってはあの娘を手に入れることはもう無理だろう。
それどころか、娘から話を聞いた皇帝達はヴィクトールを許さないかもしれない。
結果的に、聖女も手に入れられず、帝国から睨まれるだけになってしまった。
部屋の扉が叩かれ、声をかければ、帝国の騎士が立っていた。
「王太子殿下、皇帝陛下がお待ちしております」
……ああ、もうどうしようもない。
頷き、立ち上がったものの、足は酷く重かった。
* * * * *
……ああ、どうすればいいの……?
バルバラ=ペーテルゼンが控え室の一つに連れて行かれると、そこには父であるペーテルゼン公爵がいた。
公爵は娘を見るとすぐさま駆け寄った。
「おお、バルバラよ、何があったのだっ?」
父に抱き寄せられて、いつもならば安心するのに、バルバラは青い顔で震えるしかなかった。
何も言わない娘に公爵は訝しげな顔をする。
「そこの騎士よ、私の娘に何があった!?」
バルバラを連れてきた女性騎士は目撃者の一人でもあり、己の見たことを公爵へ告げた。
人気のない客室のベッドでドゥニエ王国の王太子と折り重なっていた。
それを聞いた公爵が一瞬、理解出来なかったのだろう。
呆然とし、それから、慌てて娘を見た。
「それは本当なのか!?」
バルバラは弱く首を振った。
しかし、騎士がいるため事実を父親に伝えることも出来なかった。
認めたくはないが、帝国の聖女となったあの娘を襲わせるために他国の王太子を手引きした。
今ここで口に出せば、騎士はそれを皇帝陛下に伝えるだろう。
曖昧な反応をするバルバラに父は必死に考えているようだった。
バルバラは皇弟の妻になることを望んだだけなのに。
しかし、多くの騎士や貴族達にベッドの上にいる姿を目撃されてしまっており、このままでは娘の嫁ぎ先はなくなってしまう。
公爵令嬢が婚姻前に純潔を失ったかもしれない。
そんな噂が広まることは目に見えていた。
そうなればバルバラはどこか爵位の低い家か、豪商の後妻か、少なくとも公爵令嬢としての輝かしい未来は消えるだろう。
公爵家からしても、そのようなことになれば社交界で笑い者にされてしまう。
父はバルバラの肩を両手で掴んだ。
「バルバラ、お前をドゥニエ王国へ送る」
その言葉にバルバラはハッとした。
「そんな、お父様……!」
……わたくしが皇弟殿下以外の妻になるなんて!
ずっと、そう言われて育ってきた。
そしてそれが当たり前のことだと思っていた。
皇帝陛下は年齢的に釣り合わず、その子供も同様で、そうなれば釣り合うのは三歳上の皇弟殿下だった。
帝国内でも力があり、皇族の血を引く公爵家であるペーテルゼンの令嬢。
バルバラは皇族に入るに相応しい。
そう、誰からも言われてきたのだ。
「ドゥニエ王国に行くなんて嫌よ!」
「だが仕方がないだろう! どのような経緯があれ、他国の王太子とベッドにいた姿を見られたのだぞ!? このまま帝国にいてもお前は幸せにはなれないんだ!!」
父の怒鳴り声に「ひっ!?」と悲鳴が漏れてしまう。
これまで、父がバルバラにこのように怒鳴ったことなど一度たりともありはしなかった。
何があっても優しく甘やかしてくれたのに。
「公爵令嬢であるお前をどこぞの年寄りの後妻にするわけにも、低い爵位の者に娶らせるわけにもいかない。公爵家にとっても、お前にとってもだ。……帝国と王国の関係をより強固にするためという名目でお前を王太子の側妃に押し込めば、少なくとも、ペーテルゼンの家名は守られ、お前も一国の王の妻となれる」
肩を掴んだまま、そう話す父は真剣な表情でバルバラを見た。
バルバラは理解してしまった。
もう、どうしようもないのだと。
公爵家の権力を使ってもどうにもならない。
ぽろりとバルバラの瞳から涙がこぼれ落ちる。
……何が悪かったの?
