ありがとう、マリーちゃん。
マリーちゃんから話を聞いた後。
わたしは考える時間がほしくて、一人にしてもらった。
そのことにマリーちゃんは嫌な顔一つせず、それどころか「こ、こちらにお飲み物を用意しておきますね」と飲み水らしきものを置いて、部屋を出て行ってくれた。
隣室にメイドさん用の控え室があるようで、マリーちゃんはそこにいるらしい。
……いい子だなあ。
この部屋はわたしにあてがわれた場所らしいので、ここにあるものは好きに使っていいそうだ。
クイーンサイズのベッドに寝転がる。
思いの外ふかふかだった。
なんとなくスカートのポケットを探ってしまい、そこにスマホがないことに気付いてがっかりした。
そういえばあの時、机の上に置きっぱなしにしていた。
家族や友人との思い出の写真すらもう見られない。
じんわりと涙が滲んできて、それを手の甲で拭う。
でも、後から後から涙があふれてくる。
まだ実感はないくせに、会えないと思うと、急に寂しくなった。
聖女じゃないなら帰してほしい。
香月さんだってそうだ。
いきなり誘拐されて、この国の人のために働いてくれなんて、そんなの、形だけのお願いであって、実際には脅しみたいなものだ。
もし断れば、きっとわたし達は生きていけない。
いきなり放り出されても、この世界で、右も左も分からない状態でなんとかなるとは思えない。
……悪質だ……。
やけに豪華な天蓋をジッと見上げた。
……なんか、凄くムカつく……。
泣いたって今の状況が変わるわけじゃない。
ぐいと涙を袖で拭う。
そもそも、わたしは何で聖女じゃないと判断されたのだろうか。
あの場にいた人達は誰もが香月さんを見ていた。
上半身を起こして考える。
……目に見える何かがあるとか?
今度は自分の掌を見つめてみる。
この世界には魔法があるらしい。
魔法なんてどうやって使うのだろうか。
掌に意識を集中させてみたけれど、何も起こらなかった。
「そんな簡単に使えるわけないかあ」
とにかく情報や知識を集めよう。
あの王太子とかいう男性の冷たい眼差しを思うと、いつまでここにいられるか分からないし。
突然追い出される可能性もある。
まずはこの世界や国とか、あと常識とかも知っておかないと。
その辺りはマリーちゃんに訊いてみよう。
もし出来たら本とかも読んでみたいが、この世界の文字を読めるかどうかも分からないし、そうなったら文字も習う必要がある。
「やれることはやってみよう」
今はくよくよしてる時間はない。
ひょいとベッドから立ち上がって、手櫛で髪を整えつつ、マリーちゃんのいる部屋の扉を叩いた。
すぐにマリーちゃんが出てくる。
「お、お呼びですか、サヤ様」
うん、と頷いた。
「マリーちゃん、明日からこの世界の常識とか、文字とか、色々教えてほしいんだけど、いいかな?」
と、訊けば、マリーちゃんが驚いた顔をする。
「え、わ、私でいいのでしょうか……!? お願いすれば、きちんとした教師をつけていただけると思いますが……」
「私はマリーちゃんがいいな。ほら、いきなり習っても難しいし、最初にマリーちゃんからある程度教わってからの方が安心でしょ?」
マリーちゃんは戸惑っていたけれど、改めてお願いすると頷いてくれた。
そうしてあれこれと話をしているうちに、外は真っ暗になり、マリーちゃんが部屋の各所にあるランタンみたいなものに明かりを灯した。
それは魔法らしく「『炎よ灯れ』」とマリーちゃんが唱えると、ポッと手元に小さな火が現れた。
「うわあ、魔法だ……」
思わずまじまじと見たわたしに、マリーちゃんが「あ」と振り返る。
「サヤ様は魔法を見るのは初めてでしたか……!?」
それに頷き返す。
「うん、面白いね。わたしも魔法って使えるかな?」
「ええっと、その、サヤ様は使えないと思います……」
「え、なんで?」
香月さんが聖女、つまり聖属性の魔力を持つなら、同じ世界の人間のわたしだってなんらかの魔力は持っているのではないだろうか。
しかしマリーちゃんが眦を下げる。
「サヤ様からは魔力を感じません……。だから、多分、サヤ様は魔力をお持ちではないのかと、思います……」
「え」
……わたし、魔法も使えないの?
それこそ本当にただの厄介者ではないか。
さすがにちょっと落ち込んでいると、マリーちゃんが慌てた様子で声をかけてくる。
「で、でも、魔力がない人や少ない人の方が多いですから! 魔力持ちは大抵王族や貴族、豪商などだったりしますし!」
わたしは平民の仲間って感じなのか。
……いや、まあ、実際そうですけど?
