いやいや、側妃ってないでしょ。
皇弟殿下の婚約者として正式に発表してから三日。
特に何事もなく毎日が過ぎていく。
ペーテルゼン公爵令嬢に気を付けるようにと言われたものの、考えてみれば、わたしは宮から出ることなんてまずないし、出たとしても城内で、常に侍女と護衛がついている。
さすがの公爵令嬢も宮まで押しかけてくることはないようだ。
……まあ、来ても追い返されるだけだしね。
ここでの暮らしにも慣れて、ふと香月さんを思い出す。
……手紙を書くって言ったっけ。
机に向かい、封筒と便箋を取り出した。
「誰かに手紙でも出すのか?」
ソファーに座ってクッキーを食べていたヴェイン様に訊かれて、うん、と頷き返す。
「香月さん、ドゥニエ王国が召喚したもう一人の聖女なんですけど、香月さんと話したいなって思って。……でもこの世界の連絡手段って手紙だけなんだよね?」
「はい、手紙が主ですが、親しい間柄で距離が近ければ使用人に言伝をさせることもございます」
訊けば控えていたマリーちゃんが教えてくれる。
すっかり出来る侍女さんになってしまった。
以前の「はわわ〜っ」って感じのマリーちゃんが懐かしく感じる。気弱さはかなりなくなった。
でもたまに失敗すると、その名残りみたいなのが出てくるので、やっぱりマリーちゃんはわたしの癒しである。
ヴェイン様がクッキーを紅茶で胃に流し込む。
「会って話したいのか?」
「出来るならそうしたいですね。顔見て元気か確かめたいし、手紙だとやり取りに時間がかかりますから」
「それなら、会わせてやろう」
そう言って、ヴェイン様が立ち上がった。
……会わせてやろう、ってどういうこと……?
わたしのところへ来たヴェイン様に手を取られる。
わたしよりも大きな手だが、ディザークよりもすらりとして、爪の先まで丁寧に整えられた綺麗な手だ。
「会いたい人間を思い浮かべろ」
言われて、目を閉じて香月さんの顔を思い出す。
ストロベリーブロンドで、同色のカラーコンタクトをしていて、整った顔立ちは可愛くて、細身で……。
温かな魔力を感じてハッと瞼を開ければ、目の前に水の鏡のようなものが現れた。
そこにはこちらに背を向けた香月さんらしき人が映っている。
「香月さん……?」
思わず呼べば、鏡の中の人が振り返る。
「うん? えっ!? 篠山さん!!?」
慌てた様子で鏡の中の香月さんが近付いてくる。
驚いた顔で見つめられて、わたしも驚いた。
ヴェイン様を見上げれば「どうだ、凄いだろう?」と自慢げな顔をされたので頷き、香月さんに視線を戻す。
「えっと、手紙を書こうと思ったんだけど、それだとやり取りに時間がかかるでしょ? その話をしたら、魔法で繋げてもらえたみたいで……」
「これは我ほど魔力がなければ出来んがな」
「だって」
どうやら香月さんにはヴェイン様が見えていないらしく、香月さんは「そうなんだ……」と驚きつつも嬉しそうにわたしを見た。
「篠山さんに会えて嬉しい。この世界はスマホとかないから気軽に連絡取れないし、帝国では大丈夫かなって気になってたの」
香月さんはわたしが帝国に行った後、わたしがどのような扱いを受けていたか調べていたそうだ。
それで自分との扱いが違うことに本当にとても驚いて、同時に、後悔もしたと言う。
「あの時、もっと強く言えば良かった。篠山さんに会いたい、篠山さんと一緒がいいって言ってたら、あんな酷い扱いはされなかったかもしれないのに……」
「ありがとう。でも、今は帝国に来れて良かったって思ってるからいいの。ドゥニエ王国でああいう扱いをされてなかったら、きっと、わたしは帝国には来なかったと思うし」
その点はドゥニエ王国に感謝している。
それにあの件はドゥニエ王国の価値観というか、王国の人々の本性が見られたと思えば、これで良かったのだ。
香月さんもわたしへの扱いを知って、色々と思うところがあるようだ。
「あ、今、周りに誰かいる?」
香月さんに訊けば「ううん、いないよ」と返される。
声量を落としてこっそり話す。
「あのね、実は帝国のほうで適性検査を受けたんだけど、わたし、全属性持ちで香月さんと同じく聖女だって判断されたの」
「ええっ!!?」
香月さんが大声を上げた後、パッと口を押さえて振り返った。
多分、部屋の出入り口を確認したのだろう。
ややあってこちらへ顔を戻す。
「それ、本当?」
「うん、本当。香月さんの召喚に巻き込まれたんじゃなくて、わたしも聖女として喚ばれたんだと思う。だから香月さんも自分を責めないで」
「……そう、なんだ……」
