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………………あれ?

 



 それからはとにかく大変だった。


 いや、大変なのはディザークだろう。


 色々な人に話しかけられ、名乗ってもらったが、残念ながら全員を覚えるのは無理である。


 ただでさえ横文字の名前で長いのに、そこに爵位もくっついていて、人によっては役職らしいものもあって、顔と名前を一致させることすら難しい。


 わたしはディザークの横で本当に微笑んでいただけだ。


 時々、話しかけられても微笑んで曖昧な返事をするだけで、受け答えはディザークがしてくれた。


 あとヴェイン様がすごく女性に人気だった。


 ……まあ、この見た目だしね。


 皇帝陛下やディザークも美形だが、それよりも更に整った顔立ちは目を惹くし、初めて見た人ならば思わず見惚れてしまうだろう。


 わたしも最近やっと慣れてきたくらいだ。


 だが、それでヴェイン様と付き合いたいとか結婚したいとかは思わない。


 あれだけ美形だと、そういう感情すら湧いてこない。美術品みたいな感覚だ。鑑賞するだけで十分である。


 人々からの挨拶が終わってホッと一息をつく。




「少し座るか?」




 ディザークの言葉に頷いた。


 コルセットもきついし、ずっと立ちっぱなしで足も疲れたし、知らない人々に囲まれて話しかけられて気疲れしてしまった。


 ディザークに促されて、舞踏の間の目立たない位置に移動し、そこに置かれた椅子に腰を下ろした。


 座ると少し肩の力が抜ける。


 わたしを座らせてくれたが、ディザークは立ったままだ。




「ディザークは座らなくて平気?」


「ああ、俺は問題ない」




 通りかかった給仕の人に声をかけ、飲み物を受け取ると、差し出された。


 一瞬ワインに見えたが、匂いを嗅いでみるとアルコールらしきものは感じられなかった。ただのブドウジュースのようだ。


 囲まれている間は飲み物を飲む余裕もなかったので、一口飲むと喉の渇きを感じ、二口、三口と飲み進める。


 ディザークもグラスに口をつけていた。




「わたし達は踊らなくていいのかな?」




 舞踏の間の中央では、音楽に合わせて複数人の男女が踊っている。




「まだダンスは習っていないだろう。……まあ、本来ならば踊ったほうが良いが、無理に踊る必要はない」




 わたしの視線に気付いたのか、ディザークもダンスを楽しんでいる人々へ目を向けた。


 なんとなく二人で眺めていると声をかけられた。




「皇弟殿下にご挨拶申し上げます」




 振り向けば、そこには美しい女性がいた。


 年齢はわたしよりいくつか上で、目を惹く金髪に青い瞳をした整った顔立ちはしっかりと化粧が施されている。豊満な胸に細い腰がドレスの上からでも分かった。美女である。


 数人、後ろに貴族の令嬢がいた。


 ディザークが「ああ」と返事をする。




「お久しぶりでございます、ディザーク殿下。この度はご婚約、お祝い申し上げます。突然のことで驚きましたが、殿下の婚約者となられる方ですから、きっと、とても素晴らしい才をお持ちなのでしょう」




 にこやかに話しているけれど、一度もわたしのほうを見ずに、女性はずっとディザークだけに視線を向けている。


 ディザークが手を差し出してくるので、それに自分の手を添えて立ち上がる。




「そうだな、サヤには驚かされてばかりだ」




 ふっとディザークが思い出し笑いを浮かべた。


 それに女性達が少し驚いたような顔をする。


 ……そうだよね、ディザーク、滅多に笑わないから驚くよね。




「……まあ、そうなのですね」




 そこでやっとわたしへ視線が向けられる。


 ジッと見つめられてとりあえず微笑む。


 微妙な沈黙が続いて、それに焦れたのか、女性が口を開いた。




「わたくしはペーテルゼン公爵家の長女バルバラ・ペーテルゼンと申します。以前はディザーク殿下の婚約者候補でもありましたの。どうぞ、仲良くしてくださいまし」




 婚約者候補だったとわざわざ言う必要はあるのだろうか、と思っているとディザークが返した。




「先ほどの陛下の話で知っているだろうが彼女はサヤ・シノヤマ、ドゥニエ王国の召喚の儀で喚ばれた異世界人だ」


「では知らないことも何かとございますでしょう。よろしければ社交界のことなど、わたくしがシノヤマ様に色々とお教えいたしましょうか? 女性同士のほうが話しやすいこともありますもの」


