予期せぬ事態 / その地位はわたくしのもの
* * * * *
王太子ヴィクトール=エリク・ドゥエスダンは苛立っていた。
数週間前にこのドゥニエ王国は召喚魔法を行った。
ドゥニエ王国の前聖女が死に、国内で次代の聖女を見つけることが叶わず、帝国から魔法士を派遣してもらってようやく念願の聖女を手に入れた。
召喚魔法で現れたのは二人の娘だった。
一人はかなりの量の魔力が感じられたが、もう一人は欠片も魔力を感じられなかった。
そのため、魔力のあるほうが聖女だと判断した。
事実、魔力のあるほう──……ユウナ・コウヅキは非常に珍しい五属性持ちであり、感じられる魔力量もなかなかに多い。
それに比べて同じ世界から来たもう一人のほうは魔力もなければ、特別に見目が良いわけでもなく、使い道など全くなさそうであった。
だからヴィクトール達は魔力のないほうに期待しなかった。
それでも王城に住まわせたし、最初は使用人をつけるよう言ったはずだったが、どうやらはずれに仕えるのが嫌だったのか使用人は新人のメイド一人しかつかなかった。
後になって監視を兼ねた護衛の騎士から報告を受けたが、当の本人も不満を口に出さなかったようで、ヴィクトールは本当にその事実を知らされていなかった。
だから帝国より訪れた皇弟殿下が魔力のないほうを婚約者として連れ帰りたいと言い出した時は心底驚いた。
一瞬、帝国が欲しがるということは何かしらの利用価値があるのではと思ったが、皇弟殿下にその娘への対応について言及されてしまい、拒否することは難しかった。
確かに無理に召喚したのはこちらであり、巻き込まれただけだと言えども、こちらには生活を保証する責任がある。
それを疎かにしていたのは事実だった。
何より、国力や地位で言えば帝国のほうが上だ。
しかも今回は魔法士まで借りている。
王国はあまり強く言える立場ではなかった。
気にはなったが、役に立たない娘を帝国が引き取ってくれるというのなら、王国としてはむしろ良い話。
父である国王もそう思ったのか、皇弟殿下の願いをあっさりと聞き入れて娘を差し出した。
そのことを伝えるとユウナはその娘に会いたいと言い、慌てた様子で会いに行った。
召喚の儀式を行って以降見ることのなかった娘は、確かに最初にチラと見た時よりも痩せたような気はした。
流行遅れの地味なドレスに手入れの行き届いていない黒髪、泣きそうなユウナを迎え入れた姿は虐げられていると言われても否定出来なかった。
王族であるヴィクトール達が娘に関心を示さなかったことで、使用人や騎士達までもが、娘を『役立たず』だと嘲笑っていた。
……いや、私自身にもその気持ちはあった。
同じ世界から召喚したのに何の役にも立たない娘。
ユウナと扱いが違って当然だと、そういう気持ちが最初からなかったかと問われれば頷くしかない。
それから数日後に娘は皇弟殿下について、帝国へ向かった。
痩せた娘はユウナとの別れを済ませた後に酷く良い笑顔をヴィクトールへ見せた。
「この国には二度と戻りませんから、ご心配なく。短い間でしたが、大変お世話になりました」
嫌味だというのは即座に理解出来た。
思わず頬が引きつってしまう。
最後の謝罪をする機会をヴィクトールは失った。
そのことを、今、後悔している。
それだけではなく、あの娘を帝国に渡してしまったことを、ヴィクトールも父である国王も悔やんだ。
帝国から送られた招待状と手紙。
そこには帝国の新たな聖女について書かれていた。
次代の聖女の名はサヤ・シノヤマ。
希少な全属性持ちの聖女。
王国の召喚魔法にて喚び出された乙女の一人。
ドゥニエ王国が役立たずだと手放した、もう一人の異世界人だった。
「くそっ、どういうことだ!?」
陛下から渡された手紙を読んだ時の気持ちは言葉に言い表せないほどのものだった。
魔力がないと思っていた娘が実は聖女であった。
それもユウナよりも優れているなんて、認めたくはなかったが、帝国が嘘を吐く利点はない。
思えば、もう一人の娘は適性検査を行わなかった。
どうせ魔力がないのだから、やる必要などないと思っていた。
……だが、何故言わなかった?