ポロ、と香月さんの瞳から涙がこぼれ落ちる。
そのまま泣き出してしまった香月さんは、やっぱり、わたしを巻き込んだと思って自分を責めていたのだろう。
「わ、私、ずっと、篠山さんに、も、申し訳、なくて……。私の、せいで、篠山さん、の、人生、奪っちゃった、て、思って……っ」
「そうじゃないよ。わたしも召喚される運命だったんだよ。たまたま一緒にいる時に喚ばれただけで、もし別々でいても召喚されたんじゃないかな」
「ごめんね、何にも、良くないけど、良かった……っ」
「うん、香月さん、ずっとつらかったよね。早く伝えてあげられなくてごめんね」
「い、いいの、教えて、くれて、ありがとう……っ」
涙を拭い、香月さんが笑う。
その表情はどこかスッキリとしていて、よく教室で見かけていた明るい香月さんらしい笑顔だった。
少ししゃくりあげながらも香月さんがホッとしたように笑うので、わたしも大丈夫だと込めて笑みを浮かべた。
それから香月さんもこっそり訊き返してくる。
「全属性ってことは私より篠山さんのほうが優秀だってことだよね? ……もしかして、それ、もう公表した?」
わたしは首を傾げて「うーん」と小さく唸る。
「まだ正式には公表してないけど、今度周辺国の人達を招いて聖女の紹介を行うって言ってたから、もしかしたら各国の王族とか上の人には伝わってるかも?」
「……ここ数日、ヴィクトールの様子がおかしかったのってそれが原因かな……」
香月さんが眉を下げて言う。
「話してても上の空って言うか、不機嫌な時もあって、なんだか居心地悪くて……」
それに、あ、と思う。
同じ魔法で召喚されたわたしと香月さん。
ちょっと前までは魔法を使えないと思われていたわたしは、五属性持ちで聖女の香月さんと比べられて役立たずと言われてきた。
でも、そのわたしが実は全属性持ちの聖女だと判明した今、立場が逆転してしまうかもしれない。
たった一属性の差だけど、比べられる可能性は高い。
逃した魚の大きさに気付いて悔しがれと思ったが、それで香月さんの立場が悪くなるとは考えていなかった。
「しかも、なんか、変な噂も聞いちゃって……」
「変な噂?」
「うん、ヴィクトールには婚約者の公爵令嬢さんがいるんだけど、結婚したら、私を側妃に迎え入れるとか入れないとか……」
「はぁっ!? 側妃っ!!?」
驚きのあまり大声が出てしまった。
こちらの家庭教師に、歴史の授業で国王は正妃の他に側妃や愛妾を持つことも出来ると習っていたけれど、香月さんを側妃にするってどういうことだ。
つい手を振って否定してしまう。
「いやいや、側妃ってないでしょ」
「うん、ないよね。どう考えてもヴィクトールが私を好きだからって言うより、聖女を王国に縛りつけるための結婚なんだろうなってさすがの私でも分かるよ。それでもし結婚してくれって言われてもやだ……」
香月さんが不安そうな顔をした。
ドゥニエ王国の王族が勝手にそれを決めて、王太子と香月さんの結婚を強引に進める可能性もある。
そうなれば外堀から埋められて逃げられなくなる。
まさかとは思うが、わたしにされたことを考えればドゥニエ王国の常識や優しさを疑ってしまう。
「香月さんって夜会とかには出てる?」
「ううん、出てない。私、魔力の操作がちょっと苦手で、まだ上手く魔法が扱えないから、もっと聖女として力が使えるようになってから公の場に出るって話はされてるけど……」
「じゃあ人の多い場所には行かない?」
「えっと、騎士さん達の訓練を時々見に行くから、その時は周りに、同じように訓練を見に来た侍女さんとか他のご令嬢さん達とかがいるよ」
不思議そうな顔をされて、また声を落とす。
「それなら、周りに人が多い時に結婚についてそれとなく話してみたらどうかな? たとえば『元の世界に好きな人がいる』とか『王太子と結婚する気はない』とか、とにかく、結婚には反対してるって誰から見ても分かるようにしていたら、もし王族が無理に結婚をさせようとしても拒絶出来るし」
「でも王族だよ……? 私が嫌だって言っても聞いてもらえないかもしれない……」
……確かに王族の一言でどうとでも出来てしまうか。
わたし達の間に沈黙が落ちる。
マリーちゃんが「あの……」と控えめに声をかけてくる。
振り向けば、マリーちゃんが近付いてきて、そっと耳打ちされた。
その内容に「なるほど」と頷き返す。
「香月さん、あと一週間半くらい先のことなんだけど、帝国で新たな聖女を公表して、そのお祝いをするんだけど、その時にこっちに来てパーティーに出られないかな?」
