ごめん、来ちゃった。
* * * * *
婚約発表の翌日、朝食の席で顔を合わせたサヤはとても眠たそうだった。
よく見れば目元に薄らとクマが出来ており、ふあ、と欠伸をこぼしたり、目をこすったりしている。
「眠れなかったのか?」
朝食を食べつつ訊けば、頷き返される。
「んー……、昨日のことで色々考えてたら眠れなくって、そのうち朝になっちゃった」
「あの無礼な令嬢については兄上が調べてくれているだろう。何か分かったら教えよう」
「うん、お願い」
言いながら、また、ふあ、と欠伸をこぼしている。
「……あとで昼寝でもしようかな」
さすがに何度も欠伸している自覚があったようで、そうこぼしたサヤにディザークも頷いた。
「そのほうが良さそうだな」
うん、と頷きながらもサヤが口元を隠す。
サヤはよほど眠いのか、半分ほどしか食事を食べなかったが、それでも城へ向かうディザークの見送りをしてくれた。
宮での暮らしにサヤがだいぶ慣れたこともあって、今日からは普段通り城のほうで仕事を行うことになっているのだが、サヤの様子が少し気がかりである。
馬車に乗り、城へと向かう。
車窓を眺めつつ、考える。
……昨夜も少し様子がおかしかった。
いつもならばディザークが話がしたいと言えば二つ返事で頷いてくれるのだが、昨夜は「疲れたから」と言ってさっさと休んでしまった。
慣れない舞踏会で疲れたというのはあるだろうが、それだけではない気配もした。
昨夜見た時、何か考えているような様子だったのだ。
だが、疲れていると言うサヤを無理に引き留めるわけにもいかず休ませたが、結局、眠れなかったらしい。
悩みごとがあるならば聞かせてほしいと思う。
……いや、それはサヤが決めることだ。
サヤ自身もこの世界に来て、帝国に来て、考えることも多いだろう。
ディザークはサヤを見守るしかない。
そうして、もし助けが必要だったり、相談を受けることがあるならば、その時はディザークに出来る限りのことをするつもりだ。
……それくらいしか、俺はしてやれん。
馬車が停まり、ディザークは外へ出た。
そのまま自分の執務室へ向かった。
執務室へ着き、扉を開ければ、既にアルノーがいた。
「おはようございます、ディザーク様」
かけられた声にディザークは頷いた。
席に着いて、溜まっている書類に手を伸ばした。
とにかく今は仕事に集中せねば。
* * * * *
「……んぇ?」
ドタリと衝撃を受けて目が覚める。
何故か視界に床が見える……。
起き上がろうとするとシーツが絡みついていて、なんとかもぞもぞと動いて腕を出す。
絡まったシーツを解きながら上半身を起こす。
……あ、ベッドから落ちたのか。
視界を邪魔する髪を掻き上げて部屋を見回した。
眠る前と今とで変わっている部分はない。
風通しを良くするためか、開け放たれた窓からは心地の良い風が入り、レースのカーテンを揺らしている。
しばしぼんやりとして、ふっと昨日の夜のことを思い出した。
……ほんとにああいうこと、あるんだなあ。
女性向けのファンタジー小説なんかでよく見かける、舞踏会に出た主人公が意地悪で飲み物をかけられるというアレ。
現実でそんなことをすれば、どう考えてもかけた側が悪くなるというのに。
しかもわたしの場合はヴェイン様が防いでくれたので、実質、何も被害を受けていない。
……それに……。
ディザークが庇おうとしてくれた。
頬が熱くなって、解いたばかりのシーツに包まって床に寝転がる。
今更ながらにディザークに抱き締められたことが気恥ずかしくて、言葉にならない気持ちが込み上げてくる。
ゴロゴロと左右に転がって湧き上がる羞恥心を殺してから、溜め息が漏れる。
…………結構、力強かったなあ。
なんて考えてしまって余計に顔が熱くなる。
起き上がって何度か首を振り、シーツから出て、ベッドに座る。
時計で時刻を確認したが、寝てから一時間ほどしか経っていなかった。
サイドテーブルに置かれていたベルを鳴らす。
すると、すぐに部屋の扉が叩かれて、リーゼさんとノーラさんが入ってきた。
よく似た双子なので並ぶとお人形さんみたいだ。
「お昼寝はもうよろしいのですか?」
リーゼさんに訊かれて頷く。
「うん、なんか目が冴えちゃった。……今日はディザークは何時頃に帰ってくるかな?」
「普段はお夕食の前か、それより少し後ぐらいにお戻りになります」
