うん、ありがとう。
「そういうことなら、ユウナ・コウヅキ嬢にも招待状を送っておこう」
ディザークに香月さんのことを話すと、すぐにそれは皇帝陛下に流れたようで、翌日、聖女の仕事をするためにお城へ行くとそう言われた。
「最近のドゥニエ王国の王族達は少々図に乗っている節があるからな、己の立場というものを思い出させてやるのもいいだろう」
と、面白そうな様子だった。
召喚魔法を行うことでも、実はドゥニエ王国は周辺国と少し揉めたらしい。
聖女がいないので召喚魔法を行いたい。
でも魔法を使うには魔法士が足りない。
だから魔法士を派遣してほしい。
もしドゥニエ王国が魔物に襲われて、国が立ち行かなくなれば、王国民が難民となって周辺国に流れてしまうかもしれない。
そうなるとお互い困るだろう。
なので魔法士を派遣してね、的な態度だったらしい。
ちなみに周辺国は魔法士を派遣しなかった。
……そりゃあ派遣しないでしょ。
帝国が魔法士を派遣したのは、帝国の聖女が高齢だったため次の新たな聖女が見つかるまで、いざとなったら召喚した聖女を派遣させようと考えてのことだったようだ。
もしも帝国に新たな聖女がいたら、ドゥニエ王国に魔法士を派遣することはなかったそうだ。
「夜会では周辺国の使者や王族も来る公の場だ。そこでドゥニエ王国の聖女が次期国王との結婚を拒否する発言をすれば、無理強いをされそうになった際にそれを理由に他国が介入出来る」
「はい、そうなれば香月さんが望まない結婚を避けることが出来ます」
「たとえ周辺国が動かなくとも、我が国がいざとなれば『保護』しよう。聖女が増える分には帝国としては喜ばしいことだからね」
悪そうな笑みを浮かべる皇帝陛下が今は心強い。
それから少し話をしてから、わたしとディザークは皇帝陛下の政務室を後にして、別の場所へと向かった。
お城の中にある応接室の一室だ。
そこには帝国の現聖女マルグリット様がいて、聖女付きの使用人だという人達も待っていた。
今日は初めて聖女としてのお仕事をする。
仕事内容は、国中から集められた障壁を張る魔道具に聖属性の魔力を注ぎ込むこと。
マルグリット様は毎日登城して、魔道具に日々、魔力を注ぎ入れているのだとか。
丁寧に箱に納められた魔道具がテーブルの上に並んでいる。
互いに挨拶を済ませ、ディザークは静観するらしく、わたしの横に座ったまま黙っている。
……わざわざ一緒に来てくれてるんだよね。
ディザークだって皇弟として公務もあるし、忙しい身なのに、こうしてわたしの付き添いをしてくれる。
心配してくれているんだなあと思うと素直に嬉しい。
「本日は、サヤ様に魔道具への魔力充填を行なっていただきます。前回のように、魔道具へ聖属性の魔力を注いでくだされば問題ございません」
使用人達が壁際に控えていて少し落ち着かない。
目が合うと穏やかに微笑まれた。
「くれぐれも無理はなさらないでくださいね。出来る分だけに留めて。無理をされますと魔力欠乏症で具合を悪くしてしまいますので、疲れたと感じたら、そこでやめるようにお願いいたします」
「分かりました」
「私も本日はこちらで魔力充填を行わせていただきます。何か分からないことがございましたら、遠慮せずにおっしゃってください」
それから、とマルグリット様が振り返る。
「あちらのテーブルにご用意してありますものはお好きに召し上がって良いものです。魔力充填を行なっていると体内の魔力量が減って空腹感を覚えます。空腹とは飢餓状態の表れですので、合間に何かしら口にされることをお勧めいたします」
マルグリット様の言葉にわたしは頷き返した。
魔法を使うとお腹が空く。
皇室付きのお医者様が言うには、わたしはまだ飢餓状態を完全に脱出したわけではないので、食事は欠かさず、適当に済ませないようにとのことだった。
美味しそうな軽食やお菓子が並んでいるテーブルを見る。
……あんなに食べたら太らないかな。
思わず見ているとマルグリット様が、ふふ、と口元に手を添えて小さく笑う。
「ご心配なさらずとも太ることはありません。魔力充填は体力を使いますから、むしろ痩せてしまいます。私もこう見えてかなり食べるのですが、この仕事をしてから太ったことは一度もございません」
「そうなんですね」
それにちょっとだけホッとする。
横にいたディザークが口を挟んだ。
「むしろサヤはもう少し太るべきだ」
マルグリット様が「あらまあ」と言う。
「殿下、その言い方はよろしくありませんわ。『太る』という言葉では女性はとても良くないもののように感じて、忌避感を覚えてしまいます」
「ふむ、そうなのか……」
ディザークが考えるように少し視線を落とし、それから何か納得したような顔で頷いた。
「サヤとしては何と言われたら気分を害さずに済む?」
と、真面目に訊かれて笑ってしまった。
「じゃあ『もっと健康的になれ』って言ってもらえる? 太れっていうのは女の子としては嫌だなって思っちゃうから」
「そうか。では『もっとよく食べて健康的になってくれ』で良いか?」
「うん。これからはこうやって魔力の操作とか魔法とか、使う機会が増えてくるだろうから、頑張って食事量を増やすね」
「ああ、そうしてくれ」
それから、わたしはマルグリット様と共に、魔力を注ぎ入れる作業を行うことにした。
マルグリット様は慣れているようで、箱に魔道具が納められたまま、手を翳して魔力を注いでいる。
わたしは箱から取り出して一つを手に持った。
前回のことを思い出しつつ、手に聖属性の魔力を集め、ゆっくりと魔力を魔道具へ移していく。
魔力の流れが止まるまで注ぎ、終わったら箱に戻す。
……そんなに疲労は感じない。
ディザークに「大丈夫か?」と問われて頷いた。
マルグリット様の使用人がそっと近付いてきて、箱の蓋を閉じると、次の箱をテーブルへ置く。
見れば、マルグリット様はどんどん魔道具に魔力を補充していた。
……わたしもああやって出来るかな?