「それって篠山さんが帝国の聖女になるってこと?」
「うん、お披露目パーティーだよ。そこに香月さんも出て、他国の目のある場所で結婚の意思がないことをハッキリと口に出せば、もしドゥニエ王国が無理に結婚させようとしたら、他国が介入してくれるかもしれない。どの国も聖女を欲しがってるから、いざとなれば保護してほしいって言えば他国に逃げられるかも」
香月さんはハッとした様子でわたしを見る。
「ドゥニエ王国から出るの……?」
それに頷き返す。
「さっきも言ったけど、聖女はどこの国からも望まれる存在だから帝国のパーティーで他の国の偉い人達と繋がりを作っておいて、逃げ道を用意したほうがもしもの時は心強くない?」
「…………」
香月さんが考えるように微かに俯いた。
黙っていたけれど、その頭の中で色々なことを考えているのは伝わってくる。
「……うん、そうだね、そのほうがいいかも」
顔を上げた香月さんは何か覚悟を決めたようだった。
「ヴィクトールに頼んでみる。でも、行けるかどうか分からない。……ううん、行けるまで粘ってみる。帝国の聖女が篠山さんなら『会いたい』って言えば連れて行ってもらえるかも」
「わたしのほうでもディザーク……皇弟殿下に話して、招待状とか、何か香月さんを招く方法がないかお願いしてみるよ」
「ありがとう、篠山さん」
そう言って香月さんは綺麗に笑った。
「この世界に来てから私はヴィクトール達の言うことに従って過ごしてたけど、これからはもっと、自分で考えて行動してみるね」
わたしも頷いて「そのほうがいいよ」と返す。
それから、ふと湧いた疑問を投げかけた。
「一応訊くけど、香月さんは王太子のこと、好き?」
「え、うーん……、どうなんだろう。嫌いではないけど、恋愛的な意味での好きって気持ちはないかな。最初は頼れる人だなあって思ってたけど、篠山さんのことを知ってから、ちょっと信用出来なくなってきたって言うか……」
困ったような顔でそう返されて、まあそうだろうな、という気持ちだった。
わたしだってもし香月さんと逆の立場だったとしたら、もう一人への対応の悪さとか、それを黙って放置していたこととか、変だなと感じている中で側妃の噂を聞いて疑心暗鬼になると思う。
……もし好きだったとしても側妃はない。
一夫一妻の日本で育ったわたし達からすると、一夫多妻というのは気持ち的にも受け入れがたいものだ。
「もし好きだったとしても側妃にはならないよ。好きな人に他にも奥さんがいて、自分は何人もいる奥さんの一人なんて多分耐えられないし」
「それは分かる。平等に愛してくれたらいいとか、そういう問題じゃないんだよね」
「うん、私は好きな人には私だけを見てほしいもん」
香月さんとうんうんと頷き合う。
「話は逸れたけど、とにかく、お披露目パーティーに香月さんを招けないか訊いてみるよ」
「私も行けるかどうか粘ってみる」
パーティーで香月さんに直に会えれば嬉しい。
それに、ドゥニエ王国のことは信用出来ないので、本当に王太子が結婚して、国王になった時に香月さんを無理やり側妃に迎え入れようとするかもしれない。
そうなった時に帝国や他の国との繋がりはあるということは、香月さんの強みになるだろう。
ヴェイン様から「そろそろ閉じるぞ」と言われて、香月さんと顔を見合わせる。
「ヴェイン様、また今度もこれを頼めますか?」
「うむ、それは構わんぞ」
「ありがとうございます。……ってことだから、香月さん、次また連絡する時もこれで繋げるね」
「うん、でも出来れば夜のほうがいいな。昼間は魔法の訓練とか授業とか、色々あるから」
「分かった、気を付けるね」
香月さんとの間に沈黙が落ちる。
この世界に召喚された者同士、離れた場所にいるので、なんとなくこのまま終えてしまうのが名残惜しかった。
「えっと、じゃあ、またね」
手を振れば、香月さんも手を振ってくれる。
「うん、またね、篠山さん」
ヴェイン様が手を軽く振れば、水の鏡はふわっと消えてしまった。
それに、少しだけ寂しい気持ちになる。
……ううん、寂しがってる暇はない。
両手でぴしゃりと頬を叩いて気合を込める。
「ディザークに手紙を送りたいんだけど、書いたら急ぎで持って行ってもらえるかな?」
「かしこまりました」
香月さんに出すつもりで並べていた便箋と封筒に向かう。
この世界に召喚されて良いところは、言葉が通じることと、読み書きも問題なく出来る部分である。
羽ペンだけはまだまだ慣れないが、ペン先をインクに浸し、ディザーク宛に手紙を書き始めたのだった。