「いや、家庭教師を雇っているからその必要はない。そもそも無理に社交をさせるつもりはないし、サヤは別にやるべきことがあって忙しい身だ。そのようなこともあまり好まないだろう」




 ディザークの言葉に「まあ!」とわざとらしいほど驚いた顔で女性が口元に手を当てた。




「殿下の婚約者ともあろう方が社交をしないなんて……。皇族となる者としての責務の放棄と取られかねませんわ」


「皇后陛下や皇太子妃ならばともかく、皇弟にすぎない俺の婚約者などさしたる責務もない」




 ディザークがばっさりと切り捨てる。


 すると女性の視線がわたしへ向けられた。




「シノヤマ様はどのようにお考えなのでしょう? 皇弟殿下の婚約者として、社交や公務などには率先して参加するべきだとは思いませんか?」




 チラとディザークを見れば、眉間のしわが少し深くなった。


 わたしは微笑みを浮かべて頷いた。




「確かに、皇族となるならばきちんと公務は行わなければいけませんね」


「そうですわよね、シノヤマ様は社交に不慣れでしょうから、わたくしのように長けた者がお教えするのがよろしいでしょう?」


「ええ、ですが、わたしにはわたしの立場というものがあります。皇帝陛下はそちらを優先し、公務は最低限で良いとおっしゃってくださいました」




 三食昼寝付きで公務も最低限でいい。


 そういう約束でこの帝国に来たのだ。


 ……まあ、聖女になるから皇族の公務は最低限だけど、聖女の仕事はやらなきゃいけないんだよね。


 つまり社交に関してはしなくていいはずだ。


 家庭教師の先生が言うには、女性同士の社交は貴族間での情報交換や顔繋ぎなどらしいが、わたしがそのようなことをする必要はない。




「それに、今はこの世界での新しい生活に慣れることで精一杯ですので、社交をする余裕がありません」




 困ったように言えば、ディザークが「気にするな」と助け船を出してくれた。




「突然別世界に喚び出されたのだから仕方がない」


「……そうですわね、わたくしの配慮が足りず、申し訳ございません。もし今後社交界に出るご予定がございましたら、わたくしにお声をかけていただければ、ご協力いたします」




 女性はにこやかに微笑んでいるけれど、その目は微塵も笑っているようには見えなかった。




「お気遣いありがとうございます」




 ……もし社交をすることになったとしても、絶対、声はかけないけどね。


 なんだかわたしを自分のところに引き込みたがっているように感じるし、ディザークが再三断っているのにわたしへ話を振ってくるし、親切そうな言葉とは裏腹に嫌な感じがするし、あまり関わらないほうが良さそうだ。


 女性は丁寧に一礼すると他のご令嬢達を引き連れて離れていった。


 ディザークが小さく息を吐く。




「すまない、嫌な思いをさせたな」


「ううん、大丈夫。婚約者候補だったって言ってたけど、まだディザークに未練がありそうだったね」


「俺ではなく『皇弟の妻』という座がほしいだけだ。ペーテルゼン公爵令嬢は俺の婚約者選定が先延ばしになった時、最も反対していたし、その後も事あるごとに俺に近付こうとして鬱陶しかった」


「なるほど」




 向こうは皇弟殿下ディザークの婚約者、やがてはその妻の座に立ちたくて必死にすり寄ろうとしたけれどディザーク本人からは嫌がられていたようだ。


 ここでは休めないからと話しながら場所を移動していると、横からスッと人影が飛び出してきた。


 ほぼ同時にグイと腕を引っ張られる。


 スローモーションのように見えた視界の中で、横から飛び出した女性の手が持っていたグラスがこちらへ傾けられるのが分かった。


 中身は赤いのでブドウジュースかワインだろう。


 どう足掻いてもドレスにかかってしまう。


 ……赤いドレスだし目立たないかな。


 でもそれはわたしの顔にまでかかりそうな勢いで、思わずギュッと目を閉じる。


 温かい何かに包まれて、パシャリと液体のかかる軽い音がした。女性の「きゃあっ!?」という悲鳴も上がる。


 ………………あれ?