次の魔道具に手を翳し、目を閉じる。
掌に魔力を集中させたら、その魔力を掌から下にある魔道具へ魔力が流れ、満ちていくイメージで……。
手に持っているよりも流れが早い。
魔道具はあっという間にいっぱいになる。
目を開けて手を戻す。
持って魔力を入れるよりも、こちらのほうがやりやすい気がした。
使用人が箱を置いて、魔力を注いで、箱が引き取られて、また次の箱が置かれてを繰り返す。
マルグリット様も同じ動きを行なっている。
数が十五個を超えた辺りで不意に空腹を感じた。
思わずお腹を押さえたわたしを見て、ディザークが立ち上がった。
それを目で追いかければ、ディザークは軽食などが並べられたテーブルに近付き、取り皿を掴むとひょいひょいと食べ物を載せていった。
それからフォークとお皿を持って戻ってくる。
「これぐらいなら食べられそうか?」
差し出されたお皿には一口大のサンドウィッチやケーキなどが綺麗に並んでいた。
「うん、ありがとう」
それを受け取るとディザークは今度は飲み物を取りに行ってくれる。
その背中を見つつ、使用人がくれたおしぼりで手を拭いてから、サンドウィッチにかじりつく。
シャキシャキの野菜にベーコンらしき肉、甘じょっぱいソースの味が口の中に広がった。
ディザークの宮で出るものも美味しいけれど、お城のほうで出るものも負けず劣らず美味しくて驚いた。
一口食べると空腹感が増したような気がする。
マルグリット様もお菓子を食べていた。
しかも、片手で食べつつ、もう片手を魔道具に翳して魔力を注ぎ込んでいる。
まじまじと見ていたら視線に気付いたマルグリット様が気恥ずかしそうに微笑んだ。
「食べながらやるなんてマナー違反ですが、こうでもしないと効率が悪いのです」
確かに、食べて注いで、食べて注いででは時間がかかってしまうだろう。
わたしもテーブルの端にお皿を置いて、片手でサンドウィッチを持ちつつ、もう片手を箱に翳す。
……ん、結構難しいかも。
食べるという作業をしつつ、並行して魔力を注ぐという作業も行うのは地味に集中力が要る。
自然と作業に集中して無言になる。
横でディザークが、わたしへ取っ手を向けたティーカップを持ったまま待機しているのが少し面白かった。
* * * * *
サヤがサンドウィッチを食べつつ、魔道具に魔力を注ぎ入れている。
聖女マルグリット様も同じような状態だ。
食べながらというのは内心驚いたが、同時に、なるほどと納得もした。
礼儀作法に則っていては食事をしてから作業を行い、また食事の時間を挟んで、と時間がかかってしまう。
それならば片手間で食べられるものを用意して、作業をしつつ、食べたほうがいいだろう。
サヤは最初はぎこちない動きをしていたが、慣れてくると食べ物を頬張りながら魔道具に魔力を注げるようになった。
ただサヤが口に結構ものを詰め込むので、喉を詰まらせやしないかと心配になってしまう。
いつでも飲み物を飲めるようにティーカップを持って構えていたら、それに気付いたサヤが小さく笑っていた。
ディザーク自身も少々心配のしすぎかと分かってはいたけれど、サヤに対してはつい世話を焼きたくなる。
しばらくサヤは食事片手に魔力充填の作業を続けていたが、ふと手を止めると立ち上がった。
「すみません、あとどれぐらい魔道具はありますか?」
サヤの問いにマルグリット様の使用人が答えた。
「残りは二十三個でございます」
部屋の隅に積まれた箱を示した使用人に、サヤがそれへ目を向けた。
何やら考えるような顔をしている。
「サヤ様、どうかなさいましたか? もし魔力量が厳しいようでしたら、今日はもうお休みいたしますか?」
マルグリット様の言葉にサヤが顔を上げる。
「あ、いえ、魔力は全然大丈夫です。ただ一つ一つ作業するのは時間がかかるなあと思いまして。……マルグリット様はいつもこの量の魔道具に魔力を充填しているんですか?」
「いいえ、本日はサヤ様もいらっしゃるので普段より多く用意していただきました。本日のサヤ様の進行度合いで今後の充填作業の分担割合を決めようと思っております」