……って言うと午後の七時か八時くらいか。
この宮にディザークがいないと思うだけで、なんとなく落ち着かない。
これまではいつでも話せるよう宮にいてくれたが、わたしがここでの暮らしにだいぶ慣れてきたので、ディザークは元通りお城で仕事を行うことになった。
今日はわたしは授業がない。
初めて舞踏会へ出た次の日だからと元から何も予定を入れずに空けておいたのだ。
リーゼさんが乱れた髪を整えてくれる。
……………………。
「あの……」
「はい、何でしょう?」
「ディザークに会いに行ったら、ダメ、かな……?」
リーゼさんが「あらまあ」と微笑んだ。
「でしたら、ディザーク様にご昼食を持って行かれてはいかがでしょう? 騎士達も時折、婚約者の方々が差し入れを持って訪れることがございます」
「そうなんだ」
「料理長に伝えれば、今からなら、丁度ご昼食の時間に間に合うと思います」
リーゼさんがニコニコしながら言う。
「急に行って、迷惑じゃない?」
「よくあることですから迷惑にはならないと思います。それに差し入れを出来るのは婚約者の特権です」
何故かわたしよりもリーゼさんのほうがワクワクしているようで「どうなさいますか?」と問われて、少し考えた。
……迷惑じゃないなら、行きたいかも。
「……行きたい」
わたしがそう答えると、リーゼさんが笑顔で頷く。
「ではすぐに料理長に伝えて参りますね。ノーラはサヤ様のお出かけの準備をしてちょうだい」
「分かった」
……ディザーク、驚くかな?
想像すると笑みが浮かぶ。
そういえば、自分の意思で宮の外に行きたいと思うのは、帝国に来てから初めてのことだった。
* * * * *
ディザーク様の様子がおかしい。
アルノー・エーベルスは自身の仕えるべき主君をこっそりと見ながら思った。
仕事は真面目にこなしているが、その進み具合はいつもよりやや遅く、ふとした時にぼんやりとして手が止まっていることがある。
常に仕事中はそれだけに没頭するディザーク様らしくない。
明らかに、何かに気を取られてる。
……また手が止まっていらっしゃる。
見てると目が合った。
「……アルノー、茶を頼む」
ぼんやりしていた自覚があるのか、誤魔化すように目を逸らして言葉をかけられる。
「了解です」
アルノーが立ち上がった時、部屋の扉が叩かれた。
ディザーク様が「誰だ」と声をかければ、騎士が来客を連れて来たと告げる。
立ち上がったついでにアルノーは扉に近付き、開け、来客を確認した。
そこにいる人物を見てアルノーは全てを理解した。
「誰が来た?」
ディザーク様の声に扉を開けつつ、横へ避けた。
そうすれば、ディザーク様から来客が見える。
「ごめん、来ちゃった」
少し照れた様子で来客、ディザーク様の婚約者であるサヤ・シノヤマ嬢が微笑んだ。
その登場に驚いたのかディザーク様の手から書類が落ち、酷く驚いた顔をされる。
「サヤ? どうしてここへ……?」
驚きと困惑の入り混じったディザーク様の問いにシノヤマ嬢は曖昧な笑みを浮かべたまま、ここまで案内しただろう騎士に礼を述べて、部屋に入ってきた。
侍女だろうツインテールの女性も一緒である。
一度仕事に取りかかったら、なかなか席を立たないディザーク様が珍しく席を立ち、机を回ってシノヤマ嬢のところへ歩み寄る。
当たり前のように差し出したディザーク様の手に、シノヤマ嬢が自身の手を重ねた。
「えっと、お昼はもう食べた? その、宮から昼食を持ってきたの。それと午後の休憩時間に食べられるお菓子も。差し入れ、迷惑だったかな?」
「いや、迷惑ではないが……」
「そっか、良かった」
ホッとした顔をするシノヤマ嬢とは裏腹に、ディザーク様はまだ理解出来ていない様子で目を瞬かせている。
「あ、お茶の用意をして参りますね〜」
そう声をかければ「お手伝いいたします」と侍女がこちらに来る。
もちろん、二人きりになるので何か起きてもすぐに止められるように扉は少し開けたまま、アルノーは侍女と隣室へ移動した。
紅茶を淹れるくらいなら出来る程度の簡素なキッチンで、アルノーと侍女は黙々と茶葉やカップを用意する。
静かなので隣室の話し声が聞こえてくる。
「いきなり押しかけちゃってごめんね」
「それは構わないが、宮で何かあったのか?」
……ああ、ディザーク様鈍すぎる!!