もしも魔力があると言い出せば、適性検査を行い、そうして聖女であることも判明したはずだ。
「まさか、あえて言わなかったのか……?」
やられた、と思った。
恐らく皇弟殿下は娘に魔力があることを気付いていて、だからこそ、帝国に招こうとしたのだろう。
今更、取り戻すことは難しい。
使者との話し合いは公のもので、その時の会話も公式のものとして記録されてしまっている。
それに使者達が帰国する際にあの娘は「もう二度と来ない」と言った。
今後はより良い待遇を約束すると言ったところで首を縦に振るとは思えない。
帝国のほうが王国よりもずっと発展しているのだ。
帝国以上の待遇も厳しいだろう。
しかも、どういうわけかユウナも、もう一人の娘が全属性持ちの聖女であることを知っていた。
しかも帝国の聖女を披露するパーティーに参加したいと言い出した。
「私、シノヤマさんに会いたい。ここに来てからも全然会えなかったし、帝国でも元気だろうけど、ちゃんと会って話したいの」
「それは……」
ユウナを帝国へ連れて行きたくない。
帝国に行けば、きっと、王国との違いを見て、帝国に残りたいと言うだろう。
ドゥニエ王国は聖女を失うわけにはいかない。
「……招待されていなければ、行くことは出来ない」
そう答えたものの、パーティーの一週間と少し前に追加で招待状が送られてきた。
ユウナ宛の招待状だった。
いっそ隠してしまおうかと思ったが、やはりそれについてもユウナは知っており、招待状の有無について訊かれた。
逆に訊き返すと、ユウナは帝国へ行った娘と離れていても連絡が取れるらしく、それで招待状の件も聞いたらしい。
結局、ユウナも連れて行くことになってしまった。
……何とかしなければ……。
聖女として公表するということは、魔法を扱え、魔力を操れるということだ。
ユウナも努力しているが、元々魔法のない世界にいたからか、魔力の扱いが上手くない。
王国が聖女を手にしたと言っても、ユウナはまだ、魔力充填を行えないのだ。
いざとなったら帝国に聖女を派遣するなどという話になっているが、現状、むしろ切迫しているのはドゥニエ王国のほうだった。
王国は前聖女が亡くなり、神殿に属する聖属性持ち達のおかげでなんとか保っているものの、そう長くは続かないだろう。
どうすべきか悩んでいると、帝国の貴族から手紙が届いた。
それを見て、ヴィクトールは考える。
ユウナのことは好意的に思っている。
だが、ドゥニエ王国には今すぐにでも、使える聖女が必要なのだ。
……本当ならば、王となってからユウナを娶りたかったが。
立場を盤石なものとするために力のある公爵家の令嬢を正妃とし、聖女たるユウナを側妃にと考えていたのだけれど、仕方がない。
「これは国のためなんだ」
* * * * *
ペーテルゼン公爵の長女、バルバラ・ペーテルゼンはこれまで、どのようなものでも全て手に入れてきた。
生まれながらに公爵家という高貴な身分を持ち、他の令嬢よりも美しい容姿を持ち、その立場に見合った教養と立ち居振る舞いを身につけ、多くの令息令嬢はバルバラに首を垂れた。
誰もがバルバラを讃え、誰からも愛された。
何か欲しいものがあれば、両親が、兄が、友人が、バルバラを慕う者達がそれを差し出してくれる。
手に入れられないものなど何もない。
……そう、思っていたのに。
ティーカップを強く握ってしまう。
すぐにはしたないと気付いて、カップをソーサーに戻し、テーブルへ置いた。
皇帝陛下の妻となることは不可能だった。
バルバラが生まれた時には、既に、皇帝陛下には別の公爵家の令嬢が婚約者としてそばにいた。
もし年齢が合っていたならば、バルバラは皇帝の妻となっても不思議はない立場である。
しかし、皇子達とも年齢が釣り合わない。
唯一、年齢的に問題がない皇族は皇弟殿下だけだ。
その皇弟殿下は結婚に興味がないようで、婚約者候補が数名選ばれた時も、令嬢達のことを気にした様子はなかった。
それでも、バルバラは自分だけは別だと思っていた。
美しく、身分的にも血筋的にも問題がなく、教養があり、誰からも愛されるべき存在。
そんなバルバラと話せば、皇弟殿下も気が変わって、婚約者として選ぶだろう。
そうすれば皇弟殿下の妻の座につくことが出来る。