 予想していた飲み物のかかる感触がない。


 目を開ければ、すぐそばに赤い液体まみれの女性が立っていた。


 ドレスが淡い黄色で、赤い液体を正面からまともに浴びてしまい、可愛らしいドレスの前面と顔が濡れてしまっている。


 悲鳴を上げたのは彼女らしい。


 顎先からぽたぽたと液体の雫を垂らしながら呆然とした様子だった。




「反射魔法で防いだぞ」




 ドヤ顔でヴェイン様が言う。


 それに、魔法で液体を防いでもらったのだと理解し、強張っていた体から力が抜ける。


 気付けば守るようにディザークに抱き寄せられていた。




「誰か、そこの者を下げろ」




 ディザークが不機嫌そうな低い声で言う。


 紅い瞳が鋭く女性を射抜き、液体まみれの女性がびくりと震える。




皇弟(おれ)の婚約者にワインをかけようとするような愚か者は、この舞踏会には不要だ」




 女性がハッと慌てた様子で口を開いた。




「あ……、ち、違うのです、皇弟殿下っ、私は……っ!」


「その人間はまっすぐにサヤに向かって来た。しかも、手に持ったグラスの中身をわざとかけようとしていた。そうでなければ反射魔法程度でこれほどワインが大きくかかるはずがあるまい」




 女性の言葉を遮るようにヴェイン様が言い、ディザークの眉間のしわが深まった。


 近付いて来た騎士達が女性の左右に立つ。




「偶然だとしても、皇族の一員となる者だと公表したその場でワインをかけるような無礼者を許すつもりはない」




 周囲の人々が小さく騒めく。




「お、お許しください、殿下! わ、私はただ……」


「ディザーク殿下」




 女性が言葉を続けようとした時、人混みからディザークを呼ぶ声がした。


 見れば、先ほど別れたばかりのペーテルゼン公爵令嬢がこちらへゆっくりと進み出てくるところだった。




「どうか、彼女を許してはいただけませんでしょうか? 彼女はわたくしの友人ですが、誰かを傷付けるような方ではありません。きっと、足がもつれて手が滑ってしまっただけです。ねえ、そうでしょう?」




 慌てた様子で女性が何度も頷いた。




「わたくしに免じてどうか、寛大なお慈悲を」




 ペーテルゼン公爵令嬢が悲しげな顔をする。


 しかしディザークは表情を変えなかった。




貴様に免じて・・・・・・? 何か勘違いをしているようだが、俺が貴様の顔を立てる義理はない」




 ピシッと音がした気がする。


 ペーテルゼン公爵令嬢の表情が固まった。




「婚約者候補ではあったが、それは過去のことだ。候補は候補に過ぎない。それ以上でも以下でもなく、今は無関係である。そんな貴様の言葉を俺が聞く理由はない」




 ……うわぁ、容赦ない。


 ディザークの言葉がグサグサとペーテルゼン公爵令嬢に突き刺さっていくのが感じられた。


 シンと沈黙が落ち、人混みの一部がサッと左右に分かれる。


 そこから皇帝陛下が歩いてくる。




「皇族主催の舞踏会、それも祝いの席で騒ぎとは感心しないな。……ああ、そこの令嬢は下がらせろ。ワインまみれでいるのはつらいだろう」




 皇帝陛下が手を振ると、騎士達がワインまみれの女性を左右から支えるように促して下がっていく。


 ただ、女性が抵抗しながら「私はバルバラ様のためを思っただけで!」「私の意思ではなかったの!」「バルバラ様こそが皇弟殿下の婚約者に相応しいとみんなが言っていたから!!」と喚き散らしていた。


 だが名指しされたペーテルゼン公爵令嬢が困ったような顔をする。




「申し訳ございません、どうやら彼女は何か勘違いをして、このようなことをしてしまったようです」




 それにディザークは不愉快そうに目を細める。


 皇帝陛下が「ふむ?」と微笑んだ。




「ペーテルゼン公爵令嬢、勘違いとは?」


「恐れながら、彼女はわたくしがディザーク殿下の婚約者になるものだと考えていたのではないでしょうか? 最近、彼女と親しくなったのですが、そういえば時々彼女は『皇弟殿下の妻』はわたくしがなるべきだと言っていました。ただの冗談だと思っていたのですが……」




「まさかこんなことをするなんて……」と少し俯く。


 美女の悲しげな表情は武器だな、と思う。


 ……まあ、白々しさを感じるけどね。


 皇帝陛下が「そうか」と頷く。




「つまり、全てはあの令嬢が妄想で暴走した、と」




 公爵令嬢が悲しげな顔で目を伏せる。




「なるほど、確かに妄想だろうな。我が弟の婚約は解消も破棄もする予定はないし、シノヤマ嬢から婚約者を代えることもない。まあ、ディザーク自身もそんなつもりはないだろう?」