つまり、この量は今日だけと言うことらしい。
サヤが目を閉じる。
すぐにその目を開けると立ち上がり、ディザークの持っていたティーカップを受け取ると見苦しくない程度にグイと飲み干した。
「よし、試してみよう」
ティーカップが返される。
「何を試すつもりだ?」
訊けば、サヤが悪戯を考えている子供みたいな顔をして、魔道具の山に近付いていく。
その山の前に立つとサヤが両腕を広げた。
ふわ、と風もないのにサヤの髪が揺れる。
ほぼ同時に白い光がその小柄な体からあふれ、膨大な魔力量を感じてディザークは思わず立ち上がっていた。
白い光が魔道具の山を包む。
艶のある黒髪が光の中で揺れている。
宮廷魔法士ですら、これほど膨大な魔力量を有してはいないだろう。
微かに漏れた聖属性魔力がディザークの肌をピリリと撫でていく。もし聖属性に適性があれば、魔力を心地良く感じたかもしれない。
数十秒か数分か。光が緩やかに収束する。
光が完全に収まるとサヤが振り返った。
「はい、終わり」
それにハッと我へ返る。
「サヤ、大丈夫なのか!?」
慌てて近付き、その肩を両手で掴む。
ディザークの突然の行動のせいか、サヤが黒い瞳を丸くして見上げてくる。
頬に触れてみたが異変は感じられなかった。
「魔力量は今、どれほど残っている?」
「え? あ、まだ三分の一ちょっとくらい残ってるから。そんなに疲れてないし平気だよ」
「そうか……」
どうやら嘘偽りはないようで、サヤの顔色は普段と変わらず、体温にも変化は見られない。
それに心底ホッとした。
「一つ一つやると時間がかかるから一気に全部、魔力を注いじゃえって思ったんだけど……ダメだった?」
少しばつが悪そうな顔でサヤが訊いてくる。
「もし魔力量が足りなかったらどうする?」
「その時は途中でやめようって思ってたよ。魔力の使いすぎは命に関わるってことは知ってるし、いくつか魔道具に魔力を注いで、一つでどれぐらい魔力が必要か見当ついてたし。……でも、その、心配かけてごめん」
申し訳なさそうな様子から、サヤ自身もわざとディザークに心配をかけさせようとしていたわけではない。
そこでようやくサヤの肩を思いの外、強く掴んでしまっていたことに気が付いた。
「すまない、強く掴みすぎた」
「大丈夫、ビックリしたけど痛くなかったよ」
サヤの肩から手を離したものの、その肩の薄さが掌に残っていて、ディザークは利き手を握り締めた。
こんな細い肩にディザーク達は国の命運を期待し、皇族の婚約者として引き入れ、聖竜の愛し子という立場と聖女の責務を負わせてしまった。
元々感じていた罪悪感が重く圧しかかる。
……サヤは元の世界では平民の娘だったという。
王侯貴族の教育も、国という重責も、何も感じず、きっと穏やかな両親に愛されて暮らしてきたのだろう。
正直でのんびりしたサヤの性格からもそれは察せられた。
握り締めた手にサヤが触れた。
「あの、驚かせちゃってごめんね。本当にわたしは大丈夫。これくらいなら問題ないから、聖女としての仕事もこれからもやっていけるよ」
こちらの心を読んだわけではないだろうが、その言葉にディザークは苦く微笑んだ。
ちなみに残りの魔道具全てにきちんと聖属性の魔力が充填されたことを確認し、その日のサヤの聖女としての初仕事は終わったのだった。
サヤの行ったことにマルグリット様は驚いていた。
魔力充填を長く続けてきたマルグリット様でも、一度にあれほどの数に魔力を注ぐのは難しいらしい。
「サヤ様は私よりも聖女としての格が上なのでしょう。これほどの魔力量と魔力操作が行えるのでしたら、次代の聖女も安泰ですわ」
と、使用人と共に喜んでいた。
それからサヤは数日に一度、登城して、魔道具への魔力充填という聖女の仕事を行うようになった。
本人は「誰でも出来る簡単な作業ですって感じ」と軽い調子で言っていたが、無理をしないように、サヤの予定や体調には気を配ろうと思うのだった。
* * * * *