この国で尊ばれる皇族の一員となれる。
けれども、皇弟殿下はバルバラを選ばなかった。
それは生まれて初めての屈辱だった。
同時に、手に入らないということに執着を覚えた。
……なんとしてでも皇弟の妻の座がほしい。
そのためにバルバラは他の婚約者候補達に公爵家という立場を使って圧をかけたり、友人達にお願いして少々警告をしたりして、自ら候補を辞するように仕向けた。
そうして六人いた候補は半分の三人へ減り、最後にはモットル侯爵家の令嬢とバルバラだけとなった。
バルバラも教養には自信があったが、モットル侯爵家の令嬢の所作は美しく、もし外見がバルバラと同じかそれ以上に美しければ、バルバラは負けていただろう。
だが、最後の二人になったというのに、皇弟殿下の婚約者の話は流れてしまった。
政治的な意図も何やらあったようだが、皇弟殿下の心を動かす者がいなかったからだという噂も一時期まことしやかに流れた。
バルバラがいくら微笑んでも皇弟は顔色一つ変えず、そして態度も全く軟化しなかった。
幸いモットル侯爵令嬢にもそうだったようで、しかし、バルバラの自尊心は傷付けられた。
絶対に皇弟殿下の婚約者となる。
そう思い、帝国内の令嬢達を常に牽制し続けた。
令嬢達も「バルバラ様こそ皇弟殿下の婚約者に相応しいです」と口を揃えて言う。
いずれ、貴族達の言葉を無視出来なくなって、皇帝は弟の妻にバルバラを選ぶだろう。
……そう考えていたのに。
突然、皇弟殿下に婚約者が出来た。
黒髪に黒い瞳、見慣れない肌色と顔立ちは異国風でミステリアスだが、美しさにおいても、教養においても、何もかもがバルバラに劣っている娘。
調べれば、ドゥニエ王国で行われた聖女召喚の儀で巻き込まれたただの一般人だというではないか。
確かにこの帝国では黒は聖竜様の色だと言われ、皇族の誰かが黒に近い色味の者を娶るという風習がある。
だが、たとえ黒を有していても、何の後ろ盾もなければ容姿が優れているわけでもない者が皇族として、バルバラの上に立つだなんて、想像するだけでゾッとする。
……あんな小娘に頭を下げるなんて絶対に嫌よ。
皇弟殿下の婚約発表の場で、話もせずにバカみたいにただ微笑むことしか出来ない娘など、皇室にとってもなんの利益もないではないか。
握り締めた爪が掌に食い込んだ。
……わたくしよりも劣っているくせに。
夜会のことを思い出す度に怒りがこみ上げる。
どの令嬢にも一切興味を示さなかった皇弟殿下が、あの娘を気にかけ、他の者達の会話を一手に受け、皇族特有の紅い瞳が娘を気遣うように見ていた。
あの眼差しを受ける娘を見た時、羨ましいと思った。
誰かを羨むなど初めての経験だった。
これまで羨望されるのはバルバラの特権であった。
羨ましがられることはあっても、他者を羨ましいなどと思うこと自体がなかったのだ。
皇弟殿下の眼差しを、さも当然のことのように受ける娘を見て、羨望と共に屈辱感も覚えた。
「あの場所は、あの眼差しを受けるのはわたくしのはずだったのに……」
美しく、社交も出来て、教養もあり、人々から愛されるバルバラこそが皇弟の妻になるべきだ。
そう言われてきたし、そうあるべきだとバルバラ自身も思っていたし、いつかは皇弟殿下もバルバラの魅力に気付いて膝をついて婚約を申し出てくれると考えていた。
それが砕け散ったのは人生二度目の屈辱だった。
身の程を弁えさせるために、友人に話をして少し警告してもらおうとしたのに、失敗した上に汚らしい姿を夜会で晒していた。
……わたくしに相応しくない子ね。
友人の枠から外したほうが良さそうだ。
その後、父からこっそりあの娘が聖女として選ばれた者だということを知った。
聖女だと聞いても、どうしてか、感じた屈辱は消えなかった。
「お嬢様、お手紙が届いております」
侍女が差し出した手紙を受け取る。
ペーパーナイフで封を切り、中に収められていた便箋を取り出してサッと目を通した。
そこに書かれている内容にバルバラは笑みを浮かべた。
「わたくしも準備をしないといけませんわね」
あの娘が聖女だろうと関係ない。
……わたくしの場所を横取りするなんて許せない。
盗られたなら取り返せばいいのだ。
* * * * *