「まあいいや、どうせわたしの世界には魔法なんてなかったし、使えないならそれでもいいよ」
ちょっと残念だけど魔力がないなら仕方ない。
「あ、そ、そうです、そろそろお夕食はいかがですか? えっと、湯浴みも出来ますっ」
話を逸らそうとしているのを感じて、わたしもそれに乗っかることにした。
「じゃあ湯浴みをしてもいいかな? 食欲はないから、今夜はいらないと思う」
「わ、分かりました、すぐに準備します……!」
そうしてマリーちゃんが入浴の準備をしてくれた。
入浴のお世話を、と言われたけれど、それは丁寧に断っておいた。
他人に体を洗ってもらうなんて恥ずかしすぎる。
シャワーがなくて、体や髪をそれぞれ専用の石鹸で洗ったら、浴槽の湯を掬って流す。
それから湯船に浸かった。
……異世界でもこうしてお風呂に入れて良かった。
落ち込んでいた気持ちが少しだけ浮上する。
浴槽から出て、タオルで髪や体を拭い、バスローブを着て部屋に戻る。
制服はともかく、下着だけは洗ってもらうことにした。
部屋から出ないならバスローブだけでも、ちょっと心許ないがいいだろう。
「あ、か、髪を乾かしますね……!」
椅子に腰かけたわたしの後ろにマリーちゃんが立って、また魔法の詠唱らしきものを行うと、手から温風が出た。それで髪を乾かしてくれる。
……ドライヤーみたいだなあ。
その後に丁寧にブラシで髪を梳いてもらった。
誰かにこうして世話をしてもらうなんて久しぶりだったので、じんわりと切ない気持ちになった。
「は、はい、終わりました」
「ありがとう、マリーちゃん」
「いえっ、そんな、大したことではないですからっ。あ、明かりはまだつけておきますかっ?」
「ううん、もう消しちゃっていいよ」
マリーちゃんは新しい飲み物を用意して、明かりを消して回ると、最後にぺこりと一礼して控え室に下がっていった。
それを手を振りつつ見送って、扉が閉まった後、立ち上がってベッドへ向かう。
ぼふ、とベッドへ寝転がった。
……あー、頭の中ぐちゃぐちゃ……。
靴を適当に脱いで、シーツの海に潜る。
いろいろと考えなくちゃいけないこともあるし、これからどうなるとか不安も大きいけど、とりあえず、今は寝る場所には困らない。
眠れないかと思ったが、横になると眠気がやってきて、わたしは目を閉じた。
………………疲れた……。
* * * * *
翌朝、優しく肩を叩かれて起こされた。
目を覚ました時、自分がどこにいるのか分からなくてぼうっとしてしまったが、マリーちゃんに声をかけられて思い出す。
「お、おはようございます、サヤ様」
……ああ、そっか、異世界に来ちゃったんだっけ。
「おはよう、マリーちゃん」
ベッドから起き上がり、縁に腰かける。
マリーちゃんがサービスワゴンらしきものを押して、わたしの前へ持って来た。
上には陶器の洗面器が置かれており、中に水が入っているようだった。
「こちらで、お顔を洗ってください」
言いながら、マリーちゃんがわたしの髪を軽く纏めてくれたので、ありがたく顔を洗わせてもらった。
水かと思ったが洗面器の中身はぬるま湯で、心地が良い。
ぱしゃぱしゃとそれで洗顔すれば、マリーちゃんが持っていたタオルでそっと、丁寧に顔を拭ってくれる。
「す、すみません……、本当なら化粧水をつけたり、お化粧をしたりするのですが、手に入らなくて……」
しょんぼりと落ち込むマリーちゃんに笑う。
「化粧水はあったら嬉しいけど、お化粧はしなくていいよ。どうせ普段からしてないし。……あ、それより着替えとか、あるかな……?」
「そ、それなのですが、すぐには用意出来ないとのことで、その、わ、私のもので恐縮なのですが……!」
と、マリーちゃんが服を差し出した。
ずいと目の前に出されたそれを思わず受け取る。
「え、いいの? 服借りちゃって大丈夫?」
マリーちゃんが何度も頷いた。
「は、はい、大きさが合わなくて着ていなかった服なので。でも、一昨年のものなので、今年の流行りからは外れてしまっていますが……。それに地味ですし……」
服を広げてみれば、可愛いワンピースだった。
柔らかなモスグリーンで大きな襟と袖は白で、黄色のラインが入っている。胸の下辺りでキュッと絞ってあり、膝下くらいまでの丈だろう。正面は胸元から下まで黄色のリボンが真っ直ぐ一列に並んでおり、全体的に普通に可愛い。
……これで地味なの?