……わたくしはただ、皇弟殿下の妻になりたかっただけなのに。
「侍女を呼んでくる。お前は身支度を整え直してから来なさい。……皇帝陛下とドゥニエ王国の王太子殿下には私から話をしておくから」
父の声は淡々としていた。
何かを堪えるような声だった。
バルバラが返事をする前に、父は騎士と共に部屋の外へ出て行く。
部屋に一人残されたバルバラは崩れ落ちた。
……いつか、この帝国の皇族になる。
バルバラの夢であり、絶対的だと信じて疑わなかった未来もまた、同時に崩れ去ったのだった。
* * * * *
「──……ャ、サヤ、起きられるか?」
ディザークの声にふっと目が覚める。
上と下の瞼がくっついてしまいそうになるのを、なんとか離し、声を見上げた。
「ん、ディザーク……?」
目元を擦ろうとした手をディザークに止められた。
「化粧をしているなら、目元を擦るのは良くない。……宮に着いたが歩けるか?」
ディザークの言葉に車窓を見れば、馬車は停まっており、窓の外にディザークの宮があった。
ほんの僅かな時間だが眠ってしまったようだ。
でも、まだかなり眠たい。
「うん、歩ける……」
馬車から先に降りたディザークが手を差し出してくる。
椅子から腰を上げ、その手に近寄れば、ヒョイと軽い動作で馬車から降ろされる。
地面に降り立ったものの、寝起きのせいかふらついたわたしの体をディザークが抱き寄せるように支えてくれた。
温かく、がっしりとした腕に力が抜ける。
「やはりまだ眠いか?」
ディザークに問われて、うん、と頷いた。
眠いのもあるけれど、甘えたい気分だった。
……歩けないって言ったら抱えてくれるのかな。
そんなことを思ってしまう。
「無理もない。色々あったからな」
言いながら、ディザークが屈み、わたしを横向きに抱き上げた。
自分で望んだことなのにドキドキと胸が高鳴る。
……今はちょっと、顔、見れないかも。
俯いたままディザークに寄りかかる。
「お帰りなさいませ、ディザーク様、サヤ様」
執事長のレジスさんの声がした。
「今戻った」
「予定よりお早いお戻りでございますね」
「ああ、ちょっとあってな。それについてはまた後ほど説明する。サヤが疲れているようなので休ませたい」
ディザークの声にレジスさんの「失礼いたしました」という声がして、ディザークがまた歩き出す。
歩く度に感じる揺れと温かさに安心する。
また、うとうとと浅い眠気に包まれる。
キィ、と扉の開く音でハッとして顔を上げた。
「すまない、起こしたか?」
申し訳なさそうな声に小さく首を振る。
「……寝てない」
「そうか」
わたしの返答にディザークが微かに笑った。
ソファーに降ろされ、離れかけたディザークに、とっさにその服を掴んでしまう。
わたしもディザークも驚いた。
離さなきゃと思うのに手が離れない。
「サヤ?」
名前を呼ばれて余計に慌ててしまう。
「あ、ご、ごめん、えっと、なんか、体が勝手に動いちゃって……」
離そうと思えば思うほど手は強く服を握る。
きっとしわがついてしまうだろう。
…………怖かった。
今になってドゥニエ王国の王太子に襲われかけたという事実に、恐ろしさが込み上げてくる。
もう王国には戻りたくないし、もしもあの王太子のほうが強くて好き勝手にされていたらと思うとゾッとする。
握った手に、ディザークの手が重なった。
「大丈夫だ」
横に座ったディザークに抱き締められる。
ぴったりと密着するほど強い力だ。
「もう、ここにはサヤを傷付ける者はいない。あの王太子も、公爵令嬢も、二度とお前には近付かせない」
ギュッと回されたディザークの腕に力がこもる。
あの王太子に腕を掴まれた時は気持ち悪かったのに、ディザークに触れられると強張っていた体から力が抜ける。
それと同時に涙があふれてきた。
「……ディザーク……っ」
ディザークの手がわたしの背中を優しく撫でる。
「ああ、ここにいる」
「……ほんとは怖かった……っ」
「そばにいなくて、すまなかった」
いつもより柔らかな声に涙が止まらなくなる。
泣くわたしの背をディザークの手が優しく撫でた。
それで余計に泣いてしまう。
「わたし、王国に、戻りたくない……!」
ディザークが頷く気配がした。
「サヤはもうこの帝国の聖女であり、俺の婚約者だ。王国に渡すつもりはない。あの王太子はなおさらだ」
ディザークの背中に腕を回し、抱き着いた。
……離れたくない。
「……好き……」
ピタ、とディザークの手が止まったが、わたしは構わずに胸の内を告げた。
「ディザーク以外の男の人に触れられたくない」
瞬間、強く強く抱き締められた。
息苦しくなるくらいだった。
「俺も、多分、サヤが好きだ」
「多分なの?」
腕が緩み、ディザークがこつんと額を合わせてくる。
「確かめさせてくれないか?」
そっと唇にディザークの指が触れた。
「キスが出来る相手とは恋愛も出来ると以前言っていたな。……してみたいと思う俺は身勝手だろうか」
言わなくても、その先のことが分かって、わたしは静かに目を閉じた。
ややあって唇に柔らかい感触が触れる。
それは少しだけカサついていた。
感触が離れ、目を開けると、間近にディザークの顔があった。
「……どう?」
照れ隠しに訊いたわたしにディザークが微笑む。
「サヤとなら、何度でもしたい」
「わたしだけ?」
「ああ、お前だけだ。俺も触れるならばサヤがいい」
優しく頬に手が添えられる。
「弱っているところにつけ込んでいるのは分かっている。だが、許されるなら、もう一度してもいいだろうか?」
……ディザークの嘘吐き。
恋愛経験はないと言っていたのに、わたしはドキドキさせられっぱなしである。
「……いいよ」
重なった唇はやっぱり少しカサついていた。




