ディザークってカッコイイよね。
それから二週間はあっという間に過ぎていった。
新しい家庭教師は朗らかな女性で、ちょっと警戒してしまったが、鞭で打たれることもなければヒステリックに怒られることもなく、授業は穏やかなものだった。
どうやら褒めて伸ばすタイプの人のようで、むしろ上手に出来れば小さなことでもよく褒められたし、失敗してもどこが悪かったのかは分かりやすく説明してくれるので、わたしもいい勉強になる。
ちなみに魔法の先生はまだいない。
ただ、ヴェイン様がそばにいるなら、あまり魔力を消費しない魔法は練習しても良いということになった。
ヴェイン様は聖竜で、わたしよりも魔力量が多く、もしもわたしが魔力暴走を起こしたとしても抑えられるからだ。
でも魔法の練習は必ず侍女か騎士が見ているところでやる。魔法を使いすぎないよう監視する、と言うと聞こえは悪いが、途中で止めてくれる人がいるのはありがたい。
あと、騎士だと魔法について疑問があった時に訊くと結構気軽に教えてくれるので、案外、このままでいいのではと思いつつある。
この二週間で二度ほど聖女マルグリット様も宮に来て、聖属性魔法を教えてくれた。
聖女となるなら、これからは聖属性魔法を主に学んでいったほうがいいのかもしれない。
ただし魔法の練習が認められてからは食事量も増えた。
「食事量を増やせないなら、許可出来ん」
と、ディザークが言うので頑張って食べている。
それと飢餓状態を脱出するまでは日常生活でコルセットはきつくしない条約を結んだ。
ディザークに食事量が少ないと言われた時に、コルセットが苦しくて食べられないと返したら、緩めてもらうことに成功した。
ただ女性のコルセットは下着みたいなものなので、外すというのは侍女達全員に首を振られた。
とにかく、わたしは三食しっかり食べて、なんなら毎日おやつもちゃっかりいただいて、礼儀作法や歴史などの教育の授業を受け、空いた時間に魔法の練習をしている。
意外と学校に通っていた時と生活リズムが変わらないので体力的なつらさはない。
そうして特に何事もなく二週間が経ったのだ。
「サヤ様、本日はしっかりコルセットを締めさせていただきます!」
ドレスを着せてもらっているとマリーちゃんがキリッとした顔で言うので、わたしは頷いた。
「うん、でも、呼吸出来るくらいの余裕は残しておいてほしいかな」
「締めてみて、苦しいようでしたら少し緩めます。……では、失礼します!」
後ろから声がして覚悟を決める。
容赦なくコルセットの紐が絞られた。
「ぅぐ……っ」と可愛くない声が漏れたが、仕方がないだろう。
しかも後ろから「息を吐いてください!」と言われて息を吐き出せば、更にきつく絞られる。
「ちょ、無理、口から内臓出る……」
「喋る余裕があるなら大丈夫です!」
……マリーちゃん、言うようになったなあ。
少し前だったらわたしが苦しいと言えばすぐに緩めてくれたのだけど、ディザークの宮で過ごして、侍女として教育を受け始めてからマリーちゃんも変わりつつある。
コルセットの紐を縛って隙間に差し入れると、どんどんドレスを着付けられていく。
スカートを重ねて穿いたり、胸元に当て布みたいなものをつけられたり、わたしにはよく分からないものが多かったけれど、それらのせいで重くなっていくことだけは理解出来た。
ドレスを着ると、今度は髪を整えられる。
纏められていた髪を解き、丁寧にブラシで梳いて、髪のほとんどは流したままだが、左右の髪を細く三つ編みにして後頭部で纏めて、そこに髪飾りが差し込まれる。
ワインレッドより少し明るい色味の、ちょっとゴスロリっぽさのあるドレスは派手だなあと思ったものの、意外と黒髪が映えて良い感じだった。
髪を整えたら化粧も施される。
でも意外なことに化粧はそれほど派手ではなかった。
「サヤ様はお顔立ちが幼いですから、濃いお化粧は似合わないでしょう」
確かにリーゼさんの言う通りだった。
化粧は控えめに、だけど見るときちんと化粧をしているのは分かる。
……うわぁ、普段より顔立ちがハッキリしてる。
それでもこの世界の人に比べたら彫りが浅く見えて、子供っぽく見えるのだろうけれど。
支度を済ませて待っていると部屋の扉が叩かれた。
マリーちゃんが対応し、すぐに扉が開かれ、マリーちゃんが脇に避ける。
「迎えに来た」
そこにはディザークがいた。
いつもの黒い軍服みたいなものは一緒だけれど、今日は胸元に沢山のバッジをつけていて、背中には赤いマントがつけられている。
……制服フェチってわけじゃないけど、カッコイイ……。
元々、ディザークはいつも眉間にしわを寄せているものの、その顔立ちは端整で、やや厳しそうな雰囲気がやや近寄り難いクール系美形なのだ。
思わず溜め息が漏れた。