シノヤマ嬢が帝国に来てからディザーク様はずっと宮で仕事をしておられた。
つまり、お二人はそば近くで過ごされてきたのだ。
だが今日からディザーク様は城で仕事をするようになった。
物理的に距離が離れて、宮に残されたシノヤマ嬢がそれを何とも思わないはずがない。
異世界から召喚されたシノヤマ嬢にとって、帝国で最も頼れるのはディザーク様だけで、そのディザーク様が離れれば不安に感じるのも無理はないだろう。
「何もないよ。ただ、ディザークが宮にいないんだなって思ったら落ち着かないって言うか、その、寂しいって言うか、急にディザークに会いたくなっちゃった」
シノヤマ嬢の素直な言葉にディザーク様の「……そうか」という声が聞こえてくる。
その声は冷たく聞こえるが、実際は照れていらっしゃるのだろう。
隣にいる侍女は無表情だけれど同じように隣室の会話に耳を傾けているのが感覚で分かった。
そのせいかアルノーも侍女も極力物音を立てず、より、隣室の声が聞きやすくなる。
「確か、今日は授業がないのだったな?」
「うん、昨日の舞踏会で疲れるだろうから今日だけは入れないでもらってるよ」
「それなら今日はここにいれば良い」
ディザーク様の言葉に「よく言った!」と心の中で拍手を送る。
以前、婚約者候補達がいた頃はそれはもう毎日代わる代わる候補の令嬢達が差し入れを持って来て、ディザーク様はそれを心底鬱陶しがっていたし、居座られて不機嫌になっていた。
仕事中に他者に話しかけられるのが嫌だと前にこぼしていたが、シノヤマ嬢については良いらしい。
……まあ、シノヤマ嬢はお喋りではないし。
ドゥニエ王国にいた時にディザーク様のそばについて見ていたが、シノヤマ嬢は令嬢達のような姦しさはない。
けれども無口ではなく、ほどほどに会話をしていた。
話しかけるのはシノヤマ嬢が多いけれど、ディザーク様から話しかけることもあり、わりとお二人の仲は良いほうだと思う。
「え、いいの?」
少し驚いたシノヤマ嬢の声がする。
「わたしが見ちゃいけない書類とか、ない?」
「基本的にそういったものはない。そもそも、ここに座っていたら書類の文字などそうは見えんだろう」
「……確かにそうかも?」
シノヤマ嬢の声に微かに笑いがまじる。
「でも、そんなこと言うと帰りまでずっといるかもしれないよ?」
それにディザーク様がすぐに返事をする。
「好きなだけいればいい。お前は俺の婚約者だ。遠慮する必要はないし、これからもやりたいことがあれば言え。全ては叶えてやれないが、俺に出来ることは叶えてやりたい……と、思っている」
……そう、そうです、ディザーク様!
シノヤマ嬢がディザーク様のことを好意的に思っているのは感じていたけれど、やはりディザーク様もシノヤマ嬢のことは少なからず想っていらっしゃるようだ。
これまで女性に全く興味を示さなかったので色々と心配していたが杞憂だったらしい。
「そういうこと言うと我が儘放題になるよ?」
「ふむ、たとえば?」
「え? んー、たとえば『今日は授業受けたくない!』とか『なんにもしないでダラダラ過ごしたい!』とか? あ、あとは『三食オヤツがいい!』とか?」
「三食菓子はどうかと思うが、授業が進めばそのうち教える事柄が減って授業時間も少なくなるだろう」
「そこはわたしの努力次第ってこと? まあ、三食オヤツは逆に飽きちゃいそうだから多分言わないけど、休むために努力するっておかしくない?」
「確かにな」
ディザーク様の声に笑いがまじった。
仲良さそうな会話がポンポンと飛び交っている。
横から「……ふふ」と微かな笑い声がして、チラと見れば無表情だった侍女の口元が僅かに微笑んでいた。
……もう少しゆっくり茶の用意をしよう。
のんびりと動くアルノーに侍女も気付いたようで、共にキッチンの前に立って隣室の声に耳を傾けた。
「授業は褒めてもらえるから頑張れるけど、ずっと頑張るには気力が続かないし」
「授業で一定の成果をあげたら褒美を与えるのはどうだ? そうすればやる気が出るだろう」
「ご褒美制度いいね! なんでもいいの?」
「よほど高価なものでなければな」
楽しげな会話が続くのを聞きながら、アルノーは侍女と共に出来る限りゆっくりと茶の用意をして二人の時間を引き延ばしたのだった。
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