「当たり前です。俺の婚約者はサヤだけで、他の者と婚約、ましてや結婚する気はありません」




 皇帝陛下が微笑んだまま公爵令嬢へ問う。




「令嬢もそのようなつもりはないだろう?」




 ペーテルゼン公爵令嬢が一瞬押し黙った。


 ここで「はい」と言えばディザークの婚約者になることは絶対に不可能になる。


 けれども「いいえ」と言えば皇帝陛下の決定に意を唱えることになってしまう。


 ……うーん、皇帝陛下とバルトルド様が重なって見える。顔立ちも似てるけど、中身も似てるんだよなあ。


 ややあって、公爵令嬢は俯いたまま頷いた。




「……ええ、もちろんでございます、陛下。ディザーク殿下の婚約者は既に決まっておりますもの、わたくしがその座につこうだなんて、畏れ多いことですわ」


「そうだろう。いや、妄想というのは恐ろしいものだな。本人の意思を無視して行動してしまうのだから」


「はい、わたくしも驚きました……」




 皇帝陛下がわたし達を見る。




「しかしシノヤマ嬢が無事で何よりだ。彼女に何かあれば、帝国の国益を損なうようなものだからな」




 ははは、と皇帝陛下が笑う。


 はっきり聖女とは言ってないが、二週間後くらいには聖女として正式に公表されるのだから似たようなものだろう。




「それにしても弟よ、婚約者のことを随分と気に入ったようで私は嬉しいぞ」




 からかうように言われて、今の状況を思い出す。


 わたしはディザークにしっかりと抱き寄せられていて、これは、ディザークがわたしを手放したくないように見えなくもない。


 ディザークもそれに気付いたのか、グッと眉間にしわを寄せた後、そっと解放される。




「陛下、からかわないでください」




 不機嫌そうだったが、それが照れからくるものであるのは一目瞭然である。


 近付いてきた皇帝陛下がディザークの肩を叩く。




「そう照れるな。婚約者なのだから、仲が良いのはいいことだ。これからもそうであってくれ」




 皇帝陛下の明るい様子に緊張していた場の雰囲気も穏やかなものに戻っていく。


 いつの間にか止まっていた音楽も流れ出す。


 ディザークが皇帝陛下に言う。




「あのようなこともありましたので、申し訳ありませんが、我々は下がらせていただきます。サヤも突然のことで驚き、怖い思いをしたでしょうから」


「ああ、シノヤマ嬢も、今日は早めに休むと良い」




 皇帝陛下の言葉に丁寧に礼を執る。




「お心遣いありがとうございます」




 ディザークに連れられて舞踏の間を後にする。


 その日は、そのまま二人で宮へ帰ったのだった。


 馬車に揺られ、車窓を眺めながら、内心で溜め息が漏れてしまう。


 ……ディザークの婚約者候補ってどんだけいたの?


 前の家庭教師だったモットル侯爵夫人の娘と言い、ペーテルゼン公爵令嬢と言い、候補が多すぎる。


 候補だった令嬢全員にこんな感じで突っかかられたらさすがにわたしでも嫌になってしまう。


 宮へ帰るとディザークは少し話したそうにしていたけれど、わたしは疲れきっていたので「話は明日にして」と言って部屋に引っ込んだ。


 入浴して、部屋に一人にしてもらった。


 いつもならストンと眠れるのに、その日に限ってはなかなか眠れなかった。


 ……ディザークの婚約者候補って、なんか腹立つ。


 結局、モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、わたしは翌朝まで眠れなくてベッドの上で何度も寝返りを打って過ごしたのだった。







 

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トカゲ様やっと仕事したか... 聖女と遠回しで公表しようが、頭が悪いやら関係無いよ! 人間って生き物には感情ってもんが在るんだから仕方ない。 自分だったらどう?立場とか置いておいて簡単に納得出来るか…
[良い点] ディザークによる、ばっさばっさり一刀両断の断罪展開。 [気になる点] あれだけ聖女と匂わせたのに、まさかの嫌がらせとは。 >「私の意思ではなかったの!」 つまりバルバラ様の意思だったわ…
[一言] こんにちは!毎日結構な量と読み応えのあるお話の更新ありがとうございます♪寝取られ令嬢が好きで読み返してましたが、こちらも相性がいいようで 待ち切れずに読んでいます。サヤのモヤモヤはしばらく続…
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