「ディザークってカッコイイよね」
ピタとディザークの足が止まった。
何か言おうとしたのか口を開いて、でも、ディザークは一度口を閉じた。
なんて返事をすればいいのか困っている風だった。
「ね、わたしはどう? これだけ着飾っていれば、ディザークの横にいても見劣りしないかな?」
「……恐らく、しないと思うが」
「そっか、それなら良かった」
美形なディザークの横に平凡顔のわたしがいたら霞んでしまうから、目立つには着飾るしかないのだ。
近付いてきたディザークが左腕を出したので、わたしはそこに右手をそっと添えた。
「今日のドレス、いつもより重いからちょっと心配。ふらついたり転んだりしたらごめんね」
普段もドレスを着るようにはしているけれど、舞踏会用のドレスは華やかでいつものものよりも重い。
「そういう時は遠慮なく俺の腕にしがみつけ」
「いいの?」
「お前の体重くらいなら問題なく支えられる。人目のある場所で転ぶのは恥ずかしいだろう」
そう言ってもらえると心強い。
「うん、そうする。ありがとう」
「では行くぞ」
歩き出したディザークについて部屋を出る。
宮の中を通り、正面玄関を抜けて、外へ出ると馬車が停められていた。
御者が扉を開けてくれて、ディザークの腕が伸びてくる。ひょいと抱え上げられた。
そしてディザークが小さく頷きつつ、馬車に乗せられる。
「きちんと食事は摂れているようだな」
女子としては微妙な心持ちだが、それがわたしへの心配からくるものだと知っているので、やめてとも言いづらかった。
ディザークも馬車に乗り込むと扉が閉められる。
侍女としてリーゼさん、護衛としてヴェイン様が別の馬車に乗ってついてきてくれるらしい。リーゼさんは舞踏会中は控え室で待機するそうだ。ヴェイン様は護衛としてそばにいる。
……舞踏会に参加とか現実味がない……。
緊張するかと思ったけれど、意外にも落ち着いた気分でいられた。
まだ礼儀作法の教育途中ということもあって、わたしが舞踏会でしなければならないことはほぼない。
「サヤ嬢はディザークの隣でニコニコしていればいい。何か問われても曖昧に微笑んで受け答えはディザークに任せておけ」
と、皇帝陛下も言っていたので、わたしはとりあえずディザークの横でニコニコしておけばいいようだ。
ディザークもそれに異論はないらしかった。
ぼうっと車窓を眺めているとディザークに声をかけられた。
「大丈夫か?」
「え?」
「初めての舞踏会だ。緊張するだろう。たとえ何か失敗したとしても『初めてで緊張してしまって』とでも言って微笑んでおけば、大抵は誤魔化せる」
ディザークの言葉にふっと笑みが浮かんだ。
「そっか」
「そもそも、失敗したとしても皇族の婚約者に面と向かって指摘するような者はいない。そんなことをするのは愚か者だけだ。そのような者達をお前が気にする必要はない」
「分かった」
頷いていると馬車の揺れが収まった。
外を見れば、いつの間にかお城に到着していた。
扉が開けられてディザークが馬車を降りる。
今度は手を貸してもらい、わたしも馬車を降りて、ディザークにエスコートしてもらいながらお城の中へ入った。
案内役だろうメイドさんにくっついてお城の中を進む。
そうしてどこかの部屋に案内された。
メイドさんは礼を執ると静かに去っていった。
ディザークが扉を叩けば、中から「入れ」と声がした。皇帝陛下の声だった。
扉の左右にいた騎士の一人が扉を開けてくれる。
中へ入ると皇帝陛下が「やあ」と気安く片手を上げてこちらを見る。
ディザークと共に皇帝陛下に礼を執ると、おや、という顔をされた。
まだまだ礼儀作法は学ぶことが多いけれど、カーテシーと呼ばれる挨拶の仕方は覚えた。
この世界の貴族の女性はこの挨拶が一般的らしい。
それから皇帝陛下の向かい側のソファーにディザークと一緒に並んで座る。
「思ったよりも綺麗に挨拶が出来るようになったね」
皇帝陛下の言葉に浅く頭を下げる。
家庭教師から受けたアドバイスを守り、歯を見せない程度に口角を引き上げ、目尻を少し下げ、微笑んだ。
「ふむ、黙っていればどこぞの貴族の令嬢と言っても差し支えなさそうだな。だが、私達だけの時は気楽にして構わない。……いずれはディザークと結婚して、私の義妹になるのだから」
「そうですね、そう言っていただけると助かります。大きな猫を被り続けるのも大変なので」
「ははは、だろうな」
おかしそうに皇帝陛下が笑う。
「『緊張せずとも今日は婚約発表をするだけだ』と言うつもりだったのだが、どうやらあまり緊張してはいないようだね」
「はい、わたしは微笑んでいるだけでいいとのことですから、こういう経験も初めてで、せっかくなら楽しもうかと思いまして。ディザークがそばにいてくれるなら安心ですし」