他にも重ね穿きするのだろう白いスカートもあって、そちらは裾がちょっとだけギザギザのレースになっている。
「し、下着だけは新品のものをご用意いたしました!」
別に差し出された下着は、なんというか、裾を絞ったハーフパンツみたいな形をした白いものだった。
……なんだろう、このそこはかとないダサさ。
その下にはロング丈の薄いタンクトップみたいなものがあって、胸の部分は厚めに作られている。あと胸の下辺りがぐるっと厚手になっていて、紐がある。なんだかコルセットみたいだ。
それらを手に困っていると、マリーちゃんが服をベッドに置いた。
「その、お着替えを手伝わせていただいても……?」
控えめに訊かれて、頷いた。
「うん、どれがどういうものか説明しながら手伝ってくれる?」
「はい、かしこまりました……!」
まず、ハーフパンツみたいなのはパンツだった。
ドロワーズというらしい。
なんか聞いたことがあるなと思った。
それからタンクトップみたいなのもやっぱり下着で、胸の下部分の厚手もやっぱりコルセットであった。
その紐をマリーちゃんに容赦なく絞られた。
「腰が細いほど美しいと言われております……! サヤ様は細身で羨ましいです……!」
……それならそんなに絞らないでほしい。
がっつり紐で絞られて、その上から白いスカートを穿いた。どうやら布地が重ねてあるようで、穿くと裾がふんわり広がる。
その上に更にモスグリーンのワンピースを着る。
ややコルセットが苦しいけれど、可愛いと思う。
「そ、それでは朝食を取りに行って参りますっ」
髪も纏めるか聞かれたけれど、このままでいいと返せば、マリーちゃんはそう言って洗面器の載ったサービスワゴンを押しながら出て行った。
壁にかけられた鏡で格好を確認する。
……わたしにはちょっと可愛すぎるかも?
でも、これで地味らしいので、この世界ではもっと華やかな服が人気があるのかもしれない。
しかしゴテゴテに着飾るのはあんまり好きではないし、これくらいで丁度いい気がする。
鏡から離れて、鏡台の前に座り、ブラシで髪を梳く。
……今日はどうしようかな。
このまま部屋に閉じこもっていても意味はないので、出来れば、部屋の外に出てみたい。
髪を梳き終えて窓辺に寄る。
窓の外にはバルコニーがあったので、鍵を開けて、そこへ出てみた。
それからわたしがいた建物を振り返る。
……やっぱりお城だ。
眼下に街が広がっていて、外壁なども見えたので、そうだろうとは思っていたけれど、わたしがいたのはお城だったようだ。
むくむくと好奇心が湧いてくる。
……よし、出歩いていいなら、お城の中を見て回って、ついでに色々と情報を集めてみよう。
そんなことを考えていると部屋からわたしの名前を呼ぶ声がした。マリーちゃんの声だ。
部屋に戻れば、わたしを見つけたマリーちゃんがホッとした顔をする。
けれども、すぐにしょんぼりと肩を落とした。
「サヤ様、申し訳ありません……」
謝罪されて首を傾げた。
「何が? どうかしたの?」
「その、お食事のことなのですけれど……きちんとしたものを用意していただけなくて……」
申し訳なさそうに言われて、わたしはサービスワゴンを見た。
そこにはパンとスープ、ちょっとしたサラダと少しの肉があるだけだった。
「酷いんですよ! サヤ様だって召喚された方なのに、こんな、使用人の食事の残りみたいなものだなんて!!」
怒るマリーちゃんに、まあまあ、と声をかける。
「もらえるだけマシじゃない? わたしは聖女様じゃないんだし、お金をかけたくないっていうのも分かるしね」
それでも、召喚した以上はきちんと責任を取るべきだとは思うけれど、ここでマリーちゃんを責めるのは違う。
マリーちゃんが潤んだ目で「サヤ様……」と見てくる。
「とりあえず、食事にしよう。あと、出歩いてもいいのかな?」
「は、はいっ。城内は立ち入り禁止の場所もありますが、それ以外なら問題ないと思います……!」
「じゃあお城を案内してもらえる? わたし、お城って初めてだから、せっかくだし、いろいろ見て回りたいな」
マリーちゃんが大きく頷いた。
「わ、私でよろしければご案内いたします……!」
マリーちゃんに「うん、よろしくね」と言う。
朝食は冷たかったが、味は悪くはなかった。