横にいるディザークを見上げれば、ディザークが小さく頷き返してくれる。
それだけで緊張しかけた気持ちが穏やかになる。
「そうか、それならば良い。今夜の舞踏会はディザークとサヤ嬢の婚約発表を公表するだけだ。これは決定事項であり、貴族達が反対しても婚約を解消、破棄することはない」
皇帝陛下に目で問われて、頷き返す。
……多分、これが最後のチャンスなんだ。
ここでわたしが拒否することも出来る。
そうしたらきっと皇帝陛下は強くは出られない。
聖竜様の愛し子で、聖女となるわたしには、それくらいの力はあるのだと思う。
でも、だからと言って帝国と敵対するつもりはないし、わたしはディザークの宮での暮らしも結構楽しいと感じていて、わざわざ他に行きたい場所もない。
「覚悟はしているようだな」
「はい」
わたしの返事に皇帝陛下が満足そうに頷いた。
コンコンコンコンと部屋の扉が叩かれ、外から「お時間です」と声がした。
皇帝陛下が立ち上がる。
「さあ、時間だ」
わたしとディザークも立ち上がる。
差し出された腕に手を添える。
歩き出した皇帝陛下に、ディザークと共について行き、部屋を出る。
後ろにヴェイン様がついて来ていた。
お城の舞踏会は、舞踏の間と呼ばれる広間で行われるそうで、そこまで行くのだろう。
……今になってちょっと緊張してきたかも。
そろりと横を見上げれば、ディザークが気付き、見下ろしてくる。
その紅い瞳に「大丈夫か?」と問われたような気がして、腕に触れている手に少しだけ力が入る。
返事の代わりに笑えば、ディザークが少しだけ目を細め、前を向いた。
わたしも前を行く皇帝陛下の背中を見る。
歩きながら深呼吸をする。
……大丈夫、微笑むだけでいい。
意識して微笑みを浮かべる。
皇帝陛下が両開きの扉の前で立ち止まった。
扉の左右には騎士達がいて、前を向いたまま微動だにしない。置物ではないのは確かだが。
チラと皇帝陛下が振り向いたので、わたしは微笑んだまま小さく頷く。ディザークも頷いた。
皇帝陛下が前を向くと騎士達が動いて扉が開かれる。
「帝国の太陽エーレンフリート=イェルク・ワイエルシュトラス皇帝陛下、ディザーク=クリストハルト・ワイエルシュトラス皇弟殿下のご入場です!!」
ザッと視線が突き刺さる。
しかし、それは一瞬で、すぐさま舞踏の間にいる人々が礼を執った。
みんな華やかな装いで舞踏の間も煌びやかである。
わたし達は人々がいる場所から、数段上の高い位置にいる。
「皆、楽にするが良い」
皇帝陛下の言葉に全員が顔を上げた。
先ほどの視線がまた突き刺さってくる。
明らかにわたしを見て「誰だ?」と感じている雰囲気が漂っていた。
「本日は皆に一つ、知らせるべきことがある」
ディザークが一歩前へ出たのでわたしも倣う。
「少し前、ドゥニエ王国が聖女召喚の儀を行ったことを知る者も多いだろう。我が帝国もその際に魔法士を派遣した。そして、その召喚の儀では二人の乙女がこの世界に召喚された。ここにいるサヤ・シノヤマ嬢は召喚された乙女の一人である」
それに騒めきが広がった。
……なるほど、上手く言うなあ。
はっきりとわたしが聖女だとは言っていないものの、聖女召喚で現れた人間と言えば、当然わたしも聖女だと思うだろう。
それで間違いはないが、まだ正式に公表していないのであえて断言はしないということか。
「何故、この者がここに立っているのか疑問に感じている者もいるだろう」
皇帝陛下は一度言葉を切り、見渡した。
その場にいる誰もが皇帝陛下の次の言葉を待っているのが伝わってくる。
「本日、私エーレンフリート=イェルク・ワイエルシュトラスが弟ディザーク=クリストハルト・ワイエルシュトラスとサヤ・シノヤマ嬢の婚約をここに宣言する」
静まり返っていた舞踏の間が一気に騒めきに包まれる。
「シノヤマ嬢は我が国にとって、これから必要となる存在だ。彼女の立場について正式な発表はまた後日となるが、ドゥニエ王国で行われた聖女召喚の儀が正しく行われたことは事実である」
その言葉に騒めきに喜色や安堵がまじる。
……これってわたしが聖女だって言ってるようなものだもんね。
大勢の視線の中には期待が込められていて、わたしは改めて聖女という立場の重要性を感じたのだった。
「今宵は我が国の明るい未来を、我が弟達の幸福を祝し、皆も楽しい夜を過ごしてほしい」
皇帝陛下の言葉を皮切りに舞踏の間に音楽が流れ出し、舞踏会が始まった。
皇帝陛下とディザークと共に階段を下りて、大勢の人々の中へ進み入る。
ふと振り向けば、いつの間にかヴェイン様が後ろにいた。先ほどまではいなかったが、どこにいたのだろうか。
疑問に感じたものの、すぐに貴族だろう人々に囲まれてしまい、ヴェイン様に訊くことは出来なかった。